マネジメント

2020年3月28日 (土)

改革とはコンセプトを変えること

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


改革。

  よく使われる言葉である。

逆に使われ過ぎて本来の意味が薄まってきているようにも思える。

  改善と改革の違い。

改善とはトヨタ自動車が「カイゼン」と称して、現場げ起こる問題を現場が修繕していくことによって、日々の中での効率化と安全な状態を維持継続していく為の行為である。

  よって現状を肯定し維持発展する為の行為となる。

しかし改革となると、現状を否定するところから始まるのである。

  例えば大型立地の地方百貨店。

駅前で多くの人が立ち寄る時代背景から賑わいを呈していたが、クルマ社会の到来により住宅地もより遠方になってくると、駅前立地の意味合いが変わってくる。

  そうなってくるとこの百貨店の存在意義が問われることになる。

そこには改革という言葉を使用して、現状の品揃えやサービス、売場のレイアウト等を見直し、この百貨店の今後の存在価値を見出して新たな企業理念を確立して再生していくことになる。

  これが改革ということではないだろうか。

よって改革とは企業のコンセプトの変更を伴うということである。
それでは、コンセプトとはなんなのだろうか。

  企業にはまず「理念」が存在する。

理念とは、企業の存在価値を表す言葉であろう。

  何のために自社は社会に存在するのか。

その貢献する領域を表したのが企業理念。

  その理念を具体化するための枠組みがコンセプト。

但し、その枠組みは社会という人間組織の進化や変遷に伴って、その企業の社会貢献する領域とのズレが発生してくることになる。
そのズレを修正するために必須なのが、コンセプトを変更するという改革なのだろうと思う。

しかしコンセプトの変更においても細部の具体化においては、変えなくてはいけない部分と変えなくては社会貢献できない部分が生まれてくるものである。

  問題は変えなくては社会貢献できない部分。

その部分をコンセプトの変更によって枠組みを変え、具体的な実践方法をより社会貢献にマッチングした手法に改革して社会に提供していく。

改革とはコンセプトを変更して組織内の考え方を変えることから始まるのである。

  よってコンセプトを変えなければ改革には至らない。

その覚悟がなければ、改革という言葉を出してはいけないのだろうと思う。

  改革という言葉だけで組織内の行動が変わるのかといえばそれは否だ。

それは従来から実行していた末端の行動パターンが存在するからである。
その行動パターンを破壊してでも、違う行動パターンを定着させていく。

  そんな覚悟を持って改革を実践していきたいものである。








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2020年3月19日 (木)

提出物

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


組織人としての報告義務。

  提出物。

我々小売業の業界でも企業毎にいろいろな提出物があろうか。

  業績対策面。
  人事評価面。
  行為計画面。
  業務日報面。
  清掃状況面。

大なり小なりの報告事項が目白押しの店舗運営という仕事。
そしてそれは部下に対しても都度要求するものである。

  自分でも上部に提出物を提出。
  部下へも自分に提出物を要求。

自分が上司に対して提出物を提出するというのは、自分と上司との関係であるから、自分がどの程度のスピードで提出物を期限通りに提出しているかというのを他の店長との比較では見れない。

  よって自分では期限を守り制度の高い内容で提出している。

そう思っていても、上司からすると、

  「期限は守らない」
  「中身が何もない」

そう映っているかもしれない(笑)。
それは自分が上司として部下へ提出物を課した時に見えてくるのである。

  「期限を守らない部下」
  「中身が何もない部下」

そのギャップを見るにつけ、自分が提出している提出物の期限はどうなのか?、そして一番大切な中身はどうなのか?、を推し量れるのである。

そして見えてくることは、

  いの一番に提出するのは二つのタイプがあるということ。

まずは、しっかりと内容を詰め、中身の濃い提出をするタイプ。
次には、提出することありきで、中身は上っぺらだけのタイプ。

いの一番に提出するということは、普段からその内容について頭を整理しながら仕事をしている人間であり、上司から提出物を要求された時には既に実行段階に入っているかもしくは即座に実行できる準備がされている段階であるから、その内容も論理的に整理され具体性のある内容になっている場合が多い。

逆に、とりあえず出せばいい、というタイプはその内容も雑で、何の具体性もなく、毎月同じ内容であることが多い。

  そしてそれは自分にも当てはまるということだ(笑)。

業績対策面は競合状況を押え、自店の業績を押え、更には部門毎の能力を押さえて、店舗としてどうしてくのかをかなりの具体性を備えて提出したとするが、逆に自分の自己評価においては、毎回同じ課題を同じ評価で提出するといった状況だろうか。

それはまた個人によっては真逆であり、自己評価はしっかり自分を振り返り、その反省から次へのステップとして自分に不足しているところや今後成長していく上で必要な項目を具体的な行動指針として提出するが、業績対策に関しては毎回同じうわべだけの表記がなんの具体性も無い内容で提出するというタイプもいろうか。

  でも概ねは提出物の早い人間は濃い内容のものが多い。

それだけその提出物のサイクルを理解し、そのサイクルに応じた自分の仕事のスタイルが身に付いているということであろうか。

  その部分でも自分を振り返ってみたいものである。






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2020年3月 6日 (金)

e-Learning

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


コロナショックは各種研修会にも大きな影響を与えているという。

  「ここ3ヶ月の全ての研修会が吹っ飛んだ」

吹っ飛んだとは、流れた(中止)ということらしい。

  濃厚接触とは縁遠いのではないだろうか。

例えば、最近のクラスターの温床となっているらしい「ライブハウス」の参加とか「スポーツジム」への参加というようなレベルの飛沫感染の有無で言えば、リスクはかなり低くなると思うのであるが、どうしてもこの時期の流れであろうか。

  人を集めての研修会が当面中止に。

我々小売業界は内食化の需要拡大により業績は好調を維持しているが、それ以外の業界には大きなダメージが徐々に襲いかかってきているのである。

  スポーツイベントやコンサートの中止。

それらはどうしても大きな声援を送ったり共に大声で歌ったりと、感染リスクは高まるものであるが、集合教育としての研修会のリスクはどうなのだろうか、と思うのだが。

それでもその流れの中に、グループ討議等もメニュー化されているのであれば、どうしても感染リスクは発生するであろう。

  しかしそれを言ったら店舗で接客する全従業員にも同様のことが言える。

それでも主催者側が中止を発表せざるを得ない状況が今なのであろうか。
そして、ある研修主催者の方が言っていた言葉が残った。

  「益々e-Learningに力を入れるべき」

要は、ネット上での研修会や学びの場の提供ということである。
もはやある場所に集まって、皆で講師を前に同じことを学ぶ時代ではなくなってきているのだろか。

  そしてこのコロナショックがそれを加速化させるのであろうか。

そんな印象さえ感じる今回のコロナショック。
そしてその影響としての研修会の軒並みの中止や延期。

もっとも一定の場所に集まるという研修会にもメリットデメリットはあろう。

  メリットはなんと言ってもリアルに講師の話が聞けるという点。

リアルに聞けるというのは、昔からの諺でもある「百聞は一件に如かず」にある。
いくら本で読んだりネットで見たりしても、講師が自分の言葉で話をすることによる理解度は、自らの知見で文章を見るのとは雲泥の差で理解度が深まるものである。

  更には、同席したメンバーとの交流も同時にあるだろうか。

そしてその繋がりから、それ以降の人間的な交流も始まっていくと考えると、リアルにお会いするメリットそのものであろう。
しかし逆にデメリットもあろうか。

  一番のデメリットは交通費と時間。

東京というど真ん中に住んでいればさほどではないが、極端な話し、飛行機等で数万円を掛けて現地に赴く場合もあろう。

  研修費用よりも交通費用の方が高く付く。

その費用をかけて感染リスクを負ってまで参加させられない。
企業側も主催者側もそこがこの時期の中止を判断せざるを得ない部分であろうか。

  そこで今後益々活発化するのがe-Learning。

そんな話を研修会の主催者の方は話をされていた。

  概ねはネットを活用して自ら学ぶ。
  時折リアルにお会いして共に学ぶ。

そんな時代になっていくのであろうか。







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2020年2月29日 (土)

サジ加減

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日のブログ。

  ミディアムという評価。

http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-d1bd1d.html

  そこでの「k,k」さんからのコメント。

「スーパーに勤めていてミディアムを極めるのは目標だと思います、上も下も必要ですが、ど真ん中の値ごろ。中途半端加減を極めるのは一番共感を得る事だと」。

  私は応えた。

「サジ加減」というやつですね。

  サジ加減。

元々は料理において、鍋とか煮物とかの砂糖やだしを加えるときの「大さじ〜杯」とかの言葉から来ているのであろう。

  女房の料理のサジ加減は抜群だ。

更に言うと、私を料理する時のサジ加減は天才的だ(笑)。

料理の世界から生まれた言葉であるが、いつしか、何かを行うときのバランスや加減、配慮といった意味で使われるようになってきたのであろうか。

  サジ加減 = 匙加減

と書くらしい。

本来は料理の味付けの段階で、「ちょうど良いサジ加減」と言う使用法だったのが、
いつしか人間関係やマネジメントにおいて、「上司のサジ加減一つでどうにでもなる」と言うような使用法になり、人間の感情の機微を操るような人間の操作法のような使用法に進化?してきたのであろう。

  サジ加減とは人生そのもののようだ。

組織をマネジメントするリーダーが、その組織内のバランスを考慮し、誰もが納得するところで判断決断し着地点を探り、組織をマネジメントしていくと言う意味合いや、その場の状況を踏まえて今後の未来を予想し、最良の行動が取れると言う意味合いを指すのであろう。

  このサジ加減を習得する為に人生を歩むのではないだろうか。

そう思ってしまうほどに人生は難しいものである。

  若い時のサジ加減ほど失敗しやすいものである。

経験の無さがそうさせるのであるが、やはり加減と言う言葉に騙されてはいけないのだと思う。

  加減 = 手加減

そう受け止めたら、意図的にと故意にとかのように、相手を追い込んでやろうとか落とし入れてやろうと言う悪意的に受け止められがちである。
しかし、そこに無私無欲な姿勢が大切なのである。

  組織や相手の為に自分を投げ出すと言う姿勢。

そこに、組織の人間が寄ってくる根拠があるのである。

  サジ加減。

最後はそこに行き着きたいものである。







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2020年2月22日 (土)

主導権

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


主導権を握る。

  業務上でも重要なポイントか。

例えば売場作り。

  特設コーナーの販売計画。

定番売場と違って、特設コーナーとか平台とかは、特段に決まった定番の品揃えではなく、季節性やイベント性、更には特売商品を単品で量販するスペースとして自由に設定できる。

  その自由な売場を誰が主導権を握って計画するのか。

店舗内でもフリーな売場であるから、このようなフリーな売場に関しては全てが店長の主導権で計画されるお店もあろうし、逆にフリーな売場ではあるがその位置がある部門と密接な関係がある場所であれば、その部門の管轄として主導権をその部門に委託する場合もあろう。

その中間としてここぞのイベント時に店舗の横串を差すために店長管轄となる場合もあろう。

  誰が主導権を握るのか?。

基本的には店長が店舗内の全ての売場の主導権を握るのが本来の姿であろうか。

  よって特設はもちろん定番までも店長管轄の売場。

それが本来の姿なのだろうと思う。
しかし、とはいっても全ての定番まで細部にわたり品揃えを管轄しようとしてもそれは無理な話。

  よって30%のフリースペースを如何に主導権を握るのか。

それも、場面場面で自分が主導権を握ったり部門に移管したり。

  そんな頻度が理想ではないだろうか。

主導権とは、握れば握るほど独裁化していくものだ。

  “店長が全てを決めてくれる”

そうなったら誰も何も考えなくなる。
結局は、外部与件の変化に付いていけなくなっていくのではないだろうか。

  逆に主導権が分散されればされるほど多くの人間の関わりが増える。

そこにビジネスチャンスが生まれることも多い。

  このような場合は最終決定者を店長ということで主導権に収めればいい。

何れにしても最終責任者は店長ということにはなる。
しかし、店長から委託された部門チーフや担当者、更にはパートさん達が最終の主導権者である店長の意向や自らの情報から得たビジネスチャンスを如何に自らが主導権を握る売場やフィールドで活かすことができ、それが結果としてつなげられるかは、そこに関わる人間達の情報と意思が一丸となったときに最高のパフォーマンスを発揮されることは明らかである。

  主導権を握った人間のモチベーションはいやが上でも上がるもの。

そしてその主導権という力を如何に店舗内で有効に活用するかというマネジメント。

  リーダーの妙であろうか。







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2020年2月 8日 (土)

情報収集と情報提供

皆さん、こんにちは。
  食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


情報収集。

  自分にとっての情報とは?。

店長の場合であれば、情報によって行動が変わってくることが多いであろう。

  自店の数値データ。
  競合の数値データ。
  業界の数値データ。
  自社内の成功事例。
  競合店の成功事例。
  52週の売場展開例。

等々、情報を挙げればキリが無い。

  しかし情報を得ることが仕事ではない。

情報収集能力は大切だが、情報をため込んでいてもなんの役にも立たないのが現代であろうか。
これが30年以上も前であれば、情報を持つものが評価されていた時代でもあった。

  よって職位が持つ情報が価値であった時代があった。

しかし現代はその情報を如何に状況に合わせて自身の仕事に活かして、業績を改善できるかに全てが掛かっている。

  よって得た情報や学びを如何に目の前の仕事に活かせるかが重要となるのである。

しかし相変わらず情報を得ただけで満足している場合が多いのではないだろうか。

  得た情報を必ずモノにする手法。

これがわかれば苦労はしないのではないだろうか。
しかし、その手法は人それぞれに独自に身に付けるものではないだろうか。

  いわゆる自分流の身に付け方。

しかしそれを言っているから企業内としては個人差が生まれ、全体として遅々と進まない現状もあるのであろう。

  私の場合は全てが売場に反映されると考えている。

それは店長という職位においては、情報の全ては自分の売場に反映されて初めてアウトプットしたという認識だ。

  だから52週毎に売場の写真を記録に残している。

売場の写真だけではなく、それを重要な部分だけ集めて52週のまとめとしてエクセルで加工し保存。
それによって、得た情報からの売場が52週毎にそこに集約され、積み上げられていく。

  これが私のアウトプット方である。

逆に言うと、このアウトプットに縛られるから、毎週毎週の情報収集があり販売計画があり、そして部下とのコミュニケーションが生まれると言う行動パターンが確立されていると言っても過言ではない。

  それによって必ず写真が介在し反省が生まれる。

言ってみれば情報収集と情報提供は裏腹の関係であり、それが毎週連動することによって、その反省が掲示板でパートさんに至るまで見える化され、店舗として巻き込まれていく。

  情報収集。

得た情報を如何に効率よく周囲に提供していけるか。

  店長としてのマネジメントの鍵ではないだろうか。





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2020年1月27日 (月)

心が動く時

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


人間の心理。

  摩訶不思議な人間の感情であろうか。

人はまず心で決定してから行動するものである。
危険を察知して咄嗟の行動に出る時も、時にはあろう。

  しかし仕事上での行動は意思が先に立つ。

ある程度の経験を積むと、条件反射のように「このような場面では」→「こう実行する」というような場合もあろうか。

  しかし悩んだり迷ったりしたときには自分の意思決定が先行する。

それでは、その意思決定において何が基準となるのであろうか。

  「今までの経験から明日はこれだけの数量があれば足りる」

そう意思決定して、その単品の発注数量を決定する。
また、ある場面では、

  「この場所で売るのだからこれだけは必要」

一番売れるピカイチの場所で売り込むことを決定したので、それに応じて数量を決定する。
更には、

  「全店1位を目指すからこれだけの数量は必要であろう」

そう意思決定すれば、更に発注数量は増加するであろう。
そう考えると、意思決定において比較対象が出てくると、比較した相手が基準となってくるものである。

  目標管理がいかに重要かが理解できる。

そして同時に、その目標の存在と同時にそれを後押しする他人の存在も見逃せない。

  「全店1位を目指すにはこれだけの数量が必要だと思うよ。」

そんな言葉を他人から聞いたら、その数量は大きな意味を持つことになる。

  そう考えると人間関係がいかに自分に影響を与えるか。

上司は同僚からのアドバイスや指摘、そして支援がいかに大切か。

  しかしそれを「支援」と受け取るか「余計なお世話」と受け取るか。

ここに自分の意思決定への影響度が大きく異なってくるのである。

  支援と受け取ればその言葉は大きく影響を持ってくる。

しかし余計なお世話と受け取ってしまえば、聞く耳を持たない雑音でしかない。

  よくある話である(笑)。

しかし、その雑音と思えたアドバイスを同時に異なる2人の人間から言われたならどうだろうか。

  1人より2人の同じアドバイスは意味が大きい。

何も連動しない2人からの同時アドバイスは、本人に取っては絶対的な言葉となって心に入ってくるものである。

  例えば、「上司」と「同僚」からの同じアドバイス。
  例えば、「友人」と「親族」からの同じアドバイス。
  例えば、「先生」と「校長」からの同じアドバイス。
  例えば、「監督」と「担任」からの同じアドバイス。

等々、いろいろな場面で想定できるであろうか。

  それだけ他人という存在は大きいもの。

特に、同じことを時を同じくしてほぼ同時に言われたなら、その言葉は絶対的に自分の意思決定に大きな影響を与えるであろう。

  人間の意思決定。

それは他人を説得する上でも大きな影響力を持つということである。








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2020年1月24日 (金)

社内競争

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


競合対策。

  競合激化の中において競合店への意識は高まる。

そして、このような競争店の出現が砥石となって、企業自体店舗自体が磨かれていくことも事実である。

  しかし社内に目を向けるとどうだろうか。

社内での競争意識が従業員のレベルアップに寄与しているのだろうか。

  要は社内競争がどのように機能しているのだろか。

そう考えると、現代の社会環境の中においては競争という言葉はスポーツの世界にのみ許される言葉になってしまったように思える。

  しかし成長企業はどこも健全な社内競争を導入している。

それは必然なのか偶然なのかは別として、社内での競争の下に出世が決まり、収入が決まり、未来の仕事や立場が決まっていくのである。
そんな社内競争の中から個人個人の成長があり、その結果からの店舗の競争力が高まっていくのである。

  現代はなんでもパワハラの時代(笑)。

組織内での競争となると、以前はごく普通に組織内で行われていた構図であったが、現代は組織内での競争原理を導入することはそれがSNSで広まり、パワハラと罵られ、いずれ組織内がなぁなぁの妥協の空気が蔓延っていくことになる。

  それでも成長企業には社内競争が行われているのが事実である。

よって、社内競争という原理を導入している企業はますます他企業と比較しても企業内の競争意識が高まり、結果として個人個人の成長につながり、組織自体や店舗自体の競争力が高まっていく。

  その結果としての競合店との競争力向上。

思えば、人が成長する機会とはどのような場面であろうか。

  それは他者との競争を通した競争原理に触れた時。

自分に勝つ、とばかりに受験勉強や就業してからの自己啓発だけで本当に成長しくのであろうか。
それ以上に、他者や他人との競争意識がいつの間にかより効率的に自己啓発を誘発し行動し、そして無意識のうちに自らを成長させていくものである。

  競争とはそのような環境を自然に醸成させてくれるもの。

そしてそのような環境に身を置くことで、人間は必然的に他人に負けまいとする競争意識を身に付け、自己啓発という心理が生まれ、行動し、磨かれていく。

  その中から健全は競争心が醸成されていくのであろう。

健全は競争心。

  それは競争を楽しむということだ。

競争に振り回されることではなく、競争という環境にあってゲームをするかの如くに競争によって知恵を出し競争に勝つ技術を身に付け、いつの間にかその競技やゲームにおいての必勝パターンを身につけていくのであろう。

  それは決して働き方改革からは身に付かない技術である。

そんな競争環境に自ら飛び込んでいく。

  それも必要な自己啓発なのかもしれない。





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2020年1月18日 (土)

効率と効果

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


我々業界でもよく使われる言葉。

  「効率」と「効果」。

効率的に仕事を行う。
効果的な仕事を行う。

  なんとなくそして区別なく使用してきた「効率」と「効果」。

しかし、その使い方とその裏側には絶対的な違いがあるのではないだろうか。

  効率的に仕事を行う。

これは、同じ売場を作るのに、より短時間で売場を作るためのオペレーションの開発等を意味する。
要は同じ作業量をより短時間で行うという意味。

  効果的な仕事を行うとは。

これは、同じ作業量でより高い売上を上げるという意味。

よって、効率を高めるということと効果を高めるということでは全く異なる仕事へのアプローチをしなければならないということである。

  効果と効率。

なんとなく同様の意味で同様のアプローチを意図して使ってきた言葉であるが、その違いは明確である。

  そして我々の業界ではどう考えればいいのであろうか。

まずは我々自身が効果的な仕事の仕方を身につけているかどうかが大きな課題であろうか。

  要は「売れる売場」を実践できるかどうか。

ここは商売人としての基本中の基本であろう。

  これを蔑ろにして、効果的な仕事は無い。

売れる場所で、売れる商品を、売れる売場で、売れるタイミングに、どこよりも売り込むことができるか。

  その絶対数量を高めていくこと。

その根底にあるのは、売り込むという強い意志から始まり、その意志によって売場計画から仕入れ製造陳列を部門というチームマネジメントを駆使して作り上げるという技術を身に付けること。

  そして絶対的な数量を売り込む技術の延長線上に効果的な仕事が存在するのである。

絶対的な技術が身についたなら、そこから同じ人時でという固定された環境でより効果的な仕事を身につけていくことである。
そこには、絶対的な技術があるからこそ、そこから選別された効果的な仕事が抽出されていくのである。

  同じ人時ならどちらが売れる売場作りとなるか。

限定された環境で、より売上の高い売場を実現できるかという、より効果的な仕事という領域に入っていけるのではないか。
そして、より効果的な仕事が身につけられた後に効率という領域が待っているのだと考える。

  しかし効率という言葉を出すということのリスクは高い。

それは、効率とい言葉の裏側には、「これ以上売上は上げられない」という諦めの意志が隠されているからである。
この、諦めの意志が、効率という領域への移行を図り、全く別の思考を取り入れていくのである。

  売上という効果を限定したときの効率化。

同じ売上ならば、どちらの作業の方がより短時間で同じ売上をあげるだけの売場を作れるか。

  要は同じ売場を作るのに効果的なオペレーションはどちらか。

その選択の連続が、より効率的なオペレーションを開発し取り入れていけるのである。

  それでは、どちらを優先すべきなのか。

効率的に仕事をする。
効果的な仕事をする。

  これは永遠の課題であろうか。

但し、一つだけ言えることは、上記に示した流れを企業も個人も理解できていることが大きな強みとなることは間違いない。

  よって最後の効率的に仕事をするというところまで結論を持っているかどうか。

その有無が競争力なのだろうと思うのだ。







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2019年12月30日 (月)

なりたいとい環境

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、朝のラジオを聞いていたら面白い話題を放送。

  先生も人材不足の時代。

いろいろな業界が人材不足に陥っているが、もはやそれは先生とて例外ではないという。

  それは先生を目指す教育学部の学生から顕著であるという。

学校の教員になるには大学の教育学部等に入学し、そこで教員試験を受け合格する必要があるが、教育学部の学生自体が教師を目指して教員免許を受ける学生が激減しているという。

  よって先生になりたいと思える環境作りが必要であろう。

それがラジオの解説者とMCのまとめであった。

  “どこも同じ悩みを抱えているんだなぁ〜”

思わず大きく頷いてしまった(笑)。
別に我々小売業の問題だけではないとは思っていた。

  建設業界、海運業界、外食業界等々はそれ以上か。

しかし、教員を目指す若者も激減しているというのは初耳。

  モンスターペアレンツ。

業界ではそんな言葉も耳に入ってはいたが、それでもそれはごく一部の話であると認識していたが、それだけではない学校の先生という職務の中身。

  夏休み冬休みが長いというメリット。

それだけでも学校の先生は自由な時間が多いのではないかというイメージ。
しかし部活の担任ともなると休日の部活への奉仕。

  そんなジレンマもあるのだろう。

そのような負のイメージが先行して、教員になりたがる学生が減少しているというような解説であった。

  教員がいなくなったら学校はどうなるのだろうか?。

地域に生徒が少なくなったらから閉校して他の学校と一体化したという話はよく聞く。

  しかし教員が少なくなったから閉校したという話はまだ聞かない。

しかしこれからの時代、上記のような話がどんどん出てくるのであろうか。
それは日本の教育のあり方や学校制度を根幹からゆるがす問題ではないのだろうか。

  特に小中の義務教育の学校。

それら基本的な学校制度が維持できないというジレンマ。

  これは由々しき問題だ。

これは生徒や児童たちも学校の先生の立場がわかってきたから、その存在自体を舐めてかかっているのかもしれない。

  自分が叱られる。

それに対して学校や先生自体も親や教わる立場の人間への配慮等に気を使いすぎて、無用な配慮が重荷になっているのではないのだろうか。

  学校の先生になりたい。

それは我々業界が、「スーパーの店員になりたい」と思ってもらえるような存在になることと同様にそんな存在になって欲しいと思うのである。

  それらの積み重ねがいずれ輪廻転生によりこの業界へもめぐってくるのであろう。




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