心のあるべき姿

2021年1月22日 (金)

挑戦者の発信

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


昨日は「リアルな情報」を記した。

  リアルな情報の「奥深さ」と「重み」。

それはリモートでは決して見てこないリアルが故の立体感である。

  そして、本日は「挑戦者の発信」。

情報を求める者は、自らの足で稼いだ情報によってのみ、立体感のある情報に触れることが出来る。

  しかし逆の立場で見ると情報発信者はどうか?。

情報を受け取る立場としては、リアルに自らの足で稼ぐことによって立体的な情報を得ることが出来るのであるが、逆の立場として情報を発信する者としてはどのような心構えが必要であろうか。

  そこが本日のテーマである。

そして冒頭に「挑戦者」という題名が出ているのであるから、答えは明白だ(笑)。

  挑戦するものが発する情報。

それが何より価値ある情報なのである。

  何故か?。

挑戦者は常に新しいことに取り組んでいる。
よって、従来の既定路線ではなく、新たな成功体験から得られた成功事例であり勝ちパターンの発見という、常に最先端の情報を有しているからである。

  過去の命題の検証も大切であろう。

しかし挑戦しているということは、常に新たな命題に対しての真偽と格闘しながら新たな真実を求めて道無き道を開拓しているのである。

  そこからもたらされる最先端の情報は成功失敗を問わず価値あるものである。

それは、その発信からの成功事例はもとより、失敗事例からも新たな事実がもたらされ、そしてその失敗から新たな仮説が導き出されるのである。
そしてその情報は、自らもその状況に置き換えて自分自身のこととして捉えることが出来るのである。

  成功失敗を自分のこととして捉えることが出来るという情報。

それは、情報の発信者が常に挑戦しているからこそもたらされるものなのである。
情報発信者が常に挑戦しているということは、同じ挑戦者としては同じ速度で突っ走る人間であり、世界を同じ目線で見ているということであり、同じ目線で同じ景色を見ているということは、共感する部分が多いということでもある。

  発信された情報に共感する。

これは、同じスピードで同様に挑戦している人間でしか共感できないもの。
そんな人間が発信する情報は、情報を受け取る側も同じ視点で世界を見ているのであるから、同じ未来に対しての共通認識があるのである。

  その部分に琴線が触れるのである。

よって情報の発信とは、常に挑戦した結果の発信であることで、その価値が決まるのである。
そしてその発信によって、同様に走りながら挑戦を続ける同朋にとっては非常に重要な情報となって届くのである。

  そしてそんな仲間がいることがその人間の価値なのではないだろうか。

そんな仲間たちがお互いに引き寄せ合って情報を交換できる環境。

  今年はそんな環境が戻ってきて欲しいものである。






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2020年12月12日 (土)

空師

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


空師。

  初めて聞いた。

先日のNHKの「目撃!にっぽん」。

  空師とは、簡単にいうと「高い木に登って木を切る職人」のことだという。

大きく括れば「林業」という仕事の仲間であるが、その中でも周囲の木を痛めないように高いところに登って枝から少しずつ伐採をし、最後に大きな幹をその商品価値を落とさずに、そして周囲を傷つけずに伐採するという役割を果たすのが「空師」。

特に空師に仕事が依頼される場合というのは、その大木が腐ってきていずれ倒れる危険があり、その周囲に家などが立っていてその家を守るために朽ちて倒れる前に安全に伐採しようとするような場合に、仕事の依頼がある。

  要は安全に伐採するという使命があるということだ。

通常の伐採であれば、空師でなくても依頼できるが、上記のように周囲に家があってその家を傷つけないような伐採をしなければならない場面や、大木の価値を落とさぬように枝割れしないように伐採しなければならない場面、または危険な斜面に斜めに張り出した大木なども空師の出番となるようだ。

  まさに命がけの大仕事。

彼らは自分の体にロープを巻きつけて、まるでサーカスの空中ブランコのように木から木へ乗り移り枝を思い通りの場所へ切り落としていく。

  大木の価値を落とさずに。
  伐採で周囲を傷めぬように。
  自分の体の安全を確保して。

それには、木の性質を知らなければならない。

  外見から木の内部を見通す眼力。

内部のどの部分がどの程度、どのように痛んでいるのか。
それを察知できなければ、大木は思わぬ方向に倒れたり、枝割れして商品価値を落としたり、更には自分自身の身をも危険に晒す結果となってしまう。

  それには伐採という数をこなして習得していく以外はないであろう。

更には、空師と言われるだけあって、空中での身のこなしも身につけなければならない。
そしてそんな状況でも重量のあるチェーンソーを自在に操作しなければならない。

  ロープ捌きとバランス感覚。

そしてそんな状況で大木をより安全な斜面に伐採していく伐採能力。
どこにどの程度の亀裂を入れて、その方向に伐採し、大木をより傷つけずに商品価値を落とさずに、更には周囲の木々を傷めずに落とすか。

  山という全体を如何に把握するか。

そんな空師を今回の「目撃!にっぽん」では取り上げていた。

  空には直接関係ないけれど高所での木材を扱う「空師」。

アクロバティックで専門的な知識が必須であり、体力も必要。若いうちから弟子入りして技術を身につける職業のため、現代では後継者不足が問題となっているようだ。

  そういう意味では我々の業界と同じ構図。

むしろ我々よりも人不足は深刻ではないだろうか。
我々業界は店内という室内での業務となるが、彼らの場合はより厳しい環境であろう山間部での仕事。

  自然に赴いての業務となる。

特に山林においては風雪たなびく中での仕事であろうし、そこまで徒歩で向かう途中も数時間をかけての道中となろう。

  それでもこの仕事に就くというやりがいとは?。

それは、彼が言っていたが「奈良吉野を守る」という使命感だという。
そして、それは代々受け継がれてきた歴史であり、後々の人間達へバトンを渡すという使命感。

  「俺がやらないで誰がやる」

そんな気概であるという。

  かっては親の背中を見て育った後継者達が大勢いた。

しかし昨今は親は親、自分は自分という風潮であり、親も子に継がせるという意識も薄くなってきたのであろう。
そんな風潮もあってか、この番組を見て思うところがあった。

  世代間バトル。

世代間ギャップという言葉は聞くが、世代間バトルという言い回しは初めてであろう。

  その世代でなければ理解出来ない価値観。

そしてその価値観のわかる人間同士でその職に付き、その職の伝統を守ろうとする意識。

  例えば、 リアル店舗VSネット通販。

旧世代と新世代のバトル。
そう区分けするのは危険であることは承知しているが、そう区分けする方がわかり易いのではないだろうか。
そう区別することで、その世界のモノの良し悪しがより明確に理解できるのではないだろか。

  この番組からそんな想いが込み上げてきた。








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2020年11月 4日 (水)

気がつけばアウトロー?

皆さん、こんにちは。
 食品スーパー店長をしている「てっちゃん」です。


アウトロー。

  訳して「はみ出し者」。

以前にも「アウトー論」を記した。
http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-eac047.html

  いつの間にか縮小されてしまった行動規範。

その規範を本来の位置まで広げよとするといつの間にかアウトローの道を歩むことになる。
そんな内容であったと思う。

  そして今日もアウトローに関しての話題。

先日の記事で「土台」を記した。

  企業としての基本の上に立つのが店長の仕事。

そんな記事を載せた。

  そして基本の上に立つとは。

それは、店舗のリーダーとして常に自店を客観的な視点に立って、お客様視点に立って自店を冷静に見なければならない存在であるということだ。

  自店の強み、弱み。

それを競合店と比較したり、お客様の立場に立った時にどこに自店の隙間があるのか、アラがあるのかを発見する為には、土台そのものなっていては絶対に見れないということだ。

  土台そのものとは基本を遂行するだけの立場。

その立場になる限りは、土台から自店をみるだけの視点に過ぎず、結局は隣の芝生と同じ青々とした芝生としてしか自店の庭を感じることができないのである。

  重要なのは自店を真上から見る視点である。

真上から見る視点を持つには、どうしても土台の上に両足を伸ばして見なければならない。

  場合によっては脚立から自店を見る勇気も必要であろう。

しかし、そんな視点に立つということは、土台から距離を置くということでもあるため、一歩間違うとそれ自体がアウトロー(はみ出し者)として写ってしまう可能性もあろう。

  逆にいうと自らをアウトローとして位置付けられるかが重要であろうか。

世に言うアウトロードと呼ばれる連中とて、好きでアウトローになっているわけではないです。

  いつの間にか「アウトロー」としてに位置になっていたと言うことである。

しかしその使命感に照らして自らの使命を果たそうとすれば、そんな視点で自店を見れる位置にいなければならない。

  自店の土台から離れると言う勇気。

これこそがリーダーの立ち位置ではないのだろうか。
そして、そこに立てばいろいろな景色が見えてくるものである。

  それが従来では得られなかった有益な情報である。

また、自社のネットワークから飛び出し、外部の研修会やセミナー等への参加へ繋がり、そこからの繋がりから新たな自分の世界を構築していくのである。

  そしてそんな人材が自企業へ戻り再び活躍を果たす。

それは、結局は自店の土台を更に高く積み上げた結果であると言えよう。









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2020年10月10日 (土)

フェイストゥフェイス

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


この半年でコミュニケーションのスタイルが大きく変化してきた。

  リモートによるコミュニケーションが当たり前の時代。

企業の会議やミーティングもリモート。
学校の授業や講義もリモート。
更には、企業への出社自体もリモートによる在宅ワークが浸透してきた。

  画像で相手を認識できるがリアルに集まらないミーティング。

そんな流れが一気に進行し、我々の業界ですら、店長会議やチーフ会議といったレベルの会議もそれぞれの店舗でパソコンを前に会議をするスタイルに変更されてきた。

そして挙句の果てには、飲み会ですらリモートによるそれぞれの自宅からの参加という従来ではあり得ない飲みにケーションのトライが相次いできたのである。

  当然私も幾度となくリモート飲み会なるものを経験。

しかし8月以降はなぜかその飲み会も姿を消してしまったようだ(笑)。

更には、企業側が所属団体への研修会への参加も今年度はそのほとんどが延期や中止となり、参加している企業でもリモート会議やリモート研修会に切り替えて研修を受けるスタイルにしている企業も多いと聞く。

  教室スタイルの一方的な授業スタイルには合うのかもしれない。

しかし、その売場やその作業場、そしてリアルに店舗にお客様が来店されているリアルな空間において開催される研修会となると、リモートというスタイルは全く用を為さない。

  要は、売場や買場という空間を演出できないからであろう。

リモートで映し出される画面は平たんであり、その奥行きや立体感から伝わる直接的な売場の雰囲気がリモートの画面からは伝わり切れないし、参加する側もどうしてもそこから売場のボリューム感や鮮度感、そして売る気や買う気が伝わて来ないことが要因であろうか。

  やはり売場を中心とした研修会はリアルには絶対に敵わない。

それだけ、我々の売場というのはリアルな存在であり、それを画像だけから学ぼうとしてもそこには相当な限界があるのであろう。

  それでは何故リモートでは伝達力が半減してしまうのか。

それは、伝達する側と伝達される側の信頼関係とでも言うべきであろうか。
伝える側の表情一つとっても、ここは真剣に聞いてほしい場面であったり、ここはウケ狙いを感じてほしいとか、この売場はこのボリューム感と鮮度感、そしてそこから売場の雰囲気を感じてほしいという部分が、リアルな売場からは惜しげもなく伝えることが出来るし、受け取る方もその場の雰囲気からどんな言葉よりもその売場をリアルに見た瞬間に受け入れてしまうところにあろう。

  要はこれがお互いの信頼関係となるのである。

信頼関係はとはどうしてもリアルに相手の表情や動作、そして相手の目力からお互いの信頼を得ていくのである。

  その信頼関係から伝わる情報量が全く異なってくるのではないだろうか。

その信頼関係の構築の過程の中で、会話の楽しさ、情報交換のリアル感、そして相通ずる伝達力にてスピーディな情報交換が可能となり、それがまた会話のやり取りの楽しさを生んでいくのである。

  よって人間同士のリアルな会合はいずれ復活していくことであろう。

但し、どんどん広がるSNSの拡大のスピードにより、リアルなコミュニケーション機会は相対的には減少していくであろうが、しかし人間同士の信頼を得るという行為はリアルな場でからでしか得られないのは間違いない事であろう。






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2020年8月12日 (水)

手本を持つ

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


理想の売場。

  皆さんそれを目標に売場作りをする。

それでは理想の売場とは具体的にどのような売場を言うのか。

  しかしなかなか自分でもそれを表現することは難しい。

表現しようとすれば、具体性に欠け概念的な言葉で網羅しようとすることになる。
よって、現実に存在する「ある売場」を目標にしている場合が多いのではないだろうか。

  例えば自社他店舗で良い売り場を作っているお店。
  例えば競合他社で憧れてしまうような売場のお店。

特に自店から近場にあるお店であれば、競合店であろうとなかろうと自分の「手本」として日々MRしているお店があろう。

  それも時系列的に参考にしているお店である。

それは、その日のその瞬間の売場だけではなく、時系列的に毎週毎週の売場が相場や旬、イベント等の歳時記に合わせてダイナミックに変化しながらも効率的に関連性の高い商品群が一堂に集められた展開をしているお店であったり、常に売場の縦割りがしっかりと維持されながら鮮度感のある陳列をしているお店等であろうか。

  自分の手本。

その存在は非常に大切であろう。
身近なところに、これからの売場作りにおいて自分が参考になる売場の現物を直接、そして時系列的に勉強できるのであるから。

  百聞は一見に如かず。

よく言われる言葉であるが、それを地でいくのが実際に存在する売場を自分の目で直接見ることである。
それによって、いくらいろいろな情報が耳に入り込んできたところで、一回その売場を見たら全てが理解できると言うことだ。

  そんな自分にとっての手本であり見本のお店を作っておきたいものである。

それも時系列的に52週毎に見続けることが大切だ。

 それを定点観測という。

同じお店の同じ時間帯で同じ曜日を毎週見続けること。
それによって、そのお店の考え方や販売手法が常に変化しながら「今」を追い求めていく姿が見えるのである。

  そこで見えてくるのは「タイミング」。

いつどのタイミングでそれを打ち出すのか、それもどれだけのボリュームで、展開方法は、等の生の情報がその売場から入手できるのである。
特に、その地域での出店が先輩格の企業や店舗であればそれは自店にも大いに参考にできる生の情報と言える。

  特にイベント時の売り場の変化を把握することは有効であろう。

お店の顔である店舗入口の売場展開。
青果のトップ平台の旬の果実の展開。
鮮魚のイベント時の刺身売場の展開。

  等々、店長として参考にする部分もあろう。

ただし、上記のように各部門の担当者がそのまま自らの展開手法に取り入れやすい職位の人間が直接見に行ってくることも大切である。
自社の模範店舗を視察することも重要であろうが、競合他社の模範店もを視察することも重要。

  違うDNAを持つ企業の売場ほど参考になるものはない。

自分の売場作りにおける「手本」の存在。

  この手本の存在が自分の売場の進化を決めるのであろう。






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2020年8月 1日 (土)

自責と他責

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


今日から8月。

  前半戦のヤマ場となる月。

言わば、前半のお客様の評価であり通信簿を頂く月となるのが8月という時なのである。

  昨日は「読めない時代のリスク責任者」を記した。

コロナショックの感染者がいまだに収束するどころか、逆に第二波然とした様相。
今年のゴールデンウィーク同様に「外出自粛要請」としての「ステイホーム」となりかねない状況。

  そんな状況の中、お盆商戦を迎えるのである。

そんな時ほど、リスクを負ってでも明確な方向性を示す役割が必要となる。
そんな記事を書いた。

  そして今日は「自責」と「他責」。

「自責」とは自己責任。
「他責」とは他者責任。

  まさに今は個店の店長が自責を負って方向性を示すべき時。

そしてそのような役割を担う存在が今は必要であり、その存在が個々人を正しい方向へ向かわせ、組織を引導できるのである。

  逆に他責の組織では絶対に誰もリスクを負う行動を取らない。

よって、このような混迷の時に組織を引導する役割を担う人間が現れないのである。

  そのような組織風土が出来上がっているのである。

そのような組織は変化に洗われながら徐々に衰退していくであろう。

  それが組織の生態である。

組織には求心力と遠心力がある。

  求心力は内部に集中する力。
  遠心力は外部に飛び出す力。

強固な求心力により、組織は一個にまとまろうとするし、同じ価値基準に従って一体化していことする。
そうやって組織は固さを維持し、何があっても崩れない強固さを増していくのである。

しかしそれと同時に柔軟さを失っていくというデメリットも併せ持っていくことになる。

  そこに遠心力が有効な役割を果たすのである。

遠心力とは、自責を持った個々人がチャレンジ精神を発揮して組織に新たな価値基準を創造していく力である。

  自責という覚悟が人間を強くする。

他責で行動する場合は、人間はその行動に覚悟が伴わないから思想と行動に軸が無い。

  軸が無いから行動がその都度ブレるのである。

行動がぶれるから、課題に対しての突破力が無いのである。

  他責に依る行動とは突破力に欠けるのである。

自責と他責の違いは、その突破力にある。

  その突破力の積み重ねが組織力なのである。

そしてその突破力が組織の器を大きくし、許容力を高め、多様な価値を取り入れ、変化に対応できる組織体となっていくのであろう。

  よって求心力にも遠心力にも自責という覚悟が重要なのである。

自責を以って行動する。

  今こそリーダーに必要な覚悟ではないだろうか。







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2020年7月17日 (金)

先入観

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


事前に相手を知ることは重要である。

  しかしそれを先入観と勘違いしてはいけない。

先入観とは思い込みのこと。

  よってその思い込みが正しい判断や対応を誤ることも多い。

特に人間に対しての先入観は禁物である。

  “あの人は仕事が出来ないらしい”
  “あの店長は感情的になるらしい”
  “あの子は挨拶が出来ないらしい”

人事異動の場合でも、自分のお店に赴任する相手に対して、いろいろな噂話が飛び込んでくるものだ。

  勝手に飛び込んでくる噂話ほど当てにしてはいけない。

それは、全人格の中でも特徴的な部分をピックアップして相当盛られた話として伝わってくるからである。

  そこからその個人の人格を限定された形で入ってくるのである。

私も若い頃はそのような噂話に振り回された時があった。
そして、その噂話の相手を強い先入観からの思い込みによって、その後の人物像を誤解して認識していたものである。

  これは非常に生産性の悪い状況を生むことになる。

その思い込みからストレートに相手に対して言葉を発しない状況が続くのである。

  “あの人はこういう人だから”

その先入観が生産性の高い行動力を奪っていくのである。
そんなことに繰り返しから見えてきたことは、他人の目を通して伝わる人物像や噂話には必ずその人物の中のある一定の要素が相当盛られた形で伝わってくるものである、ということである。

  よってある時から他者からの先入観を一切廃したのである。

それは人物像に対する先入観だけでなく、例えば誰かがこんなことを言っていたとか、誰かがあなたの噂話をこのように言っていたとか、人づてに伝わる噂話に関しても、耳に入れるが一切信じないことにしているのである。

  本当に確かめたいことは直接相手から聞く。

そのルールは今でも徹底している。
だから、色々といい噂話の無い相手でも、赴任早々に言うことは、

  「ここに来たら前の噂話は一切忘れて心機一転で直せよ」

以前の話は以前の話であり、本人だってそのことに縛られたくないから今回の人事異動に掛けている部分もあろう。

  その気持ちを大切にしたいと思っている。

そこに輪をかけて、我々受け入れる方が先入観から相手を見てしまったら、彼らの心機一転の心を折ることになってしまうであろう。

  それも人事異動の大きな目的なのであるから。





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2020年7月 4日 (土)

部下の覚悟

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


部下の人生を背負う。

  今まで「上司の覚悟」として事あるごとに記載してきた。

http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_321d.html

2008年2月21日のブログ以降、いろいろな場面で「部下の人生を背負う」ことが上司の覚悟であることを書いてきた。
当然それは、上司と部下の関係において上司が持つべき心構えであることは間違いないが、それでは相対する「部下」の心構えはどうなのだろうか。

  「上司に人生を預ける覚悟」が必要であろう。

それ以前には何の関係も因果もない上司と部下がある日突然人事異動という社命において共に仕事をすることになる。

  これは明らかに偶然ではある。

しかし偶然だからこそ思いがけない出会いがあるのである。
何も運命づけららないから、ある一時の邂逅がその人間の人生を変え得るのである。

  だから上司は常に部下と共に過ごす人生に緊張を持って向き合うのである。

それでは、方や部下の方はどうかというと、こちらも上司に全てを預けるのではなく、自分の上司が自分の人生を背負うということに対しての覚悟を持たねばならないのである。

  お互いにその覚悟を持たなければどちらかが不幸となるであろう。

上司が部下の人生を背負う覚悟を持ったとしても、部下がその覚悟を持たなければ、結局は店舗運営に支障をきたしていくことになる。

  部下も上司に人生を背負われる覚悟が必要なのである。

そこから上司への信頼が生まれ、上司の言葉を信じて自らの行動を変えていく。
その行動力につながる上司への信頼がなければ、その上司と部下はやはり同じ屋根の下で上司と部下の関係を解消した方がお互いに不幸にならずに済むのである。

よって、どちらかがお互いに不信感を抱き、とても人生を背負ったり背負われたりという関係が結べないという感覚を持ったならば、お互いに不幸になる前に上司と部下の関係を解消すべきではあろう。

  自分の能力を遺憾なく発揮する為にはお互いの信頼関係が不可欠。

その信頼関係無くしては自らの能力を遺憾なく発揮することも不可能。
それは自分の業績評価においても最上位に引き上げることは出来ない。

  もし信頼でき得る上司であるならば。

そう考えると、上司への不満をどう打開していくか。

  私にもどうにも我慢のならない上司はいた(笑)。

一時はふてくされていた時期もあった。

  しかし見てくれている人は必ずいるものだ。

そんな方に拾われて新店メンバーとして人事異動を受けたことが何度かあった。
普段の本人の仕事ぶりを、周囲の人は必ず見てくれているものである。

  「お前の人生を背負ってやる」

そんな上司が必ず現れてくれるハズ。
それが、社会であり組織でもある。

  部下としての覚悟。

それは上司だけの覚悟ではないのである。








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2020年6月26日 (金)

気がつけば夏至

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


今年ほど季節感を感じる間も無く時が移ろう年はない。
先日、休日で久しぶりにちょっと早めにワインでも飲もうかと思って6時頃風呂に入った。
湯船に浸かっていて窓から漏れる外の明るさにびっくりした。

  湯船に浸かる時の外の暗さ。

これに慣れているのだが、その日はやたらと外の気配が明るいのだ。

  “随分と明るいなぁ〜”

そう思ってその日の日付を確認したら7月24日。
そう言えば、今年の夏至は7月21(日)なのを思い出した。
そう、夏至が過ぎていたのだ(笑)。

  いつの間にか夏至。

今年は多くの関係者の方々がそう思っているのではないだろうか。

  夏至。

一年で一番昼の長い日。

インターネットで検索した結果は以下の通り。

「夏至(げし)とは「夏に至る」と書くように、夏の盛りに向かっていく頃。二十四節気の10番目で、夏を6つに分けたうちの4番目の節気です。「立夏」と「立秋」のちょうど真ん中、つまり、暦の上では夏の真ん中となります。毎年6月21日〜7月7日頃にあたり、2020年は6月21日から7月6日までの16日間。カレンダーには初日に「夏至」と記載されています。一般的に「夏至」と言うときには、この初日を指すことが多いでしょう。」

とのこと。

  よって夏至とは一番昼の長い二週間の初日ということ。

よって、ここから昼が短くなっていくわけではなく、当面昼が最大に長い日が7月上旬まで続くということらしい。

  しかし今年は「夏至」すら忘れていたという状況。

それだけ目の前のコロナ禍に未だに振り回せているということであろう。

  コロナ感染の危機感は相当和らいできてはいるが。

但し、東京都の感染者数は未だに50人に迫る日もあり予断は許されない。
そして、夜の街での感染が騒がれてはいるが、我々一般人からすれば就業中の休憩時の休憩室や食事処での仲間とのお喋りタイム中の感染が最も注意すべき時間であると思っている。

こればかりは事業所一つ一つの場所で、それぞれの個人が注意を払うべきことであり、他社や他者を非難はするがその非難が自分に返ってくる事を自覚しなければならないであろう。

  そんなコロナ対策に追われていると季節感は吹っ飛んでしまう。

しかしそれと同時に丑の日計画やお盆商戦の計画の立案も同時に進めていかねばならない時でもある。

  時の流れは止まってはくれないのだから。








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2020年6月15日 (月)

今年のロードマップ

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


店長職。

  定年後もこの職位で仕事が出来るのは幸せなのであろう。

コロナショックもあり、定年前と後で何が変わったかというと、この慌ただしさもありとても自分の過去を振り返るという時間が無かったのは事実である。

そして6月に入り、少しずつではあるが店舗内外周辺の慌ただしさも緩和されはじめ、多少は落ち着きも戻ってきたであろうか。

  少しは今の自分の使命というものを見出せる時間が出来ただろか。

これからは一年一年が勝負というか自分なりに区切りを付けるサイクルとなっていくであろう。

  そして、その一年毎に自分の使命を果たせたのかどうかという問い。

それを常に自分に問いながら一日一日を過ごしていくことになるであろうか。

  一年一年が勝負ということは一日一日を振り返ることでもある。

自分の使命に対して、今日はどうだったのか?という自分への問い。
その問いがあるから、明日がまた新たな一日として巡ってくるのである。

そして、一日一日の自分の使命とは?。

  それは自分の持つ技術の伝承である。

今までこの業界に身を置きながら日々仕事をし、その中で身につけてきた店舗運営であり販売技術であり競合対策である。

  これらの技術を日々の中でこれからを背負う人材に伝承していくこと。

これが私の一日一日の使命となっていく。
その結果としての、一年一年を勝負としてどれほどの技術が伝承されたのかの検証。

  その検証をどう行うか。

それは一年365日、そして52週後にまた繰り返される同じ週に、どれほど前年にも増して部下たちが、または仲間たちが活き活きと売場を作り、結果として前年を上回る結果に繋げられたかという検証である。

  よって今年一年は日々自らの行動を起こす時だと思っている。

それを徐々にトーンダウンさせて、部下や仲間達へ移行していくのが今年の私の使命であろうか。

  そのようなロードマップを描き、行動していくのが今年。

とは言いながらも、早くも6月の半ばを迎えている。

  本当に一年は早いものである。

かと言って、時の流れにまかされて流されているかと言えばそうでは無い。

  確実に一日一日に歯車が回っているという実感はある。

しかしまだまだ自分が判断し行動し、そして周囲を巻き込んでいるという状況。
それでも、その使命が歯車に乗って確実に回りはじめ、自らの意志でロードマップを描いていこうという空気になってきたことは嬉しい限りである。

  そして12月を迎える頃には如何にフェードアウトしていくか。

自分の存在や影が見えなくても、一人一人が自ら描いたロードマップに従って自らの道を歩んでいけるか。

  その為に一日一日をどう行動するか。

それが私の今後の一年一年の積み重ねになっていくであろう。








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