心のあるべき姿

2018年6月21日 (木)

接客という差別化

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日のてっちゃん会の前座での競合対策の勉強会。

  接客での差別化は競合対策になるのか?。

そんなテーマが持ち上がった。

  レジ精算が無くなる時代。

そんな時代を迎えようとしている。

  それは人材不足という環境にあった流れではある。

しかし、競争という時代の中ではいろいろな選択肢がある。

  接客という競争を選択する戦略。

それも競争の時代において、リアルな店舗の存在価値がどこにあるのかという強みの認識となっていくのではないだろうか。

  接客。

まさに、リアルな店舗に赴かない限りは接客という差別化は計れない。

  そして、接客は強みにもなるし弱みにもなる。

クレームで一番多いのも接客面。

  あのレジが感じ悪かった。
  あの鮮魚のおじさんの態度が悪かった。
  アルバイト従業員に素っ気なく対応された。

そして、どんな教育をしているんだ、という問い合わせ。

  しかしそれはいずれ大きな強みに転換するだろう。

文句の一つや二つも言えるお店であるという強み。

  それ以上にリアルにレジで人間が精算するという行為。

この仕組みに魅力を感じている方の方が圧倒的に多いということである。

  特に午前中のお客様はそんな方が多い。

最後のレジで会話をする方が非常に多いからである。

  何気ない世間話。

思えば、リアルに家族以外の人間同士があの距離で会話をするという現実はそうそうないのではないか。

  それが堂々と当たり前に会話できるのである。

特に高齢のお客様は普段の私生活は孤独なのかもしれない。

  家族はいるが話し相手にならない。

しかし、スーパーに行くと短い時間でも世間話をしてお互いに笑い合える。

  それはいずれ差別化の手段となっていくだろう。

だから当社はセミセルフ方式にこだわるのである。

  人が精算して機械が精算する、セミセルフ方式。

現在のセルフレジには、セルフ方式とセミセルフ方式がある。

  セルフは完全にスキャニングから精算までお客様。
  セミセルフはスキャニングは従業員で精算がお客様。

商品のスキャニングは従業員が行うため、従来通りの雑談タイムがある。

  会話が成り立つ方式がセミセルフ。

敢えてこの方式を採用するということは、接客の為の差別化を維持するということの選択でもある。

  そして接客とは挨拶の延長線上のことでもある。

挨拶の大切さ。

  このブログでも何度も書いてきた内容。

挨拶は人間対人間の第一歩。

  だから挨拶から人間関係が構築される。

そこから、人間は人間組織の中で自分を確立していくのである。
その挨拶と連動する店舗の接客。

  それはリアルな店舗としての強みなのではないだろうか。











| | コメント (8) | トラックバック (0)

2018年6月 2日 (土)

焼きを入れる

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、あるテレビを見ていた。

  刃物類の焼き入れ。

鍛冶屋が、刃物や包丁を作る過程で、鋼の硬さを引き出すために高温にして焼きを入れて鋼の硬さを出し、その後適度な柔らかさに戻すために冷却して焼き戻す作業のこと。

  焼きを入れるという言葉の本来の意味である(笑)。

現代では、焼きを入れるとは、人間の根性を叩き直すというような意味合いが強くなって来ているが、本来は鍛冶屋の言葉であったのだ。

  しかし昨今の日大騒動でこの言葉も死語になるのだろうか。

今回の騒動で、監督が「期待する選手を精神的にプレッシャーを与えて、そこから這い上がる過程を経験させて一回り大きな選手に育てる」旨の話をしていたが、それもある意味「焼きを入れる」ことなのだろう。

  焼きを入れるということの功罪。

我々世代の人間は、むしろその言葉の意味には肯定派が多いと思う。

  自らその経験をして育ってきたから。

現実に、日大アメフト部のOBでも、その壁を乗り越えて精神的にも肉体的にも成長し、その後の自分の人生にも役だったと言って、監督に感謝している方もいるという。

  私も同様の経験をいくつも持っている。

それは、精神的にも肉体的にも、自分に負荷をかけて自分の限界を乗り越えていくのである。

  それを否定したら、個人の成長を奪うことにもなる。

しかしそれはあくまでも個人の問題であり、試合やその他で相手に対して法を犯すことではない。

  負荷をかける。

これに関しての効能は過去の事例から言っても、誰も否定はできない。
そういう意味では、鉄を硬くしたり柔らかくしたりする過程での「焼き入れ」。

  この過程を抜いては刃物は強くならない。

今回の騒動で私が一番危惧するのは、負荷をかけて人間が鍛えられていくその過程自体を全否定してしまう風潮がまかり通っていくことである。

そしていつしか、上司が良かれと思って部下に負荷をかけること自体が「パワハラ」と呼ばれて消滅していく風潮が生まれることである。

  今回の騒動とこのことは全くの別物である。

今回の騒動を受けての先日の「焼き入れ」をダブらせて想ってしまったのである。








| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年5月24日 (木)

スポーツマンシップ

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


一昨日のアメフト選手の記者会見。

  涙しながら生放送を見た方も多いだろう。

録画や後日の放映を見ていても、この若者がスポーツマンシップに則り自ら起こした行動に対して真摯に謝罪会見を行ったことに対して、逆に感動すら覚えるのである。

  私も体育会系運動部に身を置いた経験がある。

よって、監督や先輩の絶対性も理解できるし、それを体験してきた経験が今の自分を形作っているのも事実。

  “あの時代の経験があるからどんなことにも耐えられる”

そんな自信が、今までの困難な環境をも乗り越えてこられたとも思っている。

  「今、なぜ横っ飛びでボールを追わなかった!」

そう言われて、高校時代の野球部の練習中に監督からビンタを食らったこともある。
ノックのボールがあまりにも遠くに飛んだので、簡単に諦めてその場を動かなかった私に対して、野球部の監督は即私をノックする監督の下に呼び、そう言って手首の付け根でビンタ。

  ほとんどげんこつに近い硬い部分でのビンタ。

要は、私に対してもっとボールに食らいつく気持ちを表に表せということ。

  確かに私の気持ちを高ぶらせるための行為。

今でもあの時の自分の甘い気持ちを戒めてくれた監督の行為が、今の私の精神面を鍛えてくれたきっかけだとも思っている。

  体育会系運動部出身ならわかる監督の絶対性。

監督の言葉や先輩の言葉は絶対である。

  しかしそこには選手に対する人間教育という根底がある。

そしてその根底にはスポーツマンシップという潔さという共通項がある。

  競技を離れたら一人の人間として戦った相手を尊重する。

そして、その競技のルールを絶対として厳守し、ルール内で最大の努力と工夫をしながら相手と競技するのがスポーツマンシップ。

  この若者にもスポーツマンシップを持ち合わせていた。

だから試合後に、そのスポーツマンシップに照らした自分の行動に疑念を抱き、自ら謝罪の為にカメラの前に立ったのだと思う。

  この精神が人を人として律してくれるのだろう。

この若者は見事にそのスポーツマンシップに則った行動を取るだけの健全な精神をアメフトから学んだということだ。

  今回の件を我々の世界に置き換えてみた。

店長として、業績達成の為にいかに行動すべきか。

  その為の部下への言動。

正しいルールでありモラルを履行しながら、正しい手順で業績を達成する。

  ある意味遠回りな時もある業績達成の手法。

よって、もっと手っ取り早く業績を改善する為に、在庫報告を改ざんしたり日付を改ざんしたり。

  かってはそのような手法がまかり通った。

しかし、それは長続きしないし、企業の実力が積み上げられないことに気づいた。

  そしてそんな組織はいずれ崩壊していく。

これも歴史が教えてくた。

  そしてそこには必ず上司の存在が影響していた。

店長や上司が、自分の部下に与える影響。

  今回の件で改めて上司の存在を思い知らされたのである。


| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018年5月20日 (日)

仕事の流儀から

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


今日は日曜日。

  芸能ネタの日(笑)。

しかし、今週はネタ切れ。

よって先日のNHK仕事の流儀。

  本田圭佑の特集だった。

長年、日本のエースとして日本サッカー界に君臨してきた日本の顔である。

  その本田がレギュラー落ちの危機。

それが今回のテーマであり、その心境と彼の信念、そして今後の生き方を主に特集したものであった。

  更に、ハリルリッチ監督の解任。

そんな時期であるから、本田圭佑という人物は、今の日本サッカー界でも話題の存在でもある。

  監督の解任に関しての話題は少なかった。

しかし、彼と監督との戦術の考え方の違いや、彼のプレースタイルが相変わらず監督に支持されていない現状での、彼のサッカーに対する姿勢が放映されていた。

  監督の戦術に対する不信感。

それは戦術そのものに対する不信感というよりも、戦術を実行し成果を出せずにいる日本チームに対する限界感と、勝つためには何を選択すべきかという葛藤、そして自らのプレースタイルとのギャップ。

  本田圭佑はこの閉塞感を打破したかった。

よって、監督の戦術に反して、自らのプレーにて結果を出そうと行動した。

  監督の戦術だけでは今の日本チームでは結果は出せない。

その危機感から、監督の期待に応えるプレーをすることではなく、自らの意思で今のチームに最適な戦術で行動することによって結果を自らの行動で導き出そうとする行動が今回の放映の主たるテーマであったように思える。

  本田圭佑のこの姿勢が自分の仕事観とダブって見えたのだ。

仕事でも同様の環境はたくさんあろう。

  本部主導だけで結果が出せるのか?。
  俺の店は本部提案では競合に負ける。
  このやり方の方が結果が出せるはず。

そう考えて行動している店長や担当者も多いはず。

  そして「てっちゃん会」に集う仲間もそんな連中ばかり(笑)。

てっちゃん会というコミュニティーの仲間達と本田圭佑という人間が重なって見えてのも事実である。

  企業を超えて集うその根底。

そこには、自ら考える店舗運営や仕事への仕方と微妙に違和感のある本部や商品部との確執から、自らの手法で結果を導き出そうとする人間集団。

  その人間集団と本田圭佑の行動。

その姿が、今回の放映を通して重なって見えたのは、私だけでは無い筈だ。

  アウトロー。

ハリルリッチ監督から見れば、本田圭佑は完全はアウトロー。

  しかし本田圭佑には彼なりに日本チームの現状と未来を杞憂している。

その結果としてのアウトロー的な行動。

  ここには必ず結果を出すという強い意志が伴う。

その意志がなければ、アウトロー的な行動は出来ない。

  アウトローにはアウトローなりのプライドがある。

それは、どこまでも結果を出すというプライド。
そのプライドがあるから、自信を持ってアウトローになれる。

  そんな姿が本田圭佑からダブって見えたのである。







| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年5月14日 (月)

フェイクニュース

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


最近よく聞く言葉。

  フェイクニュース。

要は、偽の情報で作られたニュースのこと。

  主にネット上で発信・拡散される記事を指す。

更には誹謗(ひぼう)・中傷を目的にした個人発信の投稿などを含む場合もある。

ネットでの情報交換が常態化している昨今では、誹謗中傷の意味を込めて発信した情報が一人歩きをして、更に尾ヒレ派ヒレがついてどんどん拡散していく場合も多い。

それは、人の心に渦巻く欲求や欲望を刺激して個人のSNSを起点として、事実よりも素早く拡散していくものである。

  だから、フェイクニュースを遮断するのは非常に難しい。

また、ネット上の拡散以外にも、最近ではマスコミの流す情報やニュースでも話題になりやすい部分だけをカットして報道する場面もある。

  カットされたそこだけ見れば話題騒然。

しかし、この場合も、その前後の文脈や話している人の前後の言葉から連続したその部分は明らかに違う意図を発しているのに、その部分のカットだけを聞いた人は「何だ」となるような編集のしかたで報道されている場合も多い。

それを単に話のネタとしてのみ受け取るのであればいいのだが、その報道を以って事実と受け取り、自ら問題意識を持つことに対しては一考しなければならない。

  一つだけの情報に振り回される。

そのような状況に陥ってしまう危険性があることを念頭のおくことが大切なのではないだろうか。

  私自身も早計による後悔が後を立たなかった経験がある。

だから、自分の目と耳で得た情報しか信用しなくなった経緯がある。

  人の噂や人聞きから得た情報は何一つ信用しない。

一応、頭には入れとくが、それだけを以って事実と受け取ることは決してしないということだ。

  必ず一考をおいてから判断することにしている。

もっと言うと、自分の目と耳以外から得た情報に関しては、必ずその側面、裏面から見た情報も入れるようにしている。

  その情報が入らなければ自ら側面裏面を想像することにしている。

“その裏はどうなっているのだろう”
“その裏側の考え方もあるようなぁ”
“メリットの裏側のデメリットは?”

  情報を色々な角度から見てみること。

このことを想定することによって、色々な情報の捉え方をしてみて、最終的に自分はどう判断しどう結論づけるのか。

  そんな思考経路を取ることにしている。

その考え方を持つようになってから、保守的になったと言われるが、失敗もしなくなったような気がする。

  早計による失敗。

リーダとして、店舗の店長としては、早計による失敗は絶対にしでかしてはいけないことだろう。

  色々な角度から物事を捉えて見てからどう結論づけるか。

それによって、より最適な判断と決断が可能となり、余裕を持って会議に臨めるようにはなったとは思われる。

  そして他者からの信頼も多少積みあがったように思えるのだ。



| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018年5月 7日 (月)

衝突

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


企業同士の合従連合。

  今後ますますこの連合は加速していくだろう。

日本の未来を見据えて、自社の未来をどう切り開いていくか。

その選択肢として、他社や他グループと手を組んで経営のノウハウや資金援助、さらには人事交流を図りながら自社の販売力を強化し、競争優位の世界を切り開こうという意図で、この合従連合は今後とも加速していくと思われる。

  そして現実に合従連合した企業の実態。

表面上は、上記のように提携後のメリットばかりが強調されるが、そのデメリットも幾多である。

  一番大きいのは現場での衝突。

理論上は、お互いの強みを共有して更なる競争優位を確立するという目的であるが、その目的をどう折衝していくかという難題を突きつけられるのは現場である。

  先陣を切って合従連合した店舗。

そこでは、提携店舗の店長がお互いから1名ずつ投入し、また部門責任者もお互いの企業から1名ずつ選出し合って既存店をリニューアルして改装オープンさせた。

  まさに後に引けない選択での改装オープン。

しかし、結果は目に見えていたと思われる。

  一方的なマネジメントスタイルからの店舗運営の歪み。

両店長の一方が、その歪みに耐えきれずに辞職。

  ほとんどが従来の自社の従業員で構成された改装店舗。

そこに他企業の文化が否応なく押し寄せてくる。

  自ら育った本籍地が根こそぎ削ぎ落とされていく。

今までの価値観が刷り込まれ、その価値観で仕事観を身につけて言った店長からすると、これはもう自分の存在価値自体に疑問を持つというジレンマの連続であっただろう。

  しかしこれは当然に起こり得ること。

それが、企業の合従連合の痛みである。

  痛みを伴わない合従連合はない。

そう、言い切れるほど、今まで色々な場面を見てきた。

  特に階段の登り方の違いからの衝突は避けられない。

企業理念を同一にしながらも、その階段の登り方の違いから、具体的な店舗運営をめぐる衝突はいたるところで生まれていくものだ。

  それほど現場での階段の登り方は体に染み付いているもの。

敢えて言えば、私はそれを転職という転機で思い知らされ、その挫折感からこのブログが生まれたと言っていいだろう(笑)。

  逆に言えば、登り方は一つではないという事実を知ることだ。

結城先生の言う、「本籍地」と「現住所」。

  本籍地で商売の醍醐味とその原理原則を学ぶ。

それは普遍の原理原則として体に焼き付けなければならない。

  しかしながら現住所は臨機応変に変えていくべき。

それは、時代に応じて住所を変えていった人間の本来の姿なのであろう。

そう言う意味では、今が如何に成功していても、今が全てではないと言う真実を常に頭におかねばならない。

  要は、今いる現住所をチャンスに変えられるのが能力なのだろう。






| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年4月21日 (土)

誕生日を迎えて

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


今週の水曜日に誕生日を迎えた。

  この歳になると誕生日に特別な想いはなくなる。

あるのは、企業人として後何年やれるのだろうかというカウントダウンの境地であろうか(笑)。

  しかし多くの方からのメッセージは頂いた。

これもSNSの時代ならではの友達関係が成せる技であろうか。

  特にFacebook仲間は多い。

これは、Facebook上に友達の誕生日がアップされるからであろう。

  Facebookの友達の誕生日を知らせてくれる。

この機能があるが故に、友達の誕生日の朝にはFacebook上にそのことが記載されて載るのである。

  そこでお誕生日のお祝いメッセージの送信。

このことによって、一度もお会いしたことのない方からもたくさんのメッセージが入る。

  「一度お会いして一献傾けましょう。」

そんなお祝いのメッセージも珍しくない。
それだけ、友達という概念が変化してきているのだろう。
また、そんな関係が今や当たり前となり、そんな方々からの影響度合いも増してきているのかもしれない。

  満58歳。

いわゆる定年まで後2年。

  55歳からカウントダウンは始まっていると思っている。

そのカウントダウンが後2回に迫ってきたということだろう。
そう思いながらのこの5年間は意外に長かったような気がする。

  特にてっちゃん会の発足がそう思わせているのだろう。

それだけ中身の濃い人生に変化してきたのだと思う。

  一年が長いということはそれだけ変化が多くなったということだろう。

同じ季節に同じ行為の繰り返しになれば、一年はあっという間に過ぎ去るものだ。
しかし、一年が長く感じるということは、新入社員や若手の頃の一年の経過と同様に、慣れない事例を多く経験していくと感じるものである。

  更に新店の経験も一年が長く感じる要因かもしれない。

要は、慣れ親しんだ時の流れではなく、慣れない初めての経験の連続が同じ時を長く感じさせるものなのだろう。

  時の過ぎゆくのが長く感じられるここ数年。

そんな感覚で時が過ぎゆくのを感じていたものが、確実に誕生日というけじめの時に、紛れもない時間の経過を思い知らされるという感覚が今回の誕生日であったような気がする。

  最近のこの時の過ぎ方が好きである。

同じことの繰り返しをしながらも、新たな挑戦や経験に積極的に足を踏み入れて見る。

  結果的に時がゆっくりと流れていく。

そんな経験を一歩一歩踏みしめていきたいものである。

そして皆様、定年がどうのこうのではなく、その後も色々な経験を積んでいきたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。







| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018年4月 6日 (金)

桜の花に思う

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


全国各地から桜の話題が到着。

  そして北関東の桜も見頃を過ぎた。

今後は東北北海道からの桜だよりが寄せられるだろう。

  しかしこれほどまでに桜の開花が話題になるのはなぜだろう。

いつもは呑んだくれたアルコールの画像以外アップされないdadamaさんですら、この時期は何を間違ったのか目黒川の桜などをFacebookにアップしてくるのである。

  やはり春の陽気は極悪人をも夢の中を徘徊させてしまうのか(笑)。

何れにしても、桜の開花予想に始まり、なぜ今年の桜は開花が早まったのか、そして開花の報道、名所案内等がテレビでも毎日放映される。

  そしてそこの集う花見客や外国人客の姿。

なんでも、これほどまでに花を愛で(?)、桜の花の下でお酒を飲み陽気に酔っ払う民族は日本人だけだという。

それほど、日本人にとって「桜」という話には深い思い入れがあるのだろう。

  桜の花をテーマにした歌も多い。

そして桜を思うと同時に連想する時期も個人個人にはあろう。

  桜と卒業。
  桜と入学。
  桜とGW。
  桜と田植。

私は東北の生まれである。

  桜 = GW

このイメージが強かった。
それほど、かっては桜の開花は四月中旬以降であったのだ。
だから、国語の教科書等に記載される入園入学時期に桜が咲いているという印象はない。

  またそのような風景画には違和感を覚えていた。

“入学式前後は桜は咲いていないよな”

  しかし今こうして関東に住まうとわかるのだ。

また年々桜の開花は早期に以降しているようだ。

  東北でさえ四月前半に早まっていている。

今年は二月まで寒かった。

  だから桜は遅れるだろうと思っていた。

しかし、逆。

  なんでも桜は秋に冬眠するのだそうな。
  そして、冬の寒さに目覚めるという。

だから、寒さが極まれば極まるほどにすっきりとした目覚めになるという。

  目覚めた桜は開花の準備を始める。

サァー、咲くぞと気合十分な状態で、陽気が一気に暖かくなれば、開花は早まるらしい。

  今年はその典型だったようだ。

開花の時期の三月後半からの気温の上昇は凄まじいものがあった。
ちょうど、家の庭には桃の木が植えられ、桜の開花とほぼ同時に桃の花も開花するのだが、蕾の状態から気温が20度を超える日が続き、時間を追うごとに花の開き具合が大きくなり、どんどん花びらを咲かせていく。

  この生命力と散り際の刹那。

これが手に取るように見れるという姿に、日本人は四季の瞬間瞬間を楽しもうとするDNAが刷り込まれてきたのであろうか。

  北関東ももはや葉桜。

花が散ると同時に葉が勢いよく咲き始める。

  たかだか二週間の出来事である。

平家物語の冒頭。

  奢れる人も久しからず
  ただ春の夜の夢の如し

自分に対しては自信を持って強引に進めていく場面もあろうが、他人に対してはただただ謙虚に慎みを持って行動しなければならないのであろう。








  おごれる人も久しからず、
      唯春の夜の夢のごとし。


 おごれる人も久しからず、
      唯春の夜の夢のごとし。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018年3月31日 (土)

取引業者との関係

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、朝の挨拶回りをしていたら、鮮魚チーフから言われた。

  「運送業者のドライバーがドアを壊したようですよ。」

要は、早朝に配送業者のドライバーが、惣菜のコンテナを店内で移動中に、スィングドアのフレームにコンテナの角をぶつけて、内側のフレームに引っ掛けフレームが曲がってしまったと言うことだ。

  ドアの内側のフレームなのでスィングドアが閉まらない。

よって、後ほどそのドライバーが私宛に再び来ることになっていると言う。

  通常なら、こんな場合は運送業者持ちでフレーム交換だろう。

私も当初はそのつもりでいた。

  しかし何か引っかかるものがあった。

この場合、業者という取引先相手だから、相手に責任を全て押し付けて修理させようとするが、これが自前の担当者が不注意で壊したものであれば、なんとか自前で修理して無きものとするだろうなぁ〜ということ。

  “ちょっくら、直してみるか”

フレームをドライバーで開けて取り外し、曲がった部分を力ずくで押し返し、更にペンチで多少修正すれば元どおりの形には治った。

  多少の傷は残ったが機能的にはなんら問題ない。

そして、取り付け直した結果、全く支障なく元どおりに戻ったのだ。
その後、当事者のドライバーがやってきた。

  「全く申し訳ありませんでした(最敬礼)」

ちょうどその時に、建物の建築業者が本部から手配されてやってきたので、建築業者に自分で直した旨を話したら、「ほとんど問題ないでしょう。」とのこと。

  「ということで、今回は謝罪だけで大丈夫だよ(笑)。」

そのドライバーは、本当に申し訳なさそうにしながら商品搬入をして帰って行った。

  先日の引越し難民の事例もあるようにドライバー不足の時代。

いくらドライバーの責任とはいえ、自前で修繕できるレベルであれば直してやる。

  特にドライバーは重労働。

過酷な労働環境の中で、更に自分の不始末とは言え取引先の建物を破損させたとなったら、おそらく自腹で修繕費を支払うようになるだろう。

  これからも長い付き合いの相手である。

そう考えると、できるだけのことはしてやりたいと思うのである。
その後、配送業者からも電話があり謝罪とその後の対応を話したが、すでに修繕済みと話すと逆に感謝された。

  取引相手の過失だから全て相手持ちで修繕させる。

それが当然の対応かもしれないが、今後も続く長い付き合いの相手。

  現場では出来るだけいい関係でありたいものだ。

そう考えると、お互いに譲れるとことは譲っていい関係を積み重ねていきたいと思う。

  現場では色々なことが起きているのである(笑)。







| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年3月20日 (火)

良い時・悪い時

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


日々の仕事での喜怒哀楽。

  リーダーとしてはやはり業績に左右される喜怒哀楽。

業績の良い時は、いつまでもこの業績が続いて欲しいと願い、悪い時ほど現状を否定していろいろと変えたがる。

  現状を否定するのも良いだろう。
  色々変えたがるのも良いだろう。

しかし、根本的な数値が変わるのは、その事がある程度お客様に認知されてからのことである。

  要は、そう簡単に結果として現れないのがこの世界。

だから、変えれば変えるほど、結果は後回しになっていく。

  こんな時ほど一度決めた施策をやり続ける勇気と根気が必要だ。

施策や対策がお客様に浸透するのに早くても三ヶ月程度は要する。
それが口コミ等で地域に広まるのに、半年。

  結果として現れるのに約一年。

“一年なんて、待てねぇ〜よ!”

  しかし商いは飽きない。

一年程度の時間を要してようやく口コミとしての評判が地域に広まっていく。

  口コミをバカにしてはならない。

今の業績は口コミで成り立っているもの。
  
  企業名も品揃えも価格も店舗で変えることは出来ない。

店舗で出来ることは、実際に来店されているお客様を通して、口コミで基礎商圏のお客様にその評判を伝えて頂くことが一番確実な業績改善の手法である。

  チラシの価格はいっときの集客手法。

この時の来店されたお客様が、その目玉商品の購入目的で来店されたとはいえ、その機に店内を買い周りされる売場の評価が口コミとなる。

  だから施した施策を信じてやり続ける事が重要。

そしてそれが回り道となろうが、結果的には時間的には早々に結果として現れてくることになる。

  良い時はその逆だ。

過去の地道な取り組みから得られた口コミが現在の業績を支えているだけのこと。

  良い時ほど現状を変えないと結果はいっ時の幻となる。

しかし、良い時ほど現状の心地良さに満足してしまい、現実の課題が見えなくなり、また現状がお客様の高い評価と勘違いして、進化を止めてしまうもの。

  だから良い時ほど現状を改善して次への基盤固めをする必要がある。

現状の口コミを更に広げていかない限りは、数値は現状維持のまま。

  そしてそこに個人の進化があり店舗の進化がある。

何れにしても、業績とは競合店との関係に影響されるのがほとんど。
その競合店と比較して、お客様に自店はどう映っているのかを知ること。

  そこから自店を選択していただく施策を施す。

その施策が口コミとなって定着し、その口コミを広げ続けていくこと。

  店長とはそこを管理するプロデューサーでなければならない。






| | コメント (4) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧