心のあるべき姿

2019年6月26日 (水)

嫌味

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


店長としてリーダーとして部下に嫌味の一つも言いたくなる時があろう(笑)。

  しかし「嫌味」は何れにしても「悪」である。

嫌味からは何の発展性も進化も生まれない。

  生まれるのは怒りの矛先が確定すると言うことだけである。

嫌味とは大抵の場合は、上司が失敗をした部下に対して、それを叱責する場合にその失敗に対して論理的に冷静に客観的に指摘する以上に、「嫌味」という感情表現に置き換えて自分のストレスを発散することである。

  その感情をぶつけられた部下は同様の感情を抱くもの。

その感情は怒りとなって嫌味を言われた上司に向けられる。

  “何もそんな言い方は無いだろう”

本来は自分の過失であるにも関わらず、上司の嫌味に対して怒りの感情が込み上げ、その怒りが嫌味を言った上司に対して別の攻撃材料を作ってしまうのである。

  “ひどいことを言う上司が許せない”

よって、自分の過失に対しての反省とは逆に、上司への反感という感情抱き、本来あるべき上司と部下の信頼関係は崩れてしまう。
そして、それの交互作用がますます上司と部下との距離を広げ、いずれ不信感しか持てない関係となっていくのである。

  嫌味には何の発展性も無いのである。

しかし、どうしても言いたくなる時もあろう(笑)。
毎回毎回提出物が期限を過ぎる部下がいたとする。

  「おい何考えてんだ。だから業績も振るわないんだよ。」

提出物と業績の因果関係はあるかもしれないが、それを客観的にその因果関係を説かねばならない。

  「思考が遅れれば打つ手も遅れて業績にも跳ね返るぞ。」

提出物とは自らの思考の整理してまとめ、次回への対応を記する場合が多い。
状況を整理して自分の思考回路を再調整し、次への一手をまとめたものを上司の提出する。

  それが遅れれば遅れるほど打ち手も遅れる。

それが延々と続けば、何も手を打たずに状況を悪化されることになる。

  その打ち手を部下が自分の頭で自ら整理し自ら行動するきっかけなのである。

そして業績とは部下の評価でもあり、いずれは自分の評価として跳ね返ってくるもの。
そのお互いの信頼関係を失うことは出来ない。

  よってそこに嫌味が入り込む余地は無いのである。

特に、上司が部下に嫌味を言う場面とは、部下の軽い過失の場合が多い。

  提出物の遅れ。
  会議への遅刻。
  
普段の仕事ぶりのだらし無さからくる態度に対して、上司が普段から募らせていた不満が爆発して、その爆発を凝縮させてぽろっと言葉に出てしまうことが多いもの。

  それはやはり早い段階で客観的に因果関係を説くことが望ましい。

何事も初めが肝心であり、それによって彼の環境がどう悪化し、いずれ取り返しのつかない事態に陥っていくのかを初めに説くことが望まれるであろう。






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2019年6月13日 (木)

伝える覚悟

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。



先日のNHK仕事の流儀。

  雑誌編集長「植野公生」さん。

食に関する雑誌の編集長であり、個性的なレストラン等の特集や美味しい料理の特集などで人気の料理本の編集長らしい。

  見ていて想うのはやはりこだわりが凄まじい。

雑誌という特性から、その雑誌を購入するお客様がその雑誌をどう見るかという視点に対しては妥協しないという姿勢が凄まじいと思う。

  例えば。

部下が、ある有名店の幻のカツカレーのレシピを特集して、雑誌を購入した方でも作れるというテーマで記事を書いた。

  しかしそこにはある落とし穴があった。

そのレシピに中に、真空低温調理器を使用するという部分。

  「これではその瞬間に自分で作るということを諦めるだろう。」

この記事のテーマは、幻のカツカレーとはいえ、この本を購入して作ろうと思えば自力で作れるというものである。
しかし、一般家庭に真空低温調理器がある家庭がどれほどあろうか。

  その瞬間にこのレシピの価値はなくなる。

その部分の妥協を許さないというのが、この編集長のこだわりである。
そして、その部分に関しては妥協せず、部下にもこの調理器をしようしないでも同様に仕上がりになる調理法を別途記載することを勧める。

  仕事とはある意味「正解」が無い。

そして、「正解」誰にも分からない。

  出版して当たれば正解なのである。

分からない以上は、誰かがどこかで作っている段階で「覚悟」を決めなくてはいけない。

  だから我々の覚悟を明確に出すことが重要なのであると言う。

そして、その覚悟が読者の方には「あっ、なるほど」という形で感動と共に伝わるのである。

  その覚悟を持った生き様が伝わるかどうか。

そこに、出版物や表現物が読者に伝わるかどうかの瀬戸際であると言う。

  私も、「覚悟」と言う言葉を時々使う。

上述のように、計算式でも無い限りこの世に正解も不正解も無いのが仕事の世界。

  正解にするのも不正解にするのも自分次第。

自分次第であるから、何としても自分の決断や判断を正解にしたいものである。

  その根底にあるのが正解にするという「覚悟」。

必ず正解にしてみせるという「覚悟」だと思っている。
それは、自分で仕入れた数量を必ず売ってみせるという「覚悟」と同様の決意のようなものであろう。

  「この商品をいくつ売る」

これは、商売の基本中の基本であると思う。
その決意が無かったら、商売など出来ない。

  そしてその決意こそが成長の鍵となる。

そこに、未知の世界に飛び込む勇気と飛び込んだ以上は自分で泳いで対岸にたどり着くという「覚悟」にも似た決意なのであろう。

  そしてその決意に満ちた覚悟がプロフェッショナルを育てるのだと思う。

今一度自分を振り替えさせてくれた番組であった。











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2019年5月21日 (火)

綻びはいつも挨拶から

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。



人間関係。

  どこの職場でも人間関係が最大の課題であろう。

仕事上の難しさや問題で退職する人はほとんどいない。

  退職の最大の理由は「人間関係」である。

特に最近はこの傾向が強い。
リアルな人間関係の構築という経験を積む場が少なくなってきているのも一因であろうか。

  上司と部下との人間関係。
  同僚と同僚との人間関係。
  お客様とのトラブルから。

等々、人間対人間との関係から、現在の職場での自分の存在意義やトラブルに悩み、葛藤しながらこの場を去って別の世界へ向かおうとするのであろう。

小売業が基本から崩れていくのと同様に、人間関係も基本から崩れていくものである。

  人間関係の基本とは「挨拶」である。

この挨拶が、個人対個人を繋ぐ基本であることは間違いない。

  この挨拶という基本が個人対個人から離れていくのである。

基本が崩れるから企業が崩壊していくのか、企業の内部が崩壊していくから基本が崩れていくのか、どちらが先かはわからないが、基本が企業の命であるように「挨拶」は人間関係の基本である。

  よって挨拶の無い人間関係はすでに崩壊しているのである。

挨拶がなくなるから人間関係が崩壊するのか、人間関係が崩壊しているから挨拶が無くなるのか、どちらが先行するのかはわからないが、お互いの挨拶という儀式がなくなれば、既にお互いの人間関係は崩壊していると考えて良いだろう。

  それほど挨拶とは重要なお互いの最初の会話なのである。

最初に交わす挨拶という会話は、言葉はいらないのである。
相手の目を見て、笑顔という表情を作り、しっかりと声を前に出して挨拶の言葉を交わす。

  その瞬間で気持ちの全てが交わされるのが挨拶だ。

だから、特別な言葉や会話は必要ない。

  あるのは笑顔と目線。

その瞬間に一日の二人の関係が凝縮されている。
その挨拶がないままに二人の関係は始まらない。

  そして人間関係の綻びは必ず挨拶に現れる。

挨拶がいい加減になっていくのである。

  最後はお互いに無視を貫くという態度。

こうなったら、修復は他人を買いするしか手はないだろう。

  夫婦であればお互いの内面を熟知しているから修復も可能であるが。

しかし、他人同士であれば、そのまま無関係を貫いても他人の一人という認識になるだけであり、別の他人と同様の関係を結べば済むことでもある。

  しかし職場ではそうあってはならない。

特に、同じ組織に属する人間同士であれば、必ずその人間と関係を緊密にして協力しあって行動しなければならない場面が多々あるもの。

  相手は相手、自分は自分。

それではいい仕事は出来ないだろう。

  何があろうともチームワークを崩してはならないのである。

そしてそれを牽引するのも組織のリーダーの役割。

  だから挨拶にこだわるのである。

接客業である我々の最大の仕事はお客様への挨拶。

  しかしそれ以前に従業員同士の挨拶にこだわらなければいけない。

全ての始まりは、そこからなのである。










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2019年5月16日 (木)

トラブルの鮮度落ち

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。



昨日は「悪事は重なるもの」を記した。

  災難とは意外に集中して襲ってくるもの。

無事の時は良いことばかりが到来するが、悪事も集中して同時に襲ってくる。

  だから確実に一つ一つの悪事を退治しなければならない。

要は、そのことの目を背けて「逃げて」はいけないということだ。

  時として3つのトラブルを同時に抱えてしまうこともあろう。

店長として、例えば

  お客様とのトラブル。
  従業員とのトラブル。
  窃盗団とのトラブル。

各々別のトラブルを同じ日に同時に抱えてしまうこともある。

  そしてこの様なトラブルが同じ日に重なることも珍しくないもの。

その瞬間に思うことは、

  “俺って、なんて不幸なんだ!”

そんな風に自暴自棄に陥ってしまい、現実逃避したくなるものである(笑)。

  しかし一つ言えることは、その日の中で全て解決するという決意である。

そんな時ほど、1日で解決しようとする意志の強さを持たねばならない。

  “これは、明日解決しよう”

そう思った瞬間に、そのトラブルに関しては、鮮度が落ちていくのである。

  “トラブルの鮮度?”

そうトラブルにも鮮度がある。
鮮度を落とせば落とすほど、解決しやすいトラブルが妙に複雑な問題に変化していくのである。

  だから、トラブルも鮮度劣化させてはいけないのである。

トラブルの当事者からしても、生まれたてのトラブルの時に解決した方が、後々の誤解を産むことなくスッキリした状態でその後の生活ができるというものである。

  人間関係のもつれほど鮮度を落としてはならないもの。

また、窃盗団による万引きも、その日の中で防犯カメラから犯人を割り出す、警察に早々に届けて社内にも報告しなければ関連した犯行を重ねさせてしまうことにもなる。

  まして、お客様のクレームは尚更だ。

様々なクレームがあるため、一概に解決を早まってもいけないのだろうが、単純なクレームほど早々の解決をお客様は求めており、その為の謝罪や訪問は相手にいろいろな感情を生むせることになる。

  “早々に解決してくれて助かった”

という感謝になるか、

  “対応が遅いわね”

という二次クレームに発展するのか。

  その差はクレームの鮮度を落としてしまったことによるもの。

それが頭ではわかっているのだが、同時並行的に訪れると混乱してしまうもの。

  トラブルの鮮度。

鮮度の良いうちに処理する。

  商売の原理原則である。








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2019年5月15日 (水)

悪事は重なるもの

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


悪事。

  ここでの悪事とは災難のこと。

災難は重なって降りかかってくるものである。

  普段はそんな災難には合わない。

しかし何故か、そんな災難が、重なる時は二つ三つ四つと重なって降りかかって来るものである。

  一難去ってまた一難。

昔からよく言われるが、一難が去らないままにまた一難、そして二難と降りかかって来るときがある。

  そんな時に人間性が現れるのである。

人間性が現れるし、逆に人間性が問われるのでもあろう。

  慌てふためく姿。

そんな姿を、部下はしっかり見ているのである。

  一難二難、そして三難が重なった時の上司の姿。

そんな時はどうしても我を忘れて全体的視野を失ってしまうものだ。

  一難の時は何とかなる。

それは、その一難に集中すればいいだけのことだから。
しかし、その一難が解決しないうちに二難が降りかかって来ると狼狽してしまう。

その瞬間に感情的になってしまうのだろう。

  “何故こんな時にまたこんな災難が降りかかるのか!”

自分の不幸を感情で受け止めてしまうから、外部に対しても感情をモロに表してしまう。

  “何故俺だけこんな目に合わなければならないんだ‼︎”

それが、誰彼構わずに自分の感情をぶつけてしまうのである。

  “こんな災難の重なる時だから部下に感情をぶつけても仕方ない”

そんな行動がこんな時だから許されるだろうと勘違いしてしまうときがある。

  そして部下はそんな上司の姿を冷静に、本当に冷静に見つめているのである。

そんな時は、一難をしっかり最後までケリを付けてから、新たな気持ちで二難を受け止め対応しなければならない。

  更に、三難が降りかかっても慌ててはいけない。

二難を最後までケリを付けてから、三難に挑む。
確実に、降りかかる難に対応することである。

  そうすれば必ず確実に難を逃れることができるものである。

災難はその対応の仕方で、その後にさらなる災難となって覆いかぶさって来るものである。
だから、小さい難の時に小さいままで封じ込めることが必要である。

  その為には、確実に難を最後まで封じ込める必要がある。

その次の難に慌てて取りかかると、前の難への対応が中途半端のままで放置し、その難が復活して更に拡大した難となって再び降りかかることになる。

  そうなったら、二つの難を抱えてしまうことになる。

そうならない為にも、最初の小さな難のうちに確実に封じ込めておく必要がある。
そして、災難とは不思議にも重なって降りかかって来るものだと認識しておかなければならない。

  普段からそう思っていれば二難にも慌てることはない。

想定内のこととして受け止めることが出来るからだ。

  悪事とは重なって降りかかって来るものである。











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2019年4月30日 (火)

さらば平成

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


今日は4月30日。

  平成最後の日となる。

明日からは令和という元号に改められ、新元号の元年という表記で全てが変わっていく。

  平成31年4月30日。

さらば平成である。

  平成元年。

その年は、私は以前の企業で鮮魚チーフをしていた。

  その企業でも有数の売上を誇る店舗でもあった。

その店舗の坪効率は全国でも有数で、結構各地から店舗インタビューに来店される他企業の方も多かったと思う。

  20代後半の出来事。

よって、昭和という年号の時代に生まれ、成長し、この業界に就業し駆け出して部門を任されるまでになったのが昭和。
そして、平成という新時代に入り、直ぐにスーパーバイザーや副店長という職位を頂き現場から一歩引いた形で部門や店舗を見るような環境になったのが平成の時代とも言えようか。

  やがて店長となり、企業を変えて現代に至るのである。

昭和を約28年、平成を約31年経過して、令和の時代を迎える。

  そして令和元年を最後に私も現役を退くのである。

私にとって平成とは、マネジメントをじっくりと体験し構築し、そしてマネジメントの変遷を見続けてきた時代であると言える。

  一口にマネジメントと言うが。

マネジメントで泣き、マネジメントで笑い、そしてマネジメントの変遷に戸惑う現在でもある。

  そう考えると、長らく店長という職位にいたからこそそう言えるのだろうとも思う。

これが、スーパーバイザーからバイヤーと職歴を歩めば、マネジメントと言うよりはマーチャンダイザーという表現が合うだろう。

  人のマネジメントよりも商品のマーチャントを操る職位。

商売とは、

  何を売るか?。
  どう売るか?。

この二つの行為を連結して商いをすることである。

  何を売るか?を仮説検証していくのが、バイヤーや本部機能。
  どう売りか?を仮説検証していくのが、店舗の店長やチーフ。

そう捉えると、現場で人を媒体として商売を研究してきた時間が長かったということだろう。

  それはそれで、上記の商売からすると「カタワ」であるかもしれない。

しかし、そんな商売を抜きにした人生という面で見れば、人を重点的に研究してきた平成の時代であったということだろう。

  平成とは私にとってはマネジメントの時代であった。

その平成が今日を以って終わりを告げる。

  私のマネジメントの時代もあと僅か。

ここから私のマネジメントは、そのマネジメントや商売の技術、販売技術を後世に引き継ぐという、最後のマネジメントの時代を迎えるのである。

  それが私の令和という新時代の使命となる。

さらば平成、そしてようこそ令和である。






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2019年4月22日 (月)

美尻トレーナー〜仕事の流儀から

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


美尻トレーナー。

  思わず録画してしまった(笑)。

もちろん男性であるが故の興味本位からである。

  しかしその内容に感動した。

今回の主役は美尻トレーナーの岡部友さん。

彼女の仕事のコンセプト。

  「お尻から人は変われる」。

美尻トレーナーと言う職業。
目的は、受講生の美尻という姿形に対して、ビフォーアフターにおける効果であろうか。

  しかし彼女は言い放つ「外見はおまけ」

これは、自分自身のトレーナーと言う仕事の本来の目的を、外見の改善ではなくメンタルにあると信じているからであろう。

  トレーニングを通して個人のメンタルを鍛え、結果として外見が付いてくる。

そんな理念を自分の「美尻トレーナー」と言う仕事に対して抱き、受講生のメンタル面を鍛えることによって、受講生の人生をより豊かなものにできる自立心を鍛えることに喜びを感じ、おまけとして受講生の美尻も付いてくるというコンセプトの下に自らの仕事を充実させようとする姿が非常に印象的であったのだ。

  受講生にも色々なタイプがいる。

今回登場した受講生の特性として、「時間が守れない受講生」「元カレが忘れられない受講生」「リバンドを繰り返す受講生」等々が登場する。
そんな彼女達が、「自分を変えたい」「自立した人間になりたい」との願いから、彼女の下を訪れてトレーニングに励む。

  もはや身体トレーニングの域を超えているようなトレーナーと受講生との対峙。

人間対人間として対峙し、受講生のメンタルトレーニングを最優先に一対一のトレーニングが続く。

  時に厳しく時に笑い、そして充実した90分。

90分で1万5千円という少々割高の受講料。

  それでも、受講生は後を絶たない。

それはおそらく口コミの効果なのであろう。

  あのトレーニングでメンタルが強くなれる。

そして、結果として美尻まで付いてくるとなれば、大いなる魅力であろうか。

そして、その対峙に対しての信念がある。

  「受講生が望む言葉ではなく必要とする言葉を発する」

受講生が、言われて気持ちの良い言葉や褒め言葉を言って喜ばせるのではなく、敢えて厳しい言葉になっても相手が今必要とされるアドバイスに徹するということ。

  聞いて気持ちのいい言葉ではなく心に響く言葉。

その言葉と適切なトレーニングが、受講生のメンタルを強くしていく。

  恋愛に倫理に、自分を乗り越えていく力。

それを共にトレーナーと創造していくパーソナルトレーニング。

  その頑ななスタンスに女性は人は共感するのだろう。

このドラマは、改めて我々に「理念」という言葉を蘇られてくれる。

  仕事の理念。

何があろうとも、頑なに守り続ける自らの使命感。
それは目の前の数値ではなく、商品を通して来店されてお客様という個人の人間の幸せを守るということなのだ。

  そこに我々にも理念がある。

その理念を頑なに守りながら商売を継続していくことに、我々の本来の役割と使命があるということを、今回の美尻トレーナーが教えてくれたのである。











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2019年4月12日 (金)

楽しくなければ2

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


昨日は、楽しくなければ1を記した。

  売る楽しさ売れる楽しさ。

それがこの業界の基本であると。
そしてそれは、人事担当者、総務担当者、財務担当者全てにおいても基本であると。

  そしてそこから更に職位によっての楽しさの追求は変わってくる。

例えば、店長の仕事の楽しさってなんだろう?。

  “店長って辛いだけじゃないの?”

そんな答えが返ってきそうな気がするが(笑)、それも店長次第、人次第であろうか。

  要は広い守備範囲の中で自分がワクワクする領域。

具体的には店長は、自分で部門を持たずに商品を持たずに、だから販売計画や数量計画もしなけれ当然発注もしない(人によっては発注を兼務で受け持つ店長もいるかもしれないが)。

更には、商品面でも自ら商品を仕入れに出向いたり商品開発の為に地域のメーカーや卸に出向くこともないから、自分で選択した商品を販売するということもない。

  しかし店舗の業績に関しては一番初めに店長が追求されるのである。

商品も持たず、販売にも直接は携わらないという職位の店長の楽しさとは。

  私自身は競合店との戦いの過程とその結果に大いなる楽しさを見出している。

競合店との戦い。

  競合店の存在やましてはその出店ともなると誰もが嫌がるもの。

直接的には自店に大きなダメージを与えるのが競合店の存在だからである。
しかし逆に言えば、競合店との戦いでお客様を奪うか奪われるかという関係は、ちょっとした対応次第で大きな数値効果をもたらしてくれるものである。

  コツコツと基本を繰り返しながら客数を増やすのも仕事。
  しかし競合店からお客様を奪って客数を増やすのも仕事。

競合店に行かれていたお客様を自店に呼び戻して売上を回復させる。

  口で言うは易しだが。

しかし、大きな対策や小さな対策、そして一度決めた対策を継続し続けて後日大きな見返りを得た時の喜びは一入であり、これが最大の仕事の楽しさであると言っても良いだろう。

  継続してこそであるから結果もすぐには現れない。

しかし、そのことを信じてやり続けていると、どのタイミングで結果が現れるかという効果もある程度見えてくるもの。
よく、一回りして一年経過すれば数値は回復するとは言われるが、それはなんの保証もない話であるが、上記のようにコツコツと対策を打ち、それを継続し続けていくと、一年経たずとも数値は回復してくるものである。

  それは逆も真なりで何もしなければ何年かかっても回復しないということだが。

当然、その為には上記のように商品も販売も直接は関わらない店長という存在であるから、如何に部門チーフや担当者、パートさんを巻き込んで具体的な対策を共有し、それを実施継続していくかというコミュニケーションやマネジメント自体も追求されるであろう。

  要は店舗全体で取り組むという共有感と一体感が店長の真髄なのではないだろうか。

これがバイヤーだったらどうだろうか。

  店長と同様に店舗での販売には直接は関われない。

しかし、全社としての商品という具体的、直接的な大きな要因には関われる。

  商品を通して全社の自部門の業績を上げる。

そこには大きな楽しみがあるだろう。

  その為に商品政策から入り具体的な品揃えに携わる。

その商品政策とMDが的を得ているかどうかが問われる部分でもあるし、更には店長同様に現場のスタッフ達と連動して自分の立案したMDが確実に店舗という現場で実現されての結果であれば尚更楽しいし、結果に対しての喜びも一入であろう。

  得てして店舗から見たバイヤーの存在とは敵視されがちではある。

しかし、上記のように店舗のチーフを鼓舞させて自らの商品MDを定着させているバイヤーも多い。

  そして結果を出せればバイヤーのマネジメント力も評価されたということだ。

そう考えると、仕事の楽しみや達成感とは、そこには必ず業績という結果と、そこに至るまでの仲間との共有という二面性があることがわかる。

  競合対策もMDの実現も現場との共有化が必須となる。

自分が立案したビジョンの正しさと、現場との協力関係があってこその業績達成。
そしてその経験から、更に次への一手が立案され、施行されていく。

  より正しいビジョンを描けるかという自信。

その自信も経験から得られる能力である。

  そんな仕事の楽しさ。

それを追求するから、仕事は楽しいものであるし、その過程の中で自らが率いる組織がまとまっていくのである。








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2019年4月11日 (木)

楽しくなれけば

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


楽しくなければ、スーパーじゃない。

  このブログのサブタイトルでもある。

以前のサブタイトルは、

  「たかがスーパー、されどスーパー」

であったが、昨年にサブタイトルを変更した。
それは、あるFacebook仲間が、自店の入り口の風除室に「楽しくなれけばスーパーじゃない」と言うタイトルと共に、働く従業員の仲間たちの似顔絵を一人一人描いて貼り付けてあったのを見て、このブログのサブタイとにパクったのである(笑)。

たかがスーパー、されどスーパーも想いのこもったサブタイトルだとは思っている。
しかし、楽しくなければスーパーじゃない、と言うフレーズに、自ら働くこの業界への想いと、そこで働く仲間たちにもっとこの業界であり仕事でありを理解して楽しんでもらいたいと言う想いを感じたのである。

  てっちゃん会の仲間でもあるそのFacebookを引用させていただいたのだ。

また、いろいろな企業や店舗でも

  「楽しくなければ、◯◯店じゃない」

等を合言葉に楽しく仕事をし、楽しい売場作りを目指している企業もあるだろう。

  やはり仕事は楽しむもの。

そしてその楽しさからまた次へのステップへ階段を登れるものであると思う。

  それでは、仕事の楽しさとは?。

だからと言って、皆が皆、仕事を楽しんでいるかと言えば、本当に仕事を楽しんでいるこの業界の人間がどれほどいるだろうか。

  ある一時は瞬間的に仕事が楽しいと思える瞬間があるかもしれない。

しかし、そのある一瞬を除けば、ほとんどの時間を苦痛と隣り合わせで仕事をしている人がほとんどではないのだろうか。

  私自身も仕事が楽しいと思えるようになったのは入社数年後のこと。

と言うよりも、鮮魚チーフとして数年が経過した後だったような気がする。
それ以前は、黙々と作業をこなすだけのものであった。

  そしてチーフになりあるお店の部門を任された。

それでもやはり義務感で仕事をしていた気がする。
しかし、何かのきっかけで、業績に対しての考え方が変わったのである。

  “業績は作れるもの”

そんな自身が付いた時からだ。
従来は、業績は結果的なものであり、仕事の結果として出た業績は作れるものではない。
そう思っていたのだが、チーフという職位につき、毎月業績とにらめっこしながら仕事をしていくと、業績を導くための日々のルーティンワークが見えてきた。そのルーティンワークを日々積み重ねていくと、最終結果に大きなギャップが無くなり、ほぼ予定通りの荒利率を導き出すことができるようになった。

  “業績って導き出せるんだ”

要は、予算の荒利率を日々の仕事の積み重ねからほぼ予算通りの荒利率を導く手法が見えてきたということだ。

  たかが荒利率の確保だけの話ではある。

しかし当時の私にとっては、この発見は大きな一歩でありここからいろいろな結果を導き出す手法へと繋がり、その結果としての楽しさが見えてきたのである。

  やはりある程度の能力や技術を身につけないと楽しさには繋がらないとは思う。

よって、それ以前はどうしても目の前の作業に追われるという苦の部分だけが前面に押し出され、その奥に潜む楽しさに辿り着けなかった気はする。

  しかし上記のようにちょっとしたきっかけで楽しさを発見するものだ。

それは人それぞれの楽しみがあるのだと思う。
私は荒利率という分野から、この業界の楽しさを見出し、そこから売上という領域での楽しさに広がっていったように思う。

  荒利率と売上は反比例の関係だと思っていた。

しかし、突き詰めていくと、それは一緒だと気がついた。

  荒利率を上げるには、売上を上げること。
  売上を上げれば、荒利率が上がっていく。

それを別々に考えていたのであるが、商品の流れという視点で見れば、如何に商品を回転させることが(点数を上げること)が荒利率に貢献することであるから、荒利率という視点を更に広げて、荒利率の安定には売上拡大が絶対に欠かせないという結論に至るわけである。

  結果として売上拡大を目指す販売技術にいたるのである。

そして、売る楽しさ、売れる楽しさを知る。
それは、この業界での楽しさという視点で見れば、順番が逆なのかもしれない。

  まずは売る楽しさを追求すべき。

そう捉えている方もいるだろうが、私は逆に荒利率確保に楽しさを見出し、その延長線上に売上拡大という領域が広がっていったのである。

  売る楽しさ売れる楽しさを知った暁には本当に仕事を楽しめた。

しかし、それは売場の部門の担当者の時代の楽しさであるかもしれないが、この売る楽しさ売れる楽しさを知らない限りは、副店長や店長、そしてバイヤーになってもこの業界の仕事の楽しさを満喫することは出来ないのではないだろうか。

  全てはそこに集約されているからだと思うのだ。

よって、これが総務や人事に行っても同じことが言えるのではないだろうか。

  人事の教育担当や採用担当。

やはりこの業界の売れる楽しさを基準とした制度の整備が、後々の人材育成と自社での活躍へ結びつき、それが彼らのモチベーションとなって将来にわたりこの業界で活躍できる人材育成につながっていくのではないだろうか。

  それでは店長の仕事の楽しさとは?。

それはまた別の機会にお話ししたいと思う。









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2019年4月 5日 (金)

たまには電車通勤

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


たまには電車通勤もいいものだ(笑)。

  普段は小一時間のクルマ通勤。

クルマ通勤の場合は約30kの道のりの為、いろいろな通勤ルートがあるが、現在は田舎道をゆったりと前車のスピードに任せて付いていく。

  新国道で飛ばせるルートもあるが、結局は到着時間は同じ。

国道に乗った時は快速な速度で走行できるが、その途中のルートが遠回り。
田舎道はほぼ一定の速度でトロトロ(国道に比べれば)走行だが、信号も少なくコンスタントに距離を稼げる。

  更にほのぼのとした風景を見ながらの小一時間。

この小一時間が仕事の組み立てを考察するには絶好の時間となる。

  先日は電車での通勤をしてみた。

もちろん、お客様からのクレーム等もあるので、副店長が出社している日を限定してのことだが。

  また競合店長達との飲み会がある時はもちろん電車での出社となる。

3月には2回ほどそんな機会があった。

  自宅からは私鉄とJRを乗り継いでの電車通となる。

自宅から駅までは徒歩3分。
駅から店舗までは徒歩10分。

  時間にして小一時間。

乗り継ぎの為、クルマ通よりは多少時間はかかるが、運転しない開放感がいい。

  都会と違い混雑も無い。

だからゆっくりと腰を落ち着けて周囲を見回すことが出来る(笑)。

  スマホからイヤホンで音楽を聴く人。
  必死にスマホから情報を検索する人。
  目を閉じて腕組みして瞑想にふける。
  仲間同士数人で立ち話しの女子高生。

車内にはいろいろな背景を持った人たちが居合わせる。

  私と同じように通勤途中の中年男性もいる。

相手から見ると、カバンも持たずに電車に乗っている私の方がよほど不審人物に映っているのだろう(笑)。

ほとんどの方はスマホをいじりながら目的地まで過ごす人が多い。

  自ら運転しない分自由な時間を過ごせるのであろう。

先日も好天の為、電車から見える外の景色も爽快だった。

  晴れた日の男体山。

鬼の爪痕のような残雪が綺麗だ。
その男体山が思川の陸橋から見える姿は、このルートの見所の一つであろうか。

  乗り継ぎの駅から駅も徒歩数分なので焦る必要もない。

そして到着駅から店舗までの徒歩。

  徒歩10分程度なので多少の雨でも苦にならない。

早朝の駅からの徒歩ルート。

  歓楽街は駅周辺に集中しているので閑散とした徒歩ルート。

そして、この街のシンボル的な神社へ通ずる参道。

  この参道を通ると、気持ちが引き締まる。

「白」と「赤」のみの色彩は心を神聖なものにしてくれる。

  古来からの日本人のDNAであろうか。

たまにはそんな出社日を儲けてもいいと思った。
そして季節はいつしか「初夏」の様相を呈している。
外気に触れないクルマ通もいいが、電車通は今が最高に時期ではないだろうか。

  競合店長との飲み会も増えそうな気もするが(笑)。












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