心のあるべき姿

2019年11月15日 (金)

組織に根付くもの

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をいている「てっちゃん」です。


転職。

  過去、最近、近未来。

過去に転職経験者、最近転職経験者、そして近未来に転職予定の方。

  いろいろな転職組がいるだろう。

そして今回は近未来に転職を経験される方へのメッセージを送りたい。

  私の身辺にも転職経験者や予定者がいる。

最近も数名の方が実際に新たな職場で働き始めたり、今後その予定の方も数名程いる。

  隣の芝生に憧れる。

それは誰でも同様で過去に転職をされた方も多少はそのようなニュアンスに陥ったことはあるだろう。
しかし、それは転職して初めてその芝生に立ってみると、隣から見て憧れた芝生とかなり違った現実に直面するのである。

  斜め前方から見る芝生はアラが隠れてしまうもの。

だから、実際に真上に立つと隣からは見えなかったアラが歴然とした形で現実に目を覆うのである。

  しかしもう遅い。

一度大海原に身を投じたのであるから、向こう岸の海岸まで自力で泳ぎ切らなければ溺れてしまう。

  その時に大切なことが一つある。

それは、「組織に根付く善悪」を知るということである。

  企業にはそれぞれに歴史がある。

その歴史の中で自然的にそして必然的に根付いたきた法則があるのである。

  それは何が「善」で、何が「悪」かということ。

これはその組織内でしか通用しない価値観であるが、その価値観はその組織にとっては絶対的なモノとなって常にその組織の構成員の行動を規制するのである。

  それは言葉では言い表せないものである。

なぜならそれは成文化されていないからである。

  成文化されていない行動規範。

これが、組織それぞれに存在し、構成員はその規範に規制されて統一された行動を取る事になる。
そして、その行動規範があるが故に、その組織は結束され固い信頼関係で結ばれているのである。

  よって、この成文化されていない行動規範を知ることが何よりも重要となる。

そしてそれは組織毎に異なるのである。
よって、転職した時に何よりも重要となるのは、かっての企業の成文化されていない行動規範を捨て、新たな組織の行動規範をいち早く身に付けることにある。

  しかしなかなか頭では分かっていても行動が伴わないのである。

相手の組織に受け入れられるか否かは、この行動規範をいち早く身につけ、同僚に遅れを取る事なくこの行動規範で現実に行動し、同じ文化を身につけ、そして組織内で行動しながら転職組に期待される異文化の技術を披露することにある。

  組織内の「善」と「悪」。

しかしこれは一般社会での「善」と「悪」ではない。

  その企業だけに通じる言葉であるからだ。

よって、しっかりとトップの話と従業員の行動を心に留めておかねばならないだろう。








| | コメント (2)

2019年10月 9日 (水)

万引きと向き合う

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


小売業、とりわけ300坪以上のお店では万引きへの対策も仕事の一つとなるであろう。

  一言で万引きというが様々な形態がある。

いわゆる万引き犯という言い方をされる場合には、あくまでも個人での犯行が主で、その目的は生活に困っての食材の窃盗が主であろうか。
中には、病気に起因する方もいるかもしれない。万引きによって日々のストレスを紛らわすという方も過去にはいた。また拒食症により万引きにてそれを紛らわすという方もいるだろう。

  そんな方達は万引き自体を罪として意識はしているのである。

逆に窃盗犯という万引きのくくりになると、もはやこれは罪の意識以上に万引きした商品を転売して稼ごうというどちらかというとビジネスとしての犯行意図が高い連中である。

  当然に組織的にチームを組んで犯行に及ぶ。

私のお店にも連続して同じ犯人が別の商品を窃盗して警察に被害届を出した経緯もある。
刑事さんも、今度この顔の犯人が来店した段階ですぐに警察に通報してください。

  間違っても皆さんで捕獲しようなどとは思わないでください。

要は、後々にどんな復習が個人的にあるかもしれないというリスクと、捕獲する場面で凶器で負傷するリスクを懸念するからであろう。

  よって同じ万引きでもある程度区別して対応する必要はあろう。

先日、Facebookにある万引き犯に対する対応がアップされた。

  非常にいい話でもあり、参考になると思い、敢えてこの場で披露したいと思う。

Facebookのてっちゃん会グループに万引き犯に対してのある問い合わせが挙がった。
ある中年のお客様が買い物袋を持参して来店されるが、来店された時は全く何も入っていない袋がレジ精算時には満タンに膨らんでいるにも関わらず、買い物金額がせいぜい500円以内。
  
  明らかに袋に万引きした商品が詰め込まれている。

カード使用により氏名、年齢、住所等は検索にて明らかになっている。

  さて、どうすべきか?、との問い。

多くのメンバーから意見が寄せられた。

  概ねは捕獲して警察へ。

そんな意見が多かったようだ。
そして、いろいろなアドバイスが挙がった。

  その中に、「捕まえるのではなく、助ける為に」

そんな意見が挙がったのである。

  単に事件を明らかにして犯人を捕まえること。

これが目的ではなく、警察に捕まった後にしっかりと反省し、厚生してからも以前同様に自店を愛用してくださるお客様として来店してほしいという願いから、万引き犯を助けるという意味で一旦捕まえるという意図が大切ではないか、という意見。

そして、そんな多くのアドバイスを得た記事のアップ者は、後日その万引き犯が来店して同様に買い物袋を満タンにして店外へ出た途端に、他の従業員とともに声を掛け、袋の中身を確認して万引き犯と確認してから警察に電話をした。

  そこからが非常に感動的であった。

その女性の副店長は、警察だけは呼ばないでと泣き叫んでいる犯人の手をしっかりと握りしめ心を落ち着かせ続けた。

  警察に電話した時も、警察が駆けつけるまでの間も。

その間に副店長は犯人に言った。

  「反省したらまたうちの店に来てください。」

他のお店で同様の犯行を繰り返すくらいなら、うちのお店に来て買い物袋を預ずけ、病気が出ないようにしてから買い物をして帰すから、と。

  捕まえたんじゃなく、助けた。

その副店長の心理は複雑であった。
再び、その経緯がFacebookにアップされた時、他のメンバーからも労いの言葉が多数掛けられた。

  そんな役割を担わなければならないお店の幹部。

地域に根ざすお店の、いち典型ではないだろうか。










| | コメント (2)

2019年10月 4日 (金)

心を研ぐ

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日のNHKの仕事の流儀。

  「命を削り、心を研ぐ」。

包丁研ぎの名人、坂下勝美さんを取り上げていた。

  包丁。

料理や調理には欠かすことの出来ない、プロの道具。
であると同時に、家庭でも材料を調理する上での必需品でもある。

  包丁の切れ味。

これはどの世界でも必須であり、特に料理人たちにとっては絶対に譲れない重要なポイントであろう。

  包丁が切れるということは素材を痛めないことにつながる。

それはその素材の本来の味を食べるまで保たれるということであるから、当然に食べた時の味にも直結するのだ。

  特にそのまま食する刺身類には直結するであろう。

そして切れる包丁で捌いた素材は、その切り口の綺麗さからも、盛り付け時の見栄えにも影響してくるというもの。

  更に切れるということは作業効率にも直結するものである。

スーパーでも各部門で包丁を使用して素材を調理する過程が多いが、鮮魚や生肉には包丁研ぎがあり自分たちで常に包丁を研いで使っているが、成果や惣菜となるとそうもいかない。

  切れない包丁でひたすらキャベツの半切りをするパートさん。

これでは作業効率も低下するし、切り口も汚くなり見栄えも良く無い。

  全ての人にとって包丁は切れるべきなのである。

そんな包丁の世界で、包丁研ぎの名人とは如何に。

そんな気持ちで見ていたのだが、まず驚いたのが砥石の形であった。

  通常の砥石は長方形の水平な表面である。

しかし、彼が使用する砥石は上に湾曲しているのである。

  “これは研ぎずらそう”

そう思ったが、その砥石から生み出される包丁は、正に芸術的に綺麗な形と艶を誇っていた。

  更にしのぎ全般にくぼみを持たせる。

これも切れ味の追求であるという。

そして最後は自分の指で磨いていく。
経験上、自分の指で最後の磨きを入れるのが一番綺麗に仕上がるという。

  正に芸術品を見ているような包丁がそこから生まれるのである。

また、こんな場面もあった。
研ぎ直しを依頼された場面のこと。

  歯がボロボロになった包丁。

その包丁を見て、使用者の特性を見抜き、その使用者が欠点をフォローするように包丁の形を微妙に変えてその欠点が現れないように研いでやるのだ。

  まさに使用者のことを想っての仕事。

そこに依頼者との信頼関係が築かれるのである。

  そこまでして包丁を研ぐ人を見たことがない。

仕事とはそういうものなのだと思わざるを得ない番組であった。







| | コメント (10)

2019年9月24日 (火)

敵に塩を送る

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


敵に塩を送る。

  戦国時代の故事である。

これは甲斐の武田信玄が塩不足に陥った時に、その最大のライバルであり何度も武田信玄と死闘を繰り広げてきた越後の上杉謙信は、武田信玄に対して人間が生きるために必須である塩をの供給を止めずに支援したことが所以で故事となった諺である。

  敵対しているとは言え戦争以外の窮地においては支援する。

如何にも義に生きた上杉謙信らしい行為であり、その行為を引き出した武田信玄という戦国武将もそれだけの人格を兼ね備えた人物であったといえよう。

  毎週日曜日の芸能ネタ。

そこで何度か取り上げてきた日曜劇場の「ノーサイド・ゲーム」。

  その最終回は如何にも気持ちの晴れ晴れするエンディングであった。

それはそれで素晴らしい最終回であったが、私がこのドラマで一番感動したのは、最終回ではなく第7話にあった。

  それまで同じ釜の飯を食ってきたエースの里村。

その里村が、自チームであるアストロズから最大のライバルであるサイクロンズへ移籍した場面のことである。

  全日本でも活躍し、代表チームのメンバーでもある里村。

よって、アストロズ内でもエースであり、今が最高にパフォーマンスの高い能力的にもピークの選手が、相手監督の策略もあり移籍話を相手側から受けるのである。

悩みに悩み結果として今の自分のパフォーマンスを最大に活かせるサイクロンズへの移籍を決意する。
しかしそれは今までサイクロンズを倒して今期のリーグ戦優勝を共に目指してきた仲間たちへの裏切り行為でもある。

  更に、里村が今シーズン相手チームでプレーするには移籍承諾書が必要となる。

この移籍承諾書とは、移籍元チームが本人に対して移籍を承諾したという証明であり、これは移籍元チームに出すか出さないかの決定権があるものだ。

  当然GMの大泉洋は当初は出さないと決めていた。

それは、戦略として相手への戦力向上を食い止めるためには当然の行為でもある。
しかし、それによって里村は今シーズンは公式戦に出場が出来ないということにもなる。

  承諾書を出さないという当然の戦略。

しかしそれが本当にすべきことなのかどうなのかを、大泉洋は自チームの選手たちに問うた。

  そこからのくだりに人間の生き様を見た想いであった。

そして最終的には里村に、チームの総意として移籍承諾書を出し、快く里村をサイクロンズへ送り出したのである。

  この移籍承諾書が里村への餞別代りとなったのである。

そして、アストロズはサイクロンズに対して、敵に塩を送る形となったのである。

  決して戦略的には正しい手法とは言えない。

しかし、それがアストロズの戦い方なのだとチーム全員が納得し、そのチームメンバーの総意による敵に塩を送るという決定が、自チーム内の結束力を高める結果となったのである。

  結束力。

これは意外に理にかなわぬ状況においてより強化される人間の吸引力なのかもしれない。






  

| | コメント (2)

2019年9月 4日 (水)

全ては「道」になる

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


朝のTBSラジオを聞いていた時のこと。
ダイワハウスのコマーシャルだったと思う。

  「全ては道になる」

なるほど、いい言葉だなと思った。

  そしてダイワハウスのCM動画を検索してみたら弓道の動画があった。
  https://www.daiwahouse.com/ad/cm/kyoto.html#movie

日本に古くから存在する武道や芸道。

  例えば「柔道」「剣道」「相撲」等。
     「茶道」「華道」「書道」等。

いずれも日本で生まれ日本人が育ててきたスポーツであり文化。

  それらには必ず最後に「道」という文字が付く。

〜道。

  それらは求道的な意味を持つ。

勝敗よりも自分に対しての精神修養や他者への敬意や尊敬の念を尊重し、それらを通して自己鍛錬をしていくという意味合い。

  そしてそれらを支えるものを「道具」と呼ぶ。

道を極めていくのに必要な必需品。

  それを道具と呼び大切にしてきた。

思えば、スポーツにしても仕事にしても道具を用いて行うことが多い。

  特にユニフォームは全てのスポーツや仕事に当てはまると思う。

なぜ、我々はユニフォームや制服を着るのだろうか。

  それはその服が一番適した服装であるからだ。

例えば、野球。

  普段着からは程遠い形容をしている。

しかし野球をやったことがある人ならば分かるだろうが、そのストッキングやアンダーシャツに半袖の上着等、野球のあらゆるシーンで効率よく体を動かすのに適している形態なのである。

  同様にそれぞれのスポーツのユニフォームがそうであろう。

そしてそれは、我々の制服にも同様に言えることである。

  その仕事をするのに一番適した服装。

それが制服。

  生鮮で素材を調理するのに適した白衣。
  グロサリーで品出しに適したジャンバー。
  レジで精算や接客に適した制服。

全ては、その業務に適した形態なのである。

  だから制服も正確に着用しなければならない。

エプロンの後ろの紐のたわみやたごみすら、一つ一つの作業からすれば効率が低下するため、正しく正確にたごみの一つもなく着用するから、何回も何回も同じ作業を繰り返しても、作業効率を低下させることなく作業を継続できるのである。

  道を極める。

それは、周囲の道具を正しく着用することから始まるのではないだろうか。




| | コメント (4)

2019年8月24日 (土)

同じ土俵で戦わない

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


同じ土俵に上がる。

  そうすべき場合とそうすべきでない場合がある。

そうすべき場合とは、仕事上での競争の場合や競合店との競争の場合が挙げられる。

  競合店との鮮度、価格、品質、品揃え、メンテナンス等。

要は売場のあるべき姿に対して、しっかりと同じ土俵上で素直に戦い、お客様の支持をどう取り込んでいくか。

  この事を無骨に正面から取り組んでいく事。

同じ土俵とは、決して逃げずに競合店や競争相手と同じステージに立って比較対照しながら自店のレベルを高めていく事である。

  同じ土俵に立てばそこから逃げることは出来ない。

これが同じ土俵に立つという意味である。
そして、正々堂々と同じ土俵の上で相手と決着を付けるのである。

  それが同じ土俵に立つという意味。

それはある意味、覚悟が必要となる場合が多い。

  相手と同じ土俵で正面切って立ち会うのであるから。

そして、決着が付くまでぶつかる覚悟。
それが必要であろう。

  そして同じ土俵で戦ってはいけない場面。

それは、部下との関係。

  部下との関係において同じ土俵に立ってはいけない。

特に、部門チーフとパートさんとの関係においては、同じ土俵に立ってしまうとどうしてもお互いが感情的になってしまい、遺恨を残す結果となってしまう。

  こんな時は上司は決して土俵に上がらないことである。

部下が土俵に上がって塩を巻き始めても、それを冷静に見つめてその一挙手一投足を見守ることである。
そうしているうちに、相手の戦意が喪失するのを待つのである。

  その間はひたすら相手の言葉に耳を傾ける。

耳を傾けている間も、決して土俵に上がってはいけない。

  土俵に立ちたくなる気持ちはわかる。

しかし、相手が両手を土俵につけて立会いのポーズをとっても、その立会いに上がっていはいけない。

  黙って話を聞き続けることである。

特にパートさんの場合は話を聞いてくれたという事実だけが心の拠り所となる。
上司にとっては、部下と同じ土俵に立って、叩きのめしてやりたいという願望が沸々と湧いてくるものである。

  どうしたって上司の方が武が良いに決まっている。

それを利用して力尽くで部下をこてんこてんに言い負かしてやろうとするものである。

  しかしそれがどれほど信頼を失う結果となるか。

そうやって、いつしか自分の周囲から人が去っていくのであろう。









| | コメント (10)

2019年8月23日 (金)

異国の地で

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


外国人労働者。

  もはやこの業界でも当たり前に就業していると思われる。

特に学生としてアルバイトをしている外国人を採用している企業は店舗は多いのではないだろうか。
または在留資格を持つ方が、在留期限の5年間の中でこの業界で技能を習得する為に働いている場合もあろう。
それとは別に、日本人や同じ国の伴侶と共に日本の国籍を所得してここに永住し働いている方もいるのではないか。

  いずれにしても多くの外国人がこの業界で活躍しているのが実態。

そして、それらの方がどのような意識で日本で、そしてこの業界で働いているのであろうか。

  暮らしの為に仕方なく。
  国の親に仕送りのため。
  共に暮らす家族のため。

それぞれに目的があり、その目的の為にこの業界でアルバイトやパートとして収入を得ているのだろう。

私もいろいろな外国人のアルバイトやパートと共に仕事をしてきた経緯がある。

  言えるのは国柄などというものは無いということ。

それぞれに出身の国は違えど、外国人の働きぶりは国には関係なく個人個人で全く異なる働きぶりを示してくれる。

  ある人は真面目にコツコツと笑顔を絶やさずに。
  ある人は急に連絡も無く来なくなった方もいた。

国柄というよりも、外国人その人の生き方に依るものであろう。
当店にも中国人の女性がパートで生鮮部門で働いている。

  仕事の覚えも早い。

仕事は値付けや品出しである。
値付けと言えば、日本語で書かれた品番を打ち込んで品名カードを値付け機から取り出し、商品に貼り付ける。

  それの繰り返しであるから漢字が読めることが前提。

その仕事をこなしながら品出しもしている。
大抵の店舗ではこのような作業は日本人が専任で請け負うことが多いと思う。

  しかし彼女はそれを担って無くてはならない存在である。

ある日、私が部門の品出しを手伝っていると、彼女が私に言った。

  「店長の品出しはいつも綺麗ネ。」

   「◯◯さんも値付けよく頑張っているね。」

  「ワタシ、ガンバッテ覚えたよ。」

そんな仕事の話から、ちょっと話がずれて、買い物の話になった。

  「このお店ができる前は、ワタシ違うところで買い物してたよ。」
  「でもここで働くようになってから、ここ以外で買い物しないよ。」
  「だって、このお店が儲かって欲しいから。」

この言葉を聞いて目頭が熱くなった。

  日本ではあまり中国人に対しての印象は良く無い。

しかし、この言葉を聞いて中国人の強さを知った。

  “末端の国民が皆このような忠誠心を持っているのか”

そうであれば、戦後の中国の発展は当然であろうし、今や世界一の経済力となりつつあるのも納得できるものである。

  我々はこの中国人たちから素直に学ぶべき時がきているのではないか。








| | コメント (5)

2019年8月10日 (土)

墓参り2019

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


毎年恒例の墓参り。

  今年は梅雨時期が長くなり8月にずれ込んだ。

しかし、梅雨が明けた途端に猛暑日の連続。

  “今年の墓参りは厳しそうだな”

毎年、福島と新潟の二つの墓に行くのであるが、墓参りとは言いながら問題は墓周辺の掃除である。

  掃除というよりも草むしりか。

墓周辺に生えている雑草がハンパないのである。
一年に一度の墓掃除であるから当然であろうか。

  特に福島の墓周りの雑草はひどい。

通常であっても1時間では到底すまない墓掃除。
そして例年であれば午前8時ごろから始めるのであるが、この猛暑であり午前7時から始めようということになり、家を午前5時に出発。

  今回は燃費測定も兼ねて新たに購入したマニュアル車で出かけることにした。

通常の通勤では安定してリッター13kを記録していたが、高速走行でどれほどの燃費なのかの測定もしたかったからである。
毎年のことであるが、この墓参りツアーでは不思議なことが多い。

  途中雨でも現地に着くと必ず雨が止む。

過去に何度もそんな奇跡が起こってきた。

  “守られているなぁ〜”

毎回そんな感想を抱くのである。

  そして今年。

事前の天気予報通りに快晴となった。

  快晴どころか、猛暑日和である。

最高気温はここ数日連続して35度を超える予測である。
午前7時には到着したが、既にお墓まわりは体感温度40度を越す暑さであろうか。

  そして今年はやたら雑草が多い。

雨が多くそしてこの好天により雑草が気持ちよく伸びてきたのであろう。
早速、女房といつものように取り掛かった。

  しかし今年は汗の量がハンパなく多い。

なぜか脇腹も痛くなってきた。

  “こんなこと今までに無かったな”

流石に今年は30分に一回は休憩を取らないとめまいがしそうだった。
そしてようやく概ねの雑草を始末できたと思った瞬間に、どうにもこうにも塀に腰掛けてしまった。

  汗が止まらずに思わずに溜め息が出たしまった。

女房に言われてとりあえずクルマに戻り、エアコンをガンガンかけて、それから凍ったタオルをクーラーボックスから取り出して手のひらで握りしめた。

  これが効いたのであろう。

凍ったタオルを手のひらや首筋、脇の下に当てがい体を冷やしたら、徐々に体に血液が回っていくのを感じたのである。

  同時に脇腹の痛みも消えていった。

お墓では女房が既に線香の準備をして待ってくれていた。

  「大丈夫?」。

   「ああ、凍ったタオルのお陰でだいぶ戻った(笑)。」

女房に言わせると、座り込んだ時の顔色が真っ赤だったという。

  熱中症の一歩手前だったのだろうか。

その後コンビニで涼を取り、再び高速に乗って新潟へ向かった。

  新潟の海沿いは盆地の福島と違って、湿気が少なく気温も3度程度低い。

更にお墓は日陰にあるので福島のお墓掃除とは比べものにならないほど楽である。

  まして、砂状の土であるから草むしりも楽。

そして再び磐越道を通って北関東へ帰ってきた。

  往復720kの墓参り。

燃費もリッター14kと好調な結果となった。






| | コメント (2)

2019年8月 3日 (土)

ポジティブ思考

皆さん、こんにちは。
  食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。



先日のカンブリア宮殿。

  アサヒ飲料社長の岸上克彦さんを取り上げていた。

岸上さんは、1976年にカルピスに入社。
しかし、カルピスは2007年に味の素の子会社となった。
更に、2012年にはアサヒグループに買収された。

  一転二転する自社企業に翻弄される。

誰しもそう思うだろう。

  しかし岸上さんはそれらをポジティブに捉えた。

味の素の傘下に入った時は、

  「圧倒的にグローバルに発展するかもしれない」

アサヒグループに入った時は、

  「規模の拡大からやりたかったことが実現できるチャンス」

上記の通り、環境の変化を自分なりに受け止め、自社であるカルピスという組織を上記大企業と組むことによって、その大企業が持つ特性をポジティブに自分にそして企業に取り込もうという発想を持ち続けたという。

  そして2015年にはアサヒ飲料の社長にまで登りつめるのである。

なんと、買収された側の企業の人間が日本を代表する飲料メーカーのトップに立つ異例の人事である。

  通常であれば買収された側の人間はその後は肩身の狭い思いをするものだ。

しかしそれだけ岸上さんは、カルピス、味の素、アサヒ飲料との企業の文化を自分なりに取り込み、環境の変化に振り回されることなくその環境の変化をポジティブに活用して組織人として進化していったといえよう。

アサヒ飲料が持つ商品としては、カルピス以外にも発売から135年の「三ツ矢サイダー」も絶好調、発売115年の「ウィスキンソン」も過去最高売上と、カルピス以外の飲料も次々と復活して現在も日本人に愛飲されている。

そして司会の村上龍は岸上さんに問うた。

  「子会社化になることで個人的にネガティブな感情にはならなかったのか?」

岸上さんは答えた。

  「ただ単にネガティブな感情に溺れてしまいたくはなかった」。

ネガティブな感情に溺れて行くのか、それとも新たなフィールドでどうやって自社の商品の価値を見出すのかということに対して、前向きに考えたいと思ったという。

  そんな強い意志が時代の流れに翻弄されることなく変化対応できたのであろう。

そんなカルピスも自動販売機の普及によって売り上げが低迷した時期があった。

  そこで新たなカルピスが次々に登場することになる。

カルピスを水で薄めた「カルピスウォーター」。
更に2016年には「濃いめのカルピス」。
2018年には更に価値を高めえた「カラダカルピス」。

  カルピスの強みを更に多用途化していった。

おそらくそれらの施策も、彼自身の環境の変化、企業合併によって自社が子会社化されたことによるポジティブな思考が逆境を跳ね返すプランを次々と生み出すことになっていったのであろう。

  逆境を経験した人間は強い。

壁を乗り越えるという経験は自らのポジティブ思考次第である。

  誰にでも逆境は訪れる。

それは天が与えた試練の場。

  その場をピンチと取るかチャンスと取るか。

それだけのことなのである。







| | コメント (4)

2019年7月19日 (金)

清掃担当者の目

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


店舗内の清掃。

  企業によってもその形態は違うであろうか。

自社内の部門担当者がそれぞれ分担して清掃を実施する企業。
店内の清掃部分に関しては完全に外部委託して実施する企業。
自社内に清掃担当者を選任して店舗の清掃を担当させる企業。

いろいろな形態を取りながらも、店舗内外の清掃を実施していると思われる。

  先日も仕事の流儀で取り上げた「清掃のプロ」。

http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-3913d2.html

清掃を通して自分を磨き、周囲の人々の心を磨く姿であった。
そして、そこにできてきたある言葉。

  「誰も存在を認めてくれない」

そう、清掃担当者がいろいろな場面で清掃をしている姿はよく見かけるが、多くの人はその人が一個の人間としての存在を認めているかと言えばそうではない。

  一人の人間としての尊厳を持って接しているかと言えるであろうか。

そして、彼ら彼女らも働きながらそれをひしひしと感じているのではないだろうか。
しかし、彼ら彼女らがいてしっかりと店舗内外を磨いてくれているからこそ、我々は快適に目の前の商品に全力を注げることができるのである。

ちなみに当社は上記の清掃形態の中で、自社で清掃部門を有し、店舗で清掃担当者を採用して専任で清掃を担当してもらっている。
よって、一人のパート社員として商品は持たないが、逆に言うと我々が快適に店内でまたはバックヤードで仕事ができるのは彼女らがいるからであることをよく知っている。

  よって、全体朝礼でも彼女らの活躍を何度か取り上げたこともある。

「うちのお店の社員の休憩室は全社一綺麗な状態だと思います。」

  極力彼女らの仕事ぶりを公開しようとしている。

そうでなければ、私も含めて誰もが彼女らを人としての認知力が低下してくるからである。

  清掃は清掃担当者がするもの。

そんな意識を捨てて欲しいからでもある。

  あくまでも清掃担当者に頼らずに自分の周囲は汚さないと言う心配り。

その心配りが、彼女らの完成度を更に高め、お互いに相手の仕事を認め合える関係になっていくのである。

  そして彼女らはいつも何をみて仕事をしているのであろうか?。

実は彼女らは我々の仕事ぶりをよく見ているのである。

  個人個人の人間性から発言から行動まで含めて、よく見ている。

先日、ある清掃担当者が私に言った。

  「店長、今度の子は素晴らしいですよ」

よくよく話を聞いてみると、今回の人事異動で当店に赴任した担当者の話であった。
今度の担当者は、通常は清掃の機械をつなぐコンセントの線をまたいだりし踏んだりして上を通るのだが、今回赴任した担当者はその電気コードを手で持ち上げてその下をくぐって通過したと言う。

  「そんな子は初めてです(笑)。」

我々には全体に見ることのない世界。

  そんな世界を彼女らは見ているのである。







| | コメント (4)

より以前の記事一覧