生き方

2020年10月 6日 (火)

伝説のコンサート1980年10月5日

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


今日は日曜日、では無いが、

  芸能ネタでお送りしたい(笑)。

先日、ある女性歌手の引退コンサートが放映されていた。
彼女はその日から数日間は数本の歌謡番組には登場したが、それ以来、一切の芸能活動をせずに今に至っている。

  山口百恵。

弱冠21歳で芸能界の頂点に上り詰め、その頂点で芸能界を引退。

  その後は一切の芸能活動をせずに三浦友和の妻を全う。

まさに伝説の歌手であり、伝説のコンサートが解禁となり、今回の放映となった訳である。

  当然その番組を録画された方は多いであろう。

私もその一人である。

  あのマイクを置いて去っていく印象のシーン。

そのラストコンサートが全て放映されるのであるから、山口百恵を知る当時の人間の多くはそのシーンを見たいと思うのではないだろうか。
という訳で、10月3日の夜にNHK BSプレミアムにて放映されたのを録画した。

  山口百恵のラストコンサート 。

それは、10月の5日。

  40年前の昨日がその日であったのだ。

流石に当時の画像だけあって、多少のボヤケはあるが、彼女の圧倒的な歌唱力と表情は時代の格差を超えて視聴者にしっかりと伝わったのではないだろうか。

  そして改めて想うのは彼女の偉大さ。

それはそのラストコンサートを見ているだけでも伝わってくる。

  そしてその時の彼女は21歳ということ。

コンサートに映る彼女の仕草であり表現であり、更には会場の視聴者との会話。
会話と言っても直接に言葉をやり取りするのではなく、歌いながら会場の方々と態度であり表情でありで会話をしているのである。

  会場との一体感。

特別に激しいリズムや踊りの入る楽曲はなく、客席でも大声で声援するということも無い(一回だけ会場から「友和さ〜ん」との掛け声が掛かり本人も苦笑いはあったが(笑))が、それでも会場の人たちとの一体感が感じられるコンサートであった。

このコンサートで歌う楽曲の多くは、阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲

  プレイバックパートⅡ
  絶体絶命
  イミテーションゴールド
  愛の嵐
  夢先案内人
  謝肉祭
  横須賀ストーリー
  ロックンロール・ウィドウ
  曼珠沙華
  不死鳥伝説
  歌い継がれていく歌のように
  さよならの向こう側

最後のさよならの向こう側は涙で歌えなかったが、その後にマイクを目の前の床に置いて去っていく姿が、伝説のコンサートの所以であろうか。

  当方もさよならの向こう側以降は涙が止まらないほどの感動。

人気絶頂にありながら今までの全ての栄光を捨てて一人の女性として伴侶を支えて生きることを選択する。

  そこに彼女のブレない強さがあるのであろう。

その強さが40年後に伝説から神話となって蘇ってきたのである。









  

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2020年9月17日 (木)

個の時代

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


個の時代。

  そう言われて久しい。

個人が組織という大船に乗っているという鎧を脱ぎ捨て、自己責任で自分の人生を切り開いていくという気概と行動を伴った生き方をしていく時代であるという生き方のスタイル。

しかしなかなか概念的には理解しても我が事として捉えられない時が過ぎていったように思う。

  更に到底我々世代には概念的にも理解できない思想であろう(笑)。

ましてや「働き方改革」という言葉によって、企業内での就業時間も長かろうが短かろうが企業としては従業員を守らざるを得ない時代になってくると、自らの価値観を持って企業内で就業しようという気概も持ち合わせない従業員も逆に増加したような気もするのだが。

  しかしコロナ禍がそんな時代も早めたような気がするのである。

従来であれば、企業側が従業員の成長を願っていろいろな研修会に派遣または自社に研修会を招いて交流の場を提供していきたのだが、このコロナ禍以降はそれも停滞、または停止している状況であろうか。

  そしてそれもいつ再開するのかしないのか。

逆に言えば、従業員がそのことを期待していては、個人としての成長に個々の差が生まれていく時代になっていったと捉えるべきなのではないか。

  企業内での自分の成長。

それは以前にも記したと思うが、集合研修と現場でのOJTがメインであると思う。
そしてその一つの集合研修が停滞している現状。

  残るは現場でのOJT。

しかし、それを再び提唱しても、従来と何も変わらないのが現実ではないだろうか。
ある教育機関の事例では、コロナ禍以来集合研修等は現在はほとんど延期か停止状態という。

  逆に通信教育が伸びているという。

それを企業側が集合研修から通信教育に切り替えて従業員教育を図っているのか、個人が自己責任において自ら通信教育という学びの場を得ているのかはわからない。

  その両方だとしても自ら学ぶという手法を選択した個人も多いという事だ。

自ら学ぶ場を選択し、行動し、実践していく時代。

  それが「個の時代」という事なのであろう。

よって、企業側から一律に教育の場を提供し、ある意味強制的に従業員の教育を実行していた時代から、個々人が自らの判断で現場のOJTでは学べない学びの場を自分で模索しながら参加していく時代に急速になってきているということであろう。

  そういう視点でこの業界の教育システムを見てみると。

たくさんの学びの場が提供されているのである。
企業側が用意した教育の場の提供ではない為、なかなかそのような場を模索することは無いかもしれないが、本当に現場の仕事に対しての疑問を自社の解決システムだけでなく、より開かれた学びの場において、より解放された思考風土に触れることによって同じ学ぶ仲間とともに学び合える場というものがたくさん提供されているように思うのであるが。

  が、・・・ 。

やはり企業相手に提供されている教育プランであるが故に、コスト的には相当高額になっているのも事実であろうか。

  そして通信教育やリモート教育というシステム。

どちらかというと、企業側が全般的な基礎知識の習得の為の教育システムという兼ね合いが強い。
それを望む個人もいるかもしれないが、外部研修で一番楽しみなのは他流試合である(笑)。

  同業他社の企業人との交流を通しての情報交換。

何より、この部分が外部研修での一番の楽しみであり、価値観の違う他企業との交流からの情報交換の場が一番の学びの場となるのである。

  そしてそれは同じ現場で働く者同士のOJTそのものでもある。

そのような他流試合を積極的に提供している場での学びが個人としても継続的に参加できる環境のあるのではないだろうか。

  自社以外の人間との他流試合。

できればこのような場により多く足を踏み入れていきたいものである。









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2020年9月 1日 (火)

成功体験をゼロにする

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日は「上半期を振り返って」を記した。
http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-4f6bdf.html

  コロナに振り回された半年。

一言で言うと全てはコロナに集約される上半期であった。
そして日本国内の各産業もコロナからの影響を大いに受けているのである。

  特に観光業、航空業、外食産業の影響は甚大だ。

それは今なお続いており、この影響がいつ収束するかもわからない。
そして我々の業界ですら、店内での3密の防止策として店内が混雑するようなイベントや販売促進は全て姿を消した。

  よって大型店で集客力のあるイベント停止による影響も大きい。

と言うように、我々業界ですら影響が出ているのであるから、上記産業の影響は相当なものであろう。

  そして従来の成功体験はそのほとんどが機能しない状態であると言う。

特に外国からの観光客を取り込む業界は前年比10%未満という話も聞く。

  これまでの成功体験をゼロにして再構築しないと経営できないレベル。

これを自分に置き換えてみよう。

  今まで学んだ成功体験をゼロにする。

そう考えただけで、この業界で学んできた今までの知識や知恵、経験がなんの役にも立たなくなってしまったという想定である。

  それは自分の存在価値がゼロになるということである。

そんな状況の追い込まれたとしたら、自分はこれからをどう生きていけばいいのであろうか。
それを考えるだけでも、息が詰まりそうな感覚に陥ってしまう。

  “本当に成功体験をゼロにすることが出来るのか?”

そして自分の成功体験がゼロになったという気持ちに耐えられるのだろうか、という疑念も湧いてきた。
しかし逆に、違う考え方も頭をよぎるようになってきたのである。

  成功体験の多さがこの現場を打破出来るのではないか。

結城先生のブログには、「コロナは時間を早める」とある。
であるならば、成功体験を積んできたからこそ、次へのステージにいち早くかけ昇れるのではないだろうか。

  要は次のステージが見えるかどうか。

それは常に次のステージを見る努力をしてきた結果、次へのステージ模索してきたからこそ、その時間が早まったということであり、従来の成功体験にあぐらを描いて来た者にとっては、単にその成功体験を失うということに過ぎないのであろう。

  成功体験を積み上げて次のステージを目指してきたかどうか。

そこに、次へのステージが見えるか全く見えないかという明暗のくっきりした違いなのであろう。

よって、成功体験にしがみ付くのではなく、成功体験を通して学びより高い位置から次のステージを目指した者だけが、先手を打ってそのステージに駆け上がれるということであり、それが「コロナは時間を早める」という意味なのであろう。






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2020年6月10日 (水)

職場環境

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


職場環境。

  従業員はこの環境次第で如何様にも変化する。

前向きな環境であれば、従業員が前向きに売場作りや発注に連動し、その結果として知らず知らずにそれが売り場に連動して、その売り場にお客様が反応して来店客数が増加していく。

後向きな環境であれば、従業員も後向きに売場作りや発注に連動し、その結果として知らず知らずにそれが売り場に連動して、その売り場にお客様が反応して来店客数が減少していく。

  職場環境。

それは「職場環境」が人を変えるのか、「人」が職場環境を変えるのか?。

  当然、「人」が職場環境を変えるのである(笑)。

それでは「人」が変われば職場環境が変わるのか?。

  一度確立した職場環境は早々変わらない。

前述として「前向きな環境」と「後向きな環境」と言い表したが、職場環境が前向きか後向きかという空気は非常に重要である。

  この空気が従業員感染していくのである。

まるで新型コロナウイルスのように(笑)職場内を空気感染させてしまうのが、職場環境とでも言い表せようか。

  それではどうしたら「前向きな職場環境」に変えられるのだろうか?。

それは、その職場内での評価制度に依るのである。

  前向きに行動したら褒められる。
  前向きに行動したら給与が上がる。
  前向きに行動したら全社の事例として取り上げられる。

等々に、企業として店舗として、個々人の前向きな姿勢を評価する制度が整っていることは非常に需要なファクターとなろう。

  店舗内で全社1位を取ったら全体朝礼で表彰された。
  販売コンクールで全社1位を取ったら社長から表彰状を頂いた。

特にパートさん一人一人が店舗内や全社で評価されるという制度が積極的に活用されている企業や店舗では、前向きな環境は創造しやすいと言えるのではないだろか。

  これはまた「逆も真なり」であろうか。

積極的に全社1位を狙ったが逆にロスが発生して利益が大幅に減少した。
その一時だけの事例から、前向きな姿勢を二度ととらなくなったという事例もまた数多い。

  要は確率の問題である。

「前向きに挑戦する姿勢」を持つ従業員がどれだけの割合で組織内に存在しているか。
これによって、職場内の空気は「前向き」であるか「後向き」であるかが決まるのである。

  それを推進出来るのはやはり組織のリーダー。

そして、組織も個人も成功と失敗を繰り返しながら成長していくものであるし、それに連動して来店客数も増減していくものである。

  更に組織や個人には、挑戦し続ける資質と挑戦しないことを続ける資質がある。

是非、挑戦し続ける資質になるまで、失敗から多くを学び次への成功のステップにしていく資質を組織全体に植えつけていきたいものである。





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2020年5月 5日 (火)

品格にこだわる

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


仕事を身に付けていく過程で習得していくマニュアルや技術。

  我々は経験に応じていろいろなことを学んでいく。

それはなにも販売技術や接客技術だけではなく、商売の原理原則も同時に学んでいくものである。

  その過程の中で仕事への取り組み方や仕事観、人生観も同時に学んでいく。

その仕事観や人生観は企業毎に異なってくるものだということが経験を通してわかってくることになる。

  それは転職をしたりM&Aによって異文化と接する機会がそうさせるのである。

仕事観や人生観。

  それは仕事への取り組み方であり階段の登り方であろうか。

どんな取り組み方をして結果を出すのか、どの階段を登って目標とする姿を目指すのかである。

  Aという企業は右の階段を登ることを文化としてきた。
  Bという企業は左の階段を登ることを文化としてきた。

このAとBが合併したら、その調整には並大抵では済まないであろう。

  更にAがBを吸収合併したら。

Bを歩んできた企業人は大きな戸惑いを覚えるであろう。
そこで挫折をして退職する人材も出てくるであろうか。

  最終的には目指す姿は同じではあるが。

ただし、右の階段と左の階段には大きな違いがあった。

  それは品格の差。

同じ姿を目指すとはいえ、手段を選ばない右の階段と商売人としての通りに準じた左の階段とでは異質の登り方となるのである。

  右の階段を登ってきた人間は左の階段を周りくどいと嘆き
  左の階段を登ってきた人間は右の階段を品格がないと嘆く

それは仕事観の違いからくるものであろうか。

  素直に言って結果を求める企業はあまり接客に関心が無い。

そして先輩後輩の礼儀という日本人の特性にも無関心であり、とにかく結果によって職位も給与も応じている。
結果として、企業業績も結果を出している。

  しかし内部の従業員の入れ替えも激しい。

方や左の階段を登ってきた企業は接客にも力を入れ、結果としてお客様からの感謝の言葉を受けることが多い。
更には企業人としての先輩や後輩との繋がりも強く、そのような関係を入社時から構築してきた為、人材の入れ替えが少なく一生の仕事として捉えている社員も多い。

  どちらが「働き甲斐」があるかということだろうか。

働き甲斐という階段から従業員のモチベーションを高めて、一生働ける企業としての階段を登りながら企業が目指すあるべき姿を求めていく左の階段と、とにかく結果を求めてその評価に徹する右の階段。

  よって右の階段で当たり前のことが左の階段ではタブーとなる。

それをB社では品格と言い、A社では無駄と言う。

  さて皆さんは「品格」どう評価しますか?(笑)。






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2020年4月 8日 (水)

コロナの脅威

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


コロナの猛威が止まらない。

  その感染力は脅威である。

しかしコロナウィルスの脅威はその感染力だけでは無い。

  人間の強みまで奪おうとしているからである。

人間とは微生物の時代から紆余曲折を経ながら進化してきた動物である。
そして今日のようにこの地球上で他の動物を凌いで高度な文化を築き支配してきた。

  その支配の歴史の中で築いた人間の強みとは。

その強みとは、他の強食動物よりも肉体的に劣りながらもその支配から逃れ、独自の高度な文化から織りなす生活力で高い生命力を養い今日を築いてきたのである。

  その根底にある人間の強みとは何か?。

それは、人間同士がお互いにコミュニケーション能力を高めて「連帯」する動物となって成長してきたからである。

  連帯。

要は人間同士が組織化して他の動物の脅威から逃れてきた歴史である。
人間同士が連帯して、狩猟をしまた農耕によって田畑を耕し果実を育てて安定した食生活を築くことが出来たからである。

  人間は唯一表情を持つ動物である。

その表情からお互いの会話を持ち、更に言葉を持ってより具体的な連帯化を図り、より高度な文明を土台としてより安定した生活をすることができるようになってきたのである。

  その根底には人間同士の連帯が存在する。

しかし、今その人間の最大の強みである連帯化が根底から崩壊しようとしている。

  新型コロナウィルスにより人間同士の濃厚接触が分断されているのだ。

もしかすると、長い人間対動物の争いの中で、目に見えないウィルスという敵に人間社会が分断され、その強みが奪われ、弱体化していくのではないだろうかという不安がある。

  そこがこのウィルスの脅威であると私は思っている。

イタリアではその人間の強みである接触からコロナウィルスが蔓延してしまったとも言われている。

  人間の強みを最大に悪用したウィルスの知恵なのではないだろうか。

そしてそこから人間同士は接触を恐れ、連帯することもできずに、徐々にその強みを失い弱体化していくという筋書きをこのウィルスが意図しているとするならば、これは人間の最大の危機と言えるのではないだろうか。

  このウィルス対策の為に巣篭もりを強要されている。

そうやって濃厚接触を避けることにより、このウィルスの蔓延を防ぎ、その間にこのウィルスに対する防御薬や予防薬が開発され、その後のウィルスを根絶しようと人間たちは行動を始めたのだが、それは人間の強みを一時でも失うということでもある。

  人間の強みを放棄してでも対抗薬を開発する。

そのどちらが早いのか。

  もしかするとこのまま人間はその強みを失うかもしれない。

それが今回のコロナウィルスの最大の脅威ではないのだろうか。

それを乗り越える人間同士の連帯をどのような形で維持継続していこうとするのか。
それがこれからの人間の進化になっていくのであろう。






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2020年4月 3日 (金)

「しる」から「やる」へ

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


日常の中で知っていることは意外に多い。

  しかし知っていても実行が出来ないことが多い。

私たちの周囲にはいろいろな情報が溢れている。

  テレビからの情報。
  取引先からの情報。
  競合店からの情報。
  商品部からの情報。
  ネットからの情報。
  データからの情報。
  お客様からの情報。
  従業員からの情報。

店舗で仕事をしているといろいろな情報に遭遇する。

  競合店の出店や閉店の情報。
  取引先からの新商品の情報。
  自社からの重点商品の情報。
  自店データからの売上情報。
  ネットからの同業他社情報。
  テレビからの天気予報情報。

営業に関わる情報がいろいろな情報源から流れてくる。

  もっともこの情報に触れるかどうかも個人次第であるが。

個人によっては、上記情報に積極的に触れる人間もいれば、消極的に入ってくる情報にだけ触れる人間もいよう。

  要は個人によって持っている情報量は大きく異なってくるということだ。

よって、情報量を多く持つことは大切なことではある。
それだけ、その情報を行動に移行するチャンスが多くなるということだ。

しかしもっと重要なことがある。

  それは知り得た情報からどれだけ多くの行動に移せるか。

競合店の新規出店情報が入ってきたら。

  いつ、どこが、どこに、規模は、どのような。

そこから自店にどれほどの影響があるかを見積もり、分かった段階からどのような対策を今から打っていくのか。
テレビから直近の天気予報が入った。

  週末に大型の台風が日本列島を直撃するかもしれない。

そこから、自店への影響を及ぼす日を想定し、その前に買いだめ需要を想定した発注を従来の経験から選別して売場を充実させ、台風直撃の当日の設備面への配慮であったり夜の退店時の撤去であったりを如何に事前に計画し実行できるか。

  そこにチャンスとピンチをタイムリーに取り込むことができよう。

今回のコロナショックへの対応も同様であろうか。

  週末の外出自粛要請。

そこから想定されるお客様の買い物行動。

  いつ、どのように、どんな商品が、買いだめ需要の対象となるか。

思えば、このような有事の時になればなるほど、知り得た情報から如何に早く的確に情報を行動に移して行動できるか。

  そのスピードが命となるのである。






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2020年3月23日 (月)

どの階段を登るのか

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


仕事での業績改善。

  我々に課せられる当たり前の日常。

その為に我々は日々売場を作り、お客様が来店し商品を購入し、売上から利益を出す。

  その結果としての部門利益の積み重ねからの店舗利益、企業利益、そしてそこから捻出される我々の給与。

よって、最終的には我々は自分が担当する部門や店舗の利益を創出することが最終的な目的となる。
その為に、店舗内の設定された部門スペースを有効活用して売場を作り販売する。

  その為に部門に人材が投入され教育され共に売場作りに携わる。
  そしてその人材が発注をし納品された素材を商品化して陳列する。
  更に清潔な売場を維持し接客を磨いて買い物環境を整えていく。

それら店舗運営に関わる全てのあるべき姿を理想として、我々は日々このあるべき姿を追い求めて日々の業務に携わる。

  あるべき姿は企業毎にマニュアルとして見える化されるものもある。
  企業トップや本部スタッフが店舗巡回時に現場でアドバイスもする。
  店舗内では店長が日々あるべき売場作りの為に各部をチェックする。

そして最終的な利益創出の為に、各部各人が自分が考えるあらゆる手法を講じて日々の売場を積み重ねていくのである。

  しかしそれと同時に商売の環境も日々変化していくのである。

青果物の相場も変われば、日々の天候や気温も変化していく。
競合店の出店もあれば閉店もあり、競合環境も変化していく。
コロナショックのような激震もあれば企業のM&Aも生まれる。

  それらの環境の変化に合わせて販売手法を変えていく。

このように、最終目的を利益の創出ではあるが、その過程には色々な手段が存在するのである。

  要は利益という目的の為にどの階段を登るのかという問いである。

そして現場からよく聞かれる言葉。

  「いろいろな人がいろいろな事を言う。」

それは店舗チェックする人間が自分の登ってきた階段での成功事例からのアドバイスをしている訳であるから、どの言葉も成功へのステップとしては正しいものではある。

しかしそのアドバイスは、そのチェックした瞬間だけの店舗での問題点であり、日々継続して店舗を見ている店長からすると納得のいかない部分が多分にあろう。

  そして現場で実行する最終決定者はやはり店舗のスタッフである。

特に店長は最終決定者であり指示者でもあるわけだから、どの階段を登って目標にたどり着くのかを判断するべき人間であろうか。

  但し店舗運営のベースはあくまでも基本とマニュアルが原則となる。

そこを外してはどんな施策も継続できないし、変化への対応も出来ない。
そして、世の中の変化や商売環境の変化にどう対応し、どの階段を一歩踏み出すのかを現場が判断しその一歩を歩むのである。










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2020年3月17日 (火)

即答

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


即答。

  意味は即、答える。

意味は単純で簡潔な内容。

  ビジネスシーンでは非常に重要な課題だと思っている。

しかしこれがなかなか出来ないのが現場だろうか。

上司がある質問が突然降りかかってきたとする。

  それも大勢の会社の関係者の前で。

そんな壮大な場面では即答出来る能力があろうとも、あまりの緊張感に襲われてとてもとても的確に即答などできるものではないかもしれない(笑)。
まぁそれはそうそうあるものではない特別な場面だとしても、普段の上司と部下の会話、同僚同士の会話において、質問する方が即答を求めている場面は多々あろう。

  その時に質問者が求めているのは即答。

それは、コンマ数パーセントの正確な数値の回答を求めているのではなく、極端な話数十パーセント単位の大雑把な回答でも良いから会話のキャッチボールを手早く回転させ、会話のステージをどんどん引き上げていきたいという意図がある時である。

  よって瞬間的な即答が会話の次へのステップに重要な役割を果たす。

しかしその期待に対して、回答する方はどうしてもその問いに対してより正確な回答をしようとして考え込んでしまう場面がある。

  雑把でいいから即答を期待する質問者。
  より正確な回答をしようとする回答者。

そのギャップがコミュニケーションギャップとなって、お互いの会話から次へのステップや更に上のステージに乗っていけない要因であると言えるだろう。

  特に上司との会話においては心がけるべきであろう。

上司はその質問に終始するつもりはないのだが、どうしても部下はより正確に間違いのない回答をしようとし、即答を避け、より正確な回答の為に資料を紐解いたり数値計算をし直したり。

しかし上司が求める回答は即答でありそこから問題解決を図りたいと考え、その質問を一つのきっかけとしヒントとしてそこからまた新たな質問や現場を部下から引き出してお互いのコミュニケーションからの次へのステップを思索していくのである。

  部下の気持ちもわかる。

“上司にいい加減な人間だと思われたくない”

  常に品行方正で正直な人間だと思われたい。

どうしてもそのように思われたいという願いもあるだろう。
更には、正確で正しい回答をしておけば、後々に突かれることも無いだろうという安心感もあろう。

  しかしそれが望まれる場面とそうでない場面がある。

そのTPOは身に付けておきたいものである。
上記は上司と部下との会話に終始したが、それ以外にも上司が部下との会話において、更には同僚同士の会話において、仕事上のやりとりの中での「即答」はある意味大切なことではある。

  自分の見解を即答で答える。

その前提には、その事柄に対しての確固たる自分の意見を持っていなければ即答は出来ないであろう。
それだけ、即答するにはそれ相応の経験とそれに裏付けられた確信と、そしてそのことを会話の中で認識し自分の信念として言い切れる自信がなければ、即答という回答は出来ないものである。

  そして「即答」と「適当」は違う(笑)。

即答で信頼を得る人間と、適当で信頼を失う人間がいることも事実。

  即答がいつも適当な人間は即信頼を失うものである。

それも心しながら即答を心がけるべきであろう。






  




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2020年2月21日 (金)

居心地

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


居心地のいい場所。

  いつまでも居たいと思う場所。

それは店舗でも言えるであろう。

  居心地のいいお店。

それがお客様にとってそう思えるのであれば、それは我々従業員にとっても理想の姿ではないだろうか。

  そして従業員にとっての居心地のいいお店とは?。

それは働く従業員にとって、働きやすいハード面を有し、働きやすいソフト面も充実し、そして何より働きやすい人間関係が構築されていることが重要であろうか。

  そんなお店に赴任したらいつまでも居たいと思うであろう。

しかし、いつまでもそこに居続けることによって、いつしか自分がぬるま湯に浸かってしまっていることに気づかないものである。

  先日通勤途中でこのようなアメリカの諺を放送していた。

Get out of your comfort zone

  “居心地の良い場所から出ろ!”

このような意味らしい。

  要は、今のぬるま湯から抜け出せ。

そんな意味らしい。

これは多くのグローバル企業(世界規模で活躍する企業)が、企業内で使用する格言であるという。

  これを我々の仕事に置き換えてみる。

例えば、現在の店舗で新店立ち上げにより異動してきたと仮定して、ゼロからのスタートから始まり、人材採用、人材育成、開店に至る。
そして、競合店のリニューアルや新規開店を受け、対策を打ち、更には人材の流出や新規採用を経て、ようやく4年目の現在に至り、自分の思い描く売場作りとそれを支える人材を得てきたという現在。

  もしかして知らず知らずのうちに「ぬるま湯」に浸かっていないか?。

自分でもそう感じるこの頃を人事はいち早く察して(笑)、新たな赴任先を用意するというストーリー。

  上記の場合は人事異動という外部与件にてのGet out of your comfort zone。

しかし、グローバル企業ではこのことを企業側からの主導ではなく、自らの意志で自ら行動せよという諺があるという。
そして常に上司や同僚からそのことを突きつけられるから、自分でもどんどん新たな環境に身を投じる行動を起こし、チャレンジしていくという空気が企業内にあるのであろうか。

  日本企業でも「チャレンジ」はよく使用される。

しかしそれは現状の環境において、もっと上を目指すために販売数量を自分の限界を超えて仕入れて販売してみる、というような部分であろうか。
それが、グローバル企業においての「Get out of your comfort zone」という意味であれば、自分が身を置いているそのぬるま湯から脱せよ、という意味で捉えるならば、新たな環境に自らの意志で立ち向かえ、ということであるから、また新たな環境の中で自分を鍛えるために転職であり職場変更でありを率先して行え、という意味になるのであろう。

  よって海外では自らのキャリアの為に自ら転職するのである。

そして、いつの間にか浸かっていたぬるま湯から自らの意志で脱出するのであろう。
しかし、日本では将来のリスクもあり、なかなかそう簡単に転職という意思決定は出来ないであろう。

  よって自社内で如何に「Get out of your comfort zone」に踏み切るか。

自社内の許される範囲で、自らの判断でどんどん売場のチャレンジ、商品導入のチャレンジ、そして新たなマネジメントのチャレンジを図って、自分のcomfort zoneを破っていくしかないであろうか。



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