マネジメント

2019年4月25日 (木)

マネジメントの概念

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


マネジメントという言葉。

  よく使われる業界用語である。

マネジメントを「管理」と訳してきた時代が長かった。

  管理という表現は「部下」や「組織」を縛り付ける印象が強い。

しかし管理者(店長や上司)にとって管理という表現で部下や組織を管理する方が管理しやすいということは間違いない。

  要は「マニュアル」や「規定」通りに部下を管理すること。

それは、マニュアルを徹底して読み込み、そのマニュアル通りに普段の部下の仕事を管理して、規定通りの状態になっていることを仕事の最優先に据えることである。

  よって管理者の仕事はマニュアルを強いてその状態を維持すること。

それは、何の人間的な魅力を発揮することでもなく、販売技術や陳列技術を習得することもなく、単に学力を以ってマニュアルをしっかり記憶してその通りに部下や組織、店舗をマニュアルの状態に部下を強いて維持することである。

  そう考えると管理とは意外に簡単なことである。

それは組織上も管理しやすく、チェーンストアとしても管理しやすいからチェーン化の拡大にも効率的であった。

  そしてその時代に管理を学んだ世代が今苦労しているのである。

管理者も管理される者も、同じ価値観で育ってきた時代であれば、その管理手法は上司も部下も同じ価値観に沿って非常に効率よく管理された状態を維持できたのである。

  よってその成功体験が変化への対応を鈍らせているとも言える。

現代は「個」の時代である。

  「個」とは感情を持った尊厳に値する人間のこと。

そして、「個」の尊厳から個性という要素が尊重される時代と変化してきた。

  「個」の個性一つ一つを同じマニュアルで管理することの限界を迎える。

ここでもう一度振り返らなければならないのは、マニュアルの本来の意味であろう。

  なぜ、マニュアルが存在するのか。

その原点に戻らなければ、このギャップはいつまでも埋めることはできない。

  マニュアルの存在意義。

私は、マニュアルの存在意義には三つあると思っている。

  一つは業績達成の為。
  二つは作業改善の為
  三つは不正防止の為。

この三つの目的を達成するために、一番効率よく階段を登るために、熟練者でなくても一歩一歩踏み間違えることなく階段を登れる決め事を記したのがマニュアルである。

  マニュアル通りに実行することで上記三項目が熟練せずとも達成可能。

それがマニュアルの本来の意味。

  それをかっての管理者は目的化してしまった。

それは私自身も初めての店長の時はそうだった。

  “あるべき理想の店長になってやろう”

そんな想いがマニュアル厳守人間にさせたのだろうか。

  しかし、現場では疎外された。

要は、全てにおいて本部側の人間に映ったのだろう。

  大切なのはマニュアルの目的を振り返ること。

そしてそれを使いこなすのは現場の人間。

  現場で最大限に効果のあるマニュアルの活用。

そのような発想に立ち返り、現場の感情を持った人間の「情」をどう引き出すか。

  マニュアルは「知」。
  現場の人間は「情」。

「知」と「情」をどうマネジメントするかが、リーダーの存在意義であろう。

  特に現代人は「個」という個性の尊厳で育ってきた。

個性の尊厳で育つということは、同じ個性という存在を尊厳するものである。

  よって「知」のリーダー以上に「情」のリーダーに惹かれるもの。

要はリーダーが何を言ったかではなく、その言葉を「誰」が言ったかによって「情」を動かされるものである。

  「情」の無い人間がマニュアル通りの立派な一般論を言っても心に響かない。
  逆に「情」のある自分の店長の言葉だから心が動かされて行動するのである。

「知」と「情」を組織において一致させるのが、マネジメントと言えるのであろう。








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2019年4月17日 (水)

「作」と「演」を縮める

皆さん、こんにちは。
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このブログでもよく出てくる言葉。

  「作」と「演」。

本部が主たる方針を「作」として設計し、店舗が自店の環境を踏まえて「作」を「演」じる。

  そんな「作」と「縁」の関係。

しかし、なかなか「作」が現場で受け入れてもらえない、現場で理解できない、そして実行されないという企業が多いのではないだろうか。

  何故か?。

不要なプライドがお互いのコミュニケーションを邪魔するのである。

  不要なプライド?。

そう不要なプライドである。

人間は、自分で思考し実行するときは、不要なプライドがないから自分の事としてなんとか思考を実行しようとするが、他人の思考に対しては自分の不要なプライドが邪魔をして素直に受け入れられない心理状態になっているのである。

  「何故もっといい商品を提案できないのか」
  「何故提案した商品を現場は売らないのか」

自分で実行する場合には容認する部分も、他人に対しては不要なプライドが芽を出してより高い要求をしてしまうのである。

  “俺ならこうするのに”
  “俺なら出来るのに”

俺ならこんなときはこのような取り組みをするのに、何故バイヤーは、何故売場はそこまでやらないのか?。

  そんな相手への高い要求。

実際には自分でのなかなか出来ない高い要求を相手へ課してしまうのだ。
そして、そのような関係をして、なかなか「作」と「演」が本部と売場で一致していかない要因でもある。

  どうやったら解消できるのか?。

それは、両方経験するのがベストであろうか。

  「本部」や「バイヤー」の経験を積む。

「本部」機能を担った役職を経験し、再び現場や売場へ戻る。

従来であれば、現場からバイヤーへ昇格したら、バイヤー経験を長く積みそのままバイヤー職で定年を迎える方が多かったのではないか。
それでは、長年のバイヤーとしての業務は積めるが、「作」と「演」の架け橋的な役割からはどんどん遠のいていくことになる。

優れたバイイング業務も大切だが、チェーンストアでもっと大切なのはバイヤーと現場の団結力。

  その為にはバイヤー業務3〜5年で入れ替えて現場へ戻る仕組み。

そんな仕組みによって、より多くの人間が本部機能を果たした後に再び現場へ戻ることによって、より多くの現場の人間が本部機能を経験して、その経験を活かして現場で臨機応変に本部機能に付加した現場対応力身に付けられるのではないだろうか。

それはどういうことかというと、働き方改革によって現場が必要とする能力も変化し、また人材不足により従来の現場力を維持する為には色々な経験を積んだ店長や担当者が今後ますます必要になっていくからである。

  そして、企業規模以上に現場力で競合との勝敗が左右される時代であるからだ。

その為には、本部機能と現場とのコミュニケーションの壁を取り払い、本部方針を現場が理解し実行できる体制が必須だからである。

  その為には本部機能を経験した現場の人材が必須となる。

その為には、本部機能を経験した人材を再び店舗に配置し、本部機能を最大限に活かして自店を地域一番の支持ある店舗に仕上げていかねばならない。

  現場を離れるとより一層現場がよく見えてくるもの。
  本部を離れるとより一層本部がよく見えてくるもの。

両方経験することにより、本部と現場のあるべき姿が見えてくるものだ。

  これは現場の部門で仕事をローテーションさせる事と同様である。

役割のローテーションで部門全体の仕事が見えてくる。
そんな経験者が多ければ多いほど、部門内での協力体制が構築され、強い組織に仕上がっていくものだ。

  それは本部と店舗でも同様である。

「作」と「演」の距離を縮める。

  両方経験する人材の育成も一要因であろう。











  

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2019年4月15日 (月)

対立軸

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先日の統一地方選挙。

  各地の知事選が話題になった。

自民党と野党との共闘による大阪の府知事選や市長選で敗北し、更に保守王国である、島根や福岡でも敗北した。
選挙や政治に関しては知識も無いしあまり深入りもしたくは無いが、この選挙でテレビ放映の解説者たちの話を聞いていて想うことが多かった。

  この地域での自民党の敗北の理由に共感したからだ。

この地域での知事選は、自民党の内部分裂による分裂選挙であったようだ。

  従来は「自民」対「野党」の対立軸の選挙形態。

しかし今回は、この対立軸が崩れ、内部分裂による

  「自民+野党」対「自民+維新」

このような対立軸になったようである。

  自民党の強みとは何か?。

私なりに思うのは「一致団結力」と「政治の実務力」。

  その中の「一致団結力」がなくなった自民党。

党内の派閥はいくつもあるにせよ、それはその派閥によって求心力のあるグループが、いざという時は自民党という大きな求心力に固まって一致団結して野党を蹴散らしていく実行力が強みであると思っている。

  それが今回は「自民」対」「自民」の構図。

更にそこに「自民」+「野党」という構図も交わって入り乱れる。

  対立軸はどこなのか?。

これを店舗や組織に置き換えてみると、この対立軸というのは非常に重要な存在だと思っている。

  組織にとっての対立軸とは?。

それは組織強化の重要な一要因であると言える。

  組織は対立する敵がいるから組織強化に傾くのである。

敵に勝つには必然的にまとまらざるを得ないからだ。
それを、組織を構成する個人個人が人間のDNAとして体内に刷り込まれているからであろう。

  古来からまとまる事で外敵から防御することを得意とした祖先たち。

だから、自分が属する組織と敵対する組織に対しては、一致団結していことする組織の論理が働くのであろう。

  その対立軸が組織から消えた時。

長期政権が続き、対立軸がいつしか消えてしまった時、内部分裂が生まれるのであろう。
それは、上記のように対立軸をいつしか内部に求めて、内部の小さな組織同士で対立軸を作って自ら属する小さな組織の内部団結を図ろうとする裏返しの構図なのである。

  もはやそこには政治的思想とは無縁の対立軸が存在するのみ。

対立軸とは、組織を強化する要因でもあり、分裂させる要因でもある。

  適度な対立軸の存在が組織を安定させる要因であるということだ。

店舗としての対立軸とは。

  それは競合店の存在であろう。

競合店との戦いにおいて、いかにリーダーは対立軸を利用して組織をまとめていけるか。

  逆に言うと影響の少ない対立軸を有効に活かすと言うことだ。

遠方に出店する対立軸であったり、影響の少ない他業態の競合出店を利用して対立軸に仕立てることも有効な組織強化に成り得ると言うことであるし、逆に組織強化に向けるために敢えて対立軸に仕立て上げるといことも必要なことではある。

  それがいつしか内部分裂につながる対立軸になってしまう。

それもマネジメント力ということであろうか。

  自分への戒めとして今回の選挙を振り返ってみた。










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2019年4月 2日 (火)

健全な組織

皆さん、こんにちは。
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健全な組織とはどんな組織であろうか?。

  活力のある組織。
  団結力のある組織。
  対応力のある組織。
  不正に厳しい組織。

いろいろな定義があろうか。

  どんなに大きな組織でもそこには人が存在する。

そして、どんなに立派なマニュアルや組織表が存在しても、それを運営するのは人である。

  人とはいろいろなものに影響を受けながら行動する。

健全な組織では、人は健全に行動するし、不健全な組織では不健全な行動に走るものである。

  健全な行動、不健全な行動。

その裏側には何があるのか。

  組織を人間の体に例えるとわかりやすいのかもしれない。

人間の行動を司る脳が組織のリーダーであるならば、手足はその部下たちであろうか。
そして、その手足を行動させるものが情報という神経系となるのであろう。

更に、手足を常に活性させるために、常に新しい血液が体内を流れていなければならない。

  その血液の流れが健全な組織を構成するのである。

組織の血液とは?。

  人間には自分で治癒する自然治癒力が備わっている。

その力が、自動的に自分の体内を自己修正する機能を発揮するのである。

  組織にも自己治癒力が備わっていることが重要であろう。

組織の自己治癒力とは?。

  組織自体にもいろいろな治癒力があるとは思われる。

私は、リーダーに集まる「悪い知らせ」であると思っている。

  悪い知らせが末端からトップに常に上がっているか。

不健全な組織は逆に、悪い知らせがどこかで遮断されてしまっているものだ。
そして、悪い知らせに対するリーダーの決断と行動次第で、それ以降の血液の流れが更に清められていくのか淀んでいくのかが分かれていくのだろうと思う。

リーダー自体に悪い知らせを遮断させてしまう雰囲気を醸し出している場合もあるだろう。

  優秀なリーダーほど悪い知らせに対してウェルカムである。

そしてその悪い知らせに対して、即対応する。

  その行為自体が血液を洗浄するのである。

“なぜこんな悪い知らせばかりが俺に集まってくるんだ!”

  そう悩むリーダーがいるかもしれない。

しかし、それはむしろ喜ばしいことではないのか。
悪い知らせが集まるということは、まだまだ組織が健全な証拠である。

  そのバロメーターが「悪い知らせ」というわけだ。

そして、そんな悪い知らせを受け入れ、それが健全な組織であることを認識しながら、その悪い知らせに対して即行動して治癒してくスタンス。

  それは何も企業のトップだけの問題ではない。

組織の大小を問わず、どんな組織にもリーダーが存在する。

  店舗の店長、部門のチーフ等々。

そこに集まる悪い知らせに対するリーダーの行動。
これも、部下はしっかりと見届けているものである。








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2019年3月 7日 (木)

労をねぎらう

皆さん、こんにちは。
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昨日は「今後の鮮魚部門」を書いた。

  今日は「労をねぎらう」。

配属された部門で一流を目指し努力していく。

  目指せば目指すほど職人気質が染み付いていく。

気がつけば、相変わらず部門担当のまま、魚を切ったり肉を切ったりし続けていく。

  部門主任として実質の利益貢献度は高い。

しかし、自らの職位と給与は一定のまま。

  こんな実態を見せられたら新入社員は逃げ出すだろう。

一生、安心してここで修行しようとする安心感と安定感。

  “将来的にも安定した収入が約束されている”

それが職人として一つの部門で技術を習得し能力を発揮できる力を習得して安定した業績を発揮し続けられる職人に対する給与形態と評価ができる企業であれば、それら部門で安定した就業をしようとする従業員が途中で退職することは無いだろう。

  職位と給与体系。

一般的には職位を上げなねれば給与は上がらない。

  そこに職位職能給制度が導入されているのだ。

職位は上がらないな職能の高さを評価されれば、職能を給与体系としていく制度。

  実質具体的に利益を創出しているのは部門担当者。

利益を創出できる現場での能力発揮者をもっと給与的に評価してあげる。

  労をねぎらうとはそういう意味である。

給与だけではなく、それを表彰したり、成功事例として全店への波及による貢献度を更に引き上げていく制度があれば、本人のモチベーションもまた違った形で維持されていくであろう。

  なかなかマニュアル化できない生鮮部門の販売技術。

それは、グロサリー部門を基準にしたマニュアルによる標準化が定着してきた結果であろう。

  しかしそれは瞬間瞬間での対応力が技術の生鮮部門には適さない。

だから色々な成功事例をその都度その都度改めて店舗に流し続けることが、生鮮部門の現場強化であり店舗の競争力となるのである。

  その技術の保有者に対する評価制度。

労をねぎらうとは、その評価制度の中の職能という側面を如何に個別的に評価していくかである。

  企業の優先順位が標準化から専門化へ変わろうとしている昨今。

技術職の位置付けを見直して、生鮮部門の次へのステージへ登るための標準化へ梶を切る必要があるのではないだろうか。






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2019年3月 5日 (火)

自立した歯車

皆さん、こんにちは。
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先日、「自立」と「自律」を記した。

  皆さんの熱気が伝わる数多くのコメント。

組織人として商売人として、その矛盾にもがきならが日々の仕事の向き合っている姿が見え隠れするコメントの数々。

  そして今日は自立を取り上げてみたい。

自立。

  自分で立って歩き出す。

言葉の意味はこうだろう。
しかし、もっと広くこの言葉を解釈すると、いろいろな意味として捉えなければならない。

  例えばある部門を考えてみよう。

部門には部門チーフが存在し、数人の社員もいようか。
更には、多くのパートさんやアルバイトも存在しよう。

  日々の作業はチーフや社員の指示で部門運営が為されている。

しかし発注等ではそれぞれに役割が分担され、和日配、洋日配、パン、冷凍食品等と細部に分担された売場の発注と品出し等を受持つ場合が多いだろう。

  その役割で自立していか否か。

その場合の自立とは、自分の生活情報から天候や話題性、そして特売やインプロ等を利用してチーフの指示を待たずとも自ら最善の売場や欠品対策を考慮し、発注に活かしお客様の満足を得られる仕事をしているということだろう。

部門はあくまでも一つであるが、その部門内で自ら動力を持ってエンジンを回して部門の歯車として自力で自分の歯車を回しているかどうか。

  一人一人が動力を持って部門の歯車となっている状態。

これが、部門毎のパートさん含めての自立した状態であろうか。

  それは生鮮部門でも言えることである。

生鮮部門では、その部門の売場維持の為に、刺身や切身、塩干物や魚卵珍味等の売場をチーフの指示で商品化をするという特性がある。

  チーフの指示が全て。

そんな部門特性にあって、各パートさん達の自立とは。

  一人二役〜三役をこなせる仕事の広がりを持つことであろう。

なぜ、一人二役が自立なのか?。

  二役〜三役により部門全体の視野が広がるから。

それによって、自分の役割だけではなく、部門全体から見た時に自分の役割を見れるということだ。

  他の役割への支援の可能性。

自分の役割が一役だけであれば、他の役割の特性が見えず、自分の役割に固執する傾向にあるが、数役をこなせれば、必然的に部門として一致協力して自分の役割以外への支援活動へ容易に回れる可能性が高まる。

  結果として部門が一致団結していく。

これも個人の自立である。

  個々の自立により部門の絆が強まっていく。

結果として、チームワークの強化となり、個々人の繋がりが強まり、そして必然的に退職しない雰囲気に繋がっていく。

  自立した個々人の歯車が回っている。

そんな理想の姿を目指していきたいものである。









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2019年2月13日 (水)

リーダーの表現力

皆さん、こんにちは。
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先日のNHKの仕事の流儀。

  今回は、演出振付家の「MIKIKO」さん。

演出振付家?。

  あまり聞かない職業ではある。

早い話が、人気グループ「perfume」の演出と振り付けを担当する方。

  要はプロデユーサー兼振付師ということであろうか。

振り付けだけならダンサー経験のある方であれば結構なれるのではないかと思われる。

  しかし総合的な演出まで手がけるとなれば話は別だ。

例えば、perfumeのコンサート全般を総合的に演出するという役割であれば、一曲一曲の振り付け程度のレベルではない。

  舞台、照明、曲順、その他全ての演出。

そこを指揮者のごとくに総合的に管理するとうことであろうから、相当のプロでユース能力を要するのであろう。

  彼女はそれでも30代のそこら中にいる女性に見えた。

ただし、大きな特徴を有していた。

  その言葉から絞られる表現力である。

スラスラと心地よい言葉が繰り出されるというわけではない。

  むしろ絞り出されるように言葉を選んでインタビューに応えている。

しかし、その表現はわかりやすく、的をえた表現によって聴く側の納得を持って表現される力は高いレベルであると思われた。

  “この表現力が高い演出能力を支えているのか”

そう思わせるほどの高いコミュニケーション能力が感じられたのである。

“総合的に人を管理するにはこんなコミュケーション能力が必要なのだろうなぁ〜”

  まさに組織のリーダーが備えるべき表現力。

特に、彼女の場合は、自分の演出に対する信念のような部分の外部への表現力に優れているので、彼女の語る世界観を舞台で演ずるダンサーがその主旨を理解して堂々と演じる世界を提供してくれるのであろう。

  我々店長やリーダーの表現力。

部門チーフ等であれば、その技術を語ることなく背中や行動、そして調理技術等の伝授でも十分に指導教育できるであろうが、組織のリーダーがその組織を自分が望む姿に仕上げようとすれば、それ相応の表現力は必須であろう。

  如何に自分の言葉で現場に即した表現が出来るか。

それが的を得た表現であるから、現場の人間が理解しやすくなんのストレスもなく行動に移せるのである。

  言葉に限らずリーダーには表現力が必須ではある。

言葉による表現もそうだが、表情による表現、動作による表現等、コミュニケーションによる表現にも多々ある。

  言葉以外の表現。

その表現力によってコミュニケーションは成り立つのである。

  コミュニケーション能力。

よく使われる言葉であり、この能力が高いということは、対人関係において相手に自分の意図が伝わりやすく、相手もなんの不安もなく相手の意図を理解して行動できるということである。

  自分の意図を的確に状況の合わせて表現できる能力。

若年世代から蓄積していきたいものである。







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2019年2月11日 (月)

最高の教育

皆さん、こんにちは。
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よく「最高の教育」と言うフレーズに出会う。

  最高の教育とは?。

一番効率の良い教育手法であったり効果の高い教育期間で学ぶと言うことであろう。

  しかし私に言わせればそんな教育機関など幻に過ぎない。

最高の教育とは?。

  それは「自分の実体験」から学ぶことである。

人間は体験から多くのことを学ぶものである。
それも自分の意思で行動し、成功失敗を体験するところに、最高の教育体験が存在すると思っている。

  そうやって自分も成長してきた。

自分で考え、自分の意思で行動し、自分の責任で結果を出した時。

  その結果は成功だろうが失敗だろうが関係ない。

自分の意思で行動した結果の体験のみが、自分に大きな見返りとしての学びの場を提供してくれるのである。

  それは自分で痛みを伴ったり喜びを伴ったりするからである。

痛い思いをしないと、人は成長しないと言うのは外れてはいない。
そして自分で考え自分で行動するから、その結果に対しても真剣になって結果を受信しようとするのであろう。

  その真剣な受信が最高の教育となるのである。

その真剣な結果への受信が次へのアクションを起こすのである。

  それも更に強い意志を持ったアクションとして行動するのだ。

それがいつしか、P(プラン)− D(ドゥ)− C(チェック)− A(アクション)、の流れを自分の意志と行動で回し続けていくことにつながるのである。

  それは他人の意志や他人の指示では決して回せないサイクル。

要は一番自分が興味を持てる結果とは、自分の意思で計画立案し、行動し、結果を受信する時なのである。

  そこで真剣に結果を受信する。

その受信は大きな体験として自分の中に吸収され、自分なりに成功失敗を区分けし、次への成功への道筋を自分なりの正しい方向性と道筋によって描くことができるのである。

  これが最高の教育課程なのであろう。

よって、この教育プログラムを如何に上司やリーダーが部下に提供できるか。

  ここに成長する組織か否かの分かれ道となるのである。

特に、仕事の現場では教師と生徒の関係のような座学でのやり取りでもなければ、決まった答えが理路整然と導き出されるわけでもない。

  あらゆる状況の中から結果が導きされるのである。

同じ手法で成功した過去の事例が新たな状況では成功するとは限らない。

  いろいろな要因が重なり結果が導きされるのである。

その結果から一つ一つを学び、成功への道筋を学んでいく。

  結果として成功への道筋を如何に描けるか。

そして、自分で描いた道筋通りの環境を、現実の環境から整備していけるかが、自分の実力ではないのだろうか。







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2019年2月 2日 (土)

免疫効果

皆さん、こんにちは。
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先日、インフルエンザの特集番組をやっていた。

  新たな新薬が開発されたそうな。

従来はタミフルがインフルエンザの特効薬として流通していたが、最新の薬としてゾフルーザが人気であるという。

  特徴は一回の使用により1日で効果があるという。

従来のタミフルは、既存薬では細胞内で増殖したウイルスが細胞外に広がるのを防ぐのに対し、ゾフルーザは細胞内でウイルス自体の増殖を抑制する世界初の仕組みを持つことから効果が早く現れ、長く続くという特徴がある。

  そんな理由から現在はゾフルーザが50%のシェアを誇るらしい。

そんな環境ではあるが、先日のテレビ報道では、ある医学界の先生が登場して興味深い話をしてくれた。

  ゾフルーザをもっと絞って使用する必要があると思うのです。

今回のゾフルーザとインフルエンザの蔓延に関して、自身の見解を述べた。

  要は救急を要する場合以外は薬を使用しないほうがいいということ。

なぜか?。

  人間本来が持つ免疫作用が弱まっていくという理由から。

その先生によると、インフルエンザもウィルスであり、インフルエンザにかかることによって体内にインフルエンザの免疫力がついて行くという。

  そんな人間の自然な免疫作用を薬が奪っているというのだ。

インフルエンザにかかり、このような薬を飲用することにより、体内に十分な免疫力を植え付ける前にインフルエンザが体内から消滅するという。

  よって体内に十分な免疫力が付く前にインフルエンザが治る。

それによって本来であればインフルエンザにかかることによって植え付けられる免疫力が体内に蓄積されないという。

  結果として翌年もインフルエンザにかかる可能性が高まるという。

従来であれば、インフルに実際にかかり、体内に免疫力が十分に蓄えられた人間が多かった理由から、今ほどインフルエンザが蔓延することはなかったのであるが、現代ではインフルエンザにかかるとすぐさまタミフルやゾフルーザといった特効薬を使用するが、それが結果として人間の免疫作用を低下させている要因であるという。

  それを医者として人間本来の抵抗力を失わない手法を訴えたわけだ。

免疫力。

  それは一度インフルエンザから回復するところから始まる。

そして、そのインフルエンザから回復する過程で体内に免疫力が蓄積されるという過程を踏むこと。

  それは人間の生き方にも応用できるのではないか。

失敗させない現代の仕事術。

  しかしその反動で我々に免疫力が失われているのでは。

だから、同じ失敗を繰り返してしまう。

  痛い想いをするから対人対応力がついていく。
  痛い想いをするから同じ失敗を繰り返さない。

それはその部分に関して、一度の痛い失敗が体内に免疫力が付き、同じ失敗を繰り返さず、またその失敗から次への成功のステップを生み、次へのステージへ登る実力をつけていくという流れに繋がる。

  免疫力。

単に失敗を避けることが正しい成長の仕方なのかという問いを我々に投げかけたものと捉えた。









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2019年1月30日 (水)

プロセスの評価

皆さん、こんにちは。
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最近読んでいる本で気づいたこと。

  部下を褒めるという部分。

上司として、部下の業績や単品量販で売り切ったという事実に遭遇したら。

  「よくやったな。おめでとう。」
  「素晴らしい業績だ。流石だ。」

通常であれば、その結果に対しての評価を褒めるのが当たり前であろう。

  しかしその本は違っていた。

部下を褒めてはならない、と(笑)。

  “良い業績に対して褒めなかったら部下が可哀想”

私もそう思った。

  しかし、その本は違った。

部下を褒めるということは、部下からすれば上から目線で自分を評価されるということである。

  “上司と部下だから上から目線でも良いだろう”

もしこれが上司と部下の立場が逆転して、部下のチーフが私にこう言ったとしよう。

  「店長すごいね、年間予算達成、よくやったね(笑)。」

その言葉に当初は喜びも感じるだろうが、徐々に受け取り方が変わってくるに違いない。

  部下から「よくやったね」と褒められる店長の立場。

なんか部下から舐められているような気持ちになる店長もいるだろう。

  要は褒めるということは上から目線なのである。

部下も業績達成に対して上司から褒められるということは、上から目線ではあれそれは嬉しいに決まっている。

  しかし、・・・ 。

結果とはプロセスの延長である。

  そのプロセスには目を向けずに結果にのみコミットする。

それでは部下が結果を出すために行うプロセスに対してのモチベーションは高まっていかないだろう。

  部下が歩むプロセスを評価すること。

このことが部下にとっては何よりの勇気づけとなるのである。

  勇気付け。

部下が色々な困難に立ち向かう時に行動の後押しとなる勇気付け。

  その勇気付けを店長が後押ししてやること。

これが何よりも大切になってくるのだ。
その為には、結果に対してではなく、現在部下が実行しているプロセスに対してどう評価するか。

  正しいプロセスを歩んでいるのであればそれを評価する。

結果がどうあれ、そのプロセスを歩めば必ず後から結果は付いてくるもの。

  それを見越したプロセス評価。

このことで、部下の不安を取り除き、そのプロセスを歩む後押しとなり、結果はその後にすぐさま付いてくることになろう。







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