生き方

2019年8月22日 (木)

声を出して笑う

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


以前、上司の笑顔をブログにアップした。

  http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-039370.html

ここでは、上司に笑顔になってもらおうとする部門チーフの話題。
部門チーフが上司(店長等)の笑顔を引き出し、店舗内のコミュニケーションを良くして店内を明るくしていこうとする姿勢を取り上げた。

  上司が笑顔で仕事をしている。

部下にとってはこれほど安心して自らの仕事に打ち込める環境は無いであろう。
しかし、そうはいってもいつしか仏頂ズラで仕事をしている自分に気づくこともママ多い。

  笑顔になるだけでも健康的には非常に有効である。

しかし、声を出して笑う行為は更に健康面での効能が高くなるという。
笑顔になるということは、リラックスした状態に脳から発せられるα波を産み、ストレスを軽減する働きがあるという。

  更に、声を出して笑うという行為には肉体的な効能が大きいらしい。

声を出して笑うことは優れた有酸素運動であるらしい。

  10分間笑い続けるとチョコレート1枚分のカロリーを消化するという。

ただし、10分間笑い続けるということ自体は滅多にできるものではない。
しかし1日を通して考えれば、こまめに場面場面で声を出して笑うことは可能であろう。

  また腹筋や横隔膜を刺激することによりお通じがつくと言う。

これもなんとなくわかるような気がする。
また、顔の筋肉を使うことにより脂肪を消化させ、顔の筋肉の老化を防ぎ、たるみなどの予防にもなると言う。

声を出して笑うと言う行為には、体のいろいろな部分の筋肉を活用すると言うことであるから、内臓も含めて普段の生活の中で使用しない筋肉をそれなりに使うことによる効能はありそうである。

また、声を出して笑うことで血管が拡張し、一酸化窒素が放出され心血管の病気を引き起こすリスクを軽減することにつながるのだと言う。
更には、声を出して笑うことによりエンドロフィンという成分が放出されることにより、ストレス性の化学物質が軽減され、対人関係の悪化を防ぐ効果も期待できるらしい。

  声を出して笑う効果は絶大であると言える。

思えば我々は会社内や店舗内でどれほど声を出した笑っているだろうか。

  現場でいろいろな方と出会うお店の人間は意外に多いかもしれない。

しかし、本社本部でパソコンを相手に打ち込みや思考しながらパソコンに向かう仕事が大半の方は、声を出して笑う場面などほとんど無いであろう。

  せいぜい仲間内で冗談を言い合う時ぐらいだろうか。

それでも家に帰れば、家族に癒されたり、テレビの笑えるドラマや芸人の話にゲラゲラ笑う場面もあるかもしれない。

  しかしそれも無いという方はどこかで笑う時間を作るべきであろうか。

それも、「声」を出して笑う場面が大切では無いだろうか。
それが、自分の気持ちをリラックスさせアルファ波を産み、そして神経ペプチドが活発に生産され、ウィルスなど体に悪影響を及ぼす物質を退治するNK細胞の表面に付着し、ウィルスをどんどん退治する。

  笑う角には福来たる。

科学的にも証明されている「笑い」。

  それも「はっ、はっ、はっ、」と声を出して笑うこと。

それが人生の福をもたらすのである。









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2019年8月16日 (金)

二刀流の勧め

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


二刀流と言うと、大谷翔平を思い起こす人は少なくないだろう。

  メジャーでも二刀流を成功させた功績は大きい。

従来であれば考えられない活躍ぶりではある。

  打者と投手でフル回転の活躍。

従来であれば、打者は打者、投手は投手に別れて選手登録され、ピッチャーがバッターボックスに立ったらほとんど打撃は諦められていたものである。

  特にプロ野球の制度が確立されてからはそれが固定化されてきた。

そして従来の名選手と言われた人物は、そのほとんどがピッチャーかバッターかに分かれて記録を残し名を残してきたのである。

  その常識を大きく覆したのが大谷翔平。

彼は、ピッチャーとして投げない時でもバッターとして打席に入り、ホームランからシングルヒットまで放ち、尚更盗塁まで決めて見せるのである。

そしてピッチャーで投げる時はピッチャーに専念してバッターボックスには入らないと言うスタイルで二刀流を実現している。

  その考えを我々の生き方にも応用すべきであると言う思想が浸透し始めている。

そしてそれは、私も同感である。

  要は「二つ以上の肩書きを持て」と言うことだ。

例えば、普段の仕事では「店長」と言う肩書きを持つ。
そして、仕事を離れては「PTA会長」の肩書きを持つ。

  これも言うなれば二刀流と言える。

仕事を離れた時に、子供の学校のPTAの会長として学校の父兄の為に尽力する。
それは仕事を離れての休日を利用しての活動ということになろう。

  それでも仕事以外の活動や交流の中から大きな学びの世界があるであろう。

そしてそのPTA活動を通して仲間ができ、その仲間たちとの付き合いを通しながら、またスーパーの店長としてのヒントを得られる事が数多い。

  それだけアンテナが敏感に情報をヒットさせてくれるようになる。

仕事として店長が店舗の内外で色々な情報を得ようとして努力はするものの、どうしてもお客様や取引先から得られる情報は偏ってしまうことが多い。

  しかし別の肩書きから得られる情報は違った意味で貴重な情報が多い。

それは、視点の違いからくる情報であり、とは言っても同じ小売やスーパーに対する情報が別の角度からの新鮮なものとして受け取る側には伝わってくるのである。

  それは店長の肩書きでは得ることの出来ない情報となる。

それが二刀流の強みであろうか。

  従来は一つの事を寄り道しないで極めることが本筋と言われていた。

しかし現代ではスピードの時代。
そしてそのスピードに乗った自分の成長や仕事のスピードを考えると、コツコツと時間を掛けてというよりもスピーディに同時並行的に物事を処理しなければならない時代であり、ネット社会では尚更あらゆる情報を処理しながら同時並行的に消化しながら処理をして次へと進めていく時代である。

  例えば。

従来は売上、荒利、ロス、生産性等の数値を個別個別に分析して、別々に対策を練って対応してきたが、今後はこれらの数値を同時並行的に一気に解決ていく時代となる。

  その時に必要となるのはある一手によって全てが解決できる手法となる。

この手法を磨くには、同じ視点で物事を捉える従来の目線では到底解決出来ない。

  重要なのはあらゆる角度からスーパーを捉える多角的視点である。

この視点を得るには、どうしても二刀流や三刀流の生き方をして、多角的な視点を身につけ、多方面からの情報を得る場を自分で創造していくしかないのである。

  そんな生き方に早々に舵を切りたいものである。







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2019年8月14日 (水)

環境の変化

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


それは決断であろう。

  現企業を退職するという選択。

男性にとっての転職、女性にとっての転職。

  それぞれに特性は違うであろう。

特に男性が転職するということは、一生涯の仕事として現企業に就職したのにも関わらず何かしらの理由で現企業を退職するということであるから、その決定には大きな決断を要したのであろう。

  そういう私も転職組の一人ではあるが(笑)。

身近な存在にも、現職を退職して別企業へ転職しようとする方達がFacebookにて表明される方達が増えてきた。

  隣の芝生は青く見える。

現実的に、隣の芝生(企業)が良く見えてしまうということはごく当たり前の話である。
しかし、現実に転職してその青い芝生の企業の敷地内に入り込んで見ると、雑草は生えているわ、芝生は伸び放題だわ、芝生と思っていたのが単なるコケだったとか、横から見る芝生と実際に芝生に立った時とでは雲泥の差となって感じるものでもある。

  しかしもはや後には戻れない。

向こう岸の灯りを頼りに飛び込んだ大海原であるが、実際に飛び込んで見るとなかなか目指した灯りにたどり着かない。

  そして大海原をもがき苦しむことになる。

それが転職した直後の事である。

  それが半年ぐらい続くのである。

そして灯りが見えてくるのは半年後あたりであろうか。

  今まで通じなかった「言葉」がようやく通じるようになる。

同じ日本人ではあるが、自社と他社の間には大きな壁がある。

  それが「言葉」の違いである。

日本語という意味ではなく、その言葉に込められた深い意味が自社と他社には大きな隔たりがある場合が多い。

  「プロパーに戻して下段で売れ。」

そう指示を出しても、プロパーという意味が通じない、下段で売れと言われても定番を変えるという文化のない企業ではそれが出来ない。

  結果、その指示は実現されないまま数日が経過していく。

自分が今まで育ってきた環境がこの業界の全てであると思い込んでいたのが、大海原に飛び込んでみて初めて自分が狭い世界でしか生きてこなかったことに気づくのである。

  しかし逆に言うとそこから強くなれるのでもある。

隣の芝生が青く見えると言う錯覚に気づき、大海原を泳ぎ切らない限りは向こう岸に辿り着かないと開き直った瞬間から人間は強くなれるものでもある。

  逆に強くならなければ溺れ死ぬと言う状況。

そして人間はそこを経験することが非常に大切なことなのだと今になってから思うのである。

  従来はなんとなくわかる言葉でなぁなぁで仕事をしてきた。

しかし逆に言うと、そのなぁなぁが嫌で飛び出してきたのでもある。
そして、そのなぁなぁによって自分も安易な仕事をしてきたことに気づかされるのである。

  売場はどこも大差の無い品揃え。

しかし実際に転職してみると、そこに行き着くまでの作業は全く異なる工程を踏むものであり、売場や商売の考え方も企業毎に大きく異なることを知るのである。

  これは転職してみないと絶対にわからないこと。

それを押してでも転職すると言う自分への行き方への追求。

  是非新しい道を清々しく歩んで欲しいものである。







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2019年7月22日 (月)

dadamaさんとの想い出

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


今日のテーマはdadamaさんとの想い出。

  “えっ!、dadamaさん消滅してしまうの!”

そうではありません(笑)。
先日、dadamaさんとかわらいさんと3人で飲んだ。

  dadamaさんの現役最後を祝って(?)。

そのまま再雇用ではあるが、企業の制度上いろいろな雇用形態の変化があるらしい。
それはどこの企業もそうであるように、一旦退職という形態を取りその後再雇用という流れ。

  よって今後はタイムカードでの就業管理となる。

それがどういうことか、それは本人しか感じ得ない境遇であろう。
いずれ自分もそのような境遇になっていくのであるが、それはいまだに自分の事としては受け入れられないものである

dadamaさんやかわらいさんと3人で話をしていると、どうしてもFacebookでの仲間達との設立当初の話題になっていく。

  とどの始まりはdadamaさんとの出会いからであった。

ブログを読んで、タダで読むわけにはいかないという信念?から、どうしても会って話がしたいという事で、メールでのやり取りから北関東のある駅で待ち合わせをした。

  それ以前にも何人かの方とはブログを通してお会いしてはいた。

しかし、ネット上のつながりの方とリアルにお会いするということの緊張感は未だに解消しないのは、やはりリアルに会うことの重要性であろうか。

そしてお会いした第一印象。

  “えっ!、意外におじさん?”

大変失礼しました!!!。

  しかし本当にそう思ったのは事実。

リアルに会いたいというからには、どちらかというとバイタリティがあり30代から40代の若い店長なりたての方が颯爽たる姿で現れるのかと思いきや、えっ!、俺よりも年配の方?、という印象。

しかし、今にして思えばバイタリティと年齢は全く関係ないこと証明してくれたのもdadamaさんかもしれない(笑)。
そして、程なくして、かわらいさんが店にやってきて、初めてお会いしたのである。

  この二人との引き合わせを運命というのであろうか。

そしてdadamaさんの音頭でてっちゃん会の第一幕が開催されて、6名の方々とお会いすることになる。

  なぜ、第一幕?。

それは、dadamaさんの強い要望で、一回毎の会合が一つ一つのストーリーとして心に刻まれる会にしたいという想いであったという。

  その想いは今にして思えば、先見の明であると言えよう。

それ以降、第二幕、第三幕と人数の増加しながら第10幕を最大人数となり、そこからは参加人数と合わせて前座という勉強会も同時に開催し、単なる親父の飲み会だけではなく業界関係者と共に何かしらの学びの場としての会合と進化して現在に至っているのであるから、ようやく彼が目指した幕というスタンスに近づいてきたのではないだろうか。

  そして程なくしてかわらいさんがFacebookを立ち上げた。

そこから一気にFacebookを通してこの会の輪が広がっていくのである。

  そして友が友を呼び一気に拡大していくのである。

そう考えると、この二人無くして「てっちゃん会」が今の姿にはなっていなかったであろうし、てっちゃん会自体が存在したかどうかも不明であろう。

  とりわけdadamaさんの存在は大きい。

そこから人が人を呼び、そしてまた人が人を取り込んでいく。
かと言って、誰でもいいというわけではなく、メンバーの紹介というスタンスでメンバーがその趣旨を理解しての加入となるため、メンバー自体は増加していくものの、あくまでも純粋に商売を追求したいと願うメンバーが集うという構図は不変である。

  そんなメンバーの要となっているのがdadamaさん。

そして徐々に私の周辺では、定年を迎える仲間達が続々と現れ、そして第二のまたは第三の人生を迎えていく。

  そして私も来年にはその年齢を迎えるのである。

しかし、自身の環境が変われども、これらの方達との関係は益々進化していくのではないだろうか。






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2019年7月20日 (土)

きっかけ

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。



人生は出会いの連続である。

  出会いから自分の人生が変わっていく。

これは紛れもない事実であり、出会いによって新たな環境、新たなステージを見る事が出来、そこからまた新たな出会いの場が訪れるのである。

  全てはきっかけに依るところが大きい。

そしてそのきっかけという出会いの場を自分でどう受け取るかに依るのである。

  要は自分次第。

それがこの世で我々に平等に与えられた機会なのである。

  それを活かすも殺すも自分次第。

平等に与えられた機会を有効にタイムリーに手にして自分に取り込む人もいれば、平等に与えられた機会が目の前を通り過ぎていくのをまたこの次の機会として逃す人もいる。

  しかしそこに平等の落とし穴がある。

平等に与えられたということは、機会は一度きりだということである。

  機会は平等に一度きりのチャンスなのだ。

その一度のチャンスを掴むか逃すか。
そのチャンスは誰の下にも平等に一度きりの機会でしかない。

  そう捉えて行動する事が重要であろう。

機会をそう捉え直すと、機会というものをチャンスとして今活用するか否かが瞬間的に見えてくるものである。
そして、そのチャンスを確実にタイムリーに掴み取り、そこから新たな環境において新たな出会いが生まれ、そこからまた別の機会が平等に訪れてくるものである。

  チャンスを活かすものは全ての平等に訪れる全ての機会を確実にものにしていく。
  逆に、チャンスを活かせないものは訪れる全ての機会を全て手放していくものだ。

そして、これが人生である。

  どうせなら目の前の機会を掴む行動を起こしたいものである。

そのことによって、目の前の機会をチャンスとして掴み取る目を養い、そこからまた新たな機会に遭遇し、また瞬間的に掴み取る人生が訪れる。

  それはより積極的に今の仕事や目の前の業務に取り組むということにつながるもの。

そんな行動により、より積極的な人生に変わり、機会をチャンスに変える事ができ、新たな出会いが増えていくのであろう。

  そんな人生を歩みたいものである。







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2019年6月27日 (木)

成功したいなら

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


成功と失敗。

  一回勝負で捉えればどちらかに評価されるのであろう。

しかし、長い人生、長い商売、長い一年という見方をするならば、失敗は成功の素であるしその場の成功が永遠の成功かといえばそんなことは全く無い。

  成功失敗を繰り返しながら長い人生を歩んでいくのである。

そして、そう考えるのであれば成功も失敗もないし、やった回数が多ければ多いほど成功への道を確立していける可能性が高まるというものであろう。

  だから、成功や失敗で一喜一憂しても対して意味は無いのである。

意味が無いというよりも、失敗は次へのステップであるし、成功も次へのステップでもある。

  そう考えて成功への道筋を色々と経験すべきなのであろう。

そう考える、長い人生において結果的に成功と言えるようになるには、これはもう失敗の数であると断言できるであろう。

  人生の成功は数をこなすということに尽きる。

よって、長い目で見た場合の成功を目指すならば、数をこなして結果的に失敗だろうが成功だろうが関係なく、ひたすら数をこなすという人間として非常に原始的な一歩一歩の地道な歩みこそが成功の根源と言えるのであろう。

  しかしやはり人間どこかで躊躇してしまうもの。

“これをやったらきっと誰かに言われるだろう”
“流石にそれは恥ずかしてくて出来ないだろう”
“ブログにコメント書くなんてとても無理だろ”

  どしても自分の行動をどこかで規制してしまうもの。

その規制が数をこなすという行動から遠ざけ、自分を客観視してしまうようになっていく。

  そしてその選択は自分にとっても楽なのだ(笑)。

勇気を持って壁にぶつかっていくという行為。

  ある意味、その勇気が人間を成長させていくのでもあるが。

そして、数をこなすということは、この勇気を持って行動するということに対しても、違和感なく自分の心の葛藤を制することができるようになっていくのである。

  数をこなすことによる精神の進化。

この心の成長は自分にとって大きな宝になっていくのではないだろうか。

  そんな勇気ある行動が自分に新たな世界をもたらしてくれるもの。

そんな成功体験を繰り返していくと、自分の行動への自信が付き、新たなステージを切り開く目が養われていく。

  ここぞという場面での行動力が付いてくる。

ここで一歩踏み込む。
このチャンスを掴みとる。
ここが押さえどころ。

  そんな人生の肝を掴みとる勘どころ。

そんなものが見えてくるようになるものだ。

  何れにしても数をこなすことで全てを手に入れられるようになる。

数とは、必ずその延長線上に「失敗」が付きまとうもの。
しかし、敢えてその失敗というリスク背中に背負いながらも、行動し失敗し、その失敗から多くを学び次回への成功の道筋を体得し、新たなステージを切り開く行動力を身につけていく。

  人生とは全てがこのような因果応報の上に成り立っているのではないだろうか。








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2019年6月 5日 (水)

他者から学ぶ

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。



昔からのことわざ。

  「人の振り見て我が振り直せ」。

昔からよく言われてきたことわざであろうか。

  人の行動や態度から自分を見つめ直せ。

そんな意味合いがあるであろうか。

  人間は他人はよく見えるものである。

人の欠点をはじめ、行動の欠落や不備、更には不正までも含めてよく見えるものである。

  特に上司の振りは本当によく見えているものである(笑)。

それほど、他人の欠点や短所、弱みはよく見えるのに、自分の短所や欠点、また細部の状況においての自分の行動が他者からどう思われているかという点では、ほとんど見えていないのが現実であろうか。

  なぜこうも他人と自分では見える視界が違うのであろうか。

簡単である。

  要は他人の外面は見えるが内面は見えない。
  逆に自分の内面は見えるが外面は見えない。

外見上の評価は誰だってできる。

  他者の行動は全て事実であるから。

しかし、その行動がどのような意味合いから生まれたのか?。
どのような心理状態からこのような行動をとったのだろうか?

  そこまで掘り下げられるかどうかで人間の価値が決まるのであると思う。

人間の行動には必ず意味が伴う。

  この人間の行動はどんな意味を持つのか?。

そんな視点で、他人を見ていくと、常に他人の内面を見ている自分の視点と重ね合わせて自分を見れるようになるのではないだろうか。

  そして同じ視点に立った時に自分はどうなのだろうか?。

そこに立ち返った時に、自分のあるべき行動や取るべき行動が見えてくるのであろう。
そして、あるべき行動とは置かれた状況によって、千差万別である。

  ある場面ではAの行動があるべき姿だが違った場面ではBの行動が正解。

そのような場面はたくさんある。

  それを他者の行動から学ぶのである。

特に、あるべき行動をとった時の内面とその行動を学ぶのである。

  欠点や弱みなどどうでもいい。

他者から学ぶべきは、そのあるべき立派な行動とその内面である。

  その数の積み重ねが自分を高めていくのだろうと思う。














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2019年5月24日 (金)

今を大切に

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


現在の職場。

  いろいろな経緯を経ての現在。

企業に就職し、部門が決定し、店舗に配属される。

  結果としてその部門で半永久的に仕事をしていくキャリア。

そこで人々は、いろいろな悩みを抱えながら日々の仕事をこなしていく。

  “俺はこの仕事が合っているのだろうか?”
  “私は小売の接客業をこなしていけるか?”
  “今度の店長の人間性に付いていけるか?”
  “チーフの仕事の厳しさに耐えられるか?”

等々、新たな環境になかなか適合できずに悩む日が続く時もあるだろう。
そして、結論づけてしまう。

  “やはり俺はこの場でやっていく自信が無い”

それは、仕事自体の厳しさもあるかもしれないし、なかなか覚えられずに不適合なのかと思ってしまう場合もあろう。
更には、その店舗や立地での人間関係に悩み、その場から離れてしまいたいと思うようになったのかもしれない。

  “ここを辞めて別の道を探そう”

そして新たな環境の下で仕事に就く。

  しかし新たな環境においても同様となる。

それを繰り返す方が意外に多い。

  履歴書を見てもそうである。

転々とする人は履歴書の経歴が多い。
3ヶ月単位で職場を変えている方もいる。

  履歴書が汚れる。

俗にそのような言い方をする場合もあるが、むしろ現代では死語となっているのかもしれない。

  しかし私から言わせれば3年は黙ってやってみろ、と言いたい。

要は、3年やらなければ何も見えてこないということだ。

  “3年も待ってられない”

しかし、その仕事の本当のやり甲斐や楽しさは3年継続してようやく見えてくるものである。

  それは、管理職となって初めて見えてくるもの。
  それは、熟練してきて初めて見えてくるもの。
  
そしてそれは、全ての人生において言えることでもある。

  今目の前の仕事に真剣に取り組む。

そして、それを3年間は継続してやり続けて初めて、ようやく仕事の流れが見えてきて、計画、実行、検証、そして次へのステップというPDCAサイクルの流れの中で、業績を積み上げていく手法が理解できるようになり、その仕事の面白さが理解できてくるのである。

  そしてそれはどんな仕事においても同様なのである。

何も小売業の仕事に限定された原理原則では無い。
だから、どんな道に進もうとも、今目の前の仕事に対して、PDCAサイクルを回せる段階までは続けなければならない。

  それが理解できるようになると仕事が面白くなってくる。

そしてそれを掴むには、やはりそれ相応の時間を要するのである。

  一朝一夕で習得できるものでは無い。

それができたら、飽きも早いであろう。

  しかし、こに行き着くまでには、人間関係という別の試練も立ちはだかるものだ。

仕事のPDCAサイクルを取得する前に、その職場での人間関係で悩みを抱えてその場を去る方も少なく無い。

  しかしここでも学ぶ姿勢が周囲の共感を呼ぶ。

一生懸命に仕事に打ち込む者には、必ず味方が現れる者である。

  それがチーフなのか店長なのか部長なのかはわからない。

しかし、一生懸命に仕事に打ち込む者は、必ず誰ががしっかりと見ているものだ。

  その誰かが、必ず救ってくれるのである。

それを信じて今を大切にしてほしいものである。

  







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2019年5月10日 (金)

切れないロープ

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。



先日のNHK「仕事の流儀」。

  精肉店主「新保吉伸」さんの特集。

新保さんは、ドライエージングによって、経産牛などの赤身肉を味わい深い旨みのある肉に熟成させて取引先に卸す精肉店の店主である。
当初はブランド牛を購入して自慢げにトロフィーや賞状を飾っていたが、その時代に狂牛病が発生し、今までの取引先を全て失ったと言う。

  そのどん底からある一通のメールが届いた。

それは、北海道で酪農を営む女性。
彼女の農場は広大な敷地に、牛を自由に放牧する農場であり、牛にストレスを与えずに飼育するため、餌は自然の草のみ。

  よって筋肉質であり赤みの硬い肉質であると言う。

その為、市場では評価が低く、安く買い叩かれる場合が多いという。
その牧場と現状を見て、新保さんは心に決めたという。

  “この様な牧場主の牛肉を取り扱いたい”

飼い主は、サシの多いA5ランクの牛肉の方が高額で取引される為、皆がそんな牛を飼育して高値で売ろうとする。

  しかし牛からするとストレスの多い飼育方法になるという。

よって、牛のストレスを考慮して赤身肉を飼育する牧場主もいるという。

  新保さんはそんな牛を扱いたいと思う様になったという。

そこから、赤身肉を如何に美味しい牛肉として料理人に提供できるかを模索し始めた。
結果として、欧米で盛んに取り組まれていのドライエージング(熟成牛)に行き着いたという。

  そんな新保氏は業界でも異端児扱いされているという。

それは、通常の精肉商であれば、ほとんどの方はA5ランクを始めサシの多い牛を扱いたがるもの。
しかし、新保氏は敢えて赤身肉にスポットを当てて、その牛が持つ最高のポテンシャルを引き出そうとする姿勢は、この番組に登場するだけのプロフェッショナルであると思った。

  彼は番組内でこう言った。

「狂牛病事件当時の私と取引先を繋ぐロープは簡単に切れたが、今私と繋がる取引先はどんなナイフでも切れない強さがある。ブランドの確立なんかよりももっと大切なものを得ることができた。」

  それを「正しい肉屋」と呼んだ。

正しい肉、そして正しい肉屋。

  そしてそれを繋ぐ正しいロープ。

そのロープで繋がれる限り、人間は強くなれるのであろう。
この番組を見ていて、ふと思った。

  「てっちゃん会」の繋がりに似ているなぁ〜。

この繋がりも、企業の壁を超えて仕事への志を持つもの同士が繋がった集まり。

  それぞれの企業では異端児かもしれない(笑)。

それは、自らの意志でお客様を最優先に店舗運営をし、それに関わる業界の繋がりを活用して自らの業績を改善していこうとする人間の繋がりである。

  個人の利益追及の意志はそこには入り込まない。

そして何の営業目的もなく、自らの意思でこの繋がりに参加し、自らの課題に対して自己完結させようと、同じ意志を持つ連中が集まって活動する組織。

  よって全ては自腹で活動するものである。

そこに、繋がりの強さがの要因があるのであろう。

  そしてそんな仲間達との出会いに感謝するのである。

つい先日もそんな集まりが北関東であったのだ。

  一つの道を追及していくと必ず仲間という絆が生まれていくもの。

そんなことを想いながら、この番組を見ていたのである。










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2019年4月 7日 (日)

遠回り

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。



今日は日曜日。

  芸能ネタの日(笑)。

イチローの現役引退。

  いろいろな番組で特集を組んでいた。

今回取り上げたいのは、NHKスペシャル。

  以前からイチローを取り上げていたスタッフ達。

彼らの今までの取材と、直近のインタビューから構成されていた。

  やはりNHKである(笑)。

このタイミングでの報道であるから、他局であれば緊急特番というネーミングを使用するであろう。
それを、サラッと「NHKスペシャル」という普段のテーマで押すところもNHKらしいところだ。

しかし流石はNHKである。

  イチローへの入り込みが他局は断然に違う。

密着取材とはこのことを言うのであろう。

  一弓(18歳の芝犬)と戯れる姿。
  自宅の居間でトレーニングする姿。
  自主トレ仲間達と飲み屋で寛ぐ姿。

他局では張り込めないイチローの裏側まで密着してのイチローの人間的な姿を取材しているのだ。

  イチローには名言が多い。

幾度となくそれらに触れてはきたが、この放映でも心に刻みたいイチローの真髄を見た。

  「はっきり言えることは近道は無い」
  「遠回りが、結果的には一番の近道」

イチローは日本での成功を背にメジャーリーグに挑戦した。

  しかし日本とはあまりにも違いすぎる環境。

まず、ピッチャーの速度が違う。

  その為に日本で完成させた打撃フォームを変えた。

そしてメジャーに行っての大活躍。

  しかしイチローは自らの打撃フォームを変えることに躊躇しなかった。

そんな話題から、イチローが言った一言である。

  「自分の打撃フォームに最終形は無いと言うこと。」

それを残酷な話であると言う前提のもとに言い放った(笑)。
多少、アルコールの入ったような赤みがかった表情で、自ら歩んだ道のりを振り返ってインタビューに応じた時の映像である。

  最終形を追うのではなく常に最善を求めて進化させる努力。

それをイチローは「遠回り」と表現した。

  その遠回りこそが進化しようとする意欲に繋がるのだ、とも言った。

心情的には、最終形を求めた結果として、それを維持したいとも語ったが、結局それは後退につながることでもあると言う。

  だから自分の理想に近ずく為には遠回りしかない。

それは、今だからこと、ハッキリと言えることだと言い切った。
それはメジャーリーグという野球の最先端で10年連続200本ヒットを続けたからこそ言える言葉であろう。

単発で一発屋としての活躍はデビュー初年度であれば可能である。
しかし、大好きな野球を続けたいという願望が、遠回りの進化を選択したのであろう。

  そして自分同様にメジャーリーグリーガー達も進化している。

その進化以上に自らを進化させなければならない。
その結果としての上記のイチローの言葉は重い。

  しかし、それはどの世界にも言えることではある。

そしてイチローはようやく現役を引退した。

  現役引退という時期。

プロの世界はそれを自分で見極めることである。

  自分の現役引退も自分で見極められたら(笑)。

自分で見極めるのか、組織から言い渡されるのか。

  自分で見極められるほどの人間になりたいものである。







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