生き方

2017年6月17日 (土)

運命を受け入れる

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


不慮の事故や不慮の不幸。

  皆さんはどう受け止めていますか(笑)。

当然、事前に防ぐべく対策を講じて普段からの行動をとっていはいるだろう。

  しかしそれでも事故や不幸は訪れるもの。

特に、普段から真剣にしっかりと対策を講じてきた場合に起こる事故はやりきれない。

  その反動で落ち込む事もあろう。

そこからが個人差の大きく分かれるところである。

  それを受け入れられずにいつまでも引きづるタイプ。
  起きてしまった事も素直に受け入れてしまうタイプ。

どうせなら、後者になりたいものである。

  即、頭を切り替えて前を向きたい。

しかし、事前の対応から気を使い徹底してきたつもりの場合はそう単純にはいかない。

  それが自分以外の人間に由来する場合は尚更だ。

“あれほど言ったのに!”

そうなると怒りが頂点に達してしまい、なかなか自分の心の整理がつけられずに引きずってしまうもの。

  結局は運命に翻弄される過程を踏むことになる。

しかし、起きてしまったことや運命付けられているような現実に直面した時ほど、その運命を受け入れる心の余裕が必要なのだ。

  それを引きづると必ず連鎖反応が生じる。

その心の余裕の無さが引き金になって、新たな失敗や事故が生まれる。

  これを、「運命に翻弄される」という。

これは何も一回限りの運命をいうのではない。

  運命に振り回されるから一回の失敗で済まなくなるのだ。

頭の切り替え、心の切り替え。

  言うは易しだが(笑)。

起きことは取り戻せない。
次にどう行動するかだけが、我々の歴史を作っていく。

  それはどんな運命でも受け入れると言う心の持ち様である。

本来、我々は運命に翻弄されているのである。

  自分の親を選択できない。
  自分の国を選択できない。
  自分の祖先を選択できない。

その段階から既に運命に左右されているのである。
そして、唯一残されているのは、その運命を受け入れてそこからスタートすることである。

  常にどの段階からでもこのスタートが切られるのである。

しかし、そこまで言ってしまうと、「それでは人生何の努力もしなくていい、と言うことか」となってしまうがそうではない。

  心の整理の仕方を言っているのである。

人生、全ては最善の努力によって切り開かれるのは自明の理。
しかし、どんな努力に対しても切り開かれない時もあろう。
もしそれが、努力しても報われない結果であったとしても、それは失敗や後退ではなく成功への過程であると信じるところから次が開けてくるのである。

  更には大きな失敗や不幸に遭遇したら。

その時こそ、冷静に自分を見失うことなく運命を受け入れる心の整理。
その整理も、努力を惜しまなかった人間ほど素直に受け入れられるものかもしれない。







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2017年5月20日 (土)

働き方改革

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日のガイアの夜明け。

  働き方改革。

ガイアの夜明けは今年は15年を経たという。

  放送回数は750回。

“えっ、このブログは3300回を超しているんだけど”

そうは思ったが、口には出さなかった(笑)。
それでも、色々な働き方を取り上げては話題になった。

  いわゆる「ヤマト問題」もガイアからだった。

さらには、残業を如何に無くすかという問題も取り上げたり、逆に安定を捨ててでもやりがいを求めてベンチャーに向かう若者を取り上げたりもした。

  今回は15周年企画であった。

まずは、老後。

  今後は人生100年の時代。

定年60歳としても、そこから40年も生きるのである。

  どう働き、どう生きるか。

ある調査では、2007年生まれの子供の半数以上は100歳まで生きる可能性が高いという。それが日本が一番長くて107歳までの到達しているという。

  107歳!。

平均寿命は107歳まで生きられるといことだが、では実際に定年までの貯蓄をどう蓄え、それ以降の暮らしを支える仕事をどう身につけるか。

  それを前提とする企業や働き方が話題になりつつある。

まずは、副業を前提とするベンチャー企業の話題。

  その企業はITベンチャー企業の「エンファクトリー」。

この企業は、自社の勤務以外に副業をすることが前提であるという。

  副業を勧める?。

私的には、ふざけるな!、である。

  一つのことを本気で出来ないで何が副業か!。

となる(笑)。

  要は、いつまでもこの企業に居座るなよ。

ということだろう。
人生100年ということは、定年という概念を捨てること。

  定年の無い人生を自ら切り開け。

そういうメッセージでもあるのだろうか。
企業で働くということは、いつかは定年を迎える。

  定年を迎えてから転職を考える。

現在まではそのような定年後の人生スタイル。
それを、定年の無い人生に変えていく。

  主たる企業では定年を迎えても副業で働ける。

そんな人生でもいいし、副業がいつのまにか自分のワイフワークになって起業する人生でもいい。

  そのために、若い頃から副業にも手を出す。

それが結果的には100年の人生を生き残っていく生き方に繋がるということだろうか。

  更に、別の話題。

自分の副業をネットで検索して働くこと。

  自分の強みを副業に。

そんなイメージだろうか。
この放映では、普通の家庭の主人(30代)が、得意な清掃の分野で要請を受けて普通の家庭のお風呂掃除をお互いに満足のいく結果で遂行するというもの。

  たかだか、趣味の世界。

それが、稼げる能力として活かせる時代。

  副業が当たり前の時代。

しかし、裏を返せば、本業とどっちつかずとの裏腹の関係でもあろう。

  短期集中的に本業を極めて上り詰めるか。 
  副業もこなして100年人生を生き残るか。

そんな生き方の選択の時代なのだろうか。







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2017年5月19日 (金)

第二の人生

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、ある「てっちゃん会」メンバーが当店を訪れた。

  某食品メーカーの方。

しかし、それは昨年までの肩書きであり、現在では転職して某キャンディーメーカーに勤務されている。

  初回からてっちゃん会に参加されている古参メンバー(笑)。

某食品メーカーを60歳の定年とともに退職し、そのままその企業に継続して勤務する選択肢を蹴って、新天地で自らの働きがいを託したという。

  60歳定年。

しかし年金支給が65歳となり、継続雇用制度が発令されてからは、定年経過後も継続して雇用される方が急増しているらしい。

  それは当社でもそうだしこの業界でも同様。

そして彼からの話を聞くと、食品メーカーでも同様だという。

  「定年を機に現企業から飛び出したい」

そのような願望は皆持っているのだそうだが、現実にはなかなかその勇気が無いという。

  この道一筋40年。

そんな経歴の方が、今更ほかの企業、他の分野で営業や就業できるのだろうか、という不安は大きいのだろう。

  まして、管理職を長年やられた方は尚更。

それだけのベテランになると、社内での部下からの認知度も高く、部下もその方から教わったことも多く、それ相応の認められ方をして現在に至っているわけであるから、この人間関係を新たに構築して転職先で影響力(インフルエンサー)を発揮することの大変さを一番よく知っているのも本人であろう。

  その不安を払拭しての転職。

やはり戸惑うのだろう。

  その不安を抱えながらの現在の企業への転職。

今回来られた方は、まさにその転職で現メーカーの営業の一環として来店されたのだ。

  そして、彼が持つ一番の不満は営業できないということ(笑)。

だって、営業マンでしょ!。
彼が、かっての某食品メーカーに勤務していた時は、メーカーと小売が直に取引できた。

  よって、ダイナミックな関係を構築できた。

しかし、現企業はメーカーと小売の間に「問屋」が存在する。

  派手な営業は問屋の目の敵、らしい(笑)。

だから、営業とは言っても主な取引相手は問屋になるという。
問屋だって、大手の食品メーカーのように中小規模のメーカーも小売と直に取引されたら死活問題である。

  だから最近の問屋は情報網で活路を見出している。

以前のように商品を横流しするだけでなく、小売いより影響を与える情報をいかに提供できるかが問われている。

そんなポジションのキャンディーメーカーに放り込まれた彼は、従来から構築してきた小売とのパイプを如何に活用して現在のメーカーに営業のスタンスの幅を広げることができるかという使命を担っているという。

そんな世界に飛び込んだ彼を全力で支援していきたいと思うのである。







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2017年5月 6日 (土)

豊かさ

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


豊か。

  意外に多くの場面で聞く言葉である。

「豊かな暮らし」。
「豊かな生活」。
「豊かな食生活」。

  等々。

我々の業界で、この言葉を企業理念や創業精神に入れ込む企業も多いのではないだろうか。

  お客様の豊かな暮らしの応援。

自社の存在意義は、お客様の豊かな食生活への応援である。

  そんな企業理念を掲げる企業が多いのもこの業界。

そもそも、豊かさってなんだろう?。

  お金持ち?。
  デカイ家?。
  豪華な車?。
  出世街道?。

個人個人それぞれに、豊かさの象徴は違うのかもしれない。

  心の豊かさだよ、てっちゃん。

そう言ってモノの豊かさを拒絶する方もいるだろう。

  私も最後はそう思いたい。

心の豊かさ。

  その象徴が笑顔である。

笑顔に満ち溢れた家族が集う食卓。

  それは家庭の主婦が一番に願う象徴ではないだろうか。

その食卓に、自社で販売された食材が乗り、その食材のお陰で家族の笑顔が導き出される。

  それが商売の醍醐味であろう。

その延長線上に、お客様からの「あれ美味しかったよ」の一言。

  その反応が我々をしてまた商売をしたいと感じさせるのだ。

そう考えると、お客様の豊かさと我々の豊かさとは表裏一体の関係であると言える。

  Facebookでも自分の豊かさをアピールする投稿が多い。

こんな豪華な食卓になりました。
こんな有名人と今食事してます。
こんな雰囲気でお酒飲んでます。

  アップする人と眺める人。

それはお互いにアップし合い閲覧し合う関係でもある。

  いつも他人のアップは羨ましいもの(笑)。

しかし、やっぱり自分の豊かさをしっかり自分の心の軸にしておきたいものだ。

  他人に左右される心の豊かさ。

そうではなく、自分が豊かだと思う、ブレない軸を持つことが必要なのではないか。
他人に左右されず、羨ましがらず、嫉妬せず、自分の心にブレない豊かさを構築すること。

  自分はこの瞬間が一番豊かさを感じる時。

それが、自宅のステンドグラスを眺める時なのか、美味しいお酒がお気に入りのグラスに注がれた時なのか、手料理が上手く出来て家族の笑顔が広がった時なのか。

  それは家族や状況によって異なるだろう。

その瞬間瞬間を豊かな時間、豊かな人生だと感じることが、豊かな心なのだろうと思う。

  そこから感謝と言う言葉が生まれるのだろう。

常に相手の落ち度を探る人生から、相手への感謝を持つ人生に切り替えていきたいものである。








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2017年5月 5日 (金)

部下の結婚式から2

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


今日は「こどもの日」。

  祝日。

最近では、家々の庭のポールで風にたなびく鯉のぼりを見る風景もすっかりなくなってしまった。

  逆に今年は5連休の中日というシチューエーションであろうか。

そして今日の話題は結婚式。

先週の日曜日。

  今月2度目の結婚式に呼ばれた。

今回も前回同様に元部下。

  元部下ではあるが現在は転職して他社にいる。

なんとも複雑な思いではあるが、退職してまで呼んでいただけるのも何かの縁。
それを気遣ってか、私のテーブルは当時同社で勤務した元パートさん達である。

  昔話に花が咲いた。

彼は当時から結婚した彼女と同棲していたのだが、それにしては遅い結婚であった。
その経緯を知る元パートさんが隣にいたので、話を聞くと、どうも奥さん方のお父さんに反対されていたらしい。

  娘の結婚に反対する父親。

“いまどき、そんな父親がいるんだぁ〜”

決して彼はいい加減な男でもないし、不真面目でもない。
至って真面目で前向きな男である。

  何が気に入らなかったのか。

それは、そのお父さんでしか分かり得ないことだろう。

  当初は口も聞いてもらえなかったらしい(笑)。

その彼に色々なアドバイスをして、彼女の父親を口説き落とす作戦を立ててやったのが、今回呼ばれた元パートさんらしい。

  恩人である(笑)。

そのヒマラヤのような高い壁を乗り越えての今回の結婚。

  その二人の協力関係にも乾杯である。

そういえば、Facebook仲間にもようやく婚姻届を提出する男がいる。

  結婚宣言をしてから何ヶ月が経過するだろう。

思えば、てっちゃん会の第11幕(前々回)で結婚宣言をしていたのだから、なんだかんだと言って一年が経過するわけだ。

  実はその彼から第13幕で婚姻届けを預かったのである。

「お願いがございます。」

  「なに?。」

「証人になってください。」

  「ハァ〜ッ!。」

普通、婚姻届の証人とは、ご両親か親戚の方、または近い友人であろう。
何を間違ったのか、私にそれを要請してきたのである。

  「ちょっと待ったぁ〜。」

しかし、彼の熱意に負けて受諾してしまった。
そして、証人は2名の署名が必要であるが、もう一人の方への要請と返信がようやく彼の自宅に届いたらしい。

結婚する二人の人生は二人で切り開いていくもの。
どんな問題に直面しようとも、二人で道を切り開いていかない限り、自分たちの道は見えてこない。

自店の中でも、結婚を意識する若者は多い。

  既に結婚を意識している者。
  結婚に不安を感じている者。

思えば結婚とは大きな環境の変化を伴うものだ。
人生で一番の環境の変化だと言ってもいいだろう。

  違う文化を歩んできた二人が同じ道を歩む。

これは、お互いの人生観を擦り合わせていく協働作業。

  だから本当の心の成長は結婚してからが本番なのである。

私の経験から言うと、自分で一番心の成長ができたのは結婚後の10年だろうか。
それは、違った人生を歩んできた二人の人間の心の擦り合わせの時間だったのである。

  その心の擦り合わせが心の成長をもたらすのである。

まだまだ、心の成長など程遠いと思っているが、それでも結婚当初から比べてば大きく成長したなとは思う。

何れにしても、この時期、人生をスタートするには最高の季節ではないだろうか。





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2017年3月28日 (火)

男の見られ方

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


今日は日曜日ではないが、、先日放映されたテレビネタでいきたい。

  毎回見ている「艶歌四人姫」。

そこで気になるシーンがあった。

  「男のどこを観るか?」

男のどこを観てその人間性を判断するか?。

そんな問いを、坂本冬美、藤あや子、香西かおり、伍代夏子の四人が回答するシーンである。

  “女は男のどこを観ているのか?”

非常に気になる部分ではある(笑)。

  伍代夏子は、男の「靴」を観るという。

“やっぱりなぁ〜”

新婚当初に女房に言われたことがある。

  「靴は常に磨いてね。」

男にとっての靴、特に革靴は人間性を現すと言われた。
それ以来、毎朝靴を磨いてから出社することにしている。

独身時代は、なかなか靴まで気が配らないことが多い。

  上着、スラックス、髪型他。

靴以上にこだわらなければならないパートは多い。

  それでも女は男の靴を観る。

そこに、その男の人間性を観るという。

  “靴に気配りできれば、将来女房にも気配りできる”

そのような女の第六感が働くのであろうか(笑)。
何れにしても、参考になる提言である。

  次に香西かおりは「食べ方」と答えた。

これも深い意味があるなぁ〜と思った。

  “食べているときは無防備だからなぁ〜(笑)”

無防備な状態ほど、素の自分が現れてしまうもの。
いくら表面上、カッコいいことを言っていても、食べているときは欲望の思うままに行動してしまうもの。

  そこを鋭い目で見られているのである(笑)。

これはもうどうしようもない場面である。

  食欲という欲望は誰も隠せない真実。

そこを突いてくるところは、流石である。

  人生の辛苦を味わってこその眼であろうか。

食事の際の周囲の目。心しておきたいものである。

  更に藤あや子は「胸筋」と答える。

胸の筋肉。

  男の強さの象徴であろうか。

人間はお互いに自分に無い部分に憧れるものである。

  男には無い女性の体型や胸。
  女には無い男性の筋肉や姿。

スリムな男性がふくよかな女性に憧れる。
スリムな女性が力士のような男性を好む。

  意外に多い志向のようだ。

自分に無い異性への憧れ。
それが、男性の胸筋を観る女性の目であろうか。

  最後の坂本冬美は「顔」「お尻」「匂い」。

最後の匂いは意外だった(笑)。

  加齢臭? 体臭? 異臭?。

自分の匂い(笑)。
これも意外に自分では気づかないものである。

  “さて、自分はどんな匂いを放っているのだろうか”

実際に放たれる匂いではなく、別のニュアンスで捉え直してみよう。

  匂い = 雰囲気。

そう捉え直すと、自分が放つその場の空気としての自分の存在感を認識する必要があるのだろう。

特に、店長や企業の幹部となると、部下やお客様、お取引先の方々から「見られる」存在でもある。

  “自分はどう映っているのだろうか”

この視点も大切なセルフマネジメントになるのではないだろうか。

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2017年3月 6日 (月)

情報の発信

皆さん、こんにちは。

  食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


情報を発信する。

  色々な意味合いがある。

いい情報を発信することによって、他者や自企業に有益な価値をもたらす情報。
悪い情報を発信することによって、他者や自企業に不利益な価値をもたらす情報。

  ここで取り上げたいのは、前者。

後者に関しては、以前のブログにも「沈黙は金」として記した。

  知り得た秘密の情報。

それを情報通でありたいという欲求からついつい他者に漏らしてしまう。
  
  しかし、そんな情報からは何も学べない。

他者や企業がその情報から有益な学びの世界へ広がっていかなければ意味がない。
  
  それは、自分にとっても他者にとっても。

だから、知り得た秘密の情報は絶対に口を貝にして閉ざさなければならない。
  
  しかし、有益な情報は?。

これは、どんどん発信すべきであろう。

  成功事例。
  失敗事例。
  販売事例。
  単品量販事例。
  人材育成事例。
  人材獲得事例。
  競合対策事例。
  地域貢献事例。

その他諸々あろう。
しかし、自ら情報発信するということは、それ相応の勇気がいるものだ。

  “他者が納得するだけの価値ある情報なのだろうか”

そんな不安がよぎるから。

  しかし、行動しなければ何も始まらない。

そして、行動した瞬間から、そのPDCAが回り始めていく。

  前回発信の情報の反応はどうなのだろうか?。
  その情報から他者は何を得たのだろうか?。
  次回はそこから何を進化させていこうか?。

そんな反省から次への事例が生まれ、発信し、更に次への展開へと繋がる。

   まさに、Plan、Do、Check、Actionのサイクルが回っていく。

情報を発信し続けることによって、自らの仕事への取り組み方のレベルが上がっていくことになる。

更に、その情報発信源に周囲からのアドバイスや励ましも寄せられる。

   発信源には更に密度の濃い情報が入ってくる。

このサイクルが、PDCAを更に加速させる要因となる。

  「情報は発信するものに集まる」。

そう言われる所以である。

今までの同僚や部下の仕事ぶりを見ていると、この情報発信に目覚めた部下たちは、一気に仕事ぶりが変わり周囲の評価を高める事例がたくさんあった。

  “彼奴、いつからあんなに仕事ぶりが変わったのか”

そんな印象を受ける同僚が部下がいた。

  それは情報受信者から情報発信者に変わっただけのこと。

情報は発信する側にいたいものである(笑)。




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2017年3月 2日 (木)

実になるもの

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


書籍。

  企業や上司から勧められる本。

特に、この業界でも数多くの本が出版され、その中でも企業に関係する著者の方や上司が読んで良かった本などは全社的にも購読が勧められる。

先日も、上司が読んで非常に参考になったとのことで、勧められた販売手法の本があった。

  「全店長は購入して読むように。」

ネットで調べたら、アマゾンでは定価の2倍の価格で中古本が出品されていた。

  定価の2倍!。

余程人気の本なのだろう(笑)。

  今までもいろいろな本を読んではきた。

そして、心打たれる本もたくさんあったし、心打たれるフレーズにも出くわしたりもした。

  今でも大切に保管している本も多い。

しかし、その全てが身に付いたかといえば、それはノーだ。

  なぜか?。

全てを実践したわけではないから。

  実践して初めてその本が理解できるのである。

いくら頭で納得しても、自分で自分が立つフィールドで実際に経験したり実践したりしなければ、それは単なる知識のままで終わってしまう。

  何を言っても、実践してこその外部情報。

実践して初めて、その本の内容が自分を取り巻く環境の中でどのように受け止められどのように自分に伝わるのかがわかる。

  これが知識と知恵の違いである。

知恵だけが実践に役立つ。

  理屈をいくらコネても誰も着いてこない。

それはまず自分がお腹に入っていないからだ。
自分のお腹に知識が入っていれば、実践にあたっての人間的な情報が含まれてくるから、他のものが実践しようとするときに非常に有効な言葉となって発信できるのだ。

とは言っても、本を読まなければ、それらの情報すら接することは出来ない。

  著書からの情報を何割実現できるか。

そして、それらの実践から身に付けた知恵が、更なる情報の受け皿となって機能してくれる。

  例えば、「単品量販」の手法。

本に書いてあるように、普段の3倍の数量を仕入れて3倍のフェースをとって3段罪にして販売することで売上が上がるという情報を得たとする。

  実際に3倍の数量をまずは仕入れること。

大抵は、まずここで躊躇してしまう。

  なぜ出来ないか?。

自分が苦労することが目に見えているから(笑)。

  3倍仕入れたら3倍の商品化と陳列時間。
  大量残になったら処理する時間が無駄。
  業績悪化したら業績対策の時間が無駄。

限られた時間の中で如何に効率よく無駄のない仕事をするか。

  時間管理の焦点がここに集約されているのが現状。

この発想を逆転させなければ、自らの単品量販力は絶対に身に付かない。
その為には、自部門での役割を転換しなければならないだろう。

  ルーティン業務を役割とする人材に任せる。

そのような発想の展開と実践、そして自らは単品量販の計画と実現へ。
そこに、ルーティン業務の仕事の大切さも理解でき、単品量販の大切さも理解できる組織が出来上がるのである。

  単品量販という事一つとっても自ら解決すべきことは多い。

それは全て実践から生まれる知恵である。

  自分の実になるものは全て実践から生まれるのである。


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2017年2月27日 (月)

後を濁さない

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


立つ鳥跡(あと)を濁さず。

  昔からの諺(ことわざ)。

立ち去る者は、自分の後始末は自分でしっかりやって、残る者に負担をかけないという内容の諺である。

  日本人の潔さを示す諺であると信じていた。

しかし、最近では「立つ鳥跡を濁さず症候群」が蔓延しているという。
定年を迎えたり、早期退職を選択して企業を離れる直前に、立つ鳥跡を濁さず症候群になっているという。

  立つ鳥跡を濁さず症候群?。

必要以上に自分の役職を引き継ぐ人材への引き継ぎを丁寧にやりすぎて、面倒臭がられることのようだ。

  “悪いことでは無いだろう”

私はそう思うのだが、跡を引き継ぐ方は、いろいろな先入観まで押し付けられることで、自分の時代に早期には入れないもどかしさを感じることらしい。

  “それはあるかな”

人事異動の際の引き継ぎは、店長同士であれば、簡単なものである。

  私もそうだった。

変に先入観を叩き込めば、部下も心気一点頑張ろうとしているのに、上司である店長が先入観を持ってしまえばその心意気も台無しである。

  店長が変わって芽を出す機会を失う。

人事異動とは、赴任する店長もそうだが、迎い入れる部下も心機一転のチャンスである。

  このチャンスを台無しにしてしまう。

だから、余程伝えなければならない項目以外は、必要以上に人の性格は引き継がない。

  お互いに初顔合わせで一から構築していく。

人事異動という制度の良さの一つであろう。
私が以前の会社を退職した時は、1月いっぱいの予定だった。

  先方(現企業)からは1月からと言われていた。

しかし、いきなり12月の31日では後任の店長との引き継ぎの問題もあり、人事異動が複雑になってしまう。

  よって、人事異動のタイミングまで待った。

しかし、いきなり2月の節分を丸投げするわけにもいかず、2月3日の節分を以って最終日とした経緯がある。

  “これも「立つ鳥跡を濁さず症候群」だったのかなぁ〜”

そんな風に不安になってしまった(笑)。

  これは日本人の嫌われたく無い症候群から来るらしい。

組織内では、いい子でいたい。
最後まで、いい子として思われていたい。

  自分の意思よりも組織の意向。

組織内での価値基準に従えば、組織内では責任を問われない。

  しかし、課題解決の本質にはコミットしない。

その本質を追求しないまま、組織内の論理だけを優先する気質。
その延長線に、立つ鳥跡を濁さず症候群が存在するという。

  保身。

組織に属して入れば、やはり誰でもその組織の中で自分を保身するものだ。

  それは組織内でのキャリアアップが日本人のDNAであるから。

組織を変えないことが一番安全な自分のキャリアアップ。

  そう信じる世代が50歳以上であろうか。

しかし、私は退職すると決めた時から、その組織での考え方が変わった。

  自分はその組織での未来は無い。

要は、しがらみが無くなったということ。
しがらみがなくなれば、物事の本質を誰に遠慮もせずに追求できるというもの。

  しかし、部下には部下の未来がある。

だから、部下の未来の為に仕事が出来た。

  自分の保身を捨てて部下の未来の為に。

そこにリーダーの本質があると知ったのは、以前の企業を退職する直前のことだった。

  退職するこの時にようやく仕事の本質に気づいた。

しかし、私は、これは長年この企業に貢献してきた私への、企業からの最大のプレゼントだと思った。

  退職する企業からの一番のプレゼント。

それは、仕事の本質、組織の本質であったのだ。

  このことは普遍の原理原則であった。

この原理原則は現企業でも同様であった。
そういう意味でも、前企業からの最大の餞別であったのだろう。








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2017年2月21日 (火)

満点にこだわる時

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


人間の平均点。

  だいたい70点で及第点だろうか。

長い人生で70点の平均点をマークできれば、その人生は成功と言えるだろう。

  しかし、あくまでも平均点の話である(笑)。

常に、平均点の70点であることが、良いことではない時もある。

  “ここは100点満点でなければダメだろう!”

そのような場面でも敢えて70点を目指す人間がいる。
しかし、「ここぞ」の場面は是が非でも100点を取るべき所という場面で、100点を目指さないという姿勢は、他者からすれば「使えない人間」と捉えられる時がある。

  完璧の姿勢でその場を突破すべきとき。

長い人生の一番大事な場面もあろうし、普段のちょっとした場面でもそんなときはある。

  一生に一度歩かないかの瀬戸際。

そこで力を発揮できない方に関しては、それはそれで致し方ないかとも思う。

  但し、本気でその場に臨んだ時であれば、の話。

しかし、普段んちょっとした場面で、100点を目指すべき時でも70点に甘んじる姿勢をとる人間もいる。

  その人間に関しては、最悪の評価が与えられる。

例えば、お客様が並んで待っているレジに応援に向かうとき。

  いつものように悠然と闊歩していき、レジにゆったりと入る。

ここは周囲のお客様の目線の為にも自ら走って急ぐ姿勢を見せなければならない場面。

  “なぜ、ここで走らない!”

そういう場面でもマイペースを貫く人間。

  我々の世界ではこのような人間はいらない。

ここは70点では済まされない場面である。
100点を目指してこそ、評価される場面である。

  しかし100点を目指す姿勢さえ見せない。

それでも他の場面では平均以上の点数を獲得する実力はあり、その能力は安定している。

  人間の評価は難しいものだ。

これが大人関係の場面での他人の評価である。

  空気を読んだ行動。

ここぞの場面では100点を獲得する。
しかし50点で良しの場面も心得える。

  この臨機応変さが、人間には必要なのである。

その空気とは、目に見えない人の心。

  見えない世界にどれだけ精通しているか。

見える世界と見えない世界。

  なんか久しぶりにこのようなテーマを持ち出したような気がする。







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