心のあるべき姿

2020年1月28日 (火)

道は自ら創るもの

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


人生をどう歩むか。

  それは個人個人が握っているものである。

両親から生まれ、育てられ、そして成人していく。

  親の庇護、社会のルール等の規制はあるだろう。

社会人になって企業に勤めてからは、その企業のマニュアルや暗黙のルール、そしてその企業でしか通じない言葉落という制限を受けながら育っていくものではある。

しかし、それらの社会のルール、企業内のルールという枠の中で、その枠をはみ出さない中での自分なりの道を創りながら前進していくものである。

企業内ではそのルールという縛りも厳しく、今まで歩んできた道よりも狭い範囲で行動しなければならないかもしれない。

逆にいうと企業という枠に収まっている方がより安定した人生を歩めるということでもある。

  よって個人で歩む人生の方がより自由に自らの道を歩みやすいかもしれない。

しかし、自由であるという裏腹には露頭に迷う確率も高いということであろう。
仕事上では、我々の業界には52週という表現があり、一年52週の繰り返しであれば、その過去の52週を振り返れば自ずと道も開けてくるであろうが、こと個人の人生という場面になれば、直面する状況は常に初めての経験であり過去を振り返ってみても同じ状況はなく、何も参考にならないことばかりではないだろうか。

  そして露頭に迷うことになるのである。

よってどんな場面でも、歩む道は自分で切り開いて創っていくという意思が大切なのだろうと思う。

  誰と付き合うか。
  誰と結婚するか。
  どこに住むのか。
  家はどうするか。
  完済は何年か?。
  子供は何人か?。
  お墓はどうする。

人生には色々な場面で決定事項がその都度降りかかり、そしてそれは初めての経験のことばかりに直面することになる。

  過去に経験のないことばかりに直面する。

よって、自分の人生においては振り返ることができないことばかり。

  だから人生の先輩の言葉に教えられるのである。

しかし最後に決断して実行するのは自分。
だから自分の決断に自信を持って、その道を創造していくしかないのである。

  そして自分で決めるからこそ強い意志となって前進できるのであろう。

自分で決める。
そしてそこに強い意志が生まれる。

  その強い意志が前を向いて開拓していく行動力となる。

そうやって、自分の人生を強い意志を持って開拓していくとき、その道の先に自分が想像していた以上の未来が見えてくるのである。






  

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2020年1月16日 (木)

ペット霊園

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日のブログで「にゃんにゃん」が息を引き取ったことをアップした。

  にゃんにゃんロス。

やはり十数年間を家族と共に過ごしてきた時間は長かった。

  それ故の「ロス」。

家族と共に、いやそれ以上に長い時間を過ごしてきたのであろう。
猫が故に、四六時中家の中にいた訳であるから、自分たちが家にいる時間はほぼ全てにゃんにゃんとの時間でもある。

自分たちが家に帰れば、奥の部屋からにゃんにゃん鳴きながら足元に擦り寄ってきて、額と体を摺り寄せてくる。
愛嬌のある額を撫で撫でしてやれば、ゴロゴロと喉を唸らせて気持ち良さげにいつまでも撫でられている。

  そんないつもの光景が家の中から消えてしまった。

それが、ロスなのであろう。

  いつもの家の中でのルーティーン。

そのルーティーンはいつしか自分でも気付かないうちに極々当たり前の自分の動作として発揮され、そしてそれによって気持ちが癒されてきたのである。

  そんなルーティーンが出来ないというロス。

そんなロス感を女房と共に味わっている今日この頃である。

  増してや女房は更に四六時中にゃんにゃんと共に暮らしてきた。

そんな存在であったにゃんにゃんを先日、ペット霊園にて見送ってきた。

街の郊外にあるそのペット霊園は、小高い丘の上に整備されて建立されていた。
娘も嫁ぎ先から駆けつけてくれ、三人で火葬から納骨までを執り行った。

  火葬からの納骨。

そこでは、猫の骨を部位別に丁寧に小分けしてくれていた。

  頭部、背骨、骨盤、尻尾、そして爪までも。

背骨などは、その流れのまま、そして尻尾まで続くように流れるように配置されていたのである。
にゃんにゃんは、その尻尾が母親の胎内にいたときに、おそらくちょっと押された状態であったのか先端が丸まって縮んでしまっていたのだが、火葬されて骨だけの状態になったときにその先端がL字型に折れ曲がったまま白骨となっていたのは、悲しい中にあっての笑の場を提供してくれていた。

そして、子供たちもそれなりに旅立ち、にゃんにゃんの気配の無くなった家内。

  女房との新生活が始まろうとしている。

元はと言えば、この関係からスタートした第二の人生。
そして、また再びここに立ち戻って来たのである。

  そこに再び新たな人生の予感を感じるのである(笑)。






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2020年1月10日 (金)

にゃんにゃんの思い出

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


動物には寿命がある。

  にゃんにゃんにも寿命がある。

にゃんにゃんが息を引き取った。

パソコンでブログを開いて頂くと、マイアルバム(右側の写真集)ににゃんにゃんの写真をアルバムにしたものが数冊載っていると思うが、ブログでもにゃんにゃん特集として記事にしたこともあった。

その最初の記事がこれであった。

  http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_3bf4.html

そして、最近ではこのような記事も書いていた。

  http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-b0bd.html

これを書いた時のにゃんにゃんの人間での年齢は68歳。
そして現在はおそらく80歳ということであろうか。

  おばあちゃんにゃんこである(笑)。

にゃんにゃんは元々は野良猫であった。
ついつい餌をやっているうちに、親子でやってくるようになり、可愛さ募って家猫として飼うようになった。

  野良猫で雌猫であるから人見知りも激しかった。

家族以外の人間が家にやってくると、絶対に居間には姿を見せない。

  奥の暗闇でじっとその人が退出するのを待ち続けるような猫。

また、女房が掃除機部屋を掃除しようものなら、その音が嫌いなのかそそくさと別の部屋へ逃げていってしまう。
そんな怖がりの猫であるが、一度だけ見知らぬ人間が入ってきても怖がらずに側に寄って行った時があった。

  娘のフィアンセが来た時。

普段は怖がって奥の部屋に逃げ込むのが、この時ばかりは彼の側によっていって撫でられていたのである。

  感じるものがあったのだろうか。

または娘と一緒に入ってきたという親近感を感じたのだろうか。
その彼が部屋に入ってくると、にゃんにゃんは決まって彼の側に寄っていくのである。

  また我が家のアクシデント時には必ず癒しの存在となってくれていた。

ありがとう、にゃんにゃん。
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2020年1月 8日 (水)

時間が解決する

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


店舗で現場で仕事をしているといろいろな問題に直面する。

  特に人間関係で悩む人は多い。

同じ職場内での人間関係。
上司と部下での人間関係。
お客様との間のトラブル。

  店舗内外では様々な人間関係が渦巻く。

そこには必ず人間特有の「感情」が介在するから厄介だ。

  それは事実や真実と感情が渦巻くのである。

そしてそんな問題に直面した当初は、自分の感情も大きく揺らぐものである。

  “なぜあの人はあんな事を言うのだろうか?”
  “あの時のあの態度は無いだろう!”
  “あの場であそこまで言うことは無いだろう!”
  “あのお客様のあの言動は許せない”

同僚や上司部下、そしてお客様に対しても上記のような感情を持つことは多いであろう。

  そしてその都度自分の感情も売り動かされ振り回されるのである。

以前にも何度かこのブログで「振り回されるな」と書いたが、感情はそう冷静にはなれないものの。

  特に経験の少ない若手の場合は尚更であろうか。

そしてそれは社員同士ではなくパートさん同士の方が圧倒的に多いのも事実。

  社員同士はどこかで割り切っているもの。

しかしパートさん同士は同じパートという肩書や意識からなかなか割り切れない部分があり、どうしてもそこに感情が働き、本来の意思疎通が疎かになっていく場合が多い。

  そんな時の対処法。

これはなかなか難しいものがある。

  スピードを持って対応すべきか。

必ずしもそうではない場合も多い。

  スピードを持って対応する場面。

それはクレーム処理であったりこちらの不手際での事故であったり、発注ミスからの対応である場合は当然スピードを持って早々に解決すべきことである。

  しかし個人対個人の感情ももつれはどうか?。

そんな場合には、変に早々に行動せずに、「待つ」ことも大切な場合が多い。

  なぜか?。

感情は時間と共に変化していくものだから。

  当初の怒りの感情。

しかしこれとていつまでもその怒りが高いレベルで維持されるハズはない。
そんな怒りの感情をいつまでも持ち続けられるほど人間はタフではないからだ(笑)。

  どこかのタイミングからその感情は収まっていくもの。

逆に高いレベルの怒りの時にお互いに会話をすればますますその関係が悪化することも有り得る。
そして数日後にだんだんと自分の感情が怒りから自戒へと傾き、徐々に相手の感情を思いやる時期が訪れるもの。

  それは自分もそうだが相手も同様。

よって、自分の感情が治りつつある時に素直に相手に対して行動が向けばいいのである。

  「時間が解決する」。

待つというスタンス。

  これも人間的な成長の延長線上にあるのであろうか。








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2019年12月10日 (火)

振り回されない

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、朝のラジオを聞いていた。

  そこで意味深い話が聞こえてきた。

人間の性格にはいろいろなタイプがあろう。

  その中で「怒りっぽい人間」とは。

そんなテーマでの話が続いた。

最近は少なくなったとは言え、やはり感情的で直ぐに起こりだす人間がいないでもない。

  そんな怒りっぽい人間とはどんな人間なのか?。

それに対して、そのパーソナリティの方は明快に答えていた。

  怒りやすい人は「場当たり的に生きている人間」。

しっかりとして自分の人生観を持たずに、その場その場の流れに流されながら生きている人間であるという。

  場当たり的に生きているということは。

それは、その場その場で振り回されながら生きているということである。

  その場その場に振り回される人生。

だから、自らが主導権を持たずに他人に振り回されながら生きているということでもある。
よって、常に自分の人生は他人に振り回されながら生きているということになる。

  俺は不幸な人間だ。

それも自分が主導権を持たずに、常に周囲に振り回されて生きているから、周囲で起こる出来事に常に振り回されることになり、よって全ての事象は自分に対して迷惑な状況であるように受け取ってしまう。

  全ては自らの人生に対しての一貫した姿勢が不在であることからくる弊害である。

自分の人生を一貫して人生観を持って他人に振り回されずに、自らのペースで生きている人。

  そんな人は周りに振り回されない。

よって、他人はどうあろうと自分がその状況に直面した時に自らの信念で行動できるのである。

  そこにあくまでも他人は登場ない。

登場しないから他人に振り回されることなく自らの信念だけで行動できるのである。
但し、他人との協力関係の上にこの人間関係は成り立っているのも事実。

  それも自らの人生観の中で構築しているのである。

だから、自分の存在は他人を通して認知されていることも人生観に組み込まれているから、他者との人間関係も良好に、そしてそこからの協力関係も引き出されながら世の中で活かされていくのである。

  自分の人生である。

他人に振り回されてどうする。

  自らの目標に向かって邁進したいものである。










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2019年11月15日 (金)

組織に根付くもの

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をいている「てっちゃん」です。


転職。

  過去、最近、近未来。

過去に転職経験者、最近転職経験者、そして近未来に転職予定の方。

  いろいろな転職組がいるだろう。

そして今回は近未来に転職を経験される方へのメッセージを送りたい。

  私の身辺にも転職経験者や予定者がいる。

最近も数名の方が実際に新たな職場で働き始めたり、今後その予定の方も数名程いる。

  隣の芝生に憧れる。

それは誰でも同様で過去に転職をされた方も多少はそのようなニュアンスに陥ったことはあるだろう。
しかし、それは転職して初めてその芝生に立ってみると、隣から見て憧れた芝生とかなり違った現実に直面するのである。

  斜め前方から見る芝生はアラが隠れてしまうもの。

だから、実際に真上に立つと隣からは見えなかったアラが歴然とした形で現実に目を覆うのである。

  しかしもう遅い。

一度大海原に身を投じたのであるから、向こう岸の海岸まで自力で泳ぎ切らなければ溺れてしまう。

  その時に大切なことが一つある。

それは、「組織に根付く善悪」を知るということである。

  企業にはそれぞれに歴史がある。

その歴史の中で自然的にそして必然的に根付いたきた法則があるのである。

  それは何が「善」で、何が「悪」かということ。

これはその組織内でしか通用しない価値観であるが、その価値観はその組織にとっては絶対的なモノとなって常にその組織の構成員の行動を規制するのである。

  それは言葉では言い表せないものである。

なぜならそれは成文化されていないからである。

  成文化されていない行動規範。

これが、組織それぞれに存在し、構成員はその規範に規制されて統一された行動を取る事になる。
そして、その行動規範があるが故に、その組織は結束され固い信頼関係で結ばれているのである。

  よって、この成文化されていない行動規範を知ることが何よりも重要となる。

そしてそれは組織毎に異なるのである。
よって、転職した時に何よりも重要となるのは、かっての企業の成文化されていない行動規範を捨て、新たな組織の行動規範をいち早く身に付けることにある。

  しかしなかなか頭では分かっていても行動が伴わないのである。

相手の組織に受け入れられるか否かは、この行動規範をいち早く身につけ、同僚に遅れを取る事なくこの行動規範で現実に行動し、同じ文化を身につけ、そして組織内で行動しながら転職組に期待される異文化の技術を披露することにある。

  組織内の「善」と「悪」。

しかしこれは一般社会での「善」と「悪」ではない。

  その企業だけに通じる言葉であるからだ。

よって、しっかりとトップの話と従業員の行動を心に留めておかねばならないだろう。








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2019年10月 9日 (水)

万引きと向き合う

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


小売業、とりわけ300坪以上のお店では万引きへの対策も仕事の一つとなるであろう。

  一言で万引きというが様々な形態がある。

いわゆる万引き犯という言い方をされる場合には、あくまでも個人での犯行が主で、その目的は生活に困っての食材の窃盗が主であろうか。
中には、病気に起因する方もいるかもしれない。万引きによって日々のストレスを紛らわすという方も過去にはいた。また拒食症により万引きにてそれを紛らわすという方もいるだろう。

  そんな方達は万引き自体を罪として意識はしているのである。

逆に窃盗犯という万引きのくくりになると、もはやこれは罪の意識以上に万引きした商品を転売して稼ごうというどちらかというとビジネスとしての犯行意図が高い連中である。

  当然に組織的にチームを組んで犯行に及ぶ。

私のお店にも連続して同じ犯人が別の商品を窃盗して警察に被害届を出した経緯もある。
刑事さんも、今度この顔の犯人が来店した段階ですぐに警察に通報してください。

  間違っても皆さんで捕獲しようなどとは思わないでください。

要は、後々にどんな復習が個人的にあるかもしれないというリスクと、捕獲する場面で凶器で負傷するリスクを懸念するからであろう。

  よって同じ万引きでもある程度区別して対応する必要はあろう。

先日、Facebookにある万引き犯に対する対応がアップされた。

  非常にいい話でもあり、参考になると思い、敢えてこの場で披露したいと思う。

Facebookのてっちゃん会グループに万引き犯に対してのある問い合わせが挙がった。
ある中年のお客様が買い物袋を持参して来店されるが、来店された時は全く何も入っていない袋がレジ精算時には満タンに膨らんでいるにも関わらず、買い物金額がせいぜい500円以内。
  
  明らかに袋に万引きした商品が詰め込まれている。

カード使用により氏名、年齢、住所等は検索にて明らかになっている。

  さて、どうすべきか?、との問い。

多くのメンバーから意見が寄せられた。

  概ねは捕獲して警察へ。

そんな意見が多かったようだ。
そして、いろいろなアドバイスが挙がった。

  その中に、「捕まえるのではなく、助ける為に」

そんな意見が挙がったのである。

  単に事件を明らかにして犯人を捕まえること。

これが目的ではなく、警察に捕まった後にしっかりと反省し、厚生してからも以前同様に自店を愛用してくださるお客様として来店してほしいという願いから、万引き犯を助けるという意味で一旦捕まえるという意図が大切ではないか、という意見。

そして、そんな多くのアドバイスを得た記事のアップ者は、後日その万引き犯が来店して同様に買い物袋を満タンにして店外へ出た途端に、他の従業員とともに声を掛け、袋の中身を確認して万引き犯と確認してから警察に電話をした。

  そこからが非常に感動的であった。

その女性の副店長は、警察だけは呼ばないでと泣き叫んでいる犯人の手をしっかりと握りしめ心を落ち着かせ続けた。

  警察に電話した時も、警察が駆けつけるまでの間も。

その間に副店長は犯人に言った。

  「反省したらまたうちの店に来てください。」

他のお店で同様の犯行を繰り返すくらいなら、うちのお店に来て買い物袋を預ずけ、病気が出ないようにしてから買い物をして帰すから、と。

  捕まえたんじゃなく、助けた。

その副店長の心理は複雑であった。
再び、その経緯がFacebookにアップされた時、他のメンバーからも労いの言葉が多数掛けられた。

  そんな役割を担わなければならないお店の幹部。

地域に根ざすお店の、いち典型ではないだろうか。










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2019年10月 4日 (金)

心を研ぐ

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日のNHKの仕事の流儀。

  「命を削り、心を研ぐ」。

包丁研ぎの名人、坂下勝美さんを取り上げていた。

  包丁。

料理や調理には欠かすことの出来ない、プロの道具。
であると同時に、家庭でも材料を調理する上での必需品でもある。

  包丁の切れ味。

これはどの世界でも必須であり、特に料理人たちにとっては絶対に譲れない重要なポイントであろう。

  包丁が切れるということは素材を痛めないことにつながる。

それはその素材の本来の味を食べるまで保たれるということであるから、当然に食べた時の味にも直結するのだ。

  特にそのまま食する刺身類には直結するであろう。

そして切れる包丁で捌いた素材は、その切り口の綺麗さからも、盛り付け時の見栄えにも影響してくるというもの。

  更に切れるということは作業効率にも直結するものである。

スーパーでも各部門で包丁を使用して素材を調理する過程が多いが、鮮魚や生肉には包丁研ぎがあり自分たちで常に包丁を研いで使っているが、成果や惣菜となるとそうもいかない。

  切れない包丁でひたすらキャベツの半切りをするパートさん。

これでは作業効率も低下するし、切り口も汚くなり見栄えも良く無い。

  全ての人にとって包丁は切れるべきなのである。

そんな包丁の世界で、包丁研ぎの名人とは如何に。

そんな気持ちで見ていたのだが、まず驚いたのが砥石の形であった。

  通常の砥石は長方形の水平な表面である。

しかし、彼が使用する砥石は上に湾曲しているのである。

  “これは研ぎずらそう”

そう思ったが、その砥石から生み出される包丁は、正に芸術的に綺麗な形と艶を誇っていた。

  更にしのぎ全般にくぼみを持たせる。

これも切れ味の追求であるという。

そして最後は自分の指で磨いていく。
経験上、自分の指で最後の磨きを入れるのが一番綺麗に仕上がるという。

  正に芸術品を見ているような包丁がそこから生まれるのである。

また、こんな場面もあった。
研ぎ直しを依頼された場面のこと。

  歯がボロボロになった包丁。

その包丁を見て、使用者の特性を見抜き、その使用者が欠点をフォローするように包丁の形を微妙に変えてその欠点が現れないように研いでやるのだ。

  まさに使用者のことを想っての仕事。

そこに依頼者との信頼関係が築かれるのである。

  そこまでして包丁を研ぐ人を見たことがない。

仕事とはそういうものなのだと思わざるを得ない番組であった。







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2019年9月24日 (火)

敵に塩を送る

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


敵に塩を送る。

  戦国時代の故事である。

これは甲斐の武田信玄が塩不足に陥った時に、その最大のライバルであり何度も武田信玄と死闘を繰り広げてきた越後の上杉謙信は、武田信玄に対して人間が生きるために必須である塩をの供給を止めずに支援したことが所以で故事となった諺である。

  敵対しているとは言え戦争以外の窮地においては支援する。

如何にも義に生きた上杉謙信らしい行為であり、その行為を引き出した武田信玄という戦国武将もそれだけの人格を兼ね備えた人物であったといえよう。

  毎週日曜日の芸能ネタ。

そこで何度か取り上げてきた日曜劇場の「ノーサイド・ゲーム」。

  その最終回は如何にも気持ちの晴れ晴れするエンディングであった。

それはそれで素晴らしい最終回であったが、私がこのドラマで一番感動したのは、最終回ではなく第7話にあった。

  それまで同じ釜の飯を食ってきたエースの里村。

その里村が、自チームであるアストロズから最大のライバルであるサイクロンズへ移籍した場面のことである。

  全日本でも活躍し、代表チームのメンバーでもある里村。

よって、アストロズ内でもエースであり、今が最高にパフォーマンスの高い能力的にもピークの選手が、相手監督の策略もあり移籍話を相手側から受けるのである。

悩みに悩み結果として今の自分のパフォーマンスを最大に活かせるサイクロンズへの移籍を決意する。
しかしそれは今までサイクロンズを倒して今期のリーグ戦優勝を共に目指してきた仲間たちへの裏切り行為でもある。

  更に、里村が今シーズン相手チームでプレーするには移籍承諾書が必要となる。

この移籍承諾書とは、移籍元チームが本人に対して移籍を承諾したという証明であり、これは移籍元チームに出すか出さないかの決定権があるものだ。

  当然GMの大泉洋は当初は出さないと決めていた。

それは、戦略として相手への戦力向上を食い止めるためには当然の行為でもある。
しかし、それによって里村は今シーズンは公式戦に出場が出来ないということにもなる。

  承諾書を出さないという当然の戦略。

しかしそれが本当にすべきことなのかどうなのかを、大泉洋は自チームの選手たちに問うた。

  そこからのくだりに人間の生き様を見た想いであった。

そして最終的には里村に、チームの総意として移籍承諾書を出し、快く里村をサイクロンズへ送り出したのである。

  この移籍承諾書が里村への餞別代りとなったのである。

そして、アストロズはサイクロンズに対して、敵に塩を送る形となったのである。

  決して戦略的には正しい手法とは言えない。

しかし、それがアストロズの戦い方なのだとチーム全員が納得し、そのチームメンバーの総意による敵に塩を送るという決定が、自チーム内の結束力を高める結果となったのである。

  結束力。

これは意外に理にかなわぬ状況においてより強化される人間の吸引力なのかもしれない。






  

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2019年9月 4日 (水)

全ては「道」になる

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


朝のTBSラジオを聞いていた時のこと。
ダイワハウスのコマーシャルだったと思う。

  「全ては道になる」

なるほど、いい言葉だなと思った。

  そしてダイワハウスのCM動画を検索してみたら弓道の動画があった。
  https://www.daiwahouse.com/ad/cm/kyoto.html#movie

日本に古くから存在する武道や芸道。

  例えば「柔道」「剣道」「相撲」等。
     「茶道」「華道」「書道」等。

いずれも日本で生まれ日本人が育ててきたスポーツであり文化。

  それらには必ず最後に「道」という文字が付く。

〜道。

  それらは求道的な意味を持つ。

勝敗よりも自分に対しての精神修養や他者への敬意や尊敬の念を尊重し、それらを通して自己鍛錬をしていくという意味合い。

  そしてそれらを支えるものを「道具」と呼ぶ。

道を極めていくのに必要な必需品。

  それを道具と呼び大切にしてきた。

思えば、スポーツにしても仕事にしても道具を用いて行うことが多い。

  特にユニフォームは全てのスポーツや仕事に当てはまると思う。

なぜ、我々はユニフォームや制服を着るのだろうか。

  それはその服が一番適した服装であるからだ。

例えば、野球。

  普段着からは程遠い形容をしている。

しかし野球をやったことがある人ならば分かるだろうが、そのストッキングやアンダーシャツに半袖の上着等、野球のあらゆるシーンで効率よく体を動かすのに適している形態なのである。

  同様にそれぞれのスポーツのユニフォームがそうであろう。

そしてそれは、我々の制服にも同様に言えることである。

  その仕事をするのに一番適した服装。

それが制服。

  生鮮で素材を調理するのに適した白衣。
  グロサリーで品出しに適したジャンバー。
  レジで精算や接客に適した制服。

全ては、その業務に適した形態なのである。

  だから制服も正確に着用しなければならない。

エプロンの後ろの紐のたわみやたごみすら、一つ一つの作業からすれば効率が低下するため、正しく正確にたごみの一つもなく着用するから、何回も何回も同じ作業を繰り返しても、作業効率を低下させることなく作業を継続できるのである。

  道を極める。

それは、周囲の道具を正しく着用することから始まるのではないだろうか。




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