マネジメント

2019年6月21日 (金)

人は体験からしか学べない

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。



以前紹介した本。

  「ほめるな・叱るな・教えるな」。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/482225030X/tetu0358-22

店長会でその本を読みあわせをする時間があるのだが、そこに非常に共感する言葉があった。

  「人は体験からしか学べない」。

人を教育する。部下を教育する。子供を教育する。

  教育には「知識」の教育と「知恵」の教育とがあろう。

知識の教育とはいわゆる学校教育のように、一方的に先生から生徒が学ぶ学校方式があろう。

  そこでは知識としての一般論が伝授される。

大きな考え方や業界の理論、企業のマニュアル、そして数値に関わる業績の見方等。

  この業界に関わる大きな枠組みの理論を学ぶには最適な方式。

この枠組みを習得することによって、考え方の方向性が理解でき、より短時間で問題解決策を自分で方向付ける知識が身につくことになる。

更に、上記の知識の習得と並行して、経験から習得する知恵の教育というものがある。

  知恵の教育こそが「体験からしか学べない」教育となる。

そしてその体験とは、自ら決断した事柄に対してのみ、その結末までの推移まで含めて自分の経験値として自らの体に習得されていくものである。

  自ら決断した事柄のみ?。

ここが一番重要なポイントとなる。

  自分で決めた事柄だけが経験値となるということ。

他人が決めた事柄を自分で実行しても、自分の経験値にはならないということである。
他人が決めた事はあくまでも他人事であり、自分の体には吸収されないのである。

  “上司が決めたことをただやっただけ”

これは、いわゆる自分がロボット化されただけという認識。

  だから自分には何も残らない。

しかし、自分で最終的にリスクを持って決定した事柄に対しては、最後まで自分で決断し続け、最後の結末まで自分の責任として結末する。

  このことによって全ての推移が自分の経験値として吸収されるのである。

この経験値が「知恵」である。

  そしてこの知恵とは自らの体験からでしか得られないもの。

その体験とは自ら決めた事柄に対して行動し結果を出した部分という意味の体験である。

  よって、上司が決めた事柄は決して自らの知恵にはならない。

あくまでも自分で決めて行動した部分だけが知恵として習得されていく。

  それが一番コストパフォーマンスの高い教育となる。

よって、上司やリーダーが注意すべきは、その一番コストパフォーマンスの高い教育の場を奪うなということである。

  “失敗させたくない”

そうやって、いっときは成功させることができるかもしれないが、長い目で見たときのその本人の実力という見方をすると、その実力を身につけたとは言えないのが周囲のお節介であろう。

  自分で決断して失敗・成功する経験。

そうでなければ本当の部分での実力を本人が身につける事はできないのである。

  そしてそれが「教えない」の本質でもある。

教えないという意識ではなく、教えないことによって本人が自らの力で学び取っていくスタンスと力を獲得してほしいと願う心が、部下に教えないという行動を一部取るのである。

  そして、結果を出したら、大いに褒める。

部下の決断から行動、そして結果に大いにコミットメントして、最後に関わる。

  そして部下はその真意を自分がリーダーになって初めて理解するのである。








  

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2019年6月14日 (金)

共有力

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。



情報を共有する。

  一見簡単そうに見える。

しかし、組織内で情報を共有するとはどういうことであろうか。

  マニュアルや決め事の共有。

そんなのは当たり前の話。

  大切なのは「強み」の共有である。

強みとは、企業が持つ「強み」であり、個々人が持つ「強み」でもある。

  「強み」と「弱み」。

強みとは、他企業と比較しても圧倒的に自社の強みとして位置付けられ、その強みを活かして店舗運営をし、顧客獲得に成功しているという部分。
しかしその強みとは、もともとその企業が持ち合わせていた強みなのであろうか。

  強みとは常に進化していくものである。

よって、一度確立した強みではあるが、その強みにしがみついていてはいずれ他社の強みに追い越されてしまうであろう。
だから、自社の強みとは全従業員に共有されていることが前提となる。

  そしてその強みを身につけた従業員が現場でそれを進化させていく。

一部の従業員が先頭を切って進化させた「強み」を如何に効率よく全従業員に共有させていくか。
そうして、進化していく強みをタイムリーに共有できる組織を、共有力というのである。

  よってまずは現場においての進化形を抽出しなければならない。

そして、その強みを抽出したならば、全社に広めるべき強みを取捨選択し、他店舗や他者と共有すべき強みを認識し、その強みをいろいろな媒体を通じて共有化を図る。

更に、共有された強みを別の現場では更に進化させてマニュアル化し、共有力を高めていく。

  その過程が非常に重要なのである。

共有力の高い企業は、進化させた強みをどんどん共有して、進化した強みを更に進化させていくのである。

  そうやって、強みを進化させたの追随を許さない。

企業の強みとはそのように強みが進化させていくのである。

  そのためには共有力を高めていくことが必須であろうか。

個人の強みを全体の強みとして共有していく組織。
だからその企業の強みはどんどん進化し、そして共有され、そのレベルがお客様に認知され、お客様の口コミの力を以って地域の顧客の知るところとなる。

  そこには共有させるべくキーマンが存在する。

それをスーパーバイザーと呼ぶ企業もあればトレーナーと呼ぶ企業もあろう。
そんなキーマンが、現場から情報を収集し、アレンジし全店ベースで共有できるように情報を発信する。

  組織の進化とはそのようなことではないだろうか。

何を以って「進化」というのか?。

  それは、強みの進化。

そして、その強みが進化していくから、お客様の支持が圧倒的に強まっていくのである。

  強みの進化は止めていはいけないのである。

それは、競合他社も常に進化し続けていくから。
強みの進化を怠ったら、あっという間に競合店に先を越されてしまう。

  自社の強み。

その強みが進化しているのかどうか。

  ぜひもう一度チェックしてみてほしいものである。










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2019年6月12日 (水)

組織をコントロールする

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。



組織のリーダーとして。

  如何に組織運営をしていくか?。

これは、リーダーの最大の命題ではないだろうか。

  組織として如何に業績を最大化させられるか。

その為には、いろいろな業績拡大の要素があるだろう。

  その要素の組み合わせによって業績が左右されていくことになる。

よって、リーダーは組織全体に対しての最大効果を発揮させる為に、カテゴリー別への対応や個への対応を密に実践していくことになる。

  それがストアコンセプトとそこから派生する部門コンセプト。

いくらストアコンセプトを作成したからといって、そこから具体的に個々の部門がそのストアコンセプトを受けて部門コンセプトを立案して、確実に実行することが前提となる。

  部門コンセプトを実行するのは部門のスタッフ。

部門スタッフがコンセプトを実現できなければ、それは絵に描いた餅になってしまう。

  リーダーがすべきは血の通う生身の人間に対しての行動の喚起となる。

そこには、考え方の解説から具体策の提案、そしてスタッフの頭数の獲得等があろう。

  コンセプトの実現可能なスタッフが揃っているか否か。

このスタッフが揃わない限り、部門コンセプトも絵に描いた餅に戻ってしまう。
そう考えると、店舗コンセプトや部門コンセプトが絵に描いた餅にならないように、確実に具体的行動に促すことがリーダーの仕事となろうか。

  スタッフの頭数が揃い個々が力を発揮できる環境。

そんな環境を整え、部門の責任者やスタッフが個々に自らの仕事に対して高いモチベーションを保ち、活き活きと行動できる環境作り。

  そこにリーダーの最大の命題が隠されているのだ。

立派な絵に描いた餅を掲げることではない。
いや、それも大切であろう。

  コンセプト作りは大切である。

理想のあるべき姿を描き、その実現の結果として競合店からお客様を吸引し自店の業績を拡大させていく。

  そのコンセプト実現への道筋も含めてリーダーの使命ではある。

しかし、問題は、そこから先にどのボタンを押して具体的な行動を起こし、具体的にリーダー以下の部下たちが確実な行動を伴って店舗が進化しお客様を取り込んでいけるか。

  ここから先は生身のリアルな人間たちとの格闘となるのである。

絵に描いた餅を生身のリアルな人間たちが理解し、共感して行動し、絵に描いた餅がリアルな売場に反映させられるかが最大の課題。
そこには、一人一人の従業員への関わりが重要になってくる。

  それを一言で言えば「信頼関係」と言うことであろう。

“あのリーダーが言うなら”

  そんな関係がリーダーと部下との間にあるかどうか。

そして、部門がそのコンセプトに取り掛かり、行動を起こし、その進捗状況をリーダーとしてどう個人のモチベーションに再びつなげていくか。

  その連続であり継続がその後の進化を加速させていくのであろう。

絵に描いた餅を掲げたならば、その後はどこまでも生身のリアルな人間のモチベーションであり気持ちでありを如何に喚起させていけるか。

  ここにリーダーの隠された要因があるのではないだろうか。










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2019年5月18日 (土)

昭和世代

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。



昭和から平成。

  そして今年の5月からは令和の新元号となった。

先日の販売会議の中で、ある話題になった。

  「この中で『平成』生まれはいるか?」

そんな話題が飛び出した。

  会議に参加するのは、店長数名、商品部マネージャーから上。

よって、ある程度年数を重ねたメンバーのみ参加であるから、そうそうは平成生まれはこのメンバーにはいないだろう。
そして当然、そこに居合わせたメンバーは全て昭和生まれ。

  社長、常務、部長、店長、商品部マネージャー。

全て昭和生まれ。

  これも当然であろうか。

流石に、大正生まれはいない(笑)。
そして、平成生まれも残念ながらいない。

  全ての幹部は昭和という一括りの元号の時代に生まれた世代である。

とは言っても、昭和も63年の長い時代であった。
ベテラン幹部で60数歳から、若手の店長で30数歳まで、非常に広い範囲での昭和世代ということになる。

  同じ昭和世代とは言ってはみてもそこには大きな世代間ギャップが存在する。

しかし、昭和から平成、そして令和という時代の変遷。

  令和生まれからみた昭和の人間。

そこには、同じ昭和生まれでも世代間ギャップがあるなどという理屈は通用しないであろう(笑)。

  同じ昭和生まれの堅物人間。

そう認識されるのがオチだ。

  昭和35年に生まれた私。

その年に大正元年に生まれた人は50歳。
明治生まれの方は51歳として昭和35年には存在していたのだ。

  私が9歳の時にみた明治生まれの方と同じ年の自分。

令和元年に生まれた赤ちゃんが5歳になった時、私は64歳。

  令和元年生まれの子が私をどう認識するだろうか。

あの時にいた頑固ジイちゃん。

  そう思われるのであろう(笑)。

そして逆に言えば、まだまだ30代の昭和世代がこの世に多く存在することも、同じ昭和生まれとしては心強いものがある。

  “まだまだ時代のど真ん中を制する世代”

そのような認識は今後ともまだまだ続くであろう。
そして、平成生まれの店舗の主要メンバーは誰だ?、という話題にもなった。

  自店である程度目立つ若手チーフの声が店長から上がる。

しかし、いずれもギリギリ昭和生まれのメンバーばかり。

  考えてみれば平成31年だから30そこそこの年齢でもある。

30そこそこの目立つ部門担当者。

  早く、そんな人材が出てきてほしいものでもある。

昭和、平成、そして令和と時代は流れていく。

  昭和という一括りになっていく60代と30代。

平成の働き方改革はまだまだ始まったばかりのようである。










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2019年4月25日 (木)

マネジメントの概念

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


マネジメントという言葉。

  よく使われる業界用語である。

マネジメントを「管理」と訳してきた時代が長かった。

  管理という表現は「部下」や「組織」を縛り付ける印象が強い。

しかし管理者(店長や上司)にとって管理という表現で部下や組織を管理する方が管理しやすいということは間違いない。

  要は「マニュアル」や「規定」通りに部下を管理すること。

それは、マニュアルを徹底して読み込み、そのマニュアル通りに普段の部下の仕事を管理して、規定通りの状態になっていることを仕事の最優先に据えることである。

  よって管理者の仕事はマニュアルを強いてその状態を維持すること。

それは、何の人間的な魅力を発揮することでもなく、販売技術や陳列技術を習得することもなく、単に学力を以ってマニュアルをしっかり記憶してその通りに部下や組織、店舗をマニュアルの状態に部下を強いて維持することである。

  そう考えると管理とは意外に簡単なことである。

それは組織上も管理しやすく、チェーンストアとしても管理しやすいからチェーン化の拡大にも効率的であった。

  そしてその時代に管理を学んだ世代が今苦労しているのである。

管理者も管理される者も、同じ価値観で育ってきた時代であれば、その管理手法は上司も部下も同じ価値観に沿って非常に効率よく管理された状態を維持できたのである。

  よってその成功体験が変化への対応を鈍らせているとも言える。

現代は「個」の時代である。

  「個」とは感情を持った尊厳に値する人間のこと。

そして、「個」の尊厳から個性という要素が尊重される時代と変化してきた。

  「個」の個性一つ一つを同じマニュアルで管理することの限界を迎える。

ここでもう一度振り返らなければならないのは、マニュアルの本来の意味であろう。

  なぜ、マニュアルが存在するのか。

その原点に戻らなければ、このギャップはいつまでも埋めることはできない。

  マニュアルの存在意義。

私は、マニュアルの存在意義には三つあると思っている。

  一つは業績達成の為。
  二つは作業改善の為
  三つは不正防止の為。

この三つの目的を達成するために、一番効率よく階段を登るために、熟練者でなくても一歩一歩踏み間違えることなく階段を登れる決め事を記したのがマニュアルである。

  マニュアル通りに実行することで上記三項目が熟練せずとも達成可能。

それがマニュアルの本来の意味。

  それをかっての管理者は目的化してしまった。

それは私自身も初めての店長の時はそうだった。

  “あるべき理想の店長になってやろう”

そんな想いがマニュアル厳守人間にさせたのだろうか。

  しかし、現場では疎外された。

要は、全てにおいて本部側の人間に映ったのだろう。

  大切なのはマニュアルの目的を振り返ること。

そしてそれを使いこなすのは現場の人間。

  現場で最大限に効果のあるマニュアルの活用。

そのような発想に立ち返り、現場の感情を持った人間の「情」をどう引き出すか。

  マニュアルは「知」。
  現場の人間は「情」。

「知」と「情」をどうマネジメントするかが、リーダーの存在意義であろう。

  特に現代人は「個」という個性の尊厳で育ってきた。

個性の尊厳で育つということは、同じ個性という存在を尊厳するものである。

  よって「知」のリーダー以上に「情」のリーダーに惹かれるもの。

要はリーダーが何を言ったかではなく、その言葉を「誰」が言ったかによって「情」を動かされるものである。

  「情」の無い人間がマニュアル通りの立派な一般論を言っても心に響かない。
  逆に「情」のある自分の店長の言葉だから心が動かされて行動するのである。

「知」と「情」を組織において一致させるのが、マネジメントと言えるのであろう。








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2019年4月17日 (水)

「作」と「演」を縮める

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


このブログでもよく出てくる言葉。

  「作」と「演」。

本部が主たる方針を「作」として設計し、店舗が自店の環境を踏まえて「作」を「演」じる。

  そんな「作」と「縁」の関係。

しかし、なかなか「作」が現場で受け入れてもらえない、現場で理解できない、そして実行されないという企業が多いのではないだろうか。

  何故か?。

不要なプライドがお互いのコミュニケーションを邪魔するのである。

  不要なプライド?。

そう不要なプライドである。

人間は、自分で思考し実行するときは、不要なプライドがないから自分の事としてなんとか思考を実行しようとするが、他人の思考に対しては自分の不要なプライドが邪魔をして素直に受け入れられない心理状態になっているのである。

  「何故もっといい商品を提案できないのか」
  「何故提案した商品を現場は売らないのか」

自分で実行する場合には容認する部分も、他人に対しては不要なプライドが芽を出してより高い要求をしてしまうのである。

  “俺ならこうするのに”
  “俺なら出来るのに”

俺ならこんなときはこのような取り組みをするのに、何故バイヤーは、何故売場はそこまでやらないのか?。

  そんな相手への高い要求。

実際には自分でのなかなか出来ない高い要求を相手へ課してしまうのだ。
そして、そのような関係をして、なかなか「作」と「演」が本部と売場で一致していかない要因でもある。

  どうやったら解消できるのか?。

それは、両方経験するのがベストであろうか。

  「本部」や「バイヤー」の経験を積む。

「本部」機能を担った役職を経験し、再び現場や売場へ戻る。

従来であれば、現場からバイヤーへ昇格したら、バイヤー経験を長く積みそのままバイヤー職で定年を迎える方が多かったのではないか。
それでは、長年のバイヤーとしての業務は積めるが、「作」と「演」の架け橋的な役割からはどんどん遠のいていくことになる。

優れたバイイング業務も大切だが、チェーンストアでもっと大切なのはバイヤーと現場の団結力。

  その為にはバイヤー業務3〜5年で入れ替えて現場へ戻る仕組み。

そんな仕組みによって、より多くの人間が本部機能を果たした後に再び現場へ戻ることによって、より多くの現場の人間が本部機能を経験して、その経験を活かして現場で臨機応変に本部機能に付加した現場対応力身に付けられるのではないだろうか。

それはどういうことかというと、働き方改革によって現場が必要とする能力も変化し、また人材不足により従来の現場力を維持する為には色々な経験を積んだ店長や担当者が今後ますます必要になっていくからである。

  そして、企業規模以上に現場力で競合との勝敗が左右される時代であるからだ。

その為には、本部機能と現場とのコミュニケーションの壁を取り払い、本部方針を現場が理解し実行できる体制が必須だからである。

  その為には本部機能を経験した現場の人材が必須となる。

その為には、本部機能を経験した人材を再び店舗に配置し、本部機能を最大限に活かして自店を地域一番の支持ある店舗に仕上げていかねばならない。

  現場を離れるとより一層現場がよく見えてくるもの。
  本部を離れるとより一層本部がよく見えてくるもの。

両方経験することにより、本部と現場のあるべき姿が見えてくるものだ。

  これは現場の部門で仕事をローテーションさせる事と同様である。

役割のローテーションで部門全体の仕事が見えてくる。
そんな経験者が多ければ多いほど、部門内での協力体制が構築され、強い組織に仕上がっていくものだ。

  それは本部と店舗でも同様である。

「作」と「演」の距離を縮める。

  両方経験する人材の育成も一要因であろう。











  

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2019年4月15日 (月)

対立軸

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日の統一地方選挙。

  各地の知事選が話題になった。

自民党と野党との共闘による大阪の府知事選や市長選で敗北し、更に保守王国である、島根や福岡でも敗北した。
選挙や政治に関しては知識も無いしあまり深入りもしたくは無いが、この選挙でテレビ放映の解説者たちの話を聞いていて想うことが多かった。

  この地域での自民党の敗北の理由に共感したからだ。

この地域での知事選は、自民党の内部分裂による分裂選挙であったようだ。

  従来は「自民」対「野党」の対立軸の選挙形態。

しかし今回は、この対立軸が崩れ、内部分裂による

  「自民+野党」対「自民+維新」

このような対立軸になったようである。

  自民党の強みとは何か?。

私なりに思うのは「一致団結力」と「政治の実務力」。

  その中の「一致団結力」がなくなった自民党。

党内の派閥はいくつもあるにせよ、それはその派閥によって求心力のあるグループが、いざという時は自民党という大きな求心力に固まって一致団結して野党を蹴散らしていく実行力が強みであると思っている。

  それが今回は「自民」対」「自民」の構図。

更にそこに「自民」+「野党」という構図も交わって入り乱れる。

  対立軸はどこなのか?。

これを店舗や組織に置き換えてみると、この対立軸というのは非常に重要な存在だと思っている。

  組織にとっての対立軸とは?。

それは組織強化の重要な一要因であると言える。

  組織は対立する敵がいるから組織強化に傾くのである。

敵に勝つには必然的にまとまらざるを得ないからだ。
それを、組織を構成する個人個人が人間のDNAとして体内に刷り込まれているからであろう。

  古来からまとまる事で外敵から防御することを得意とした祖先たち。

だから、自分が属する組織と敵対する組織に対しては、一致団結していことする組織の論理が働くのであろう。

  その対立軸が組織から消えた時。

長期政権が続き、対立軸がいつしか消えてしまった時、内部分裂が生まれるのであろう。
それは、上記のように対立軸をいつしか内部に求めて、内部の小さな組織同士で対立軸を作って自ら属する小さな組織の内部団結を図ろうとする裏返しの構図なのである。

  もはやそこには政治的思想とは無縁の対立軸が存在するのみ。

対立軸とは、組織を強化する要因でもあり、分裂させる要因でもある。

  適度な対立軸の存在が組織を安定させる要因であるということだ。

店舗としての対立軸とは。

  それは競合店の存在であろう。

競合店との戦いにおいて、いかにリーダーは対立軸を利用して組織をまとめていけるか。

  逆に言うと影響の少ない対立軸を有効に活かすと言うことだ。

遠方に出店する対立軸であったり、影響の少ない他業態の競合出店を利用して対立軸に仕立てることも有効な組織強化に成り得ると言うことであるし、逆に組織強化に向けるために敢えて対立軸に仕立て上げるといことも必要なことではある。

  それがいつしか内部分裂につながる対立軸になってしまう。

それもマネジメント力ということであろうか。

  自分への戒めとして今回の選挙を振り返ってみた。










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2019年4月 2日 (火)

健全な組織

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


健全な組織とはどんな組織であろうか?。

  活力のある組織。
  団結力のある組織。
  対応力のある組織。
  不正に厳しい組織。

いろいろな定義があろうか。

  どんなに大きな組織でもそこには人が存在する。

そして、どんなに立派なマニュアルや組織表が存在しても、それを運営するのは人である。

  人とはいろいろなものに影響を受けながら行動する。

健全な組織では、人は健全に行動するし、不健全な組織では不健全な行動に走るものである。

  健全な行動、不健全な行動。

その裏側には何があるのか。

  組織を人間の体に例えるとわかりやすいのかもしれない。

人間の行動を司る脳が組織のリーダーであるならば、手足はその部下たちであろうか。
そして、その手足を行動させるものが情報という神経系となるのであろう。

更に、手足を常に活性させるために、常に新しい血液が体内を流れていなければならない。

  その血液の流れが健全な組織を構成するのである。

組織の血液とは?。

  人間には自分で治癒する自然治癒力が備わっている。

その力が、自動的に自分の体内を自己修正する機能を発揮するのである。

  組織にも自己治癒力が備わっていることが重要であろう。

組織の自己治癒力とは?。

  組織自体にもいろいろな治癒力があるとは思われる。

私は、リーダーに集まる「悪い知らせ」であると思っている。

  悪い知らせが末端からトップに常に上がっているか。

不健全な組織は逆に、悪い知らせがどこかで遮断されてしまっているものだ。
そして、悪い知らせに対するリーダーの決断と行動次第で、それ以降の血液の流れが更に清められていくのか淀んでいくのかが分かれていくのだろうと思う。

リーダー自体に悪い知らせを遮断させてしまう雰囲気を醸し出している場合もあるだろう。

  優秀なリーダーほど悪い知らせに対してウェルカムである。

そしてその悪い知らせに対して、即対応する。

  その行為自体が血液を洗浄するのである。

“なぜこんな悪い知らせばかりが俺に集まってくるんだ!”

  そう悩むリーダーがいるかもしれない。

しかし、それはむしろ喜ばしいことではないのか。
悪い知らせが集まるということは、まだまだ組織が健全な証拠である。

  そのバロメーターが「悪い知らせ」というわけだ。

そして、そんな悪い知らせを受け入れ、それが健全な組織であることを認識しながら、その悪い知らせに対して即行動して治癒してくスタンス。

  それは何も企業のトップだけの問題ではない。

組織の大小を問わず、どんな組織にもリーダーが存在する。

  店舗の店長、部門のチーフ等々。

そこに集まる悪い知らせに対するリーダーの行動。
これも、部下はしっかりと見届けているものである。








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2019年3月 7日 (木)

労をねぎらう

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


昨日は「今後の鮮魚部門」を書いた。

  今日は「労をねぎらう」。

配属された部門で一流を目指し努力していく。

  目指せば目指すほど職人気質が染み付いていく。

気がつけば、相変わらず部門担当のまま、魚を切ったり肉を切ったりし続けていく。

  部門主任として実質の利益貢献度は高い。

しかし、自らの職位と給与は一定のまま。

  こんな実態を見せられたら新入社員は逃げ出すだろう。

一生、安心してここで修行しようとする安心感と安定感。

  “将来的にも安定した収入が約束されている”

それが職人として一つの部門で技術を習得し能力を発揮できる力を習得して安定した業績を発揮し続けられる職人に対する給与形態と評価ができる企業であれば、それら部門で安定した就業をしようとする従業員が途中で退職することは無いだろう。

  職位と給与体系。

一般的には職位を上げなねれば給与は上がらない。

  そこに職位職能給制度が導入されているのだ。

職位は上がらないな職能の高さを評価されれば、職能を給与体系としていく制度。

  実質具体的に利益を創出しているのは部門担当者。

利益を創出できる現場での能力発揮者をもっと給与的に評価してあげる。

  労をねぎらうとはそういう意味である。

給与だけではなく、それを表彰したり、成功事例として全店への波及による貢献度を更に引き上げていく制度があれば、本人のモチベーションもまた違った形で維持されていくであろう。

  なかなかマニュアル化できない生鮮部門の販売技術。

それは、グロサリー部門を基準にしたマニュアルによる標準化が定着してきた結果であろう。

  しかしそれは瞬間瞬間での対応力が技術の生鮮部門には適さない。

だから色々な成功事例をその都度その都度改めて店舗に流し続けることが、生鮮部門の現場強化であり店舗の競争力となるのである。

  その技術の保有者に対する評価制度。

労をねぎらうとは、その評価制度の中の職能という側面を如何に個別的に評価していくかである。

  企業の優先順位が標準化から専門化へ変わろうとしている昨今。

技術職の位置付けを見直して、生鮮部門の次へのステージへ登るための標準化へ梶を切る必要があるのではないだろうか。






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2019年3月 5日 (火)

自立した歯車

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、「自立」と「自律」を記した。

  皆さんの熱気が伝わる数多くのコメント。

組織人として商売人として、その矛盾にもがきならが日々の仕事の向き合っている姿が見え隠れするコメントの数々。

  そして今日は自立を取り上げてみたい。

自立。

  自分で立って歩き出す。

言葉の意味はこうだろう。
しかし、もっと広くこの言葉を解釈すると、いろいろな意味として捉えなければならない。

  例えばある部門を考えてみよう。

部門には部門チーフが存在し、数人の社員もいようか。
更には、多くのパートさんやアルバイトも存在しよう。

  日々の作業はチーフや社員の指示で部門運営が為されている。

しかし発注等ではそれぞれに役割が分担され、和日配、洋日配、パン、冷凍食品等と細部に分担された売場の発注と品出し等を受持つ場合が多いだろう。

  その役割で自立していか否か。

その場合の自立とは、自分の生活情報から天候や話題性、そして特売やインプロ等を利用してチーフの指示を待たずとも自ら最善の売場や欠品対策を考慮し、発注に活かしお客様の満足を得られる仕事をしているということだろう。

部門はあくまでも一つであるが、その部門内で自ら動力を持ってエンジンを回して部門の歯車として自力で自分の歯車を回しているかどうか。

  一人一人が動力を持って部門の歯車となっている状態。

これが、部門毎のパートさん含めての自立した状態であろうか。

  それは生鮮部門でも言えることである。

生鮮部門では、その部門の売場維持の為に、刺身や切身、塩干物や魚卵珍味等の売場をチーフの指示で商品化をするという特性がある。

  チーフの指示が全て。

そんな部門特性にあって、各パートさん達の自立とは。

  一人二役〜三役をこなせる仕事の広がりを持つことであろう。

なぜ、一人二役が自立なのか?。

  二役〜三役により部門全体の視野が広がるから。

それによって、自分の役割だけではなく、部門全体から見た時に自分の役割を見れるということだ。

  他の役割への支援の可能性。

自分の役割が一役だけであれば、他の役割の特性が見えず、自分の役割に固執する傾向にあるが、数役をこなせれば、必然的に部門として一致協力して自分の役割以外への支援活動へ容易に回れる可能性が高まる。

  結果として部門が一致団結していく。

これも個人の自立である。

  個々の自立により部門の絆が強まっていく。

結果として、チームワークの強化となり、個々人の繋がりが強まり、そして必然的に退職しない雰囲気に繋がっていく。

  自立した個々人の歯車が回っている。

そんな理想の姿を目指していきたいものである。









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