生き方

2020年1月 9日 (木)

史上最大のクーデター

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


アクシデントにより延期されていたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」。

  ようやく第一話が1月19日(日)午後8時からスタートとなる。

いろいろネットで検索してみると、主人公は明智光秀であるが、彼がもっとも脚光を浴びた「本能寺の変」までの流れを描くのではなく、むしろ彼の青年期に脚光を浴びせてその生い立ちから「麒麟」という架空の野獣の言い伝えを彼が如何に実践していくかというストーリーらしい。

  彼が最初に仕えた武将が「斎藤道三」。

思えば、私が一番初めにNHKの大河ドラマを診始めたのは、1973年に放映された「国盗り物語」であった。
この国盗り物語も、斎藤道三から織田信長の時代、そして本能寺の変で信長に反逆する明智光秀を描いたストーリーであった。

この時の配役は、斎藤道三が平幹二朗、織田信長に高橋英樹、そして明智光秀は近藤正臣であった。ちなみに羽柴秀吉には火野正平。

  私はこの国盗り物語を契機に歴史物にハマっていくのである(笑)。

そしてそんな時代の大河ドラマにもハマっていった。

  武田信玄、上杉謙信、豊臣秀吉、徳川家康、大石内蔵助、伊達政宗、真田信繁等々。

そして大河ドラマはこの時代を描いたものが多い。

  やはり視聴率も上がるのであろう(笑)。

最近では「真田丸」は記憶に新しい。

  この時は平均視聴率が16%を超えたらしい。

1年間約50話の平均が16%であるからかっての大河ドラマはまさに化け物級であった。

そして私の大河ドラマのきっかけとなった国盗り物語と同時代、そして同じ人物像が今回は時代背景を考慮した別視点で描かれるという。

  これは私にとっては見ものである。

とは言っても、アクシデントにより放映スタートは1月の19日(日)からとなった。
それでも、このアクシデントのお陰で、放映が遅れたせいで改めて麒麟がくるをネットチェックできたのだし、その前に明智光秀にスポットを当てた映画や特集が組まれており、それを観ての大河ドラマへの視聴となり、前知識がそれなりに備わった上でのドラマのスタートは私にとっては幸いであった。

先日は、明智光秀の謀反の主要因を探るドキュメントが放映されていた。

  題して「本能寺の変サミット」(笑)。

歴史学者や学芸員等が七人集結し、明智光秀の本能寺の変を起こした光秀の本意は何だったのか?という理由を探ることを議論するという番組。

  NHKでの放映であるから「麒麟がくる」の番宣であることは間違いない(笑)。

その理由にも諸説あるが、一番初めに登場する「怨恨説」は登場した七人が全員反対の意見を出す。

  本能寺の辺は明智光秀の織田信長に対する怨恨。

これが従来からの定説であったと思っていた。
しかし今やそんな薄っぺらい明智光秀の感情という低レベルのクーデターではなく、もっと光秀の奥深い国家であり農民であり地域を救うべくクーデターであるという新説が繰り返されたのである。

  これは明智光秀を改めて捉える中で非常に参考になった。

またこのドラマ放映を前に、「明智光秀〜神に愛されなかった男〜」が放映された。
このドラマは2007年にフジテレビで放映された明智光秀を主人公として捉えたドラマである。

  ここでのクーデターの主要因は織田信長の暴走。

あくまでも平和を望む明智光秀や羽柴秀吉。
しかし、織田信長はあくまでも海外にまでもその領土を広げようと画策していた。

  なんとか戦の無い平和な社会を望みたい。

それが光秀は秀吉の願いであった。
それ故に、光秀は自らがクーデターの首謀者となり信長を討ち、その後は秀吉が信長の跡を受けて天下統一を為し、戦の無い時代を託すというストーリで描かれていた。

  これも私にとっては光秀像を変えてくれたドラマであった。

そんな明智光秀が今年は大きなテーマとなって、いろいろな場面で登場することであろう。








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2019年12月24日 (火)

荒波の中

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、名古屋方面から携帯に電話が入った。

  「てっちゃん会」メンバーの飲み会(笑)。

そこでは、今秋に転職を果たした?方々がこぞって参加されていたのである。

  そこには3名ほどの方が今秋転職したばかり。

なぜ転職したのかと言えば、それはそれぞれの個人の理由に因るものである。
しかし、その背景にはこの会を通じて人脈が広がり、その人脈との交流から、従来の自社内だけの価値観から抜け出し一歩外に出て得ることが出来たこの業界の更に広い価値観と自分の将来を鑑みた時に湧き出てきた感情であったという。

  “もっと自分を試してみたい”

そう、自分が有する販売技術であり仕事観を、現在所属する組織の外で試すのと更に企業の枠を超えて習得していきたいという願望から実現した転職。

  そしてそんな彼等を結び付けるdadamaさん。

今回はdadamaさんの一声によって名古屋の一角で飲み会(慰労会)が催されたようだ。

  そこから私に掛かってきた携帯への電話。

転職組の彼等と話をしてみた。

  それぞれに一時の荒波の中でもがく状況からは脱したようだ(笑)。

転職組が誰でも通る「荒波に放り込まれてもがき苦しむ状況」。

  それは従来との価値観の違いからくるもの。

従来の善し悪しの価値観と新規フィールドでの価値観の違いであり、言葉の違いであり、理解者の違いから来る孤独感。

  これが入社後一ヶ月以内に襲って来るのだ。

“この転職は失敗だったのでは?”
“俺はこの会社に向いてないのでは?”
“この後何を頼りに働けば良いのか?”

  そんな不安に襲われるのが転職後の一ヶ月。

彼等と話をしてみると、やはり上記の時期をいやというほど経験したという(笑)。

  価値観の違いは当初予想通り。

しかし、それ以上に転職組が絶望的になるのは言葉が通じないという現実と仲間が居ないという孤独感。

  まずコミュニケーション手段が無くなるのである。

従来は阿吽の呼吸で使用していた言葉一つ一つが、全く意味の通じない言葉として受け止められてしまうのである。

  自分では非常に価値のある発言をしているのだが理解されていない。

この違和感は経験した者でないと理解出来ないだろう。

  更にその延長線にある孤独感。

言葉が通じないから尚更孤独感をひしひしと感じていく。
人間とは不思議なもので、孤独感を感じ始めると、想いが実行されないからどんどん余計な事を考えるようになってしまう。

  そのために更に孤立していく結果となる。

そのような時に、このような会はまさに渡りに船と言えよう。

  そして大切なのはまず転職先の言葉を覚える事である。

その言葉でしかその企業は通じ合えないのであるから。
そしてその言葉を通じて、自分の価値観や商売の技術を伝えていけば良いのであり。

  そして相手の言葉は必ず身についていくもの。

これは外国にいけば外国の言葉を自然に必然的に覚えていくものである。

  多少の時間は要するだろう。

しかし、それと共に孤独感もいつしか消滅し、人間同士のマネジメントは企業を超えて通ずるものを知る時が来るであろう。





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2019年12月11日 (水)

アンテナを張る

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


ブログのネタ。

  「よくブログネタが豊富にあるね。」

各者からよく言われる言葉。

  毎日更新のこのブログ。

よって、日々の記事のネタに対しての驚きがあるのであろう。
確かに、毎日更新しようとすると、日々のネタが大きな悩みのタネにはなるであろう。

  私の場合はiphoneのリマインダーに記事一覧を設けている。

そこに日々の中で記事にしたい項目をちくいちメモとして書き留めておくのである。

  そうすることによってその項目に対するアンテナを立てるのである。

記事にしたいとは思っていても、その記事をどう具体的に論理的に記載するか。

  どの視点でその項目を捉えるか。

それをアンテナを立てて現場で起こる事象から、今回の視点を決めるのである。
従来からこのブログでも記載してきたが、物事はいろいろな角度からの視点によって捉え方が180度違ってくるものである。

  “今回はどの視点からこの課題を捉えるか”

それを、今現実に目の前で実際に起こっている事象と照らし合わせて、今回はこの視点でこの問題を捉えて記事にしようと決めるのである。
よって、同じ事象でも見る視点に違いによって、いろいろな場面が見えてくるものである。

  その為にもまずその課題を決める必要がある。

それも実際の仕事の現場から、記事になりそうな課題に対して前もってiphoneのリマインダーに記憶させておくのである。
そうすることによって、必然的にその課題に反応するアンテナが自分の意識の中に芽生え、実際の仕事の中でもその意識に反応する事実であり現実に対して敏感に反応し、それらを虫眼鏡のような視点で捉え直すことができるのである。

  普段であれば見過ごすような出来事。

そんな出来事が、張り巡らされたアンテナに引っ掛かり、詳細に注目され、それらが記事として頭の中で整理されていく。

  そんな段取りで日々の記事が決まっていくのである。

普段の何気ない仕事の風景。

  しかし意識して張ったアンテナに引っ掛かると視点が変わるもの。

何気ない店舗での風景。
その何気ない風景を、いろいろな視点で洞察していくと、新たな発見があるのかもしれない。







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2019年11月22日 (金)

競争意識

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


よく人から言われる言葉。

  「てっちゃんは前向きですね。」

もしくは。

  「ポジティブシンキング!。」

しかし、特別に意識してポジティブシンキングを目指しているつもりはない。

  物事の動向を見る視点の違いだけのような気がするのだが。

しかし、その視点を間違えると、楽観主義とも捕らえられてしまうこともある。

  「何の根拠があって?。」

そういう言葉を返されることも多い(笑)。

  しかし物事や状況をどう捉えたらチャンスに切り替わるのか。

そんな視点で常に物事や状況を見るような癖が付いたのは間違いない。

  それでは、何故そのような視点を持つ癖が付いたのだろか?。

それは、競争意識から来ているのではないだろうか。

  我々が就業する小売業。

かっては地域で競合店が無いという立地に出店出来たのだが、現代は競合店の無いエリアなど存在しない。
または、無風状態の地域には必ず測ったように競合店が出店してくるものである。

  食品スーパーの基礎商圏である2k圏内。

この2k圏内に競合店の無い店舗など、現代ではほぼ無いに等しいのではないだろうか。
いや、あるかも知れないが、それはやはり特別な地域であると考えた方が良いだろう。

  基礎商圏には必ず食品スーパーの競合店が存在するという前提。

そんな前提で我々は日々商売をしているのである。
そんな前提において、色々なアクシデントや環境の変化が訪れるのがこの世の習い。

  消費増税、台風や地震、野菜の相場安、相場高、競合店の出店等々。

所謂環境の変化はピンチと捉えられる場合が多い。

  環境が変わるということは変化対応しなければならないということ。

この変化対応自体が全てピンチと捉えてしまうのがこの業界の慣しのような気がする。

  しかし視点を変えるならば逆にチャンスなのである。

それは、その環境は自分だけの襲いかかってくるわけではない。
業界全体に、競合店も含めて皆に平等に襲いかかってくるものである。

  俺も厳しいが相手も厳しい。

それが環境の変化の実態なのである。
俺も厳しいが相手も厳しいのであるならば、何をすればこちらの位置が多少相手よりも上にいけるのか。

  そこにチャンスが潜んでいると思っている。

同じ厳しさが待っているのであれば、手を打って少しでもこちらが優位になる施策を講じて相手よりも多少位置を高めておけば、必ず相手は落ちていく。

  それは学生時代のボート競技の経験から身に付いたものかもしれない。

ボート競技。

  2000メートルを8人、もしくは4人で漕ぎ切るスポーツ。

ロー・アウトという言葉があるように、2000メートル漕ぎ切った後にそのまま意識を失う場合もあるという競技。
見た目は、夕陽に沈む夕暮れにオールをゆっくりと全員で合わせて漕ぐ姿を見ると、ロマンティックな印象があろう。

  しかし実態はローアウト寸前のブラック競技。

そこで身に付いたのは、最後のラストスパートで相手と競い合った時に、「俺も辛いが相手はもっと辛い筈だ」という発想である。

  これが自分一人の苦しみなら、ラストまで持たないだろう。

しかし、競争相手がいるということは、そこに競争意識が芽生えるものである。
そして、同じ厳しさを負う相手がいるのなら、相手が落ちるまでこちらは頑張ろう。

  そんな心理になると強くなれることを学んだ。

これが競争意識なのかもしれない。

  自分一人は弱いもの。

しかし、相手がいれば競争意識によって負けまいとする意識が強くなり、弱い自分を克服してしまうのかもしれない。

  思えばこの世は競争社会。

そして周囲にも競合店が益々増えていく。

  俺も辛いが相手はもっと辛い。

そんな意識で臨みたいものである。





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2019年11月 7日 (木)

八村塁の課題

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、通勤途中のラジオを聞いていた時のこと。

  八村塁の話題となった。

ご存知の方も多いであろう、日本バスケット界の宝である八村塁。
富山県出身で、アメリカのゴンザガ大学から今年NBAドラフトにて1巡目にしてワシントン・ウィザーズから指名を受けてNBA入りを果たしたバスケット選手である。

  早速シーズン開幕さんから出場を果たし活躍中である。

その八村選手が自ら語る課題とは?。

  ここぞの場面でパスが回ってこないこと。

それはどういうことかというと、序盤から中盤にかけては新人の八村に対してもパスを回してシュート、ドリブル、パス回しに参加させるが、最後の第4クゥオーターになると試合の行方を決める大事な時間。

  ここでモノを言うのは仲間との信頼関係。

あいつなら絶対に決めてくれるという仲間との信頼を得られているかどうかが、第4クゥオーターでパスが回ってくる根拠であるという。

  その根拠を得ることが今後の課題。

それが、今年初めてチームメンバーとなった八村にはまだ得られていないということである。

  そしてそれを自らが認識し冷静に分析している点である。

日本では八村の活躍ばかりが報道されてはいるが、それは新人として当初からスタメンとして登場をし、シュートを何本も決めて大活躍の報道であるが、現実に試合にチームメンバーと共に出場しているのは本人である。

  その本人の認識と見解が全てを物語るのである。

そして、最終クゥオーターでボールが回ってこないという事実とそれに対しての冷静な分析から、今自分に足りないのは何か?、との答え。

  そこを冷静に分析して次への糧としようとしているところが凡人ではないのであろう(笑)。

しかしこの話題から、組織内での自分の置かれた状況とそれに応じた自分の組織内での処し方であったり行動の仕方であったりの参考になるのではないだろうか。

  ややもすると「俺が俺が」の世界に陥りやすいのが人間の性。

特にスポーツの世界は実力の世界であるから、余計に自分の実力を過大評価してしまうとそのチーム内で浮いてしまうところもあるだろう。
しかし、スポーツの世界でも個人競技と団体競技では個人の実力とチーム内での評価とは別物であることが多い。

  それは団体競技という特性でもあろうか。

野球、サッカー、ラグビー、そして話題のバスケットボール等のボールゲームの団体スポーツ。

  そして野球以外はボールを回しながら進める競技。

よって野球に関してはほとんどがワンマンなプレーでも実力が遺憾無く発揮できるであろうが、それ以外は自分意外にもボールに携わるプレヤーが多い。

  自分の活躍は他人との連携において発揮されるスポーツである。

よって、チーム内での自分の存在感がモロに現れるスポーツと言えよう。
そこで大切なのは、チーム内での自分の在り方であり行動であり役割である。

  ディフェンスとしての役割。
  ハイボールを奪い取る役割。
  ボールコントロールの役割。
  
そして

  ポイントゲッターとしての役割。

それぞれの役割においてのチーム内での自分の存在価値と信頼度。

  それらが重なった時に本人が活躍できる場となるのであろう。

そしてその役割を獲得するのが、本当の実力と言えるのではないだろうか。

  それは役職とはまた別物であろうか。

名目で与え得られるものではない。
その役割を確実にチーム内で発揮出来てこそ、チーム内で認知されてチームメンバーから与えられるものである。

  その為に自分に足りないものは何か?。

そこが自分の課題となるのである。






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2019年10月19日 (土)

家政婦を極める

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日のNHKプロフェッショナル「仕事の流儀」。

  今回は家政婦の「タサン志麻」さん。

家政婦として家事代行サービス「タスカジ」に登録し、あまりに人気に予約が取れずに「伝説の家政婦」と呼ばれているらしい。

  そして2018年にも取り上げられたタサン志麻さんが再び登場。

志麻さんは家政婦の中でも、料理専門の家政婦である。

  小さい頃から料理が好きでその道の専門学校に通った。

そしてフランス料理に興味を持ち、本場フランスまで修行に行ったというから本格的にフランス料理を習得していったのだろう。

  そこで料理以外のあることに心を動かされる体験をする。

友人のホームパーティに招待された時のこと。
日本で料理を味わうというと、どうしても硬い雰囲気の中で出されてきた料理を一品、また一品と無言で味わい、プロの料理人と対峙した関係として味わうということに専念するようなイメージがある。

  しかし本場フランスの家庭料理とは全く違っていた。

家族同士の会話、友人同士の会話がメインであり、それはそれは賑やかで料理はその会話を盛り上げる一つのツールのようなものであったという。

  料理を中心に食卓で繰り広げられる人間の笑顔。

そこにある意味フランス料理の本筋を見たような気がしたのであるが、そこでの修行の後にはまた日本に戻ってあるフランス料理の名門の下で働き始めるのである。

  ここではやはり日本流の職人気質の文化に染められていく。

この当時の彼女を知る友人は、近寄りがたい存在だったという。
要は、自分と同様に料理に対しての前向きな姿勢を相手にも求め、それを感じられなかった相手には口も利かないという態度。

  全てに対しての自分の価値観の強要。

これが徐々に周囲から孤立していく原因となっていった。

  結局は10年も務めたフランス料理店を退職。

そこから家政婦の道を進むことになる。
その間に結婚、出産を経ての家政婦の仕事。

  自分も同様の経歴を持つため依頼者の主婦の痛みがわかるようになった。

依頼者本人の視点で冷蔵庫の中の食材と調味料、そして家族構成から推察する作り置きメニューの数々。

  それを瞬間的に見抜いて母の想いで料理を作る。

それはひとえに、その家族を料理を通して食卓に集って笑顔になってほしいという願いからくる自分の役割だと思えるようになったという。
そして私は思った。

  その想いは我々食品スーパーにも言えること。

それは、我々も食品の素材を販売しているが、その理念は単に食材を売ることでは無く、その食材から生まれるメニューであり、それを取り囲む食卓であり、そこを舞台にした家族の笑顔であり生活シーンなのである。

  食を通した豊かな暮らし。

これが我々食品小売業の本来の役割。

  それを代行するという家政婦の存在。

同じ想いが彼女には流れていた。
その彼女が、二人目のお子さんを育てながら、忙しい主婦の為のレシピの開発をしているという。

  どこにでもある食材を使用して
  どこにでもある機材を使用して
  どこにでもある調味料を使用して

そして、簡単に美味しくできる料理のバラエティー。

  それは普通の家庭の普通の主婦を対象にしたレシピ本。

そしてそのようなレシピに支えられて、我々はリアルな店舗でリアルな食材を揃えてお客様の目利きで購入される食材を販売するのである。

  そこにあるのは手作りという母の愛なのであろう。










  

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2019年10月16日 (水)

人は変われる

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日の朝のラジオ番組での話題。

  「人は変われるのか?」

ある程度若年層で、まだまだ人格や思考回路が定まっていない時代の人間であれば、周囲の環境や自分自身の経験から徐々に人格や性格が確立されていくと思われるので、変わる、というより出来上がっていくのであろうが、ある程度の経験年数(40歳等)になれば性格自体もなかなか変わっていかないのではないだろうか。

  私もそう思っていた。

しかし、そのラジオ放送では、色々なアメリカの学会の研究にて人間の性格や人格はいくらでも変われるという報告が為されているという。

  学会も認めた人の性格の変化。

しかし、それは周囲との関係性においてとの条件が付く。

  要は人間は周囲の人間関係において変化していくということである。

そして、それは良い人間関係に恵まれればいい方向へ変わっていくだろうし、悪い人間関係に交われ「朱」が「真っ赤」にも染まっていくということであろう。

  そうやって人間は良くも悪くも変わっていくのであろう。

周囲との人間関係において人間は性格や人格、そして考え方が如何様にでも変わっていくということである。
そう考えると、自分の身の周りを取り囲む人間との付き合いには注意を要するということであろうか。

  良い仲間に触れていれば良い人間への道が拓け人生も良くなっていく。

それは逆もまた真なりであろう。

  最近私は良い仲間に恵まれるという意味が少し理解できるようになってきた。

それは、従来の自分の姿を振り返る以上に周囲の人間関係から新たな積極的な人生を歩もうとする仲間達に囲まれていることによって、「人は変われる」という真実を理解するようになってきたからであろうか。

  そしてそれは40代だろうが50代だろうが不変の真理であるようだ。

だから常に自分を取り巻く人間との付き合いには、自分を良い方向へ導いてくれる仲間という選択眼を身に付けることが大切であろう。

  その選択眼こそが最終的には自分の人生をより良い方向へ導いてくれるのであるから。

自分を良い方向へ導いてくれる仲間を見出す選択眼。

  それは全てその人の生き方に現れる。

妥協せずに真実に忠実に生き、仲間を支援し、自らの組織をより良い方向へ導こうとする姿であろうか。

  しかしそんな人ほど意外に口下手で人付き合いも下手なもの。

それでもその人間性を理解すれば、必ず自分を確実に良い方向へ導いてくれるものである。
また、積極的に高い理想を掲げて妥協せずに意欲的に前向きに行動しようとする仲間達との交流もその考え方や行動力に感化されていき、いつしか自分も同様の考え方や行動力を養っていくという影響力もあるであろう。』

  何れにしても自ら変わるという意志は大切。

しかし、その意志だけではどうしても人間の心の弱さに負けてしまうもの。

  その心の弱さを補ってくれるのが良い仲間達である。

そんな仲間を自らの意志で近づいていきたいものである。











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2019年8月22日 (木)

声を出して笑う

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


以前、上司の笑顔をブログにアップした。

  http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-039370.html

ここでは、上司に笑顔になってもらおうとする部門チーフの話題。
部門チーフが上司(店長等)の笑顔を引き出し、店舗内のコミュニケーションを良くして店内を明るくしていこうとする姿勢を取り上げた。

  上司が笑顔で仕事をしている。

部下にとってはこれほど安心して自らの仕事に打ち込める環境は無いであろう。
しかし、そうはいってもいつしか仏頂ズラで仕事をしている自分に気づくこともママ多い。

  笑顔になるだけでも健康的には非常に有効である。

しかし、声を出して笑う行為は更に健康面での効能が高くなるという。
笑顔になるということは、リラックスした状態に脳から発せられるα波を産み、ストレスを軽減する働きがあるという。

  更に、声を出して笑うという行為には肉体的な効能が大きいらしい。

声を出して笑うことは優れた有酸素運動であるらしい。

  10分間笑い続けるとチョコレート1枚分のカロリーを消化するという。

ただし、10分間笑い続けるということ自体は滅多にできるものではない。
しかし1日を通して考えれば、こまめに場面場面で声を出して笑うことは可能であろう。

  また腹筋や横隔膜を刺激することによりお通じがつくと言う。

これもなんとなくわかるような気がする。
また、顔の筋肉を使うことにより脂肪を消化させ、顔の筋肉の老化を防ぎ、たるみなどの予防にもなると言う。

声を出して笑うと言う行為には、体のいろいろな部分の筋肉を活用すると言うことであるから、内臓も含めて普段の生活の中で使用しない筋肉をそれなりに使うことによる効能はありそうである。

また、声を出して笑うことで血管が拡張し、一酸化窒素が放出され心血管の病気を引き起こすリスクを軽減することにつながるのだと言う。
更には、声を出して笑うことによりエンドロフィンという成分が放出されることにより、ストレス性の化学物質が軽減され、対人関係の悪化を防ぐ効果も期待できるらしい。

  声を出して笑う効果は絶大であると言える。

思えば我々は会社内や店舗内でどれほど声を出した笑っているだろうか。

  現場でいろいろな方と出会うお店の人間は意外に多いかもしれない。

しかし、本社本部でパソコンを相手に打ち込みや思考しながらパソコンに向かう仕事が大半の方は、声を出して笑う場面などほとんど無いであろう。

  せいぜい仲間内で冗談を言い合う時ぐらいだろうか。

それでも家に帰れば、家族に癒されたり、テレビの笑えるドラマや芸人の話にゲラゲラ笑う場面もあるかもしれない。

  しかしそれも無いという方はどこかで笑う時間を作るべきであろうか。

それも、「声」を出して笑う場面が大切では無いだろうか。
それが、自分の気持ちをリラックスさせアルファ波を産み、そして神経ペプチドが活発に生産され、ウィルスなど体に悪影響を及ぼす物質を退治するNK細胞の表面に付着し、ウィルスをどんどん退治する。

  笑う角には福来たる。

科学的にも証明されている「笑い」。

  それも「はっ、はっ、はっ、」と声を出して笑うこと。

それが人生の福をもたらすのである。









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2019年8月16日 (金)

二刀流の勧め

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


二刀流と言うと、大谷翔平を思い起こす人は少なくないだろう。

  メジャーでも二刀流を成功させた功績は大きい。

従来であれば考えられない活躍ぶりではある。

  打者と投手でフル回転の活躍。

従来であれば、打者は打者、投手は投手に別れて選手登録され、ピッチャーがバッターボックスに立ったらほとんど打撃は諦められていたものである。

  特にプロ野球の制度が確立されてからはそれが固定化されてきた。

そして従来の名選手と言われた人物は、そのほとんどがピッチャーかバッターかに分かれて記録を残し名を残してきたのである。

  その常識を大きく覆したのが大谷翔平。

彼は、ピッチャーとして投げない時でもバッターとして打席に入り、ホームランからシングルヒットまで放ち、尚更盗塁まで決めて見せるのである。

そしてピッチャーで投げる時はピッチャーに専念してバッターボックスには入らないと言うスタイルで二刀流を実現している。

  その考えを我々の生き方にも応用すべきであると言う思想が浸透し始めている。

そしてそれは、私も同感である。

  要は「二つ以上の肩書きを持て」と言うことだ。

例えば、普段の仕事では「店長」と言う肩書きを持つ。
そして、仕事を離れては「PTA会長」の肩書きを持つ。

  これも言うなれば二刀流と言える。

仕事を離れた時に、子供の学校のPTAの会長として学校の父兄の為に尽力する。
それは仕事を離れての休日を利用しての活動ということになろう。

  それでも仕事以外の活動や交流の中から大きな学びの世界があるであろう。

そしてそのPTA活動を通して仲間ができ、その仲間たちとの付き合いを通しながら、またスーパーの店長としてのヒントを得られる事が数多い。

  それだけアンテナが敏感に情報をヒットさせてくれるようになる。

仕事として店長が店舗の内外で色々な情報を得ようとして努力はするものの、どうしてもお客様や取引先から得られる情報は偏ってしまうことが多い。

  しかし別の肩書きから得られる情報は違った意味で貴重な情報が多い。

それは、視点の違いからくる情報であり、とは言っても同じ小売やスーパーに対する情報が別の角度からの新鮮なものとして受け取る側には伝わってくるのである。

  それは店長の肩書きでは得ることの出来ない情報となる。

それが二刀流の強みであろうか。

  従来は一つの事を寄り道しないで極めることが本筋と言われていた。

しかし現代ではスピードの時代。
そしてそのスピードに乗った自分の成長や仕事のスピードを考えると、コツコツと時間を掛けてというよりもスピーディに同時並行的に物事を処理しなければならない時代であり、ネット社会では尚更あらゆる情報を処理しながら同時並行的に消化しながら処理をして次へと進めていく時代である。

  例えば。

従来は売上、荒利、ロス、生産性等の数値を個別個別に分析して、別々に対策を練って対応してきたが、今後はこれらの数値を同時並行的に一気に解決ていく時代となる。

  その時に必要となるのはある一手によって全てが解決できる手法となる。

この手法を磨くには、同じ視点で物事を捉える従来の目線では到底解決出来ない。

  重要なのはあらゆる角度からスーパーを捉える多角的視点である。

この視点を得るには、どうしても二刀流や三刀流の生き方をして、多角的な視点を身につけ、多方面からの情報を得る場を自分で創造していくしかないのである。

  そんな生き方に早々に舵を切りたいものである。







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2019年8月14日 (水)

環境の変化

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


それは決断であろう。

  現企業を退職するという選択。

男性にとっての転職、女性にとっての転職。

  それぞれに特性は違うであろう。

特に男性が転職するということは、一生涯の仕事として現企業に就職したのにも関わらず何かしらの理由で現企業を退職するということであるから、その決定には大きな決断を要したのであろう。

  そういう私も転職組の一人ではあるが(笑)。

身近な存在にも、現職を退職して別企業へ転職しようとする方達がFacebookにて表明される方達が増えてきた。

  隣の芝生は青く見える。

現実的に、隣の芝生(企業)が良く見えてしまうということはごく当たり前の話である。
しかし、現実に転職してその青い芝生の企業の敷地内に入り込んで見ると、雑草は生えているわ、芝生は伸び放題だわ、芝生と思っていたのが単なるコケだったとか、横から見る芝生と実際に芝生に立った時とでは雲泥の差となって感じるものでもある。

  しかしもはや後には戻れない。

向こう岸の灯りを頼りに飛び込んだ大海原であるが、実際に飛び込んで見るとなかなか目指した灯りにたどり着かない。

  そして大海原をもがき苦しむことになる。

それが転職した直後の事である。

  それが半年ぐらい続くのである。

そして灯りが見えてくるのは半年後あたりであろうか。

  今まで通じなかった「言葉」がようやく通じるようになる。

同じ日本人ではあるが、自社と他社の間には大きな壁がある。

  それが「言葉」の違いである。

日本語という意味ではなく、その言葉に込められた深い意味が自社と他社には大きな隔たりがある場合が多い。

  「プロパーに戻して下段で売れ。」

そう指示を出しても、プロパーという意味が通じない、下段で売れと言われても定番を変えるという文化のない企業ではそれが出来ない。

  結果、その指示は実現されないまま数日が経過していく。

自分が今まで育ってきた環境がこの業界の全てであると思い込んでいたのが、大海原に飛び込んでみて初めて自分が狭い世界でしか生きてこなかったことに気づくのである。

  しかし逆に言うとそこから強くなれるのでもある。

隣の芝生が青く見えると言う錯覚に気づき、大海原を泳ぎ切らない限りは向こう岸に辿り着かないと開き直った瞬間から人間は強くなれるものでもある。

  逆に強くならなければ溺れ死ぬと言う状況。

そして人間はそこを経験することが非常に大切なことなのだと今になってから思うのである。

  従来はなんとなくわかる言葉でなぁなぁで仕事をしてきた。

しかし逆に言うと、そのなぁなぁが嫌で飛び出してきたのでもある。
そして、そのなぁなぁによって自分も安易な仕事をしてきたことに気づかされるのである。

  売場はどこも大差の無い品揃え。

しかし実際に転職してみると、そこに行き着くまでの作業は全く異なる工程を踏むものであり、売場や商売の考え方も企業毎に大きく異なることを知るのである。

  これは転職してみないと絶対にわからないこと。

それを押してでも転職すると言う自分への行き方への追求。

  是非新しい道を清々しく歩んで欲しいものである。







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