心のあるべき姿

2020年8月 1日 (土)

自責と他責

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


今日から8月。

  前半戦のヤマ場となる月。

言わば、前半のお客様の評価であり通信簿を頂く月となるのが8月という時なのである。

  昨日は「読めない時代のリスク責任者」を記した。

コロナショックの感染者がいまだに収束するどころか、逆に第二波然とした様相。
今年のゴールデンウィーク同様に「外出自粛要請」としての「ステイホーム」となりかねない状況。

  そんな状況の中、お盆商戦を迎えるのである。

そんな時ほど、リスクを負ってでも明確な方向性を示す役割が必要となる。
そんな記事を書いた。

  そして今日は「自責」と「他責」。

「自責」とは自己責任。
「他責」とは他者責任。

  まさに今は個店の店長が自責を負って方向性を示すべき時。

そしてそのような役割を担う存在が今は必要であり、その存在が個々人を正しい方向へ向かわせ、組織を引導できるのである。

  逆に他責の組織では絶対に誰もリスクを負う行動を取らない。

よって、このような混迷の時に組織を引導する役割を担う人間が現れないのである。

  そのような組織風土が出来上がっているのである。

そのような組織は変化に洗われながら徐々に衰退していくであろう。

  それが組織の生態である。

組織には求心力と遠心力がある。

  求心力は内部に集中する力。
  遠心力は外部に飛び出す力。

強固な求心力により、組織は一個にまとまろうとするし、同じ価値基準に従って一体化していことする。
そうやって組織は固さを維持し、何があっても崩れない強固さを増していくのである。

しかしそれと同時に柔軟さを失っていくというデメリットも併せ持っていくことになる。

  そこに遠心力が有効な役割を果たすのである。

遠心力とは、自責を持った個々人がチャレンジ精神を発揮して組織に新たな価値基準を創造していく力である。

  自責という覚悟が人間を強くする。

他責で行動する場合は、人間はその行動に覚悟が伴わないから思想と行動に軸が無い。

  軸が無いから行動がその都度ブレるのである。

行動がぶれるから、課題に対しての突破力が無いのである。

  他責に依る行動とは突破力に欠けるのである。

自責と他責の違いは、その突破力にある。

  その突破力の積み重ねが組織力なのである。

そしてその突破力が組織の器を大きくし、許容力を高め、多様な価値を取り入れ、変化に対応できる組織体となっていくのであろう。

  よって求心力にも遠心力にも自責という覚悟が重要なのである。

自責を以って行動する。

  今こそリーダーに必要な覚悟ではないだろうか。







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2020年7月17日 (金)

先入観

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


事前に相手を知ることは重要である。

  しかしそれを先入観と勘違いしてはいけない。

先入観とは思い込みのこと。

  よってその思い込みが正しい判断や対応を誤ることも多い。

特に人間に対しての先入観は禁物である。

  “あの人は仕事が出来ないらしい”
  “あの店長は感情的になるらしい”
  “あの子は挨拶が出来ないらしい”

人事異動の場合でも、自分のお店に赴任する相手に対して、いろいろな噂話が飛び込んでくるものだ。

  勝手に飛び込んでくる噂話ほど当てにしてはいけない。

それは、全人格の中でも特徴的な部分をピックアップして相当盛られた話として伝わってくるからである。

  そこからその個人の人格を限定された形で入ってくるのである。

私も若い頃はそのような噂話に振り回された時があった。
そして、その噂話の相手を強い先入観からの思い込みによって、その後の人物像を誤解して認識していたものである。

  これは非常に生産性の悪い状況を生むことになる。

その思い込みからストレートに相手に対して言葉を発しない状況が続くのである。

  “あの人はこういう人だから”

その先入観が生産性の高い行動力を奪っていくのである。
そんなことに繰り返しから見えてきたことは、他人の目を通して伝わる人物像や噂話には必ずその人物の中のある一定の要素が相当盛られた形で伝わってくるものである、ということである。

  よってある時から他者からの先入観を一切廃したのである。

それは人物像に対する先入観だけでなく、例えば誰かがこんなことを言っていたとか、誰かがあなたの噂話をこのように言っていたとか、人づてに伝わる噂話に関しても、耳に入れるが一切信じないことにしているのである。

  本当に確かめたいことは直接相手から聞く。

そのルールは今でも徹底している。
だから、色々といい噂話の無い相手でも、赴任早々に言うことは、

  「ここに来たら前の噂話は一切忘れて心機一転で直せよ」

以前の話は以前の話であり、本人だってそのことに縛られたくないから今回の人事異動に掛けている部分もあろう。

  その気持ちを大切にしたいと思っている。

そこに輪をかけて、我々受け入れる方が先入観から相手を見てしまったら、彼らの心機一転の心を折ることになってしまうであろう。

  それも人事異動の大きな目的なのであるから。





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2020年7月 4日 (土)

部下の覚悟

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


部下の人生を背負う。

  今まで「上司の覚悟」として事あるごとに記載してきた。

http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_321d.html

2008年2月21日のブログ以降、いろいろな場面で「部下の人生を背負う」ことが上司の覚悟であることを書いてきた。
当然それは、上司と部下の関係において上司が持つべき心構えであることは間違いないが、それでは相対する「部下」の心構えはどうなのだろうか。

  「上司に人生を預ける覚悟」が必要であろう。

それ以前には何の関係も因果もない上司と部下がある日突然人事異動という社命において共に仕事をすることになる。

  これは明らかに偶然ではある。

しかし偶然だからこそ思いがけない出会いがあるのである。
何も運命づけららないから、ある一時の邂逅がその人間の人生を変え得るのである。

  だから上司は常に部下と共に過ごす人生に緊張を持って向き合うのである。

それでは、方や部下の方はどうかというと、こちらも上司に全てを預けるのではなく、自分の上司が自分の人生を背負うということに対しての覚悟を持たねばならないのである。

  お互いにその覚悟を持たなければどちらかが不幸となるであろう。

上司が部下の人生を背負う覚悟を持ったとしても、部下がその覚悟を持たなければ、結局は店舗運営に支障をきたしていくことになる。

  部下も上司に人生を背負われる覚悟が必要なのである。

そこから上司への信頼が生まれ、上司の言葉を信じて自らの行動を変えていく。
その行動力につながる上司への信頼がなければ、その上司と部下はやはり同じ屋根の下で上司と部下の関係を解消した方がお互いに不幸にならずに済むのである。

よって、どちらかがお互いに不信感を抱き、とても人生を背負ったり背負われたりという関係が結べないという感覚を持ったならば、お互いに不幸になる前に上司と部下の関係を解消すべきではあろう。

  自分の能力を遺憾なく発揮する為にはお互いの信頼関係が不可欠。

その信頼関係無くしては自らの能力を遺憾なく発揮することも不可能。
それは自分の業績評価においても最上位に引き上げることは出来ない。

  もし信頼でき得る上司であるならば。

そう考えると、上司への不満をどう打開していくか。

  私にもどうにも我慢のならない上司はいた(笑)。

一時はふてくされていた時期もあった。

  しかし見てくれている人は必ずいるものだ。

そんな方に拾われて新店メンバーとして人事異動を受けたことが何度かあった。
普段の本人の仕事ぶりを、周囲の人は必ず見てくれているものである。

  「お前の人生を背負ってやる」

そんな上司が必ず現れてくれるハズ。
それが、社会であり組織でもある。

  部下としての覚悟。

それは上司だけの覚悟ではないのである。








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2020年6月26日 (金)

気がつけば夏至

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


今年ほど季節感を感じる間も無く時が移ろう年はない。
先日、休日で久しぶりにちょっと早めにワインでも飲もうかと思って6時頃風呂に入った。
湯船に浸かっていて窓から漏れる外の明るさにびっくりした。

  湯船に浸かる時の外の暗さ。

これに慣れているのだが、その日はやたらと外の気配が明るいのだ。

  “随分と明るいなぁ〜”

そう思ってその日の日付を確認したら7月24日。
そう言えば、今年の夏至は7月21(日)なのを思い出した。
そう、夏至が過ぎていたのだ(笑)。

  いつの間にか夏至。

今年は多くの関係者の方々がそう思っているのではないだろうか。

  夏至。

一年で一番昼の長い日。

インターネットで検索した結果は以下の通り。

「夏至(げし)とは「夏に至る」と書くように、夏の盛りに向かっていく頃。二十四節気の10番目で、夏を6つに分けたうちの4番目の節気です。「立夏」と「立秋」のちょうど真ん中、つまり、暦の上では夏の真ん中となります。毎年6月21日〜7月7日頃にあたり、2020年は6月21日から7月6日までの16日間。カレンダーには初日に「夏至」と記載されています。一般的に「夏至」と言うときには、この初日を指すことが多いでしょう。」

とのこと。

  よって夏至とは一番昼の長い二週間の初日ということ。

よって、ここから昼が短くなっていくわけではなく、当面昼が最大に長い日が7月上旬まで続くということらしい。

  しかし今年は「夏至」すら忘れていたという状況。

それだけ目の前のコロナ禍に未だに振り回せているということであろう。

  コロナ感染の危機感は相当和らいできてはいるが。

但し、東京都の感染者数は未だに50人に迫る日もあり予断は許されない。
そして、夜の街での感染が騒がれてはいるが、我々一般人からすれば就業中の休憩時の休憩室や食事処での仲間とのお喋りタイム中の感染が最も注意すべき時間であると思っている。

こればかりは事業所一つ一つの場所で、それぞれの個人が注意を払うべきことであり、他社や他者を非難はするがその非難が自分に返ってくる事を自覚しなければならないであろう。

  そんなコロナ対策に追われていると季節感は吹っ飛んでしまう。

しかしそれと同時に丑の日計画やお盆商戦の計画の立案も同時に進めていかねばならない時でもある。

  時の流れは止まってはくれないのだから。








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2020年6月15日 (月)

今年のロードマップ

皆さん、こんにちは。
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店長職。

  定年後もこの職位で仕事が出来るのは幸せなのであろう。

コロナショックもあり、定年前と後で何が変わったかというと、この慌ただしさもありとても自分の過去を振り返るという時間が無かったのは事実である。

そして6月に入り、少しずつではあるが店舗内外周辺の慌ただしさも緩和されはじめ、多少は落ち着きも戻ってきたであろうか。

  少しは今の自分の使命というものを見出せる時間が出来ただろか。

これからは一年一年が勝負というか自分なりに区切りを付けるサイクルとなっていくであろう。

  そして、その一年毎に自分の使命を果たせたのかどうかという問い。

それを常に自分に問いながら一日一日を過ごしていくことになるであろうか。

  一年一年が勝負ということは一日一日を振り返ることでもある。

自分の使命に対して、今日はどうだったのか?という自分への問い。
その問いがあるから、明日がまた新たな一日として巡ってくるのである。

そして、一日一日の自分の使命とは?。

  それは自分の持つ技術の伝承である。

今までこの業界に身を置きながら日々仕事をし、その中で身につけてきた店舗運営であり販売技術であり競合対策である。

  これらの技術を日々の中でこれからを背負う人材に伝承していくこと。

これが私の一日一日の使命となっていく。
その結果としての、一年一年を勝負としてどれほどの技術が伝承されたのかの検証。

  その検証をどう行うか。

それは一年365日、そして52週後にまた繰り返される同じ週に、どれほど前年にも増して部下たちが、または仲間たちが活き活きと売場を作り、結果として前年を上回る結果に繋げられたかという検証である。

  よって今年一年は日々自らの行動を起こす時だと思っている。

それを徐々にトーンダウンさせて、部下や仲間達へ移行していくのが今年の私の使命であろうか。

  そのようなロードマップを描き、行動していくのが今年。

とは言いながらも、早くも6月の半ばを迎えている。

  本当に一年は早いものである。

かと言って、時の流れにまかされて流されているかと言えばそうでは無い。

  確実に一日一日に歯車が回っているという実感はある。

しかしまだまだ自分が判断し行動し、そして周囲を巻き込んでいるという状況。
それでも、その使命が歯車に乗って確実に回りはじめ、自らの意志でロードマップを描いていこうという空気になってきたことは嬉しい限りである。

  そして12月を迎える頃には如何にフェードアウトしていくか。

自分の存在や影が見えなくても、一人一人が自ら描いたロードマップに従って自らの道を歩んでいけるか。

  その為に一日一日をどう行動するか。

それが私の今後の一年一年の積み重ねになっていくであろう。








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2020年6月 3日 (水)

リアルな魅力

皆さん、こんにちは。
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コロナショックにより新生活様式という新たなワードが生まれた。

  新型コロナウイルスに感染しない新たな暮らし方。

要は、このウイルスと共存していくための生活指針である。
そしてそのひとつにリモートワークという新たな働き方の提案がある。

  実践した6割の方が今後もその方式を支持したいという。

ということは、今回の新生活様式にしても、そこから定着していくものも多いのではないだろうか。
特に上記の様にリモートを駆使した教育面に関しては、教育される世代を考えても、リモート教育に違和感を感じない世代はリアルに集まらないで自宅や企業内でお互いの移動を避けながらの教育形態は今後さらに進化していくかもしれない。

昨日のリモートミーティングにおいては、教育関係の仕事をしている方とのミーティングを持ったが、今現場でもリモート研修会も立ち上げてはいるが、やはり店舗での実践的な研修会や講習会においてはリアルという要素は外せない部分があるのであろう。

  一方通行でのセミナーはリモート。
  相互交通でのセミナーはリアルに。

そんな整理が為されつつある様だ。

  とは言いながらリアルな我々業界はどうなっていくのだろうか。

先日、あるアルバイトから言われた。

「今までいろいろなバイトをやってきましたが、当初は予想外のレジで働くことになり不安でしたが、お客様との会話から勇気をもらったり元気をもらったりしているうちに、レジでの仕事が好きになり、どのバイトよりも学ぶ事が多いことに気が付きました。」

  というような嬉しい言葉を聞いた。

当初は男性でもあり、品出し等に配属して力仕事を徹底してやってもらおうと思っていたのだが、コロナショックにより客数増により3密回避の目的もあってレジに入れ込んだのだが、そろそろ品出しをさせようかと思い本人にその旨伝えた後の彼の言葉であった。

  “そこまで言うのならレジからは外せないな”

私にそう思い止ませるだけの言葉であったのだ。

  リアルな仕事。

それは、人間同士がリアルに面と向かってコミュニケーションをしなければ成り立たない仕事である。

  リアルな人間。
  リアルな商品。
  リアルな売場。

それら全てのリアルな現場にリアルにお客様が来店しリアルな商品を自分のリアルな目で確認して納得して購入していくリアル店舗。

  そこには何よりもリアルな人間の心が宿る場所となるのである。

人間の本来の強みは、リアルな人間同士が連帯を組んで、新たな価値を創造する場を共有できるところにある。

  だからこそ人間はリアルな場所に自らの存在価値を見出すのである。

今回は、そんなリアルな場所が3密の可能性はあるものの政府から営業を許される場所ともなった。

  我々にとっては、商品を売る楽しさを享受できる場所。

それがリアルな売場であるが、お客様にとっても買い物の楽しさを享受できる場所が売場なのである。
そこに集い、リアルに自分の目で商品を選択し、馴染みの従業員や顧客と会話を楽しみ、人間としての強みに触れて生きる喜びを享受できる場所を求めるのであろう。

  リアルな魅力。

もっと我々自身がそのことを楽しめるようになりたいものである。






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2020年6月 2日 (火)

批判より創造

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


いつの間にか6月になっていたんですね〜(笑)。

  それほど現在は心理的に季節感に乏しくなっている。

休日にも外出はしない。
家の窓から外を見るだけ。

  唯一は通勤途中の景色の変化。

田舎道がメインであるから、畑や田んぼの変化が見ていていもちいいと感じる瞬間である。

  “黄金色の麦が刈り取られたか”
  “水田に稲が植えられたか”

そんな風景と気温の変化を感じながらの小一時間のドライブを兼ねた通勤。

  唯一そこでの季節感の共有。

突如、この世に出現した新型コロナウイルス。

  日本にはダイヤモンドプリンセス号によってその脅威が現実のものとなった。

更には海外からの渡航者から全国に広がったという説が有力なのであろうか。

  誰も経験したことのない事態。

試行錯誤の連続が続いた。

  驚異の感染力。
  驚異の症状悪化。
  
そして日本でも各地でその驚異的なウイルスによる感染者がクラスターと呼ばれる状況において爆発的に広がっていき、クラスターが生まれる環境を根絶するために営業自粛やリモートワークという新生活様式なる用語が生まれ施行されてきた。

  その途中途中でメディアによる批判もあった。

誰も経験したことのない事態に対して、そしてそこ対応に追われる人達に対して、ほとんど無知な人間達が勝手きままに批判を繰り返す。

  その批判によって好結果を生んだ事例もあるかもしれない。

しかしどんな批判に対しても、専門家の意見を参考にしながら日本の特性を踏まえたロードマップを描き実践してきた結果の今現在。

  私はそう見ている。

しかしそんな批判以上に「創造」も生まれてきたことは嬉しいことだ。

  治療薬や予防薬の開発。

この様な脅威には上記の様な薬の開発が何よりであるし、従来からウイルスと治療薬はもぐらたたきのような関係にありながら開発が進められてきたのであろう。

  そこでようやく人類がこの脅威から開放されるのであろう。

昨日は、この2ヶ月の流れが10年分の時間を進めたと書いた。

  それは言い過ぎだという批判もあろう(笑)。

しかしその批判があるから創造が生まれるという関係でもある。

  批判をしたらそれ以上に創造する。

部下を叱ったらそれ以上にフォローする、その様な関係であろうか。

一度壊れた従来からの概念を、再び新たな概念で創造していくのがこれからの流れであろうか。

  新たなものを創造していく。

そんな気概が必要であろうか。





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2020年6月 1日 (月)

好奇心を持ち続ける

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


昨日は、リモートワークに関して書いた。

  コロナショックがもたらす新生活様式。

それはいずれそのような新生活様式に時間をかけて変化していくであろうことが、この数ヶ月で一気に10年分ほどの変化を時間を短縮して変化するに至ったのである。

  ゆっくりと時間を掛けて。

とは言いながらも変わるときは一気に変わるもの。
その時代の変化は時代によりスピードの緩急はあるものの、確実に我々の前に現れ、我々はその時代の変化に如何に対応していくかによってその時代の生き方に貢献するという使命を果たし、そこから利益を得ていくのである。

  今は急の時代なのである。

それも緊急と言わざるを得ない時代である。
そして、そんな時代でも道を外れずにその道の真ん中を歩いていけるかどうかが大きな課題となる。

  そしてまた新たな競争の時代となる。

もしかすると、競争相手が劇的に変わるかもしれない。

  同業他社から異業他社に変わるかもしれない。

はたまた外食産業がもろに競争相手になるかもしれないし、ドラッグが本格的に生鮮に参入してくるかもしれない。

  しかし忘れてはいけないのは自らが持つ強み。

その強みを磨き込んで自らの道の真ん中を歩み続けることが重要であろう。
どんな時代でも、自分を救ってくれるのは「自らが持つ強み」である。

  その強みをこの2ヶ月の環境でどのように見出したのか。

今回の新生活様式で、人々の生活は一気に素材の活用に戻った。
素材の活用に戻った人々は、素材の強みを持つ食品スーパーを再選択したのである。

  個店毎のバラツキや企業毎のバラツキ。

それは、素材の強みを持つかどうかという顧客の選択の差であろう。
これからの食品スーパーの強みは、生鮮素材の強みであると認識している。

  それは時代がゆっくりと歩んでも同様であった。

しかし、この数ヶ月の動きで一気に時代を10年早めたのである。
よって、その強みもこの10年を短縮できる企業に微笑むであろう。

  生鮮部門の強み。

それは一朝一夕に得られるものでは無い。
しかし、一気に10年という月日が過ぎ去った今、その強みを時代に追われずに磨ける企業だけが生き残り、時代の真ん中を歩むことができるのである。

  時代の真ん中はどの道なのか?。

そのような好奇心を常に持ち続けることが重要なのである。

  それはこの数ヶ月の流れから容易に見えてくる。

そして具体的にどこから始めるのか。
それが現企業や現店にどのような効果を果たすのか。

  好奇心を持つ続ければ容易に見えてくるのではないだろうか。






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2020年5月18日 (月)

今こそ鎧を身にまとう

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


Facebook上でのバトン。

  過去二回に渡りバトンを記した。

今回はコトPOPer達の繋がりからの、POPでコロナ禍に対する勇気づけやエールを送るという趣旨のバトンを記したい。

  コロナ禍の下での人間の繋がり。

それはコロナというウィルスが人間社会を崩壊させようとする地球上での覇権争いであり、人間の強みである組織力である人間同士のリアルな繋がりを根底から崩壊させようと挑まれた戦いではないかと思っている。

  そのリアルな繋がりを文明で克服しようとするのが今回の意図。

それを、いろいろな形で人類は試みているのであるが、その一環としてのコトPOPでのバトンリレー。

  そしていよいよ私の番が回ってきた。

テーマは決まっていた。

  コロナをまとった心ない罵倒との戦い。

実際にコロナウィルスに感染する従業員よりも圧倒的に多い心ない客の従業員に対する罵倒の連続。

  客は客で正論を言っているつもりなのであろう。

しかし現在はもはやお客様も従業員も無い、感染者からお互いを守るリスク回避に対する行動が正義である。

  もはや「お客様だから」「従業員だから」という区別は正義ではない。

正義はお互いの濃厚接触を如何に未然に防ぐかという配慮と行動にある。

  よって必要以上に会話をしない、接触しない、近づかない。

そして目に見えないウィルスに対して過剰なほどの除菌対策。

  しかし全国の仲間達からの報告には心ない罵倒が後を断たないと言う。

そんな仲間達に強烈なエールを送りたかった。

  そこから生まれたのが「鎧」と言うキーワード。

上記のような状況にあること、そしてその状況に応じて現在の施策をしていることは頭ではわかってはいても、どうしてもそれをお客様の毅然と説明できる従業員は少ないのではないだろうか。

  お客様は神様。

日本という国はその幻想にどっぷりと使ってきた歴史がある。

  お客様の言葉は全て正しい。

そして接客に関する教育が為され、従業員は企業側が用意した接客教育の中に、お客様の言葉を神の声として受け止め、それを企業努力にて改善していくという思想が定着してきたので亜r。

  いつしかそれは法律のような固定概念となり現代に至っている。

しかし冷静に考えてみれば、商品を購入するのにその対価として現金を支払うという関係は平等の関係であり、そこには上下関係などどこにも存在はしないのだ。

  しかしいつしか「買って頂く」「来店して頂く」という表現が当たり前となってきた。

そしてそのような言葉使いが当たり前として日本では使われるようになってきた。

  しかしどんな表現を使おうともお客とお店は同じ人間であり平等であることには普遍である。

そして今この状況においては、そのことをしっかりとお店側が認識してお客様に対応していかねばならない。

  とは言うものの、長い歴史が現場の従業員を躊躇させるのである。

本当にそのことを毅然とお客様に言っていいものだろうか?。

  そしてそれを率先するのが現場のリーダーの役割だと私は思う。

しかし彼らも素手と普段着ではなかなかその勇気は出ないであろう。

  そこに鎧が必要なのである。

使命感という鎧。

  その鎧を以って勇気ある行動がリーダーには求められる。

そんなエールをPOPに託してバトンを渡したのである。






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2020年5月16日 (土)

バトン(その2)

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


コロナ禍がもたらしたいろいろな現象。

  その一つにFacebook上でのバトンがあろうか。

あるテーマを決めて、それに対して自分の思い出や読んだ本、またはエールを送りたい人たちへのメッセージ等を自分のFacebook上の友達にどんどんバトンを渡してつないでいくという絆作り。

  これを絆作りと呼ぶかゲームと呼ぶかは本人次第。

リアルに出会いの無い現在の社会環境の中で、SNS上だけでもそのような出会いの場を、バトンという手法にて絆をつなげ、今まで友達関係にあった方や無かった方までも同じバトンの交流から、それを機に友達関係に発展していくこともあろう。

  今回私は二つのバトンを繋いだ。

一つは以前にもこのブログで書いた、「ブックカバーチャレンジ」なるもの。
これは、自分が以前に読んだ本を振り返り、その中でも思い出に残り感銘を受けた本のカバーのみを表記し、その本から学んだことは現在実践していること、更には全くその本とは関係がなくてバトンを受けた人バトンを渡した人のことなどをFacebook上でアップして、その人が生きてきた人生航路なるものを垣間みれるのが面白い。

そして二つ目は「POPで応援リレー」
これはFacebook上のバトンであるが、これはコトPOPの先生である山口茂さんを100人目として、その途中でバトンを繋ぐメンバーがコロナ禍に対してのそれぞれの応援メッセージをPOPにしてアップし、次から次へとFacebook上の友達につないでいくというもの。
こちらはどちらかというとコトPOPerの方々がメインで繋いでいくラインである。

  今回はブックカバーチャレンジに関して。

そこで私は一冊の本を紹介した。
このブログでも数冊の本を紹介しているが、今回のブックカバーチャレンジにはこの中の本ではないものを紹介したのである。

  通常であれば自分がブログで紹介した本を一冊取り上げるべきであるが。

今回は至極の一冊と決めて取り上げようと思った。
そして、その一冊をブログで紹介している中から一冊を選択しようとも思っていた。
しかし、自分の人生を振り返った時に、自分がそれなりに本を読むようになったきっかけの本を取り上げてみようと考え直したのである

  自分を育ててくれた本ではなく人との出会いを生んでくれた本。

その一冊とは、私はかっての企業で労働組合の執行委員をしていた時の思い出の本である。
その労働組合では、委員長が執行委員に対して毎年一冊の本を全員に読ませ、その感想を意見交換する場を設けていた。

その時に委員長から紹介された本が以下

  情の管理 知の管理  童門冬二著

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01E2JF83I/tetu0358-22

当時の私は、管理=マネジメント=知 の方程式あると思い込んでいた。

  管理とは知識でありマニュアルであり論理であると。

そこに、委員長からこの本を手渡され、情というマネジメントの領域の存在を知ったのである。
そこから私は「組織」という得体の知れない枠組みに対して興味を持つようになっていったのである。

  組織 = 得体の知れない枠組み。

いまだにその存在に悩むリーダーや管理者は多いであろう。
そして当時の労働組合の執行委員会にも色々な経歴の持ち主やタイプの人間が存在していたのだが、この一冊の本の講読により組織が一つになった。

  その時の委員長の手法が忘れられない。

一冊の本が組織内を一つにする。

  それは私に本当の出会いと同時に人間との出会いでもあったのだ。

人を通して本当出会う。
本を通して人と出会う。

  以前の出会いはリアルな場面以外は存在しなかった。

しかし現代はこのようなバトンリレーを通してでも自分の行動次第でたくさんの出会いを演出できる時代である。

  人間社会は組織社会。

組織を知るにはまず人間を知ることから始めなければならない。

  人間の心に突き刺さる言葉と言動。

まさにこの状況の時こそ、そこにリーダーシップという立ち位置が生まれてくるのではないだろうか。






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