心のあるべき姿

2017年5月25日 (木)

父親の存在

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


自分にとっての父親とは?。

  亡くなって初めてわかるその意味。

両親とはごく当たり前に自分の目の前にいる存在。
そうでなかった方もいるのだろう。
しかし、私にとっての親とは、いつも寄り添ってくれた存在である。

  特に、母親は側にいて当たり前の存在だった。

それでは、父親はどうであったか。

  私にとっては怖い存在であった(笑)。

同じ男として、甘えられない存在であった。
母親は、女性でもあり甘えても許しくれる存在であったから、尚更男と女の性の違いをそのように捉えていたのかもしれない。

  同じ男として心の裏まで把握されているという怖さ。

私は、父親に対してそのような認識が強かった。

  だから嘘をつけなかった。

一度、嘘をついて騙そうとしたが、その嘘を見破られ往復ビンタを食らったことがあった。

  “父親には嘘をつけない”

同じ男として、自分の心の裏側まで見透かされるいるという恐怖感はいつまでたっても拭えなかった。

その恐怖感が私を根底から鍛え直してくれたのかもしれない。

  “親父だったらどうするだろうか”

いつも、最終決断をする場合に引き合いに出すのが父親でもあった。

  “親父ならどう判断してどう決断するだろうか”

それは、親父が亡くなってから急速にその回数が増えたように思う。
それまでは、いくら老いたとはいえ、親父に頼る自分がいたのだろう。
しかし、親父を亡くしてから、家を背負うという覚悟がようやく自分の中に確立されたようだ。

  頼る親父はいない。

親父を亡くしたその時に、その覚悟が芽生え、親父を亡くしてから親父と心の会話を交わす機会が増えていった。

  “親父なら、どうする?”

仏壇に手を合わせると、そんな会話が繰り返される。

  父親の潔さ。

亡くなって初めてわかる親父の存在。

  なぜ、生前にその想いを受け入れられなかったのか。

今でもその後悔は消えない。

しかし、それでも私は幸せなのかもしれない。

  親父の御姿を思い浮かべられるのだから。
  心の会話を交わすことができるのだから。

そして、その存在感から自分の生き方をブレずに遂行する術を背中から教えてくれた親父がいてくれたのだから。

  ブレずに生きていくこと。

それは、ブレずに仕事をすることにつながり、ブレずに一家を率いることにもつながり、ブレない人生を子供達に伝えることができるということである。

決して、手取り足取り教えてくれたわけではない。
むしろ、亡くなってから、親父から教えてもらったことかもしれない。

  親父の遺影を見ると自らの生き方を問うのである。






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2017年5月 7日 (日)

アルコールを嗜む

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。

今日は日曜日。

  芸能ネタの日(笑)。

しかし、ネタ切れ。

  よって今日はアルコールの話をしたい。

本日を休肝日(いや休刊日)と称しているdadamaさんには気の毒だが、彼からアルコールを取ったら何も残らないと言われているほどの存在である(笑)。

いつから飲み始めているだろうか。

  おそらく大学に入った頃だろう。

当時は飲酒という年齢制限も緩く、大学に入ったら大人と見なされ、厳密な年齢など関係なく皆飲まされていたし飲んでいた時代。

  まして体育系サークルは当然のこと。

しかし、私は当時からお酒が美味しいと感じたのは、暑い日の最初の一杯のビールだけだった。

  その他は惰性で飲んでいたに過ぎない。

しかし、なぜ不味い酒を飲めたのか。

  それは、酔ってからの会話が楽しかったから。

多少お酒が入ると、気の緩みもあるのだろうか、今まで気後れして話せなかった先輩にも酔いを理由に思い切って突っ込んだ話が出来たのだ。
そしてそれを許してくれる先輩の存在も大きかったのだろう。

  だから、飲み会で憂さを晴らすという目的。

その目的のお陰で、飲み会は楽しく、厳しい練習(ボート部)も耐えられたような気がする。

  私に取ってのお酒は楽しい会話の引き金だった。

そのほかにも、いろいろな理由でお酒を嗜む方がいるだろう。

  美味しいから飲む。
  酔いたいから飲む。
  お洒落として飲む。
  健康のために飲む。
  会話するため飲む。

色々な目的でお酒を飲まれるだろう。

  多少の酔いは会話が弾むものだ。

そして、思い切って本音を言えるチャンスも巡ってくる。

  だから仕事上の激論も生まれる(笑)。

特に、当たり前に飲んで仕事の議論が出来た30年以上前は、そこで議論することを鍛えられたような気がする(笑)。

  理屈や屁理屈というやつだったのかもしれない。

しかし、自分の意見を酒の力を借りたとはいえ、特に上司に言えたということは、それ自体で大きくストレスを発散していたには違いない。

  この発散がまた翌日からの長時間労働を可能にしていたのかもしれない。

しかし、そのアルコールも徐々に年と共に付き合い方が変化していくものだ。

  最近では少しお酒の味もわかってきたように思う。

美味しいお酒を味わいたい。
そんなお酒に対する欲求も出てきたようだ。

  国産のワインを美味しいと感じたり。
  冷えた吟醸酒を美味しいと感じたり。
  手作りサングリアを美味しいと感じたり。

味わうということを覚えたのだろうか。

  美味しく味わう。

ただただ、量を飲んで酔って騒ぐという飲み方から、この年になってようやく味わうという飲み方ができるようになってきたのだろうか。

  それでも未だに記憶喪失状態の時もあるが(笑)。

しかし、このアルコールの嗜好の変遷は、我々の食文化を大きく変え、食材の変遷をももたらしてきた。

  日本酒に合うおつまみ。

刺身類や煮魚や酢漬けが隆盛だった時代。

  ビールに合うおつまみ。

枝豆や浅漬けの漬物や豆腐類が隆盛だった時代。

  そして今やワインの時代。

チーズやピザ、そしてサーモン隆盛の時代。

  その文化を受け入れなければ時代に流されてしまう。

何れにしても、代々の人間たちは、お酒という魔物との付き合いによって、元気にもなり喪失したりもしてきた歴史がある。






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2017年5月 4日 (木)

通勤の四季

皆さん、こんにちは。
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新店が開店して約10ヶ月。

  人事異動が発令されてからは14ヶ月。

今の店舗所在地には、概ね一年通っていることになる。

  通勤所用時間、約50分。

結構な時間である。
当然、クルマでの通勤であるから、その途中途中での景色も四季の変化があった。

  昨年の2月に赴任。

赴任と言っても店舗は無いから、本部で資料をまとめたり、急赴任地でやり残した仕事をしたり、人材採用で現地で面接をしたり。

しかし、いずれも不定期なスケジュールであるから、定期的に今の通勤ルートを通過するのは開店してからである。

  開店が昨年の7月。

よって、梅雨時期から梅雨明けの頃の気候から数えると一年は経過していないが、それでも四季折々の景色を味わってきたことになる。

  開店当時は梅雨の頃。

昼の長さも一番長い頃か。

  特に快晴の朝は気持ちが良かった。

市街地から一歩外側の幹線道路を外れた抜け道を利用するのだが、そこは田舎道。

  西方には山岳地帯が広がる。

丁度、関東平野の北端のあたりであろうか。

  前方はほとんどが平野。

見渡す限りの平野は見通しは最高である。
帰りはあまりクルマが通っていないので、多少飛ばし気味にもなるが(笑)。

  秋は紅葉。

周囲の田んぼの稲も刈られ、急に緑の景色が一変する。
そして、徐々に冬色の景色は移行していく。

  冬は一面の雪景色。

特にこちら関東は、積雪の翌日は快晴の確率が高い。
一面の雪の白と青空のコントラストは最高である。

  そして再び春を迎えて、桜が咲き誇る。

直近では、刈られていた田んぼに水が張られた。

  いよいよ田植えのシーズン。

また、一面が緑色に色づいていく。

同じ景色を定点観測していくと、何気無い変化が感動するもの。

  “この木にはこんな綺麗な桃の花が咲くんだ”
  “あの木はこんなに大きな桜の木だったんだ”
  “この時期になるとこんなに水量が増すんだ”

色々な景色の発見がある。

  それだけ、ゆとりが生まれて来たのだろうか。

新店での一年間は、人の成長に圧倒される。
そして、人事異動により、その成長が加速されていく。

  その環境の変化にようやく体制が追いついてきた。

その心のゆとりが、四季を愛でる眼を持てたのだろう。

  通勤途中の四季。

これからも楽しんでいきたいものである。





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2017年4月24日 (月)

理想を追う

皆さん、こんにちは。
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理想を追う。

  高いレベルの仕事をしていくには必死事項。

しかし、理想といっても色々なレベルがある。

  売上昨対を上げたい。
  いい売場を作りたい。
  部下から慕われたい。

上記のような理想は単なる憧れである。

  そのために為すべき具体的事項。

具体的事項の理想型が自分の頭にしっかり描かれ、具体化されて鮮明に自分の為し得たい現実の姿として描かれているかどうか。

  例えば「売場」
  例えば「商品」
  例えば「陳列」

このような場面での理想とする姿がしっかりと具体的に自分の頭に鮮明なイメージとして掲げられているかどうかで、日々の仕事の仕上がりが格段に違って来るのである。

  日々の売場作りの差。

業績は「人」に付いて回り、その業績は日々の「売場」に明確に現れている。
その「売場」を作るのは現場の担当者であり、その背景には担当者の売場に対しての明確な姿が存在していることに由来する。

  業績を作る人間には必ず売場の理想形が具体的に存在している。

“こんな売場を作ろう”

  その具体形は過去の体験や他店の販売事例。

だから、いい売場を作る担当者はベテランの場合もあれば経験の少ない場合もある。

  経験が少なくてもいい売場が作れる。

先ほどから言っている通り、自分が作る売場の具体的なイメージが担当者にあるかどうかが大きなポイントであるから、経験の多い少ないは関係無いのである。

  なぜ経験が少なくてもイメージが豊富なのか。

それは、そのような売場に多く接しているか、他店をMRして自社や自店には無い理想形を構築しているからである。

  豊富なイメージが担当者の能力を高める。

逆にいうと、そのようなイメージを高める場をどう提供しているかという見方をしなければならない。

  その場を提供するという教育。

それが若年層には大いに有効であると思われる。

  売り場を指定して数多くMRさせる。
  共にいい売場を見て目線を合わせる。
  画像を掲示して常にイメージさせる。

等々、目で見えるイメージを共有することが一番の
目線合わせである。

  例えば「単品量販」。

色々と定義づけはしたものの、個人にとっての受け取り方は千差万別。

  しかし画像で目線を合わせれば一発百中。

同じ商品展開でも、

  「これが単品量販の画像だ」

そう言って皆に提示した画像と、そうでない画像を比較すると一目瞭然である。

  それは単品の陳列量の問題では無い。

陳列量が多くても、ダンボールから外に出た商品の露出度の問題である。

  それも商品の顔がお客様を向いているかどうかで雲泥の差。

それは「写真」という誰でもわかる画像で共有するから一発で理解できるのだ。
それが、定義と称して言葉で説得しても、その文字の理解度で決定的に違って来る。

  ただし文書の場合はその背景や目的まで網羅される強みがある。

だから、定義と画像の両面で単品量販を一つの定義づけすることにより、より説得力のある説明と今後の波及が可能となるのである。








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2017年4月14日 (金)

真央の引退

皆さん、こんにちは。
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浅田真央の引退。

  4月10日(月)のことであった。

今まで、女子のフィギュアスケート界を牽引してきた女子選手は多い。

  古くは渡部絵美に始まり伊藤みどりなども活躍。
  国際大会では荒川静香、安藤美姫、村主章枝。
  浅田の前には中野友加里、鈴木明子。

等々のメンバーを輩出してきた日本の女子フィギュアスケート界。
その中でも10年以上にもわたってトップを走り続けた存在。

  それが「浅田真央」という存在。

オリンピックという最大の舞台では、荒川静香のゴールドメダルの前には浅田の銀メダルは霞んでしまうが、とは言っても、世界選手権はグランプリファイナル等の毎年の活躍では、圧倒的に浅田真央の名が登場してくる。

  特にグランプリファイナルでは4度の優勝。

毎年、コンスタントに活躍してきた存在であることは間違いない。
その10年間の知名度が、我々をして女子フィギュア界の代名詞としての浅田真央というネーミングが頭から離れない存在になっていたのだろう。

  しかし昨今は不振に喘いでいた。

更に、男子の羽生結弦という存在の登場も浅田真央の存在を霞ませた要因でもあろう。

  “浅田真央は平昌に行けるのか?”

おそらく今現在の状況が続けば、彼女のオリンピック行きは無いだろう。

  その結果の今回の引退宣言。

まして、平昌行きは日本の枠は2名。

  このことも彼女の現役引退を早めた結果であろうか。

やはり、浅田真央といえば、2005年のグランプリファイナルでのデビューであろうか。

  トリプルアクセルを跳ぶ妖精。

まさにそんな演技であった。

  その舞いはまさに妖精。

軽やかで繊細でそして可憐な妖精のような存在。

  人間性を飛び越えた存在。

その後は韓国のキムヨナとのバトルに苦戦することになるのだが。

  浅田真央というばトリプルアクセル。

そんなイメージが強すぎたのだろうか。
彼女も周囲もトリプルアクセルに固執しすぎたのではないかと思う。

  妖精の舞い。

彼女にはもう一つの強みがあったはずだ。

  今でも彼女の可憐は演技は世界のトップであると思う。

飛ばない部分の演技力を比較すると、私は今でも世界で指折りの実力の持ち主だと思っている。

  技のキレと滑らかさ。

この二つを併せ持つ技術は未だに衰えていないのではないだろうか。

  しかし昨今はジャンプ全盛時代。

今後は、プロとして上記のような可憐は演技に絞って周囲を堪能させてほしいものである。


PS
4月12日に公式の記者会見が行われた。
400人を超す報道陣に囲まれての記者会見。
久しぶりに浅田真央の可憐な笑顔を見た。
「トリプルアクセルに声を掛けるとしたら?」。
ネットでは批判が寄せられる記者からの質問だが、これはこれで我々が聞きたい質問でもあった。
「なんでもっと簡単に飛ばしてくれないの(笑)」
微笑ましい回答。
是非、第二の人生も、この会見のように可憐で純粋なものになってほしいものである。





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2017年4月 5日 (水)

就業動機の変遷

皆さん、こんにちは。
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入社式の季節。

  希望に胸膨らませて社会人の扉を開く。

フレッシュな若者が街に溢れる時期である。

  入社の動機。

新入社員それぞれに、その動機は違うだろう。
小売業に入った動機とは何だろうか。

  接客が好きだから。
  販売が好きだから。
  親の影響を受けて。

等々、様々な理由で入社して来る。
しかし、それと同等数の別の理由もあるだろう。

  他企業に内定がもらえなかったから。
  スーパーの別の業務に関心があった。
  とりあえず繋ぎでで入社しておこう。

等々の理由で入社して来る新入社員もいるだろう。

  中にはGMSの旅行業務に興味があった。

などという理由でこの業界に迷い込んだ若者もいたらしい(dadamaさんらしい)。
そういう私も、とりあえずの仲間である(笑)。
しかし、かれこれ30数年。

  何が自分をこの業界に引き止めたのか。

当初の入社理由は違えども、いずれこの業界の魅力に取り憑かれていったのは間違いない。

  当面は新たな世界に対する興味であろうか。

なんでもそうだが、新しいことを始めたときは習得していく楽しみがある。

  あれが出来た、これが出来た。

しかし、その業務面も担当者としての業務はたかが知れている。

  目の前の業務が飽きがくるもの。

そうこうしているうちに、別の動機が目の前に現れる。

  数値管理を任される。
  発注管理を任される。
  
等々の計数に関しての業務が新たに付け加えられる。
目の前の売り場の品出しや製造だけでなく、数値面の管理を任されるようになると、ちょっとはマネジメントの領域に踏み込んだかと嬉しくなったものだ。

  同時に職場の仲間とも付き合うようになっていく。

飲み会や旅行やスキーツアーや。
それはストレス発散にもつながり、仕事のストレスを抜くいい機会でもあった。

  しかし、まだまだ仕事の本質を理解したとは言えない。

何か、まだモヤモヤのとうなものを残しながら、現場に主任として栄転する。
当然、主任としての新たな責務に挑戦しながら、モヤモヤも消えていくが(笑)。

  更に、部下が増え数値責任も増えてくる。

部門の責任者になるという自覚と背負うものの大きさにやりがいを覚える時期であろう。

  そこで感じるのは、部下の力。

担当者やパートさんの協力無くして理想の売場は作れないし、その結果としての業績も達成出来ない。

  人との関わりや育成という業務の楽しさ難しさ。

更に、店舗別の販売コンテストでの単品量販という手法に触れ、売る喜びのようなもの得ることになる。

  秋刀魚100ケースを売り切る。
  生いか100ケースを売り切る。
  マグロ100キロを売り切る。

その達成感といったら、何ものにも表現出来ない満足感。

  売る喜びとはこの業界の本質であることを知るのである。

私は、なんと現場のチーフになって初めてこの喜びを知ったのである。
それは、店長としての現在でも脈々と体内に宿る仕事の源泉であろう。

  更に店長としての経営視点での領域の広がり。

色々な意味で、小売業の素晴らしさを知るのはこの時からであったかも知れない。

  地域との繋がりや東日本大震災で得た我々の使命。

その理念に従って店舗を運営するというやりがい。

  その大前提に立った全ての行為。

体内には脈々と販売の喜びを宿しながらも、同時に地域貢献や部下の人生を背負う醍醐味のようなものが日々の喜びとなって仕事への動機を支えているのである。

  仕事のやりがい。

それもまた成長していくのかも知れない。





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2017年3月 4日 (土)

同期の昇格

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


何度も書くが、人事異動の季節(笑)。

  悲喜交々(ひきこもごも)の季節である。

昇格した、降格した、昇給した、降給した等々。

  自分だけならいいが他者の人事異動も気になる。

同期入社の世代が昇格していく。

  “羨ましい”

そんな風に思うのは、ごく自然な発想であろう。
特に、同じ部門の同期入社の人間が自分よりも先に昇格したものなら、その妬みは半端ではない(笑)。

  “俺とアイツにどんな差があるのだろうか?”

人事異動の発令書を見て、そのような悲喜交々が全国で飛び交っているのではないだろうか。

  しかし、私は思う。

「一年、二年の時差などどれほどの違いがあるのか」

  長い一生の中の一年。

昇格に伴う一年や二年の差など、追いついた途端に解消されてしまうものだ。

  特に担当者から部門責任者の場合はそうだろう。

担当者の段階ではなかなか正しい評価と正しい順番で昇格すること自体が難しい。

  正式な評価テーブルに乗っていないから。

それはどういうことかというと、人材の評価は部門チーフに乗った段階から評価テーブルに乗るからだ。

  評価テーブル。

要は、評価者がしっかりと眼鏡をかけ直して、評価者を比較するということ。
そのテーブルは、部門チーフという一定の評価基準に乗った段階から始まるということだ。

  担当者が評価されるのはなんとなくの部分が大きい。

担当者としてなんとなく頑張っているように見える。
担当者としてなんとなく素直な性格のように見える。
担当者としてなんとなく責任感が強いように見える。

  その程度でしか評価されていないと思われる。

しかし、チーフクラス以上からは別。

  数値管理が伴ってくるからだ。

売上、粗利その他諸々の営業数値、その他にも生産性等の人材マネジメントの部分も明らかに数値化されて評価されるのだ。

  なんとなくが消えるのがチーフ以上。

そんな同じテーブルで評価されるから、数値を作る能力、人を活かす能力、組織を管理できる能力が同じテーブルで評価されるようになる。

  チーフというのはようやくこのテーブルに乗るということだ。

だから、その評価に乗るためには、しっかりとしたマネジメント技術を身につけておかなければならない。

  その基本を担当者の時にしっかりと身に付けること。

その基本や原理原則を担当者の時に身に付けられずに昇格してしまうと、それをじっくりと身に付けるタイミングを失ってしまうことにもなりかねない。

  チーフという職位からは責任者。

責任者という職位は、ある意味自分に対してものを言ってくれる人間が極端に少なくなってしまうということだ。

そういう意味では、自分に対してモノを言ってくれる人間がいる時にしっかりとその基本を身につけておかなければならない。

  その基本が磐石な自分を支えてくれるのだから。





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2017年2月18日 (土)

人が集まる組織

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


業界紙を読んでいると、来期のトップインタビューが並ぶ。

  いずれも人材確保を大きなテーマにしている様子。

特に、入社してから半年での退社率を如何に引き下げるか。
これが今年度の大きなテーマとして掲げる大手企業が多いようだ。

  採用以前の課題。
  採用以降の課題。

そこをしっかり区別して、如何に採用できるかというところに重点を置いた戦略と、採用後に如何に本人が採用前のモチベーションを落とさずに継続して就業していけるかという戦略を明確にして実行していくという企業が目に付いた。

  私は必ずしも賃金だけも問題では無いと思っている。

スーパーに従事する方のほとんどは近いという理由で就業する。

  終業後に買い物をして効率よく食事の支度をする。

家庭を持ち働く主婦としては理想の一日の流れである。

  しかしだからこそ就業環境も口コミで広まる。

だから、入社してからの就業環境やそこから導かれる本人満足が重要となってくる。

ここでは、小売業やスーパーで働く意思を固めて入社された方を対象に話をしていきたい。

  小売業で働こうと決めて入社された方が辞める意思を固める時。

入社時のイメージと働く環境が大きく異なった時。
入社後の職場の人間関係が自分に合わないと感じた時。
仕事内容が自分に合わずに、職場が要求する技術が身につかないとき。
人事異動等で職場の上司が変わり、従来の職場雰囲気が変わったとき。
自分のキャリアプランが見えず将来の見通しが立たないとき。

  仕事の技術以外は企業側の問題である。

そして、現場で即対応できるのは、職場内の人間関係。
勿論、スーパーといえども営利組織。

  まずもって自社の利益は最優先である。

しかし、この先人材不足で閉鎖せざるを得ない企業や店舗が続出してくるのも事実。
そう考えると、如何にお互いの満足を両立できるかという問題は、企業や現場に突きつけらた早急に改善すべき課題である。

  “わかったちゃいるけど退職者が後を絶たない”

そんな店舗や店長もいるだろう。

  どのバランスでマネジメントしようか?。

その狭間で悩むリーダーも多いだろう。
そのサジ加減が難しくなってきているのは確かだ。

  それは従来のマネジメント理論が通じなくなっているから。

日本人の仕事観がここにきて大きく様変わりしてきているからである。

  しかし、人間の本質は何一つ変わっていない。

それは、組織の中での自分の存在価値に対する認識である。

  組織の中でも有用感。

この価値観だけは、従来から一定の意義を持っている様に思える。

  例えば、てっちゃん会。

先日のブログで、てっちゃん会のメンバーが130名(Facebook)を記した。

  そのメンバーの店舗での人材不足は意外に出てこない。

それは、てっちゃん会のFacebookの繋がりの中に人の集まる要素が凝縮されているからだろう。

  本当に手前味噌な話だが(笑)。

メンバーのアップに対しての反応。

  いいね。
  超いいね。
  受けるね。
  すごいね。
  悲しいね。
  ひどいね。

これらの使いこなしも含めて、一人のアップに対しての反応という励ましといい感動といいが数多く寄せられる。

  特に心の吐露のアップに対する関わりは多い。

ともすると、競合関係にある他企業の方からの心温まるコメントも数多い。

  この様な場での経験を積むと自店での対応も変化してくるのだろうか。

人が集まる組織作り。

  その仕組みが凝縮しているのがFacebookのてっちゃん会。

そして昨日のてっちゃん会13幕では、改めてその要因を理解するのである。

  人と関わる。
  人に評価される。
  人の役に立つ。

そのような関わりを経て、人はその組織で活躍できる。

  自分が活躍できる「場」。

その場は、帰るものではない。

  人と自分の創造性の成せる技。

そんな偶然の出会いの場を、自分の職場として如何に提供できるか。
このことが、これからの職場に求められるのではないだろうか。





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2017年1月27日 (金)

負けるが勝ち

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


負けるが勝ち。

  昔から言い古されている諺(ことわざ)。

負けるが勝ちとは、場合によっては、争わないで相手に勝ちを譲ったほうが自分にとって有利な結果になり、自分の勝ちに繋がるということ。

ネットで検索すると、概ね上記のような意味が載っている。

  負けるが勝ち。

仕事上ではどのようか事を指すのだろうか。

  例えば、競合店の出店。

何も無いところに新たな競合店が出店するわけであるから、影響がゼロということは無い。

  競合店が出店当初は必ず影響が出るもの。

それは、どんなに対抗策を講じても、いずれは影響が出てくるもの。

  対策チラシを対抗して当初は売上が落ちかなった。

しかし、一週間後には多大が影響が出てくる。

  当然であろう。

自店のお客様で、普段はそれほど買い物をされない方が、チラシによって買いだめをするわけであるから。

  しかし、その買いだめ需要が去った後の売上は底をつく。

しかし、我々は競合店の開店時に売上を落とさなかったことで上機嫌となる(笑)。

  しかしそのツケは必ず後から回ってくる。

物事の勝ち負け。
それは誰だって負けたくは無い。

  特に自分が当事者として向き合う場面では。

連戦連勝であり続けたいし、そんな人物像として他者から評価され続けたいと願うもの。

しかし人生を生きていくと、それがどれほどの意味を持つかという境地に行き着くものである。

  勝つ = 負けない。

そのような方程式はどうでもよくなるものである。

  勝つ = win-win。

だから、

  負ける = win-winの一過程。

よって、大切なのは、

  今は、負けておく。

この境地が大切なのでは無いだろうか。

  負けておく = 未来の勝ち。

今現在の負けは、明るい未来に向けての明るい素材であるという認識である。

  そう思えば、今の負けから何を学ぶかが重要。

学びとは、勝つことよりも負けた時の方が大きいに決まっている。
そう考えると、自分にとっての最終的な「勝ち」とは何かを問うことが大切だ。

  自分の最終目標 = 勝ち。

そういうものの見方をするならば、その目標に向かう過程において、今の勝ち負けはどのような意味を持つのかを問うことが重要。

  勝つということは、むしろ競争相手から奪うことである。

例えば、目的をお客様の満足と固定すれば、お客様が必然的に当店で買い物をすルコとを選択する意識とするならば、そうなって業績が改善されることが「勝ち」である。

  競合店が出店したという業績ダウンという負けから何を学ぶか。

競合店の品揃え、価格政策、販促戦略から学び、お客様の満足を自店に向けることを考えて実行する。

  その行為の継続がいずれ結果として表れてくる。

それを「勝ち」と捉えるか「過程」と捉えるか。
そう考えると、勝った負けたで一喜一憂する必要はない。

  言うは易しだが(笑)。

そんな風に言い聞かせていきたいものである。






  


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2017年1月 9日 (月)

仕事の側面

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


昨日は、「清原の告白」を記した。

  清原の告白の中には家族との関係が大きかった。

両親、家族、息子との関係。

  不思議なのは女房との関係が語られなかったことだ。

それだけ、離婚した元妻への想いが深いのかもしれない。
我々はスーパーでの仕事や小売での仕事をしている。
それ以外の方々も仕事を持つ傍、一家の柱として存在している人も多いだろう。

  仕事以外の側面。

その側面との関係が、いかに自分の仕事に大きな影を落としているか。
家で家族とともに生活しながら仕事をしている方もいれば、家族とは遠く離れて単身その地で仕事をして単身の生活をしている人も多いだろう。

  仕事に全精力を傾けられる環境。

その為にも、自分と家族との関係が如何に大切かが、清原のインタビューを聞いていて思った。

  家族を支える一家の主の仕事。
  その仕事を支える家族の存在。

この関係が良好であればこその、仕事であり競合店との戦いであり、収入である。

  そこにほころびが入れば、仕事へも影響が出る。

家族は家族、自分は自分、とい割り切りで仕事と家庭を区別できれば良いのだろうが、それは結局家族との関係をどこから割り切っているから言い切れる言葉であって、割り切れないから家族の絆は切れないのであり割り切れないから仕事中でも頭から離れないのであろう。

  先日、ある店長仲間と話した内容。

あと数年で60の定年を迎える彼にとっての選択が迫ってきたという。

  このまま60を過ぎても店長職を継続するのか否か。

店長職を継続するのであれば、地元に戻らずに今の待遇のままで単身赴任を続けるのか否か。
はたまた、店長職に留まりたいが自宅から通勤できる店舗を希望するのかどうか。

当然、前者の場合はそれ相応の給与も保証されるが、相変わらず単身赴任を続けなければならない。
後者を選択すれば、自宅からの通勤が可能となるが、店長職を続けられる保証は無い。更に店長職を続けられても、給与が相当下がるらしい。

  「今更自宅通勤を選択しても何も変わらないだろう(笑)。」

私は言った。
しかし、彼は言った。

  「子供達と毎日自宅で過ごしたい気持ちもあるよ。」

その為に私は転職という形を選択したのだが(笑)。

そろそろ年頃の子供とあと何年自宅で過ごせるというのか。
そう考えた時に、収入の問題ではなく、これからの自分の人生をどう生きるかという選択であろう。

  仕事の旬もそうだが家族との旬もあるのだ。

その時しか結べない家族との絆。
それをある時は犠牲にして仕事を選択し、ある時は仕事を犠牲にして家族を選択してここに至っているのが我々の世代であろう。

  一月後半からは人事異動の話題が立ち始めるであろう。

年末が過ぎれば、新年度へ向けての人事異動の季節となる。

  また新たなドラマが始まるのであろう。





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