生き方

2017年10月11日 (水)

趣味

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


人それぞれに「趣味」を持つ方が多い。

  Facebookでも様々は趣味に興じるアップが多い。

釣り、キャンプ、スキー、ボード、ゴルフ、ドライブ等のアウトドア派もいれば、カラオケ、酒飲み、ゲーム、模型、レゴ等のインドア派な趣味も多い。

小さい頃から継続してやり続けている趣味もあれば、社会人になってから始めた趣味もあろう。中には、定年退職してから始めた趣味を持つ方もいる。

  退職してからトライアスロンを始めた。

そんな方が身近に存在するのである。

  “トライアスロンなんて現役時代でも考えられない”

私などそう思ってしまうが、それも人それぞれ、現役時代から体を動かすことが好きな方は、まとまった時間が取れるようになった定年後に本格的に始めたということだろう。

  自分の趣味。

独身時代は、冬はもっぱらスキーに行っていた。
ひと冬に10回以上は行っていただろうか。

  10回といえば毎週行っても3ヶ月はかかる。

それ以上だから、週2回の時もある。
それほど冬のスキーはのめり込んでいた。
もっとも、東北に住んでいたから、スキー場までも比較的近いということもあったろう。ある時などは、早朝の好天を受けてから決定した時もある。

  晴天時のスキーは何物にも代えがたい爽快さがある。

しかしそれも体力にある独身時代からせいぜい30代までの頃だったろうか。

  40代になるともはやその気力が萎えてきた。

スキーに行くこと自体が色々な障害を乗り越えて行くことになる。

  車の運転、交通費、スキー代、そして天候。

それらを克服してスキーに行くこと自体に、自分の気力が萎えて行く。

  “それを圧してでもやるのが趣味だろう!”

その通りです(笑)。

  だから、今の趣味といえばこのブログであろうか(笑)。

これを趣味と言えるのかどうかわからない。

  自分ではこれを趣味とは思っていない。

趣味とは好きな時に自由に楽しくできるのが趣味だと思っている。
このブログを書き始めた当初は、まさしく趣味であった。

  書きたいことを心置きなく書く。

それは、どうせ誰も持ていないだろうという思惑があったからだ。
しかし、色々な方からコメントを頂くようになってからは、自分の書きたい愚痴や本音だけでなく、誰が見ているのだろうか、以前のコメントからこんな記事が興味があるのだろうか、そして見ている方が共感してくれたり元気になってくれたらという想いが混じり合うようになってきた。

  更に、ネットワークが生まれてくるようになる。

それも含めて、毎日ルーチンとして続けてきたことと、日々のコメントに対しての対応がリアルな出会いに発展していったことの進展が今現在のこのブログの私の存在となっている。

  休日にブログを書き溜める。
  毎朝に各人のブログを読む。
  毎夕にコメントに返信する。

それは、今や私の毎日の日課となっている。

  これも趣味なのだろうか。

楽しいから続ける。
それが趣味であるならば、このブログは私にとっては趣味であろう。

  Facebookの仲間には色々な趣味を持つ方がいる。

中には、神出鬼没と称して、休日にはどこに現れるかわからない方もいる(笑)。

   遥々私の店舗まで来た事もある(東海地区から)。

東海地区に住まうにも関わらず、ある時は九州、ある時は大阪、神戸、ある時は関東まで、その神出鬼没ぶりは目を見張るものがある。

  いっときはこのブログにも神出鬼没で参加した事もあった。

あれも神出鬼没だったのだろうか(笑)。

  趣味。

やはり、趣味だけはその本人でなければ理解できない思い入れがあるのだろう。






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2017年8月30日 (水)

どん底

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、ある友人と飲んだ。

  スーパーの仲間。

あるスーパーに入社以来、順調にキャリアを重ねてきた。
現在では、人事、販売、販売促進の責任者として活躍していた。

  しかし、あるきっかけで全ての職務を返上。

ある意味、謹慎期間とも言うべきか。

  どん底に状態。

こんな時は、どうもがいても仕様がない。
もう一度、その現場から這い上がっていくしかない。

  人間には必ずどん底の時代が一度や二度はあるものだ。

その時はを経て、人間は更に成長していくものであるが、そこに直面した時には色々考えるものである。

  “再び以前の役職に戻れるのだろうか?”
  “周囲は俺をどう思っているのだろうか?”
  “いっその事この会社から退職しようか?”

悩みは尽きない。

  しかし変に欲を出さずにコツコツいくしかない。

いつまでかかるか、何年かかるかわからない。

  しかし誰かがそれを見てくれている。

その誰かが、必ず救ってくれるものだ。
もしかすると、周囲の全員が彼の努力を見てくれているかもしれない。

  結局はそのことが後々になってチャンスに変わる瞬間が来る。

しかし、人間はその時になって見ないとわからない孤独感に苛(さいな)まれるもの。

そして、そのことを乗り越えた後々になって、冷静に当時を振る帰って見て、人生の教訓を得るのである。

  しかし当事者の時には中々周囲が見れなくなるもの。

その時が正念場である。

  チャンスを待つと言う姿勢。

チャンスは必ず目の前に訪れて来る。
そのチャンスが来るまで、コツコツと努力を繰り返していくことだ。

  そして、そのことに感謝する姿勢。

人生には、必ずこのようなどん底に時代がある。

  中途半端などん底ではダメ。

どうせなら、徹底したどん底を経験するから、本気になって知恵を出そうとする。
その知恵が、今後の人生に必ず価値を与えてくれるのだ。

  彼は終始笑顔でそんな会話を私と語り合った。

再び這い上がった彼が見ものである(笑)。








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2017年8月14日 (月)

帰宅恐怖症?

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、テレビを見ていたときの話題。

  帰宅恐怖症の男性が増加。

最近と言うか、ここ数年において既婚男性の帰宅恐怖症なる病気と言うか症候が増加していると言う。

  帰宅恐怖症?。

要は、既婚男性が、妻や子供のいる家庭に就業後に帰りたくないと言う症状らしい。
そして、番組では帰宅恐怖症になりやすい家庭の女房の家庭での態度として、以下の5項目を挙げていた。

Photo

5項目のうち、なんと上位3項目は当家と同じではないか、と意気消沈した。

  外出の服装はいつもダメ出し。
  台所での決め事は絶対である。
  不用意に発せられる言葉の棘。

いずれも、当家では日常茶飯事である。
しかし、4番〜5番はゼロ。

  女房へのプレゼントの記憶は無い。
  ついさっきのことも記憶には無い。

よって、当家での帰宅恐怖症も未然に防がれているのであろうか(笑)。

  要は、二人の相性なのであろう。

本来はお互いに無二の存在として生涯を共にしたわけである。
しかし、当時の想いとは裏腹に、日々の生活の中でお互いの本性が見えてくるのだろう。

  人間は付き合えば付き合うほど相手が嫌になるもの。

それは、お互いの裏の部分や嫌な部分も長い付き合いの中でいずれ見えてくるものだから。

  付き合い始めた当初はひた隠しにしていた裏の顔。

しかし、いずれその部分も表面上露わになってくる。
特に、相手が嫌と思う部分が実はその人間の本性であることは多い。

  素の自分は自我の塊であることが多い。

自我の塊であるから、自分が中心であり自分の世界に周囲も染めたいと思っているのである。

特に、女性は家庭に入ると世界観が変わり、自分の家庭と言う世界が自分の世界に変化していくことが多い。

  自分の世界で自分の世界観を描く。

その結果、そのことに外部からの刺激を得ない家庭は、どんどん奥さん中心の世界感に染められていくことになるのであろう。

しかし、長い結婚生活の中で培われた夫婦の感度も定着していくものだ。

  夫は外で仕事、女房は家で家事。

女房にとっては、夫は午後7時以降から翌朝7時までの存在。
それ以外に日中に関しては、女房にとっては家と言う存在は自分の世界なのである。

しかし夫にとってみれば、家というのはスイッチのオンとオフでいえば、オフの存在である。

  仕事のストレスを癒す隠れ家。

そんな存在が家である。

  自分の隠れ家に帰りたくない。

それは、スイッチをオフに出来ない存在になってしまったのである。

  どこで自分のスイッチをオフにすればいいのか。

男の私としては、自分がオフになれない家には帰りたくないと思う。

  昔から「男は度胸、女は愛嬌」という。

愛嬌とは、芯はともかく表面上は愛嬌を振りまく存在であってほしい。
その分、自分がしっかりしなければと覚悟し、度胸が生まれるのである。

その為には、普段から小さいことでぶつかることも重要なのではないだろうか。

  普段からのお互いの擦り合わせ。

この擦り合わせがお互いの疑心暗鬼を取り除くのである。

そういえば周囲にも遅くまで仕事に執着する仲間もいる。

  こいつまさか帰宅恐怖症?。

でないことを期待したいものだ。







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2017年7月25日 (火)

地域性

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


地域性。

  私もかっては人事異動で色々な地を歩いた。

その地域によって、生活や文化が違うことをたくさん学んできた。

  食生活の違い。
  歳時記の違い。
  方言の違い。
  気候の違い。
  
特に、気候によってまた地域の産業によって、生活や食事が違い暮らしが違う。

  古来から変わらぬものは気候。

これだけはどんなに道路網が整備され、人が移動しても古来から大きな変化は無い。
しかし、そこに住む人は交通手段や道路網、鉄道網の発達により変化してきた。

  だから地域性を一番物語るのはその地域の気候である。

そして、その地域地域に住んでみて感じるのは、同じ職場の男性からは地域性を感じることは少なかった。

  職場という整理された条件で働いているからだろうか。

同じ目的で同じ理念で仕事をしていると、その地域性という違いも色あせてくるのであろう。

  しかしそこで働くパートさんからは地域性が強烈に感じたものだ。

企業中心の生活というよりも、その地域に根ざした生活習慣に則り、地域の食生活を継承し、地域の文化も継承して生活している。

  特に交通整備されていない地域ほどその傾向がある。
  更に一年を通して気候条件の厳しい地域ほどそうだ。

生きるための、その地域地域の知恵と工夫。
そして、その為に地域が一体となって相互依存された関係。

  そこに地域毎の習わしが存在する。

それを隠さずに表現するのが地域のパートさん達だ。

  海の女の心意気。
  山の女の優しさ。
  雪国の女の覚悟。
  
その地域地域で働く女性の生き方や考え方が違うのだ。
都市部に行けば行くほど、女性と言えども自分を主張する。
よって、地方の女性ほどその内面を出さない方が多いが、徐々にその内面がわかってくるとその地域の芯の強さや他人への気遣いが理解できてくるものである。

  会津三泣きなどはその好例。

雪国会津地方は、その地域毎の習わしに縛られる地域でもある。
それが、厳しい自然の中で生きていく知恵でもあった。

  だから新参者には理解し難い部分が多い。

それが最初の泣きとなる。
しかし、時とともにその内面が見えてくると、その奥深さに心打たれるもの。

  それが第二の泣き。

そして、いつしかその地を離れる時がくる。

  最後の泣き。

それは、会津地方だけではなく、大なり小なりその他の地域でも存在しよう。

  今のお店にも地域の文化がある。

そして、それが女性パートさん達から感じるのである。

  その地域毎の感性。

その違いを知るだけでも、地域の文化に触れることができるようである。

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2017年6月17日 (土)

運命を受け入れる

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


不慮の事故や不慮の不幸。

  皆さんはどう受け止めていますか(笑)。

当然、事前に防ぐべく対策を講じて普段からの行動をとっていはいるだろう。

  しかしそれでも事故や不幸は訪れるもの。

特に、普段から真剣にしっかりと対策を講じてきた場合に起こる事故はやりきれない。

  その反動で落ち込む事もあろう。

そこからが個人差の大きく分かれるところである。

  それを受け入れられずにいつまでも引きづるタイプ。
  起きてしまった事も素直に受け入れてしまうタイプ。

どうせなら、後者になりたいものである。

  即、頭を切り替えて前を向きたい。

しかし、事前の対応から気を使い徹底してきたつもりの場合はそう単純にはいかない。

  それが自分以外の人間に由来する場合は尚更だ。

“あれほど言ったのに!”

そうなると怒りが頂点に達してしまい、なかなか自分の心の整理がつけられずに引きずってしまうもの。

  結局は運命に翻弄される過程を踏むことになる。

しかし、起きてしまったことや運命付けられているような現実に直面した時ほど、その運命を受け入れる心の余裕が必要なのだ。

  それを引きづると必ず連鎖反応が生じる。

その心の余裕の無さが引き金になって、新たな失敗や事故が生まれる。

  これを、「運命に翻弄される」という。

これは何も一回限りの運命をいうのではない。

  運命に振り回されるから一回の失敗で済まなくなるのだ。

頭の切り替え、心の切り替え。

  言うは易しだが(笑)。

起きことは取り戻せない。
次にどう行動するかだけが、我々の歴史を作っていく。

  それはどんな運命でも受け入れると言う心の持ち様である。

本来、我々は運命に翻弄されているのである。

  自分の親を選択できない。
  自分の国を選択できない。
  自分の祖先を選択できない。

その段階から既に運命に左右されているのである。
そして、唯一残されているのは、その運命を受け入れてそこからスタートすることである。

  常にどの段階からでもこのスタートが切られるのである。

しかし、そこまで言ってしまうと、「それでは人生何の努力もしなくていい、と言うことか」となってしまうがそうではない。

  心の整理の仕方を言っているのである。

人生、全ては最善の努力によって切り開かれるのは自明の理。
しかし、どんな努力に対しても切り開かれない時もあろう。
もしそれが、努力しても報われない結果であったとしても、それは失敗や後退ではなく成功への過程であると信じるところから次が開けてくるのである。

  更には大きな失敗や不幸に遭遇したら。

その時こそ、冷静に自分を見失うことなく運命を受け入れる心の整理。
その整理も、努力を惜しまなかった人間ほど素直に受け入れられるものかもしれない。







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2017年5月20日 (土)

働き方改革

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日のガイアの夜明け。

  働き方改革。

ガイアの夜明けは今年は15年を経たという。

  放送回数は750回。

“えっ、このブログは3300回を超しているんだけど”

そうは思ったが、口には出さなかった(笑)。
それでも、色々な働き方を取り上げては話題になった。

  いわゆる「ヤマト問題」もガイアからだった。

さらには、残業を如何に無くすかという問題も取り上げたり、逆に安定を捨ててでもやりがいを求めてベンチャーに向かう若者を取り上げたりもした。

  今回は15周年企画であった。

まずは、老後。

  今後は人生100年の時代。

定年60歳としても、そこから40年も生きるのである。

  どう働き、どう生きるか。

ある調査では、2007年生まれの子供の半数以上は100歳まで生きる可能性が高いという。それが日本が一番長くて107歳までの到達しているという。

  107歳!。

平均寿命は107歳まで生きられるといことだが、では実際に定年までの貯蓄をどう蓄え、それ以降の暮らしを支える仕事をどう身につけるか。

  それを前提とする企業や働き方が話題になりつつある。

まずは、副業を前提とするベンチャー企業の話題。

  その企業はITベンチャー企業の「エンファクトリー」。

この企業は、自社の勤務以外に副業をすることが前提であるという。

  副業を勧める?。

私的には、ふざけるな!、である。

  一つのことを本気で出来ないで何が副業か!。

となる(笑)。

  要は、いつまでもこの企業に居座るなよ。

ということだろう。
人生100年ということは、定年という概念を捨てること。

  定年の無い人生を自ら切り開け。

そういうメッセージでもあるのだろうか。
企業で働くということは、いつかは定年を迎える。

  定年を迎えてから転職を考える。

現在まではそのような定年後の人生スタイル。
それを、定年の無い人生に変えていく。

  主たる企業では定年を迎えても副業で働ける。

そんな人生でもいいし、副業がいつのまにか自分のワイフワークになって起業する人生でもいい。

  そのために、若い頃から副業にも手を出す。

それが結果的には100年の人生を生き残っていく生き方に繋がるということだろうか。

  更に、別の話題。

自分の副業をネットで検索して働くこと。

  自分の強みを副業に。

そんなイメージだろうか。
この放映では、普通の家庭の主人(30代)が、得意な清掃の分野で要請を受けて普通の家庭のお風呂掃除をお互いに満足のいく結果で遂行するというもの。

  たかだか、趣味の世界。

それが、稼げる能力として活かせる時代。

  副業が当たり前の時代。

しかし、裏を返せば、本業とどっちつかずとの裏腹の関係でもあろう。

  短期集中的に本業を極めて上り詰めるか。 
  副業もこなして100年人生を生き残るか。

そんな生き方の選択の時代なのだろうか。







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2017年5月19日 (金)

第二の人生

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、ある「てっちゃん会」メンバーが当店を訪れた。

  某食品メーカーの方。

しかし、それは昨年までの肩書きであり、現在では転職して某キャンディーメーカーに勤務されている。

  初回からてっちゃん会に参加されている古参メンバー(笑)。

某食品メーカーを60歳の定年とともに退職し、そのままその企業に継続して勤務する選択肢を蹴って、新天地で自らの働きがいを託したという。

  60歳定年。

しかし年金支給が65歳となり、継続雇用制度が発令されてからは、定年経過後も継続して雇用される方が急増しているらしい。

  それは当社でもそうだしこの業界でも同様。

そして彼からの話を聞くと、食品メーカーでも同様だという。

  「定年を機に現企業から飛び出したい」

そのような願望は皆持っているのだそうだが、現実にはなかなかその勇気が無いという。

  この道一筋40年。

そんな経歴の方が、今更ほかの企業、他の分野で営業や就業できるのだろうか、という不安は大きいのだろう。

  まして、管理職を長年やられた方は尚更。

それだけのベテランになると、社内での部下からの認知度も高く、部下もその方から教わったことも多く、それ相応の認められ方をして現在に至っているわけであるから、この人間関係を新たに構築して転職先で影響力(インフルエンサー)を発揮することの大変さを一番よく知っているのも本人であろう。

  その不安を払拭しての転職。

やはり戸惑うのだろう。

  その不安を抱えながらの現在の企業への転職。

今回来られた方は、まさにその転職で現メーカーの営業の一環として来店されたのだ。

  そして、彼が持つ一番の不満は営業できないということ(笑)。

だって、営業マンでしょ!。
彼が、かっての某食品メーカーに勤務していた時は、メーカーと小売が直に取引できた。

  よって、ダイナミックな関係を構築できた。

しかし、現企業はメーカーと小売の間に「問屋」が存在する。

  派手な営業は問屋の目の敵、らしい(笑)。

だから、営業とは言っても主な取引相手は問屋になるという。
問屋だって、大手の食品メーカーのように中小規模のメーカーも小売と直に取引されたら死活問題である。

  だから最近の問屋は情報網で活路を見出している。

以前のように商品を横流しするだけでなく、小売いより影響を与える情報をいかに提供できるかが問われている。

そんなポジションのキャンディーメーカーに放り込まれた彼は、従来から構築してきた小売とのパイプを如何に活用して現在のメーカーに営業のスタンスの幅を広げることができるかという使命を担っているという。

そんな世界に飛び込んだ彼を全力で支援していきたいと思うのである。







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2017年5月 6日 (土)

豊かさ

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


豊か。

  意外に多くの場面で聞く言葉である。

「豊かな暮らし」。
「豊かな生活」。
「豊かな食生活」。

  等々。

我々の業界で、この言葉を企業理念や創業精神に入れ込む企業も多いのではないだろうか。

  お客様の豊かな暮らしの応援。

自社の存在意義は、お客様の豊かな食生活への応援である。

  そんな企業理念を掲げる企業が多いのもこの業界。

そもそも、豊かさってなんだろう?。

  お金持ち?。
  デカイ家?。
  豪華な車?。
  出世街道?。

個人個人それぞれに、豊かさの象徴は違うのかもしれない。

  心の豊かさだよ、てっちゃん。

そう言ってモノの豊かさを拒絶する方もいるだろう。

  私も最後はそう思いたい。

心の豊かさ。

  その象徴が笑顔である。

笑顔に満ち溢れた家族が集う食卓。

  それは家庭の主婦が一番に願う象徴ではないだろうか。

その食卓に、自社で販売された食材が乗り、その食材のお陰で家族の笑顔が導き出される。

  それが商売の醍醐味であろう。

その延長線上に、お客様からの「あれ美味しかったよ」の一言。

  その反応が我々をしてまた商売をしたいと感じさせるのだ。

そう考えると、お客様の豊かさと我々の豊かさとは表裏一体の関係であると言える。

  Facebookでも自分の豊かさをアピールする投稿が多い。

こんな豪華な食卓になりました。
こんな有名人と今食事してます。
こんな雰囲気でお酒飲んでます。

  アップする人と眺める人。

それはお互いにアップし合い閲覧し合う関係でもある。

  いつも他人のアップは羨ましいもの(笑)。

しかし、やっぱり自分の豊かさをしっかり自分の心の軸にしておきたいものだ。

  他人に左右される心の豊かさ。

そうではなく、自分が豊かだと思う、ブレない軸を持つことが必要なのではないか。
他人に左右されず、羨ましがらず、嫉妬せず、自分の心にブレない豊かさを構築すること。

  自分はこの瞬間が一番豊かさを感じる時。

それが、自宅のステンドグラスを眺める時なのか、美味しいお酒がお気に入りのグラスに注がれた時なのか、手料理が上手く出来て家族の笑顔が広がった時なのか。

  それは家族や状況によって異なるだろう。

その瞬間瞬間を豊かな時間、豊かな人生だと感じることが、豊かな心なのだろうと思う。

  そこから感謝と言う言葉が生まれるのだろう。

常に相手の落ち度を探る人生から、相手への感謝を持つ人生に切り替えていきたいものである。








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2017年5月 5日 (金)

部下の結婚式から2

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


今日は「こどもの日」。

  祝日。

最近では、家々の庭のポールで風にたなびく鯉のぼりを見る風景もすっかりなくなってしまった。

  逆に今年は5連休の中日というシチューエーションであろうか。

そして今日の話題は結婚式。

先週の日曜日。

  今月2度目の結婚式に呼ばれた。

今回も前回同様に元部下。

  元部下ではあるが現在は転職して他社にいる。

なんとも複雑な思いではあるが、退職してまで呼んでいただけるのも何かの縁。
それを気遣ってか、私のテーブルは当時同社で勤務した元パートさん達である。

  昔話に花が咲いた。

彼は当時から結婚した彼女と同棲していたのだが、それにしては遅い結婚であった。
その経緯を知る元パートさんが隣にいたので、話を聞くと、どうも奥さん方のお父さんに反対されていたらしい。

  娘の結婚に反対する父親。

“いまどき、そんな父親がいるんだぁ〜”

決して彼はいい加減な男でもないし、不真面目でもない。
至って真面目で前向きな男である。

  何が気に入らなかったのか。

それは、そのお父さんでしか分かり得ないことだろう。

  当初は口も聞いてもらえなかったらしい(笑)。

その彼に色々なアドバイスをして、彼女の父親を口説き落とす作戦を立ててやったのが、今回呼ばれた元パートさんらしい。

  恩人である(笑)。

そのヒマラヤのような高い壁を乗り越えての今回の結婚。

  その二人の協力関係にも乾杯である。

そういえば、Facebook仲間にもようやく婚姻届を提出する男がいる。

  結婚宣言をしてから何ヶ月が経過するだろう。

思えば、てっちゃん会の第11幕(前々回)で結婚宣言をしていたのだから、なんだかんだと言って一年が経過するわけだ。

  実はその彼から第13幕で婚姻届けを預かったのである。

「お願いがございます。」

  「なに?。」

「証人になってください。」

  「ハァ〜ッ!。」

普通、婚姻届の証人とは、ご両親か親戚の方、または近い友人であろう。
何を間違ったのか、私にそれを要請してきたのである。

  「ちょっと待ったぁ〜。」

しかし、彼の熱意に負けて受諾してしまった。
そして、証人は2名の署名が必要であるが、もう一人の方への要請と返信がようやく彼の自宅に届いたらしい。

結婚する二人の人生は二人で切り開いていくもの。
どんな問題に直面しようとも、二人で道を切り開いていかない限り、自分たちの道は見えてこない。

自店の中でも、結婚を意識する若者は多い。

  既に結婚を意識している者。
  結婚に不安を感じている者。

思えば結婚とは大きな環境の変化を伴うものだ。
人生で一番の環境の変化だと言ってもいいだろう。

  違う文化を歩んできた二人が同じ道を歩む。

これは、お互いの人生観を擦り合わせていく協働作業。

  だから本当の心の成長は結婚してからが本番なのである。

私の経験から言うと、自分で一番心の成長ができたのは結婚後の10年だろうか。
それは、違った人生を歩んできた二人の人間の心の擦り合わせの時間だったのである。

  その心の擦り合わせが心の成長をもたらすのである。

まだまだ、心の成長など程遠いと思っているが、それでも結婚当初から比べてば大きく成長したなとは思う。

何れにしても、この時期、人生をスタートするには最高の季節ではないだろうか。





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2017年3月28日 (火)

男の見られ方

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


今日は日曜日ではないが、、先日放映されたテレビネタでいきたい。

  毎回見ている「艶歌四人姫」。

そこで気になるシーンがあった。

  「男のどこを観るか?」

男のどこを観てその人間性を判断するか?。

そんな問いを、坂本冬美、藤あや子、香西かおり、伍代夏子の四人が回答するシーンである。

  “女は男のどこを観ているのか?”

非常に気になる部分ではある(笑)。

  伍代夏子は、男の「靴」を観るという。

“やっぱりなぁ〜”

新婚当初に女房に言われたことがある。

  「靴は常に磨いてね。」

男にとっての靴、特に革靴は人間性を現すと言われた。
それ以来、毎朝靴を磨いてから出社することにしている。

独身時代は、なかなか靴まで気が配らないことが多い。

  上着、スラックス、髪型他。

靴以上にこだわらなければならないパートは多い。

  それでも女は男の靴を観る。

そこに、その男の人間性を観るという。

  “靴に気配りできれば、将来女房にも気配りできる”

そのような女の第六感が働くのであろうか(笑)。
何れにしても、参考になる提言である。

  次に香西かおりは「食べ方」と答えた。

これも深い意味があるなぁ〜と思った。

  “食べているときは無防備だからなぁ〜(笑)”

無防備な状態ほど、素の自分が現れてしまうもの。
いくら表面上、カッコいいことを言っていても、食べているときは欲望の思うままに行動してしまうもの。

  そこを鋭い目で見られているのである(笑)。

これはもうどうしようもない場面である。

  食欲という欲望は誰も隠せない真実。

そこを突いてくるところは、流石である。

  人生の辛苦を味わってこその眼であろうか。

食事の際の周囲の目。心しておきたいものである。

  更に藤あや子は「胸筋」と答える。

胸の筋肉。

  男の強さの象徴であろうか。

人間はお互いに自分に無い部分に憧れるものである。

  男には無い女性の体型や胸。
  女には無い男性の筋肉や姿。

スリムな男性がふくよかな女性に憧れる。
スリムな女性が力士のような男性を好む。

  意外に多い志向のようだ。

自分に無い異性への憧れ。
それが、男性の胸筋を観る女性の目であろうか。

  最後の坂本冬美は「顔」「お尻」「匂い」。

最後の匂いは意外だった(笑)。

  加齢臭? 体臭? 異臭?。

自分の匂い(笑)。
これも意外に自分では気づかないものである。

  “さて、自分はどんな匂いを放っているのだろうか”

実際に放たれる匂いではなく、別のニュアンスで捉え直してみよう。

  匂い = 雰囲気。

そう捉え直すと、自分が放つその場の空気としての自分の存在感を認識する必要があるのだろう。

特に、店長や企業の幹部となると、部下やお客様、お取引先の方々から「見られる」存在でもある。

  “自分はどう映っているのだろうか”

この視点も大切なセルフマネジメントになるのではないだろうか。

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