部下育成

2019年10月29日 (火)

研修会の意味

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


当社が属する企業ブループの研修会。

  先週の水木で開催された。

特に水曜日は当店にて研修者が当店含めて競合店の数店舗をMR。

  当然に当店も本部応援を得ての対応。

売り場だけではなく、店内や店外、そしてバックヤード内の清掃も徹底した。

  そして当日は全部門が徹底した売場作り。

ある部門のチーフを対象にした研修会だった為、その部門を中心にした店舗見学会ではあったが、やはり全部門が見学対象となっていた為、どこも隙のない売場作りを図った。

  “そこまでやらなくても”

たかだか青果部門の研修会である為、そのように捉える方もいるだろうが、私はそうは思わない。

  やるなら徹底してやるべき。

せっかくの機会なのだから。
私はこのような研修会には大きく三つの目的を有していると思う。

  一つはその部門の研修目的に合わせた技術向上。
  二つは全部門を通してあるべき売場の社内共有。
  三つはこの機会を通しての全社員の基準アップ。

当然に研修会には研修会毎にテーマを有する。

  今回のテーマは「稼ぐ売場作り」。

要は、如何に売上・荒利を稼げるか、そしてそんなテーマに沿った売場作りと過去からの数値検証。
それはその企業やその店舗を設定した段階でテーマが設定されているということだろう。
だから、そのテーマで研修会を設定するから、その目的に沿った企業であり店舗でありを設定されて、そこで研修会が開催されて参加者がその売場作りやその報告からいろいろな学びを得るのである。
そして開催企業や店舗は更にそのテーマに部分での磨き込みを図って、そのテーマに沿った売場の頂点を目指すのである。

  そこが研修会の第一の目的であろうか。

次に、その企業としてはそのテーマであり売場作りでありを社内で共有できるというメリットを享受できるということであろう。

そのメリットとはあるべき売場が現実にそこに設定されているわけであるから、この機会を利用して社内でこの売場を共有し、自らの売場や部門でもその実現を図りやすくなるというメリットである。

そして三つ目には、このような機会を数をこなすことによって、あるべき売場作りが容易に出来るということを学んでいくことである。

  “ここまでするか”

そんな思いで作成した研修会用の売場であるが、それも数をこなすことによってそのレベルが徐々にではあるが高まり、いつの間にか普段からそのあるべき売場が維持されているというメリットである。

  時間はかかるが着実に企業としての基準は高まっていくのである。

それらが、このような研修会の数をこなすことによって得られる企業メリットであろうか。

  それには研修会を他人事と捉えてはいけない。

自分だったら、そして自分のお店だったら、このテーマに関してどうする、こうするという仮説をそれぞれが持つことから始まるであろう。

  そしてその仮説を普段の売場作りから検証していくという行動力。

それがこのような研修会を面倒なアクシデントと捉えるか、大きなるチャンスと捉えるかの違いであろうか(笑)。






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2019年9月26日 (木)

論理的結末の体験

皆さん、こんにちは。
 食品スーパー店長をしている「てっちゃん」です。


以前に書いた記事。

  「ほめない・叱らない・教えない」。

http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-77b7.html

  なんとも画期的な部下育成法である。

毎回、店長会でこの本の読み合わせをしているのだが、そろそろそれも佳境を迎えてきた。
そして前回の店長会では、部下や人間が自分の行動を戒める場面を体験させる事例の場面が登場したのである。

  部下が自分の行動を戒める体験。

部下の行動を戒めるとは、自分がこの行動をしている限り自分の利益にはならないという痛い経験をする必要がある。

  人間は全てそのような体験を経るからその後の行動が変わるのである。

例えば「部門チーフ」の場合。

  ある数値が達成できなければチーフを降格になるという前提。

そのような前提を上司の店長やエリアマネージャーから提示されており、客観的に見てもそれが部門チーフの能力であり怠慢であったと判断された時に、チーフ降格となる場合。

  チーフもその前提を理解していたのであるから納得せざるを得ない。

このような体験であり事例が淡々と実行されている組織は、数値達成能力が高いと言えるであろう。
チーフの昇格降格はそれだけではないであろうが、とは言ってもいつまでも業績改善がままならない部門責任者であれば、それはどこかにチーフとしての適性が無いのであり、それを一度降格によって体験させ自らを振り返らせ、出来るチーフの仕事の仕方を学ばせるという人事は本人にも組織にも非常に有効であると言える。

  このように自分の行動に対して論理的な結末を体験させるという教育。

これが論理的結末の体験という。

  そして本人にとってみれば痛い経験である。

この痛みが、本人にも組織にも業績に対しての緊張感を持たせるのである。

これは親子の関係においても同様であろうか。

  子供が夕ご飯にいつも遅れて帰宅する。

母親にしてみれば、家族が皆同じ時間に食事をすることによって、同時の料理が出来、同時に後かたずけができるわけであるから非常に効率の良い家事が出来るのである。

  そしてその時の母親の行動が問題となる。

いつもそのことに対して嫌味や文句を言うが結局は後出しで食事を出すことによって、子供の行動はその後も変わらない。
しかし、事前に夕食に遅れてきたら今後は夕食を出さないと提示することによって、本当に食事が出されないという体験をすることによってその後の子供の行動は確実に変わっていくであろう。

  その時の母親の言い方が重要となる。

「あら遅れてきたのね、残念だけと前も言った通り食事は出ないわよ。」

  それだけでいいのだ。

子供の行動に対して文句を言ったり嫌味を言う必要は無い。

  淡々と約束通り食事を出さないだけで良いのだ。

そのことによって、子供は純粋に自分の行動を反省することに直結すると言う。
食事を出さないと言う行為を、事前の約束の結果以外に何もプラスもマイナスもせずに、愚直にその行為に対しての論理的な結末として体験させることが必要なのだと言う。

親としてはどうしても子供を食事を出さないと言う最終手段の前になんとか説得をして心と行動を変えたいと思うのは当然のことだ。
しかしどうしても子供の行動が変わらないと言うのは、親の心子知らずの例え通り、自分が親になってみて初めて分かるもの。
よって、それまでは論理的結末を体験させることによって、約束を守れないときは容赦無く厳しい現実に直面することを、後々のもっと大きな現実を経験する前に体験しておくことも大切なのであろう。






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2019年9月19日 (木)

新入社員への対応

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、コメントネーム「やくた」さんからこんなコメントが入った。

  「新入社員に対してどんな指導をしているのか?」

意外にもこの課題に対してお悩みの店長は多いのではないだろうか。

  世代間のギャップ。

一言で言ってしまえばそうなのだろうが、その一言では片付けられない現実がそこにはある。

  一度入社した新入社員は絶対に辞めさせない。

おそらく、そんな通達が人事やトップから発せられているのではないだろうか。
このご時世で当社に入社してくれるまでに、人事担当者はどれほどの苦労を配してきたか。

  それは人事担当者になってみなければわからない。

そして同時に店舗のパートさんの採用と配属に関しても同様のことが言えるであろう。

  “どれだけ苦労して採用したと思っているんだ!”

採用者からすれば、せっかく採用したのに現場で簡単にやめさせやがって、という想いはあるだろう。
しかし現実には、自社の店舗での仕事のマニュアル通りに指導しようとすれば、受け止める新入社員にとっては入社前の研修やトップ、人事の説明とは裏腹に非常に決め事が多く働きづらい環境に思えてしまうのものであろう。

  その狭間に立つ現場の店長の苦労も計り知れない。

それでは、現場の店長として新入社員をどう受け止め、どう付き合い、どう指導していけば良いのであろうか。

  とは言っても、店長としての立場、部門としての立場も異なるものだ。

店長という組織のトップとしての新入社員の受け入れ方も以前とは大きく異なってきているであろう。
それは、店長やチーフ達の意識の部分で大きく異なってきているのではないだろうか。

  一度入社した新入社員は絶対に辞めさせない。

そんな不文律がトップや人事との間で交わされているからであろうか。
しかし私は新入社員の受け入れに関しては、トップ、人事、店長、部門チーフでそれぞれに異なるべきであろうと思っている。

  トップの考え方に共感して入社を検討する。
  人事の熱意とコンタクトに惚れて入社する。
  店長の現場での環境作りに信頼関係を得る。
  チーフの働く姿勢に自分の未来を想像する。

新入社員が自社を入社し、就業を維持するまでには上記の流れがあるように思われる。

  そこで現場の店長の役割とは新入社員の環境作りとなる。

要は、新入社員の居場所を作ってやることだ。
おそらく新入社員は店舗に配属されるや否や、部門にどっぷりと浸かってしまい、店舗内での自分の存在や周囲との人間関係も希薄なまま店舗内の放り込まれることになる。

  かってはそれでも店休を利用して合同のリクレーションがあった。

バスハイクで仕事を離れて店舗内の従業員と酒を飲みながら出掛けては、そこでバーベキューをやったり運動会をやったりというイベントが多かった。

  そこで部門を飛び出した店舗のつながりを持つことが出来た。

しかし店休のない現代ではそのような店舗内でのつながりも皆無であろう。
そしてむしろ新入社員ほどそのような業務を離れたつながりを遠ざける気質がある。

  とは言っても部門内の閉じ込めておくと孤独感が自分を襲ってくるもの。

私が以前、新入社員が多く配属される店舗にいたときは、新入社員だけを集めて抽選会の準備と実行をさせたり、遊びの企画を建てさせたりと新入社員だけで自分達で話し合って色々なイベントを運営させることによって、新入社員同士の連帯感を持たせるような環境を作ってやったりもした。

  縦割りの部門から横割りの同期の桜同士のつながりの強化。

このようなつながりを持つことによって、仕事上の悩みや恋の悩み等のプラベートな話の出来る仲間を持てる環境を積極的に作ってやったが、このような同期の桜を持つと、意外に退職率は減少するのではないだろうか。

  同期の新入社員が少なければ同年代同士の組織を立ち上げるのも良いだろう。

そんな環境に置かれると、自然に仕事以外のプライベートな関係も構築でき、組織内での自分の存在意義が高まり、今の環境から如何に改善して明るい未来を構築してみようとする意欲が湧いてくるものである。

  店長とはそんな環境作りの構築が店舗内で必要なのではないだろうか。






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2019年9月17日 (火)

お店の顔

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


お店の顔は青果入口の正面。

  よく言われる我々業界の言葉。

これは当然にお客様がスーパーマーケットに入店して初めて見る店内の売場のほとんどは青果売場の特設か平台であるからだ。
そこが店舗として一番初めにお客様を向かい入れる場所であり、人間に例えるとそこがお店の「顔」ということになる。

  我々業界ではこの顔の売場で企業毎の工夫を凝らすのである。

この時期ならではの催事場であり旬であり相場の凝縮された野菜類であったり。

  もう時期秋彼岸であれば仏花やお供えセット等であろうか。

そこでお客様に「今」を感じていただき、季節の変化や店内の変化を感じていただきながら店内の買い物を楽しんで頂く。

  そこで感じた感覚は店内の買い物を左右するものである。

もう一方の入り口では、今であればハロウィンであり、彼岸の手土産であり、秋冬の菓子類であろうか。
それだけ売場作りにおいての「顔」にはこだわりを持って展開している。

  が、しかしである。

その入口の「顔」という意識を現場の担当者がなかなか持てないのも現実ではないだろうか。
何故ならば担当者の作業動線はバックヤード〜売場〜バックヤードの往復に過ぎないから。

  青果の作業場から出て土物の品出しをして再びバックヤードへ。

このような動線に終始するあまり、店舗の「顔」である青果側入口のチェックがなかなか出来ないのが現実である。
よって、青果側のバックヤードに近い売場ほど品切れもなく前出しもされて整理整頓されているのだが、お店の顔である入口付近ほど手の入っていないグダグダの状態であることが多い。

  要は入口正面は朝一度品出ししただけでその後は放置。

よって、お客様にとっては入口正面が一番のお買い得コーナーであるにも関わらず、我々働く従業員にとっては一番遠い売場になって見れなくなっているのである。

そしてそれは他部門にも同様に言えることである。

  自部門の「顔」はどこなのか?。

まずは、その認識があるかどうかだ。

  どの部門にも企画の平台がある。

概ねはそこがその部門の顔であろうし、平台が無ければ客動線の一番初めに来る部門の売場が顔になろうし、大きな催事場があればそこが顔になろうか。

  何れにしても作業場から一番離れている可能性が高い。

よって、自分の売場の顔に関してはかなり意識してその売場のチェックを定期的に行う必要がある。

  ここに売場の担当者の「意識」が現れるものである。

優秀な担当者ほど、意識して自分の部門の顔を一番初めに整えようとするし、新入社員ほど目の前の品出し品の往復に終始してしまうものである。
そしてそのフォローに入るのが店長の役割でもあろうか。

  唯一店内をフリーに歩けるのは店長と副店長のみ。

よって、店舗の顔、部門の顔、そして最終の精算地であるレジ部門の状況を一瞬にして把握できるのは店内でも店長のみであるからだ。
お店の顔が安定してエキサイティングになれば着実にリピーターが増加するものである。






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2019年7月30日 (火)

担当者の異動

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


人事異動。

  企業内の異動にもいろいろあろう。

所謂人事異動とは、店舗内のパートさんの配置転換等は人事異動とは言わないので、正社員が企業の取締役社長の命の下に現在の配置から異動をする場合を指すであろう。

そして上は取締役級の異動もあろうし、部長、課長、店長、そしてバイヤーやトレーナー、スーパーバイザー、更には副店長やチーフ、そして末端の担当者まで、その人事異動はさまざまな層に至るのである。

  人事異動の目的にもいろいろあろう。

定期的な組織内での人事異動。
新店出店にともなう人事異動。
個人の昇格や降格の人事異動。
退職者の発生による人事異動。

  さまざまな理由で人事異動が発生する。

いろいろな人事異動があるが、職位の中で自分では相変わらず主導権を握れないのが担当者であろう。

  チーフ以上であれば小さいながらも部門のチームリーダーとなる。

自分の部門運営はチーフに任され、自分が主導権を握って部門運営にあたることになる。
強いて言えば自分の上司の店長との関係で、店長の指示を仰ぐ場面もあろうが、その概ねの部門運営に関してはチーフが概ねの決定権があるわけだ。

  しかし担当者は相変わらず末端の社員。

異動先でも自分の上司であるチーフの指示の下に仕事をすることになる。

  ここに担当者の人事異動の課題がある。

当然、人事異動という特性上、自分で異動を申し出るわけにもいかないし拒否することも出来ない。

  異動の内示を受けたら基本的にはその異動を受け入れることになる。

異動先の上司であるチーフが誰だあろうが、そのお店に赴任し、その上司と共に仕事をすることになる。

  ここに担当者の運命を握るポイントがある。

それは上司に恵まれるか否かというポイント。
上司に恵まれるというよりも、新たな上司といい関係となり、お互いに必要不可欠な存在となれれば、その上司から多くの決定権を獲得することになるのである。

  要は権限委譲されるということだ。

その為に重要なこと。

  それは上司が求めるあるべき姿をいち早く理解することである。

異動先のチーフが、部門運営に対してのあるべき姿が以前のチーフと比較してどう違うのか。
従来のチーフが妥協していた部分に対して、新たなチーフはどう考えているのか。

  そこにチーフ同士のあるべき姿の認識の違いが露わになるのだ。

異動先のチーフのあるべき姿や部門運営を異動後から早々に自分で習得して、新チーフが望むあるべき姿を自分がいち早く実現できれば、新チーフの信頼は高まるであろう。

  それがデキル担当者としての信頼となるのである。

結果として、そのあるべき姿を実現させながら、あるカテゴリーの売場を委譲されたり、出勤計画表や勤務表の作成を譲渡されていくのである。
そうなると、次のステップとしてのチーフという役職が見えてくることになる。

  そんな人事異動をして欲しいものである。







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2019年7月12日 (金)

高校生アルバイト

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


アルバイト。

  社会人から大学生、そして高校生と多岐にわたる。

アルバイトと一口に言っても、その内実はダブルワークをする社会人から、学びながらその学費や生活費を稼ごうとする大学生、そして多少なりとも親の負担を少なくして空いた時間を有効に活かそうとする高校生まで幅広い存在であろう。

  我々がイメージするアルバイトとはワーカー。

2時間〜4時間程度の短時間でスーパーで働いてもらうわけでるから、より作業を集中させて効率よく仕事をしてもらう為にも、パソコンに向かって事務的作業をするよりも売場で品出しをしたりバックヤードでピッキングをしたり清掃をしたりレジを打ったりという作業が中心となろうか。

  しかし中にはなくてはならないアルバイトも多い。

発注をしたりPOPを作ったり閉店の作業をしたり。
当店の戦力となって、なくてはならない存在の子達も多い。

  特にレジ部門では夜の混雑時の人材として不可欠な存在。

しかし、同じアルバイトとは言っても、高齢の社会人と中学を卒業したての高校生とでは大きなギャップがあろう。

  社会人の場合は仕事をすでに経験している存在。

よって、社会での就業のルールはお互いに概ね理解しているから、あれこれ細部に渡って説明をしなくても阿吽の呼吸でわかってくれている。

  しかし高校一年生の場合は全く異なる。

社会のルール、仕事のルール、我々がアルバイトに期待するあるべき姿を一つ一つ、作業のその都度その都度で教えていく必要がある。

  先日ある外国人の高校一年生がアルバイトで入社した。

そもそも日本で生まれ育った存在ではないから、日本の文化や習慣等を祖父や祖母か教わりながら育ってきた存在でもない。
そして高校一年生という上記のような社会人としてもまだまだ子供の存在である。

  しかし元気は良い。

元気が良く、更に礼儀も良かった。
こちらの話を聞いて納得した後は、元気良く「ハイ!」と返事を返してくる。

  私はそれだけが拠り所となった。

この元気と礼儀があれば、どんなに厳しい仕事を与えられても歯を食いしばってやり切ってくれるだろう、という期待の拠り所が彼の「元気」と「礼儀」に感じたのである。

  しかし初日はチーフがキレた(笑)。

当初売場(ドライグロサリー)の前出しをさせたのだが、フラフラしながら売場を歩いているだけにしか見えないという。
よって、防犯カメラで彼の行動を追ってみると、確かに売場をフラフラ歩いているようにしか見えなかった。

  ちなみに当店の防犯カメラの性能は高い。

てっちゃん会のメンバーがよく来店されるが、後付けでその行動を防犯カメラでチェックしiphonでその画像をFacebookに公開すると、あまりの画像の良さにメンバーが舌打ちするほどの高画質なのである。

話がそれてしまったが、アルバイトのそんな状況を見て、実際に彼の側に行った。

  「いいか、前出しは3尺毎に完璧にやったら次へ移動するんだ」。

要は、彼の認識するあるべき売場の状態と、我々が認識するあるべき売場の状態とのギャップである。

  我々の認識するあるべき売場とは商品の顔まで含めての完璧。
  しかし彼の認識ではこの売場は完璧に前出しされている状態。

よって、彼にとってみれば、目の前の売場は完璧に前出しされているという認識であった。
その為に、どこを前出しすればいいのかがわからず、売場を素通りしているだけにしか見えなかったようだ。

  私が指示した瞬間から彼は3尺毎に完璧のレベルが変わった。

また、後で彼に言った言葉。

  「初めが肝心だぞ。」

ここは日本である。日本の文化の中では、初めに人を見て「使えるか」「使えないか」を判断し、使えないと判断された人間は放置される。
それは日本の文化なのか私の文化なのかは不明だが、私は自分自身でそんなところがある。
よって、初めに元気、礼儀、そして、指示に従って確実に仕事をこなすという行動と態度を示してほしいという願いであろうか。

  上記のような話を言って聞かせた。

だから、初めの一週間が大切だという話。

  二日目からの彼の行動が楽しみである。







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2019年7月10日 (水)

最強のOJT

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


1年は52週の繰り返し。

  商売も52週サイクルで回す場合が多い。

52週という週間計で昨年と比較したり予算と比較したりして昨年比から今年の業績を分析したり次週や次月の計画を練り直したり。
そして、イベントや歳時記も52週のサイクルで捉えて計画を練る方がわかりやすいと思われる。

  そして52週は翌年も同じサイクルで巡ってくる。

要は、52週を繰り返し繰り返し回していくと、一年があっという間に過ぎていくことになる。

  これは商売にとってどうなのだろう?。

日本には四季があり、気候の変化があり、歳時記があり、旬がある。
そしてこの業界は売り上げを昨年と比較して評価したがる習慣がある(笑)。

  昨年の同月同週同日と比較してどうだったのか?。

その比較においては、必然的に昨年の同じ週に同じ単品を販売している実績と比較して、今年の同じ単品が伸びたのか減ったのかという比較まで遡って評価した方がしやすいし単品まで掘り下げて評価できるメリットもあろう。

そして現場においてはそれを実際の売場で昨年と同様のお客様を相手にPDCAを回せるという条件が整っているのである。

  よって、同じお店で一年52週を実践することは最強のOJTであろう。

ここに、同じお店という条件をつけさせてもらう。

  いや同じお店でないと最強のOJTとは言えないのである。

それは52週の根底にある条件が異なるからである。

  更に言うと52週を土台にして更に52週で完璧となる。

それは、52週を同じお店でしっかりと取り組み、それを土台として更に同じお店でもう一年52週のPDCAを回すのである。

  これで完璧な最強のOJTと言える。

しっかりと同じ店舗で52週を実践したら、翌年はその繰り返しとなる。

  繰り返しとなれば、自ずと昨年比が出る。

この自分が創造した実績に対して、今年の52週で如何にPDCAを回してその実績を乗り越えていくか。

  よく、52週の時代は終わったとも言われる。

今時52週をコツコツと歳時記や旬に従って消費するお客様などいないとも言われる。
しかし、一年52週と言うサイクルと日本の四季、気候、歳時記、旬は依然として普遍である。

  この52週を自ら学ぶということはこの業界の土台だと考える。

それをしっかり自分の体で体験した後に、その是非と問うのであれば話は聞けるが、その体験もしないで世の中の変化だけを捉えて52週を語るのはお門違いであろう。

  そもそも我々は本当に52週を同じお店で本気で実践したのか?。

ほとんどの方は店長だろうがチーフだろうが担当者だろうが、同じテンポで52週をしっかりPDCAを回し、反省を残し52週の記録を残したという経験を持っている人は何人いるのだろうか。

  ほんの一握りの方だけではないだろうか。

52週をしっかり取り組もうと思っても、途中で人事異動により店舗が変わった途端にそんな余裕がなくなってしまったり、52週のPDCAに取り組んでみたもののあまりの負担に途中挫折してしまったり、昨今の人材不足によりとてもとてもそんな余裕がなくなってしまったり。

  色々な理由から52週を完全にこなしきれずに断念してしまう。

どのサイクルでもいいから、52週を連続で一度は経験しておきたいものである。

  それも店長という職位での経験が最強であろう。

それは、ある部門やある単品に特化せずに店舗全般に及んで商品の動向を把握できるからである。

  そして、人事異動にも上記の思考を取り入れて部下育成に当ててほしいものである。

それが、販売面での商売の為の最強のOJTになるのであるから。








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2019年7月 3日 (水)

自然の結末

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


以前のブログ。

  http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-703f64.html

「人は体験からしか学べない」を記した。

  自分の体験が一番の学びの場。

それは、一連の行動が自分の頭で描いたストーリーを自分で実践した結果であることが何よりも大切なのである。
そこから結果としての成功、失敗を自分で判断し自分で次のストーリーを描いてリスタートが出来るという流れ。

  まさに「PDCA」を自分で回すことが大切なのである。

そして今日は自然の結末について。

  PDCAについては自分の仕事面においての進め方。

それ以前に、自分の行動や態度、組織内でのコミュニケーションといった人間の基本的な行動や心理についての学びはどうすべきだろう。

  今日はそれについて書いてみたい。

「人は体験からしか学べない」に関しては、結局は自分で「PDCA」を回すということが大切なのは理解できた。

  では、その一番重要な部分はどこなのだろうか。

それは、結末を体験することだと考える。

  自分で描いたストーリーの結末だから大いに学べるのである。

そしてそれは、ビジネスの場だけではなく、もっと普段の自分の生活面においても同様であると言える。

  自分の私生活。

私生活でもビジネス同様に、いやそれ以上に自分でPDCAを回すことになるであろう。
自分が属する企業内であれば、ある程度は自社内の枠内での行動や思考の範囲内で自分の領域を自由にPDCAを回すことになるが、私生活においてはその枠も全くない状況で自分の行動を自分で決めなければならない。

  ある程度は法律とか習慣とか人間としての倫理は存在するが。

それでも、通常の生活においての自分の行動に関してはフリーな立場で自分で思考し自分で行動する領域はビジネスの比ではない。

  そこで大切なのは「自然の結末を体験する」ということだ。

自然の結末とは、自分で思考し自分で行動した結末を自分の身を以って体験するということである。

  他人や上司が先手を打って結末を左右させてはいけないということだ。

幼少時の危険から遠ざけるということは親として当然ではあるが、社会人として例えば遅刻をしたとしよう。

  当然に、周囲からは不信感が与えられる。

その周囲からの不信感を敢えて遮らずに、本人がそれを受け止める機会を阻止しないということだ。

  結果的に本人が痛い思いをすることになる。

この痛みを実体験させなければ、本人が自分で「PDCA」を回して次回からはどのような行動を取るかが見えてこないからである。

  しかし、部下の業績は自分の業績と直結するもの。

部下に失敗させられないという心理が上司には働くもの。
そこで、必要以上に部下を成功に導くべく上司が奮闘してしまう。

  結果として部下に「自然の結末」を体験する機会を奪ってしまう。

上司として、敢えて自然の結末を体験する、そして体験させるという行為は自らもそんな体験をし自らそこから這い上がってきた経験が無いと出来ないものだ。

  だからいずれ部下にもその時の訓練をさせておく必要がある。

これは、企業として脈々と永続させていくにも必要な部下育成手法であると言える。

  自分の一時の欲ではなく企業の永続を優先させる。

その視点に立てば、後者を選択することにより、部下がいずれはその失敗を克服して一つ一つの行動からよりレベルの高い業務遂行力と人間関係力を身につけていくであろう。








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2019年3月25日 (月)

ほめない・叱らない・教えない

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


今年の店長会のテーマの一つに部下育成がある。

  部下育成に対して一冊の本の購入を要請された。

「アドラーに学ぶ部下育成の心理学」。
そして、この本のサブタイトルが面白い。

  「ほめない、叱らない、教えない」。

今までとは真逆の部下育成法ではないかと思ってしまった。
しかし、実際に読んでいくと、その真意が理解できる。

  ほめない。

部下育成で一番重要だと思っていた部分が、部下をほめるということ。

  しかしこの本では部下を「ほめない」という。

この本で一番理解し難い部分が冒頭に登場するのである。
要は、ほめるという行為は「上から目線」になってしまうということらしい。

  よって、支援するというスタンスを貫くことだという。

部下にとって一番大切なのは、いっときの喝采ではなく、困難を切り開く勇気を与えられることであると説く。

  それには称賛ではなく勇気づけであるという。

その勇気付けとは、より具体的に部下が自ら考え自ら行動できる為に意識を変えることである。
その為に、部下が単品量販で全社一の売上を記録した時にかける言葉として、

  「よくやった、おめでとう!。」

はほめるということであり、

  「おかげで多くのお客様の支持を得られたよ。ありがとう。」

一見、上のほめることの方が部下のモチベーションが高まるように思えるが、問題は今後の部下の行動である。
今回の単品量販で結果を出せたということが、お店に対してどのような貢献となったのか、その具体的な貢献度が示されたことで、今後の具体的な自らの行為を貢献という方向へ向けられるということ。そしてそれが色々な困難を克服して前進していこうとする勇気付けにつながるということである。

  それが「ほめない」の本質である。

そして、「叱らない」。

  「叱る」目的は本人への喚起。

部下育成はあくまでも、困難を克服していこうとする勇気付け。

  部下を萎縮させることではない。

それは時代の流れでもあろうし、人間が持つ本質でもあろう。
人間教育として、子供が自分の親から色々な躾や倫理を教わる過程の中で、自分の過失を親から叱責されることもあろう。
しかし、企業に就いた成人が上司からの指導としての叱責はその瞬間は意識の喚起にはなろうが、勇気付けにはなるはずもない。

  失敗に対してはあくまでも「次」を示唆することである。

失敗しても何度でも這い上がっていく勇気付けが本人に対しても組織に対しても重要なのである。

  そして、「教えない」。

これは、理解しやすいであろう。

  あくまでも本人が自ら考え自ら行動すること。

他人の指示で行動し成功しても、そこから得るものは少ない。

  一番成長する瞬間とは、自ら思考して行動したときのみ。

その機会を如何に与えるか。

  我々世代には大きなパラダイムの変化であろう(笑)。

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2018年10月17日 (水)

褒めて叱って

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


部下教育。

  10誉めて1叱る。

注意したい部分があれば、10誉めてから叱る。

  これが現代の叱り方?。

誉められる事に慣れてくると、常に自分は誉められるのが当たり前で、いきなり叱られる事に対する拒絶反応が強いのであろう。

現代は叱り方の定義として上記のような手法を用いているが、我々が入社した頃は、

  10叱って1誉める。

これが定義だった。

  「叱ってばかりいないで、たまには褒めろよ。」

叱られたり怒鳴られたり、時には「こんなお造り売れるかよ(怒)」と嫌味を言われたり。

  たまには、誉めろ。

だから、誉められたという記憶は無い。
上司は誉めたつもりでも、当事者には伝わらないのが褒め言葉であったようだ。

  誉め方も時代の変化に対応することが大切であろう。

そして、厳しさも徐々に変化していく時代。
先輩社員には、相変わらず10叱って1しか誉めない上司や店長もいるが、それが通用する部下が周囲にいなくなっているのが周知の通り。

  部下のモチベーションをどうコントロールするか。

ここに注目しなければ、30年前のマネジメントを続けていけば確実に人は離れていくであろう。

  それは正社員だけではなくパートさんも同様。

50代以上の方ならそれでも通じるだろうが、それでも地方と都市部ではまた違ってくる。

  要は、如何に部下のやる気を引き出すか。

それには、普段のコミュニケーションの中にこちらの話を聴くというスタンスを部下にインプットしなければならない。

  何気ない会話。

それも大切であろう。
しかし、もっと大切なのは、

  信頼。

部下が、「この人についていけば、必ず自分を守ってくれる」という信頼を上司に抱いているかどうかである。

  どんなに辛い言葉を投げかけても必ず守ってくれるという信頼。

その信頼と安心が、上司の言葉に耳を傾け、それを心に留め、そして実行する。

  その実行に対してのコミットメントを忘れない。

そんな小さなところから信頼は生まれていくのだろう。

  何れにしても部下の行動が目に入るかどうかである。







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