心のあるべき姿

2019年8月10日 (土)

墓参り2019

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


毎年恒例の墓参り。

  今年は梅雨時期が長くなり8月にずれ込んだ。

しかし、梅雨が明けた途端に猛暑日の連続。

  “今年の墓参りは厳しそうだな”

毎年、福島と新潟の二つの墓に行くのであるが、墓参りとは言いながら問題は墓周辺の掃除である。

  掃除というよりも草むしりか。

墓周辺に生えている雑草がハンパないのである。
一年に一度の墓掃除であるから当然であろうか。

  特に福島の墓周りの雑草はひどい。

通常であっても1時間では到底すまない墓掃除。
そして例年であれば午前8時ごろから始めるのであるが、この猛暑であり午前7時から始めようということになり、家を午前5時に出発。

  今回は燃費測定も兼ねて新たに購入したマニュアル車で出かけることにした。

通常の通勤では安定してリッター13kを記録していたが、高速走行でどれほどの燃費なのかの測定もしたかったからである。
毎年のことであるが、この墓参りツアーでは不思議なことが多い。

  途中雨でも現地に着くと必ず雨が止む。

過去に何度もそんな奇跡が起こってきた。

  “守られているなぁ〜”

毎回そんな感想を抱くのである。

  そして今年。

事前の天気予報通りに快晴となった。

  快晴どころか、猛暑日和である。

最高気温はここ数日連続して35度を超える予測である。
午前7時には到着したが、既にお墓まわりは体感温度40度を越す暑さであろうか。

  そして今年はやたら雑草が多い。

雨が多くそしてこの好天により雑草が気持ちよく伸びてきたのであろう。
早速、女房といつものように取り掛かった。

  しかし今年は汗の量がハンパなく多い。

なぜか脇腹も痛くなってきた。

  “こんなこと今までに無かったな”

流石に今年は30分に一回は休憩を取らないとめまいがしそうだった。
そしてようやく概ねの雑草を始末できたと思った瞬間に、どうにもこうにも塀に腰掛けてしまった。

  汗が止まらずに思わずに溜め息が出たしまった。

女房に言われてとりあえずクルマに戻り、エアコンをガンガンかけて、それから凍ったタオルをクーラーボックスから取り出して手のひらで握りしめた。

  これが効いたのであろう。

凍ったタオルを手のひらや首筋、脇の下に当てがい体を冷やしたら、徐々に体に血液が回っていくのを感じたのである。

  同時に脇腹の痛みも消えていった。

お墓では女房が既に線香の準備をして待ってくれていた。

  「大丈夫?」。

   「ああ、凍ったタオルのお陰でだいぶ戻った(笑)。」

女房に言わせると、座り込んだ時の顔色が真っ赤だったという。

  熱中症の一歩手前だったのだろうか。

その後コンビニで涼を取り、再び高速に乗って新潟へ向かった。

  新潟の海沿いは盆地の福島と違って、湿気が少なく気温も3度程度低い。

更にお墓は日陰にあるので福島のお墓掃除とは比べものにならないほど楽である。

  まして、砂状の土であるから草むしりも楽。

そして再び磐越道を通って北関東へ帰ってきた。

  往復720kの墓参り。

燃費もリッター14kと好調な結果となった。






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2019年8月 3日 (土)

ポジティブ思考

皆さん、こんにちは。
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先日のカンブリア宮殿。

  アサヒ飲料社長の岸上克彦さんを取り上げていた。

岸上さんは、1976年にカルピスに入社。
しかし、カルピスは2007年に味の素の子会社となった。
更に、2012年にはアサヒグループに買収された。

  一転二転する自社企業に翻弄される。

誰しもそう思うだろう。

  しかし岸上さんはそれらをポジティブに捉えた。

味の素の傘下に入った時は、

  「圧倒的にグローバルに発展するかもしれない」

アサヒグループに入った時は、

  「規模の拡大からやりたかったことが実現できるチャンス」

上記の通り、環境の変化を自分なりに受け止め、自社であるカルピスという組織を上記大企業と組むことによって、その大企業が持つ特性をポジティブに自分にそして企業に取り込もうという発想を持ち続けたという。

  そして2015年にはアサヒ飲料の社長にまで登りつめるのである。

なんと、買収された側の企業の人間が日本を代表する飲料メーカーのトップに立つ異例の人事である。

  通常であれば買収された側の人間はその後は肩身の狭い思いをするものだ。

しかしそれだけ岸上さんは、カルピス、味の素、アサヒ飲料との企業の文化を自分なりに取り込み、環境の変化に振り回されることなくその環境の変化をポジティブに活用して組織人として進化していったといえよう。

アサヒ飲料が持つ商品としては、カルピス以外にも発売から135年の「三ツ矢サイダー」も絶好調、発売115年の「ウィスキンソン」も過去最高売上と、カルピス以外の飲料も次々と復活して現在も日本人に愛飲されている。

そして司会の村上龍は岸上さんに問うた。

  「子会社化になることで個人的にネガティブな感情にはならなかったのか?」

岸上さんは答えた。

  「ただ単にネガティブな感情に溺れてしまいたくはなかった」。

ネガティブな感情に溺れて行くのか、それとも新たなフィールドでどうやって自社の商品の価値を見出すのかということに対して、前向きに考えたいと思ったという。

  そんな強い意志が時代の流れに翻弄されることなく変化対応できたのであろう。

そんなカルピスも自動販売機の普及によって売り上げが低迷した時期があった。

  そこで新たなカルピスが次々に登場することになる。

カルピスを水で薄めた「カルピスウォーター」。
更に2016年には「濃いめのカルピス」。
2018年には更に価値を高めえた「カラダカルピス」。

  カルピスの強みを更に多用途化していった。

おそらくそれらの施策も、彼自身の環境の変化、企業合併によって自社が子会社化されたことによるポジティブな思考が逆境を跳ね返すプランを次々と生み出すことになっていったのであろう。

  逆境を経験した人間は強い。

壁を乗り越えるという経験は自らのポジティブ思考次第である。

  誰にでも逆境は訪れる。

それは天が与えた試練の場。

  その場をピンチと取るかチャンスと取るか。

それだけのことなのである。







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2019年7月19日 (金)

清掃担当者の目

皆さん、こんにちは。
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店舗内の清掃。

  企業によってもその形態は違うであろうか。

自社内の部門担当者がそれぞれ分担して清掃を実施する企業。
店内の清掃部分に関しては完全に外部委託して実施する企業。
自社内に清掃担当者を選任して店舗の清掃を担当させる企業。

いろいろな形態を取りながらも、店舗内外の清掃を実施していると思われる。

  先日も仕事の流儀で取り上げた「清掃のプロ」。

http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-3913d2.html

清掃を通して自分を磨き、周囲の人々の心を磨く姿であった。
そして、そこにできてきたある言葉。

  「誰も存在を認めてくれない」

そう、清掃担当者がいろいろな場面で清掃をしている姿はよく見かけるが、多くの人はその人が一個の人間としての存在を認めているかと言えばそうではない。

  一人の人間としての尊厳を持って接しているかと言えるであろうか。

そして、彼ら彼女らも働きながらそれをひしひしと感じているのではないだろうか。
しかし、彼ら彼女らがいてしっかりと店舗内外を磨いてくれているからこそ、我々は快適に目の前の商品に全力を注げることができるのである。

ちなみに当社は上記の清掃形態の中で、自社で清掃部門を有し、店舗で清掃担当者を採用して専任で清掃を担当してもらっている。
よって、一人のパート社員として商品は持たないが、逆に言うと我々が快適に店内でまたはバックヤードで仕事ができるのは彼女らがいるからであることをよく知っている。

  よって、全体朝礼でも彼女らの活躍を何度か取り上げたこともある。

「うちのお店の社員の休憩室は全社一綺麗な状態だと思います。」

  極力彼女らの仕事ぶりを公開しようとしている。

そうでなければ、私も含めて誰もが彼女らを人としての認知力が低下してくるからである。

  清掃は清掃担当者がするもの。

そんな意識を捨てて欲しいからでもある。

  あくまでも清掃担当者に頼らずに自分の周囲は汚さないと言う心配り。

その心配りが、彼女らの完成度を更に高め、お互いに相手の仕事を認め合える関係になっていくのである。

  そして彼女らはいつも何をみて仕事をしているのであろうか?。

実は彼女らは我々の仕事ぶりをよく見ているのである。

  個人個人の人間性から発言から行動まで含めて、よく見ている。

先日、ある清掃担当者が私に言った。

  「店長、今度の子は素晴らしいですよ」

よくよく話を聞いてみると、今回の人事異動で当店に赴任した担当者の話であった。
今度の担当者は、通常は清掃の機械をつなぐコンセントの線をまたいだりし踏んだりして上を通るのだが、今回赴任した担当者はその電気コードを手で持ち上げてその下をくぐって通過したと言う。

  「そんな子は初めてです(笑)。」

我々には全体に見ることのない世界。

  そんな世界を彼女らは見ているのである。







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2019年7月 9日 (火)

その場全力

皆さん、こんにちは。
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以前の企業で労働組合の幹部だった頃。

  「その場全力」を標榜していた。

その場全力とは、企業人としてそして労働組合員として、普段の仕事は当然に全力で、そして労働組合の活動時(主に休日を使用)も自らと組合員の為に全力で活動しようというもの。

その時は組合活動をする場合でも、普段の仕事と同様に全力で活動することによって、組合員の理解を得られ企業側もその活動ぶりから組合幹部の言葉に耳を傾けるであろうという意味合いが強かった。

  しかし今こうしてこの言葉を振り返るとその意味は深い。

人間の人生は紆余曲折である。
そこは色々な偶然の連続であるから。

  自らの出生からして偶然の賜物。

そして両親に育てられるのであるが、その両親の存在がその人間の人生を大きく左右させていく。

  更には学校に入学し、先生や生徒と出会う。

そこでも多くの出会いがあり、自分の生き方に大きな影響を与えていく。

  そして就業。

自分の仕事は自分の人生を大きく左右させるであろう。

  更には結婚。

そこでも、自分の伴侶次第で人生が大きく変化していく。
出生以外は全て自らの選択によりその道を歩むのであるが、それでもその選択が正しかったのか否かは進んでみなければわからない。

自らは良かれと思って進んではみたものの、いざその道を歩んでみたら自分の想像とは大きく違っていた。

そんなことも、ままあるだろう。

  そんな時に思い出されるのは「その場全力」。

進んだ道で全力を出すこと。
決して中途半端にせずに、目の前の取り組み事項や与えられた仕事に対して全力で取り組むことによって、必ず新たな発見や進化を遂げることができるという格言でもある。

  意に反しての人事異動。
  納得いかない単品量販。
  不得意な相手への説得。

この世にはいろいろな自分の意に反する事象に直面しなければならない時がある。

  それは偶然でもあり運でもあろう。

しかし、それには何かしらの「訳」が隠されていることが多い。

  今まで気付かずにいた事象。
  今まで学べなかった新事実。
  今まで経験できなかった事。

新たな環境でその場全力でぶつかる事によって新たに得られる能力。
それによって、思ってもみなかった新たな自分の可能性が見えてくることはよくあること。

  それはその場全力でぶつかったからこそ見えてくる新たな発見である。

しかしその場全力を出しきらねば決して見えてこないのも事実。

  流せば流したなりの反作用しか返ってこないもの。

全力でぶつかるからこそ、その反作用も大きくなって返ってくる。

  それはどの世界でも同じことではないだろうか。

特に、自分の意に反した境遇になった時ほど、チャンスであると言えるであろう。

  そう思って自分の未来を切り開いていきたいものである。










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2019年7月 5日 (金)

受容力

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


我々はいろいろな場面で学ぶ機会がある。

  普段の仕事から更には研修会等から。

座学で学ぶ部分もあれば、普段の仕事からPDCAを回して学び次へ活かすこともしていよう。

  また本を読んでいて学ぶことも多い。

いろいろなテーマで本が出版されているが、本を読んでいると「そうだそうだ」と共感する部分もあり、それは以前の自分の経験から納得できる文章が書かれていたりすると共感してしまうというもの。

しかし、読んでいてなかなか理解できない部分も多い。

  “この部分は今の自分には理解できないかも”

そう思い留めて流しながら読んでいる場合も多いであろう。

  仕事面での上司からのアドバイスや会話においてもそれはある。

上司の言う言葉に納得できる部分もあるが、納得できずに考え込む場面も多いはずだ。
特に入社5年目程度の経験年数の時にそれは多く感じたことだ。

  “この上司は何を言っているんだろか?”

そう思ったことも度々あった。
それが理解できるようになるには、ある程度自分の経験を積んだ後でなければわからないことも多い。

  「親の心子知らず」。

これは、親になって初めて親の心境がわかるのであって、自分の子供がいない時には絶対に理解できないものであり、子供の頃には理解できなかった親の行動や言葉、そして心境を表した諺である。

同様に仕事面は社会面でも同じことが言える。

  部門チーフにならなければ理解できない言葉。
  店長にならなければ理解できない言葉。
  バイヤーにならなければ理解できない言葉。

その地位やその職位になってみて初めて、過去の店長が言っていた言葉が理解できると言うのも多い。

  “あの時あの店長が言っていたことはこのことだったのか”

過去に自分の上司である店長から、鮮魚だけでなく入口の青果から店舗を一周してみよ、と言われていたがなかななその言葉が理解できなかった。
当然であろう、その上司は私が過去に一番嫌っていた店長だったのだから(笑)。

  それが今では私の開店前の日課になっている。

過去に上司から言われた言葉で、その当時は理解できなかったことがその職位になって初めて理解できるということは多い。
むしろほとんどの言葉はその職位になって初めて理解できるのかもしれない。 

  しかしそうかと言って上司の言葉を全て遮ってはいけない。

いずれそれらの言葉は自分を救ってくれる言葉になるのだから。

  以前聞いた言葉がその職位になって初めて自分の心に響いてくる。

それは以前聞かなければなかなかそこにたどり着けないものである。
以前に上司が言っていた言葉の現実が、今目の前にある。

  “あの言葉はこのことだったのか!”

それは以前に上司が言っていた言葉であり、その言葉がなかったら今目の前の現実に初めて直面することになる。

  “さて、どうしようか?”

となるか、

  “やはり、こうしよう!”

と即決できるのか。

  この違いは大きいであろう。

上司の言葉を素直に受容すること。
理解できることもあればできない事もあろう。

  いずれその言葉が自分を救ってくれることになるのであるから。




 

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2019年6月26日 (水)

嫌味

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


店長としてリーダーとして部下に嫌味の一つも言いたくなる時があろう(笑)。

  しかし「嫌味」は何れにしても「悪」である。

嫌味からは何の発展性も進化も生まれない。

  生まれるのは怒りの矛先が確定すると言うことだけである。

嫌味とは大抵の場合は、上司が失敗をした部下に対して、それを叱責する場合にその失敗に対して論理的に冷静に客観的に指摘する以上に、「嫌味」という感情表現に置き換えて自分のストレスを発散することである。

  その感情をぶつけられた部下は同様の感情を抱くもの。

その感情は怒りとなって嫌味を言われた上司に向けられる。

  “何もそんな言い方は無いだろう”

本来は自分の過失であるにも関わらず、上司の嫌味に対して怒りの感情が込み上げ、その怒りが嫌味を言った上司に対して別の攻撃材料を作ってしまうのである。

  “ひどいことを言う上司が許せない”

よって、自分の過失に対しての反省とは逆に、上司への反感という感情抱き、本来あるべき上司と部下の信頼関係は崩れてしまう。
そして、それの交互作用がますます上司と部下との距離を広げ、いずれ不信感しか持てない関係となっていくのである。

  嫌味には何の発展性も無いのである。

しかし、どうしても言いたくなる時もあろう(笑)。
毎回毎回提出物が期限を過ぎる部下がいたとする。

  「おい何考えてんだ。だから業績も振るわないんだよ。」

提出物と業績の因果関係はあるかもしれないが、それを客観的にその因果関係を説かねばならない。

  「思考が遅れれば打つ手も遅れて業績にも跳ね返るぞ。」

提出物とは自らの思考の整理してまとめ、次回への対応を記する場合が多い。
状況を整理して自分の思考回路を再調整し、次への一手をまとめたものを上司の提出する。

  それが遅れれば遅れるほど打ち手も遅れる。

それが延々と続けば、何も手を打たずに状況を悪化されることになる。

  その打ち手を部下が自分の頭で自ら整理し自ら行動するきっかけなのである。

そして業績とは部下の評価でもあり、いずれは自分の評価として跳ね返ってくるもの。
そのお互いの信頼関係を失うことは出来ない。

  よってそこに嫌味が入り込む余地は無いのである。

特に、上司が部下に嫌味を言う場面とは、部下の軽い過失の場合が多い。

  提出物の遅れ。
  会議への遅刻。
  
普段の仕事ぶりのだらし無さからくる態度に対して、上司が普段から募らせていた不満が爆発して、その爆発を凝縮させてぽろっと言葉に出てしまうことが多いもの。

  それはやはり早い段階で客観的に因果関係を説くことが望ましい。

何事も初めが肝心であり、それによって彼の環境がどう悪化し、いずれ取り返しのつかない事態に陥っていくのかを初めに説くことが望まれるであろう。






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2019年6月13日 (木)

伝える覚悟

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。



先日のNHK仕事の流儀。

  雑誌編集長「植野公生」さん。

食に関する雑誌の編集長であり、個性的なレストラン等の特集や美味しい料理の特集などで人気の料理本の編集長らしい。

  見ていて想うのはやはりこだわりが凄まじい。

雑誌という特性から、その雑誌を購入するお客様がその雑誌をどう見るかという視点に対しては妥協しないという姿勢が凄まじいと思う。

  例えば。

部下が、ある有名店の幻のカツカレーのレシピを特集して、雑誌を購入した方でも作れるというテーマで記事を書いた。

  しかしそこにはある落とし穴があった。

そのレシピに中に、真空低温調理器を使用するという部分。

  「これではその瞬間に自分で作るということを諦めるだろう。」

この記事のテーマは、幻のカツカレーとはいえ、この本を購入して作ろうと思えば自力で作れるというものである。
しかし、一般家庭に真空低温調理器がある家庭がどれほどあろうか。

  その瞬間にこのレシピの価値はなくなる。

その部分の妥協を許さないというのが、この編集長のこだわりである。
そして、その部分に関しては妥協せず、部下にもこの調理器をしようしないでも同様に仕上がりになる調理法を別途記載することを勧める。

  仕事とはある意味「正解」が無い。

そして、「正解」誰にも分からない。

  出版して当たれば正解なのである。

分からない以上は、誰かがどこかで作っている段階で「覚悟」を決めなくてはいけない。

  だから我々の覚悟を明確に出すことが重要なのであると言う。

そして、その覚悟が読者の方には「あっ、なるほど」という形で感動と共に伝わるのである。

  その覚悟を持った生き様が伝わるかどうか。

そこに、出版物や表現物が読者に伝わるかどうかの瀬戸際であると言う。

  私も、「覚悟」と言う言葉を時々使う。

上述のように、計算式でも無い限りこの世に正解も不正解も無いのが仕事の世界。

  正解にするのも不正解にするのも自分次第。

自分次第であるから、何としても自分の決断や判断を正解にしたいものである。

  その根底にあるのが正解にするという「覚悟」。

必ず正解にしてみせるという「覚悟」だと思っている。
それは、自分で仕入れた数量を必ず売ってみせるという「覚悟」と同様の決意のようなものであろう。

  「この商品をいくつ売る」

これは、商売の基本中の基本であると思う。
その決意が無かったら、商売など出来ない。

  そしてその決意こそが成長の鍵となる。

そこに、未知の世界に飛び込む勇気と飛び込んだ以上は自分で泳いで対岸にたどり着くという「覚悟」にも似た決意なのであろう。

  そしてその決意に満ちた覚悟がプロフェッショナルを育てるのだと思う。

今一度自分を振り替えさせてくれた番組であった。











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2019年5月21日 (火)

綻びはいつも挨拶から

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。



人間関係。

  どこの職場でも人間関係が最大の課題であろう。

仕事上の難しさや問題で退職する人はほとんどいない。

  退職の最大の理由は「人間関係」である。

特に最近はこの傾向が強い。
リアルな人間関係の構築という経験を積む場が少なくなってきているのも一因であろうか。

  上司と部下との人間関係。
  同僚と同僚との人間関係。
  お客様とのトラブルから。

等々、人間対人間との関係から、現在の職場での自分の存在意義やトラブルに悩み、葛藤しながらこの場を去って別の世界へ向かおうとするのであろう。

小売業が基本から崩れていくのと同様に、人間関係も基本から崩れていくものである。

  人間関係の基本とは「挨拶」である。

この挨拶が、個人対個人を繋ぐ基本であることは間違いない。

  この挨拶という基本が個人対個人から離れていくのである。

基本が崩れるから企業が崩壊していくのか、企業の内部が崩壊していくから基本が崩れていくのか、どちらが先かはわからないが、基本が企業の命であるように「挨拶」は人間関係の基本である。

  よって挨拶の無い人間関係はすでに崩壊しているのである。

挨拶がなくなるから人間関係が崩壊するのか、人間関係が崩壊しているから挨拶が無くなるのか、どちらが先行するのかはわからないが、お互いの挨拶という儀式がなくなれば、既にお互いの人間関係は崩壊していると考えて良いだろう。

  それほど挨拶とは重要なお互いの最初の会話なのである。

最初に交わす挨拶という会話は、言葉はいらないのである。
相手の目を見て、笑顔という表情を作り、しっかりと声を前に出して挨拶の言葉を交わす。

  その瞬間で気持ちの全てが交わされるのが挨拶だ。

だから、特別な言葉や会話は必要ない。

  あるのは笑顔と目線。

その瞬間に一日の二人の関係が凝縮されている。
その挨拶がないままに二人の関係は始まらない。

  そして人間関係の綻びは必ず挨拶に現れる。

挨拶がいい加減になっていくのである。

  最後はお互いに無視を貫くという態度。

こうなったら、修復は他人を買いするしか手はないだろう。

  夫婦であればお互いの内面を熟知しているから修復も可能であるが。

しかし、他人同士であれば、そのまま無関係を貫いても他人の一人という認識になるだけであり、別の他人と同様の関係を結べば済むことでもある。

  しかし職場ではそうあってはならない。

特に、同じ組織に属する人間同士であれば、必ずその人間と関係を緊密にして協力しあって行動しなければならない場面が多々あるもの。

  相手は相手、自分は自分。

それではいい仕事は出来ないだろう。

  何があろうともチームワークを崩してはならないのである。

そしてそれを牽引するのも組織のリーダーの役割。

  だから挨拶にこだわるのである。

接客業である我々の最大の仕事はお客様への挨拶。

  しかしそれ以前に従業員同士の挨拶にこだわらなければいけない。

全ての始まりは、そこからなのである。










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2019年5月16日 (木)

トラブルの鮮度落ち

皆さん、こんにちは。
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昨日は「悪事は重なるもの」を記した。

  災難とは意外に集中して襲ってくるもの。

無事の時は良いことばかりが到来するが、悪事も集中して同時に襲ってくる。

  だから確実に一つ一つの悪事を退治しなければならない。

要は、そのことの目を背けて「逃げて」はいけないということだ。

  時として3つのトラブルを同時に抱えてしまうこともあろう。

店長として、例えば

  お客様とのトラブル。
  従業員とのトラブル。
  窃盗団とのトラブル。

各々別のトラブルを同じ日に同時に抱えてしまうこともある。

  そしてこの様なトラブルが同じ日に重なることも珍しくないもの。

その瞬間に思うことは、

  “俺って、なんて不幸なんだ!”

そんな風に自暴自棄に陥ってしまい、現実逃避したくなるものである(笑)。

  しかし一つ言えることは、その日の中で全て解決するという決意である。

そんな時ほど、1日で解決しようとする意志の強さを持たねばならない。

  “これは、明日解決しよう”

そう思った瞬間に、そのトラブルに関しては、鮮度が落ちていくのである。

  “トラブルの鮮度?”

そうトラブルにも鮮度がある。
鮮度を落とせば落とすほど、解決しやすいトラブルが妙に複雑な問題に変化していくのである。

  だから、トラブルも鮮度劣化させてはいけないのである。

トラブルの当事者からしても、生まれたてのトラブルの時に解決した方が、後々の誤解を産むことなくスッキリした状態でその後の生活ができるというものである。

  人間関係のもつれほど鮮度を落としてはならないもの。

また、窃盗団による万引きも、その日の中で防犯カメラから犯人を割り出す、警察に早々に届けて社内にも報告しなければ関連した犯行を重ねさせてしまうことにもなる。

  まして、お客様のクレームは尚更だ。

様々なクレームがあるため、一概に解決を早まってもいけないのだろうが、単純なクレームほど早々の解決をお客様は求めており、その為の謝罪や訪問は相手にいろいろな感情を生むせることになる。

  “早々に解決してくれて助かった”

という感謝になるか、

  “対応が遅いわね”

という二次クレームに発展するのか。

  その差はクレームの鮮度を落としてしまったことによるもの。

それが頭ではわかっているのだが、同時並行的に訪れると混乱してしまうもの。

  トラブルの鮮度。

鮮度の良いうちに処理する。

  商売の原理原則である。








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2019年5月15日 (水)

悪事は重なるもの

皆さん、こんにちは。
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悪事。

  ここでの悪事とは災難のこと。

災難は重なって降りかかってくるものである。

  普段はそんな災難には合わない。

しかし何故か、そんな災難が、重なる時は二つ三つ四つと重なって降りかかって来るものである。

  一難去ってまた一難。

昔からよく言われるが、一難が去らないままにまた一難、そして二難と降りかかって来るときがある。

  そんな時に人間性が現れるのである。

人間性が現れるし、逆に人間性が問われるのでもあろう。

  慌てふためく姿。

そんな姿を、部下はしっかり見ているのである。

  一難二難、そして三難が重なった時の上司の姿。

そんな時はどうしても我を忘れて全体的視野を失ってしまうものだ。

  一難の時は何とかなる。

それは、その一難に集中すればいいだけのことだから。
しかし、その一難が解決しないうちに二難が降りかかって来ると狼狽してしまう。

その瞬間に感情的になってしまうのだろう。

  “何故こんな時にまたこんな災難が降りかかるのか!”

自分の不幸を感情で受け止めてしまうから、外部に対しても感情をモロに表してしまう。

  “何故俺だけこんな目に合わなければならないんだ‼︎”

それが、誰彼構わずに自分の感情をぶつけてしまうのである。

  “こんな災難の重なる時だから部下に感情をぶつけても仕方ない”

そんな行動がこんな時だから許されるだろうと勘違いしてしまうときがある。

  そして部下はそんな上司の姿を冷静に、本当に冷静に見つめているのである。

そんな時は、一難をしっかり最後までケリを付けてから、新たな気持ちで二難を受け止め対応しなければならない。

  更に、三難が降りかかっても慌ててはいけない。

二難を最後までケリを付けてから、三難に挑む。
確実に、降りかかる難に対応することである。

  そうすれば必ず確実に難を逃れることができるものである。

災難はその対応の仕方で、その後にさらなる災難となって覆いかぶさって来るものである。
だから、小さい難の時に小さいままで封じ込めることが必要である。

  その為には、確実に難を最後まで封じ込める必要がある。

その次の難に慌てて取りかかると、前の難への対応が中途半端のままで放置し、その難が復活して更に拡大した難となって再び降りかかることになる。

  そうなったら、二つの難を抱えてしまうことになる。

そうならない為にも、最初の小さな難のうちに確実に封じ込めておく必要がある。
そして、災難とは不思議にも重なって降りかかって来るものだと認識しておかなければならない。

  普段からそう思っていれば二難にも慌てることはない。

想定内のこととして受け止めることが出来るからだ。

  悪事とは重なって降りかかって来るものである。











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