生き方

2019年11月22日 (金)

競争意識

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


よく人から言われる言葉。

  「てっちゃんは前向きですね。」

もしくは。

  「ポジティブシンキング!。」

しかし、特別に意識してポジティブシンキングを目指しているつもりはない。

  物事の動向を見る視点の違いだけのような気がするのだが。

しかし、その視点を間違えると、楽観主義とも捕らえられてしまうこともある。

  「何の根拠があって?。」

そういう言葉を返されることも多い(笑)。

  しかし物事や状況をどう捉えたらチャンスに切り替わるのか。

そんな視点で常に物事や状況を見るような癖が付いたのは間違いない。

  それでは、何故そのような視点を持つ癖が付いたのだろか?。

それは、競争意識から来ているのではないだろうか。

  我々が就業する小売業。

かっては地域で競合店が無いという立地に出店出来たのだが、現代は競合店の無いエリアなど存在しない。
または、無風状態の地域には必ず測ったように競合店が出店してくるものである。

  食品スーパーの基礎商圏である2k圏内。

この2k圏内に競合店の無い店舗など、現代ではほぼ無いに等しいのではないだろうか。
いや、あるかも知れないが、それはやはり特別な地域であると考えた方が良いだろう。

  基礎商圏には必ず食品スーパーの競合店が存在するという前提。

そんな前提で我々は日々商売をしているのである。
そんな前提において、色々なアクシデントや環境の変化が訪れるのがこの世の習い。

  消費増税、台風や地震、野菜の相場安、相場高、競合店の出店等々。

所謂環境の変化はピンチと捉えられる場合が多い。

  環境が変わるということは変化対応しなければならないということ。

この変化対応自体が全てピンチと捉えてしまうのがこの業界の慣しのような気がする。

  しかし視点を変えるならば逆にチャンスなのである。

それは、その環境は自分だけの襲いかかってくるわけではない。
業界全体に、競合店も含めて皆に平等に襲いかかってくるものである。

  俺も厳しいが相手も厳しい。

それが環境の変化の実態なのである。
俺も厳しいが相手も厳しいのであるならば、何をすればこちらの位置が多少相手よりも上にいけるのか。

  そこにチャンスが潜んでいると思っている。

同じ厳しさが待っているのであれば、手を打って少しでもこちらが優位になる施策を講じて相手よりも多少位置を高めておけば、必ず相手は落ちていく。

  それは学生時代のボート競技の経験から身に付いたものかもしれない。

ボート競技。

  2000メートルを8人、もしくは4人で漕ぎ切るスポーツ。

ロー・アウトという言葉があるように、2000メートル漕ぎ切った後にそのまま意識を失う場合もあるという競技。
見た目は、夕陽に沈む夕暮れにオールをゆっくりと全員で合わせて漕ぐ姿を見ると、ロマンティックな印象があろう。

  しかし実態はローアウト寸前のブラック競技。

そこで身に付いたのは、最後のラストスパートで相手と競い合った時に、「俺も辛いが相手はもっと辛い筈だ」という発想である。

  これが自分一人の苦しみなら、ラストまで持たないだろう。

しかし、競争相手がいるということは、そこに競争意識が芽生えるものである。
そして、同じ厳しさを負う相手がいるのなら、相手が落ちるまでこちらは頑張ろう。

  そんな心理になると強くなれることを学んだ。

これが競争意識なのかもしれない。

  自分一人は弱いもの。

しかし、相手がいれば競争意識によって負けまいとする意識が強くなり、弱い自分を克服してしまうのかもしれない。

  思えばこの世は競争社会。

そして周囲にも競合店が益々増えていく。

  俺も辛いが相手はもっと辛い。

そんな意識で臨みたいものである。





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2019年11月 7日 (木)

八村塁の課題

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、通勤途中のラジオを聞いていた時のこと。

  八村塁の話題となった。

ご存知の方も多いであろう、日本バスケット界の宝である八村塁。
富山県出身で、アメリカのゴンザガ大学から今年NBAドラフトにて1巡目にしてワシントン・ウィザーズから指名を受けてNBA入りを果たしたバスケット選手である。

  早速シーズン開幕さんから出場を果たし活躍中である。

その八村選手が自ら語る課題とは?。

  ここぞの場面でパスが回ってこないこと。

それはどういうことかというと、序盤から中盤にかけては新人の八村に対してもパスを回してシュート、ドリブル、パス回しに参加させるが、最後の第4クゥオーターになると試合の行方を決める大事な時間。

  ここでモノを言うのは仲間との信頼関係。

あいつなら絶対に決めてくれるという仲間との信頼を得られているかどうかが、第4クゥオーターでパスが回ってくる根拠であるという。

  その根拠を得ることが今後の課題。

それが、今年初めてチームメンバーとなった八村にはまだ得られていないということである。

  そしてそれを自らが認識し冷静に分析している点である。

日本では八村の活躍ばかりが報道されてはいるが、それは新人として当初からスタメンとして登場をし、シュートを何本も決めて大活躍の報道であるが、現実に試合にチームメンバーと共に出場しているのは本人である。

  その本人の認識と見解が全てを物語るのである。

そして、最終クゥオーターでボールが回ってこないという事実とそれに対しての冷静な分析から、今自分に足りないのは何か?、との答え。

  そこを冷静に分析して次への糧としようとしているところが凡人ではないのであろう(笑)。

しかしこの話題から、組織内での自分の置かれた状況とそれに応じた自分の組織内での処し方であったり行動の仕方であったりの参考になるのではないだろうか。

  ややもすると「俺が俺が」の世界に陥りやすいのが人間の性。

特にスポーツの世界は実力の世界であるから、余計に自分の実力を過大評価してしまうとそのチーム内で浮いてしまうところもあるだろう。
しかし、スポーツの世界でも個人競技と団体競技では個人の実力とチーム内での評価とは別物であることが多い。

  それは団体競技という特性でもあろうか。

野球、サッカー、ラグビー、そして話題のバスケットボール等のボールゲームの団体スポーツ。

  そして野球以外はボールを回しながら進める競技。

よって野球に関してはほとんどがワンマンなプレーでも実力が遺憾無く発揮できるであろうが、それ以外は自分意外にもボールに携わるプレヤーが多い。

  自分の活躍は他人との連携において発揮されるスポーツである。

よって、チーム内での自分の存在感がモロに現れるスポーツと言えよう。
そこで大切なのは、チーム内での自分の在り方であり行動であり役割である。

  ディフェンスとしての役割。
  ハイボールを奪い取る役割。
  ボールコントロールの役割。
  
そして

  ポイントゲッターとしての役割。

それぞれの役割においてのチーム内での自分の存在価値と信頼度。

  それらが重なった時に本人が活躍できる場となるのであろう。

そしてその役割を獲得するのが、本当の実力と言えるのではないだろうか。

  それは役職とはまた別物であろうか。

名目で与え得られるものではない。
その役割を確実にチーム内で発揮出来てこそ、チーム内で認知されてチームメンバーから与えられるものである。

  その為に自分に足りないものは何か?。

そこが自分の課題となるのである。






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2019年10月19日 (土)

家政婦を極める

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日のNHKプロフェッショナル「仕事の流儀」。

  今回は家政婦の「タサン志麻」さん。

家政婦として家事代行サービス「タスカジ」に登録し、あまりに人気に予約が取れずに「伝説の家政婦」と呼ばれているらしい。

  そして2018年にも取り上げられたタサン志麻さんが再び登場。

志麻さんは家政婦の中でも、料理専門の家政婦である。

  小さい頃から料理が好きでその道の専門学校に通った。

そしてフランス料理に興味を持ち、本場フランスまで修行に行ったというから本格的にフランス料理を習得していったのだろう。

  そこで料理以外のあることに心を動かされる体験をする。

友人のホームパーティに招待された時のこと。
日本で料理を味わうというと、どうしても硬い雰囲気の中で出されてきた料理を一品、また一品と無言で味わい、プロの料理人と対峙した関係として味わうということに専念するようなイメージがある。

  しかし本場フランスの家庭料理とは全く違っていた。

家族同士の会話、友人同士の会話がメインであり、それはそれは賑やかで料理はその会話を盛り上げる一つのツールのようなものであったという。

  料理を中心に食卓で繰り広げられる人間の笑顔。

そこにある意味フランス料理の本筋を見たような気がしたのであるが、そこでの修行の後にはまた日本に戻ってあるフランス料理の名門の下で働き始めるのである。

  ここではやはり日本流の職人気質の文化に染められていく。

この当時の彼女を知る友人は、近寄りがたい存在だったという。
要は、自分と同様に料理に対しての前向きな姿勢を相手にも求め、それを感じられなかった相手には口も利かないという態度。

  全てに対しての自分の価値観の強要。

これが徐々に周囲から孤立していく原因となっていった。

  結局は10年も務めたフランス料理店を退職。

そこから家政婦の道を進むことになる。
その間に結婚、出産を経ての家政婦の仕事。

  自分も同様の経歴を持つため依頼者の主婦の痛みがわかるようになった。

依頼者本人の視点で冷蔵庫の中の食材と調味料、そして家族構成から推察する作り置きメニューの数々。

  それを瞬間的に見抜いて母の想いで料理を作る。

それはひとえに、その家族を料理を通して食卓に集って笑顔になってほしいという願いからくる自分の役割だと思えるようになったという。
そして私は思った。

  その想いは我々食品スーパーにも言えること。

それは、我々も食品の素材を販売しているが、その理念は単に食材を売ることでは無く、その食材から生まれるメニューであり、それを取り囲む食卓であり、そこを舞台にした家族の笑顔であり生活シーンなのである。

  食を通した豊かな暮らし。

これが我々食品小売業の本来の役割。

  それを代行するという家政婦の存在。

同じ想いが彼女には流れていた。
その彼女が、二人目のお子さんを育てながら、忙しい主婦の為のレシピの開発をしているという。

  どこにでもある食材を使用して
  どこにでもある機材を使用して
  どこにでもある調味料を使用して

そして、簡単に美味しくできる料理のバラエティー。

  それは普通の家庭の普通の主婦を対象にしたレシピ本。

そしてそのようなレシピに支えられて、我々はリアルな店舗でリアルな食材を揃えてお客様の目利きで購入される食材を販売するのである。

  そこにあるのは手作りという母の愛なのであろう。










  

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2019年10月16日 (水)

人は変われる

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日の朝のラジオ番組での話題。

  「人は変われるのか?」

ある程度若年層で、まだまだ人格や思考回路が定まっていない時代の人間であれば、周囲の環境や自分自身の経験から徐々に人格や性格が確立されていくと思われるので、変わる、というより出来上がっていくのであろうが、ある程度の経験年数(40歳等)になれば性格自体もなかなか変わっていかないのではないだろうか。

  私もそう思っていた。

しかし、そのラジオ放送では、色々なアメリカの学会の研究にて人間の性格や人格はいくらでも変われるという報告が為されているという。

  学会も認めた人の性格の変化。

しかし、それは周囲との関係性においてとの条件が付く。

  要は人間は周囲の人間関係において変化していくということである。

そして、それは良い人間関係に恵まれればいい方向へ変わっていくだろうし、悪い人間関係に交われ「朱」が「真っ赤」にも染まっていくということであろう。

  そうやって人間は良くも悪くも変わっていくのであろう。

周囲との人間関係において人間は性格や人格、そして考え方が如何様にでも変わっていくということである。
そう考えると、自分の身の周りを取り囲む人間との付き合いには注意を要するということであろうか。

  良い仲間に触れていれば良い人間への道が拓け人生も良くなっていく。

それは逆もまた真なりであろう。

  最近私は良い仲間に恵まれるという意味が少し理解できるようになってきた。

それは、従来の自分の姿を振り返る以上に周囲の人間関係から新たな積極的な人生を歩もうとする仲間達に囲まれていることによって、「人は変われる」という真実を理解するようになってきたからであろうか。

  そしてそれは40代だろうが50代だろうが不変の真理であるようだ。

だから常に自分を取り巻く人間との付き合いには、自分を良い方向へ導いてくれる仲間という選択眼を身に付けることが大切であろう。

  その選択眼こそが最終的には自分の人生をより良い方向へ導いてくれるのであるから。

自分を良い方向へ導いてくれる仲間を見出す選択眼。

  それは全てその人の生き方に現れる。

妥協せずに真実に忠実に生き、仲間を支援し、自らの組織をより良い方向へ導こうとする姿であろうか。

  しかしそんな人ほど意外に口下手で人付き合いも下手なもの。

それでもその人間性を理解すれば、必ず自分を確実に良い方向へ導いてくれるものである。
また、積極的に高い理想を掲げて妥協せずに意欲的に前向きに行動しようとする仲間達との交流もその考え方や行動力に感化されていき、いつしか自分も同様の考え方や行動力を養っていくという影響力もあるであろう。』

  何れにしても自ら変わるという意志は大切。

しかし、その意志だけではどうしても人間の心の弱さに負けてしまうもの。

  その心の弱さを補ってくれるのが良い仲間達である。

そんな仲間を自らの意志で近づいていきたいものである。











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2019年8月22日 (木)

声を出して笑う

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


以前、上司の笑顔をブログにアップした。

  http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-039370.html

ここでは、上司に笑顔になってもらおうとする部門チーフの話題。
部門チーフが上司(店長等)の笑顔を引き出し、店舗内のコミュニケーションを良くして店内を明るくしていこうとする姿勢を取り上げた。

  上司が笑顔で仕事をしている。

部下にとってはこれほど安心して自らの仕事に打ち込める環境は無いであろう。
しかし、そうはいってもいつしか仏頂ズラで仕事をしている自分に気づくこともママ多い。

  笑顔になるだけでも健康的には非常に有効である。

しかし、声を出して笑う行為は更に健康面での効能が高くなるという。
笑顔になるということは、リラックスした状態に脳から発せられるα波を産み、ストレスを軽減する働きがあるという。

  更に、声を出して笑うという行為には肉体的な効能が大きいらしい。

声を出して笑うことは優れた有酸素運動であるらしい。

  10分間笑い続けるとチョコレート1枚分のカロリーを消化するという。

ただし、10分間笑い続けるということ自体は滅多にできるものではない。
しかし1日を通して考えれば、こまめに場面場面で声を出して笑うことは可能であろう。

  また腹筋や横隔膜を刺激することによりお通じがつくと言う。

これもなんとなくわかるような気がする。
また、顔の筋肉を使うことにより脂肪を消化させ、顔の筋肉の老化を防ぎ、たるみなどの予防にもなると言う。

声を出して笑うと言う行為には、体のいろいろな部分の筋肉を活用すると言うことであるから、内臓も含めて普段の生活の中で使用しない筋肉をそれなりに使うことによる効能はありそうである。

また、声を出して笑うことで血管が拡張し、一酸化窒素が放出され心血管の病気を引き起こすリスクを軽減することにつながるのだと言う。
更には、声を出して笑うことによりエンドロフィンという成分が放出されることにより、ストレス性の化学物質が軽減され、対人関係の悪化を防ぐ効果も期待できるらしい。

  声を出して笑う効果は絶大であると言える。

思えば我々は会社内や店舗内でどれほど声を出した笑っているだろうか。

  現場でいろいろな方と出会うお店の人間は意外に多いかもしれない。

しかし、本社本部でパソコンを相手に打ち込みや思考しながらパソコンに向かう仕事が大半の方は、声を出して笑う場面などほとんど無いであろう。

  せいぜい仲間内で冗談を言い合う時ぐらいだろうか。

それでも家に帰れば、家族に癒されたり、テレビの笑えるドラマや芸人の話にゲラゲラ笑う場面もあるかもしれない。

  しかしそれも無いという方はどこかで笑う時間を作るべきであろうか。

それも、「声」を出して笑う場面が大切では無いだろうか。
それが、自分の気持ちをリラックスさせアルファ波を産み、そして神経ペプチドが活発に生産され、ウィルスなど体に悪影響を及ぼす物質を退治するNK細胞の表面に付着し、ウィルスをどんどん退治する。

  笑う角には福来たる。

科学的にも証明されている「笑い」。

  それも「はっ、はっ、はっ、」と声を出して笑うこと。

それが人生の福をもたらすのである。









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2019年8月16日 (金)

二刀流の勧め

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


二刀流と言うと、大谷翔平を思い起こす人は少なくないだろう。

  メジャーでも二刀流を成功させた功績は大きい。

従来であれば考えられない活躍ぶりではある。

  打者と投手でフル回転の活躍。

従来であれば、打者は打者、投手は投手に別れて選手登録され、ピッチャーがバッターボックスに立ったらほとんど打撃は諦められていたものである。

  特にプロ野球の制度が確立されてからはそれが固定化されてきた。

そして従来の名選手と言われた人物は、そのほとんどがピッチャーかバッターかに分かれて記録を残し名を残してきたのである。

  その常識を大きく覆したのが大谷翔平。

彼は、ピッチャーとして投げない時でもバッターとして打席に入り、ホームランからシングルヒットまで放ち、尚更盗塁まで決めて見せるのである。

そしてピッチャーで投げる時はピッチャーに専念してバッターボックスには入らないと言うスタイルで二刀流を実現している。

  その考えを我々の生き方にも応用すべきであると言う思想が浸透し始めている。

そしてそれは、私も同感である。

  要は「二つ以上の肩書きを持て」と言うことだ。

例えば、普段の仕事では「店長」と言う肩書きを持つ。
そして、仕事を離れては「PTA会長」の肩書きを持つ。

  これも言うなれば二刀流と言える。

仕事を離れた時に、子供の学校のPTAの会長として学校の父兄の為に尽力する。
それは仕事を離れての休日を利用しての活動ということになろう。

  それでも仕事以外の活動や交流の中から大きな学びの世界があるであろう。

そしてそのPTA活動を通して仲間ができ、その仲間たちとの付き合いを通しながら、またスーパーの店長としてのヒントを得られる事が数多い。

  それだけアンテナが敏感に情報をヒットさせてくれるようになる。

仕事として店長が店舗の内外で色々な情報を得ようとして努力はするものの、どうしてもお客様や取引先から得られる情報は偏ってしまうことが多い。

  しかし別の肩書きから得られる情報は違った意味で貴重な情報が多い。

それは、視点の違いからくる情報であり、とは言っても同じ小売やスーパーに対する情報が別の角度からの新鮮なものとして受け取る側には伝わってくるのである。

  それは店長の肩書きでは得ることの出来ない情報となる。

それが二刀流の強みであろうか。

  従来は一つの事を寄り道しないで極めることが本筋と言われていた。

しかし現代ではスピードの時代。
そしてそのスピードに乗った自分の成長や仕事のスピードを考えると、コツコツと時間を掛けてというよりもスピーディに同時並行的に物事を処理しなければならない時代であり、ネット社会では尚更あらゆる情報を処理しながら同時並行的に消化しながら処理をして次へと進めていく時代である。

  例えば。

従来は売上、荒利、ロス、生産性等の数値を個別個別に分析して、別々に対策を練って対応してきたが、今後はこれらの数値を同時並行的に一気に解決ていく時代となる。

  その時に必要となるのはある一手によって全てが解決できる手法となる。

この手法を磨くには、同じ視点で物事を捉える従来の目線では到底解決出来ない。

  重要なのはあらゆる角度からスーパーを捉える多角的視点である。

この視点を得るには、どうしても二刀流や三刀流の生き方をして、多角的な視点を身につけ、多方面からの情報を得る場を自分で創造していくしかないのである。

  そんな生き方に早々に舵を切りたいものである。







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2019年8月14日 (水)

環境の変化

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


それは決断であろう。

  現企業を退職するという選択。

男性にとっての転職、女性にとっての転職。

  それぞれに特性は違うであろう。

特に男性が転職するということは、一生涯の仕事として現企業に就職したのにも関わらず何かしらの理由で現企業を退職するということであるから、その決定には大きな決断を要したのであろう。

  そういう私も転職組の一人ではあるが(笑)。

身近な存在にも、現職を退職して別企業へ転職しようとする方達がFacebookにて表明される方達が増えてきた。

  隣の芝生は青く見える。

現実的に、隣の芝生(企業)が良く見えてしまうということはごく当たり前の話である。
しかし、現実に転職してその青い芝生の企業の敷地内に入り込んで見ると、雑草は生えているわ、芝生は伸び放題だわ、芝生と思っていたのが単なるコケだったとか、横から見る芝生と実際に芝生に立った時とでは雲泥の差となって感じるものでもある。

  しかしもはや後には戻れない。

向こう岸の灯りを頼りに飛び込んだ大海原であるが、実際に飛び込んで見るとなかなか目指した灯りにたどり着かない。

  そして大海原をもがき苦しむことになる。

それが転職した直後の事である。

  それが半年ぐらい続くのである。

そして灯りが見えてくるのは半年後あたりであろうか。

  今まで通じなかった「言葉」がようやく通じるようになる。

同じ日本人ではあるが、自社と他社の間には大きな壁がある。

  それが「言葉」の違いである。

日本語という意味ではなく、その言葉に込められた深い意味が自社と他社には大きな隔たりがある場合が多い。

  「プロパーに戻して下段で売れ。」

そう指示を出しても、プロパーという意味が通じない、下段で売れと言われても定番を変えるという文化のない企業ではそれが出来ない。

  結果、その指示は実現されないまま数日が経過していく。

自分が今まで育ってきた環境がこの業界の全てであると思い込んでいたのが、大海原に飛び込んでみて初めて自分が狭い世界でしか生きてこなかったことに気づくのである。

  しかし逆に言うとそこから強くなれるのでもある。

隣の芝生が青く見えると言う錯覚に気づき、大海原を泳ぎ切らない限りは向こう岸に辿り着かないと開き直った瞬間から人間は強くなれるものでもある。

  逆に強くならなければ溺れ死ぬと言う状況。

そして人間はそこを経験することが非常に大切なことなのだと今になってから思うのである。

  従来はなんとなくわかる言葉でなぁなぁで仕事をしてきた。

しかし逆に言うと、そのなぁなぁが嫌で飛び出してきたのでもある。
そして、そのなぁなぁによって自分も安易な仕事をしてきたことに気づかされるのである。

  売場はどこも大差の無い品揃え。

しかし実際に転職してみると、そこに行き着くまでの作業は全く異なる工程を踏むものであり、売場や商売の考え方も企業毎に大きく異なることを知るのである。

  これは転職してみないと絶対にわからないこと。

それを押してでも転職すると言う自分への行き方への追求。

  是非新しい道を清々しく歩んで欲しいものである。







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2019年7月22日 (月)

dadamaさんとの想い出

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


今日のテーマはdadamaさんとの想い出。

  “えっ!、dadamaさん消滅してしまうの!”

そうではありません(笑)。
先日、dadamaさんとかわらいさんと3人で飲んだ。

  dadamaさんの現役最後を祝って(?)。

そのまま再雇用ではあるが、企業の制度上いろいろな雇用形態の変化があるらしい。
それはどこの企業もそうであるように、一旦退職という形態を取りその後再雇用という流れ。

  よって今後はタイムカードでの就業管理となる。

それがどういうことか、それは本人しか感じ得ない境遇であろう。
いずれ自分もそのような境遇になっていくのであるが、それはいまだに自分の事としては受け入れられないものである

dadamaさんやかわらいさんと3人で話をしていると、どうしてもFacebookでの仲間達との設立当初の話題になっていく。

  とどの始まりはdadamaさんとの出会いからであった。

ブログを読んで、タダで読むわけにはいかないという信念?から、どうしても会って話がしたいという事で、メールでのやり取りから北関東のある駅で待ち合わせをした。

  それ以前にも何人かの方とはブログを通してお会いしてはいた。

しかし、ネット上のつながりの方とリアルにお会いするということの緊張感は未だに解消しないのは、やはりリアルに会うことの重要性であろうか。

そしてお会いした第一印象。

  “えっ!、意外におじさん?”

大変失礼しました!!!。

  しかし本当にそう思ったのは事実。

リアルに会いたいというからには、どちらかというとバイタリティがあり30代から40代の若い店長なりたての方が颯爽たる姿で現れるのかと思いきや、えっ!、俺よりも年配の方?、という印象。

しかし、今にして思えばバイタリティと年齢は全く関係ないこと証明してくれたのもdadamaさんかもしれない(笑)。
そして、程なくして、かわらいさんが店にやってきて、初めてお会いしたのである。

  この二人との引き合わせを運命というのであろうか。

そしてdadamaさんの音頭でてっちゃん会の第一幕が開催されて、6名の方々とお会いすることになる。

  なぜ、第一幕?。

それは、dadamaさんの強い要望で、一回毎の会合が一つ一つのストーリーとして心に刻まれる会にしたいという想いであったという。

  その想いは今にして思えば、先見の明であると言えよう。

それ以降、第二幕、第三幕と人数の増加しながら第10幕を最大人数となり、そこからは参加人数と合わせて前座という勉強会も同時に開催し、単なる親父の飲み会だけではなく業界関係者と共に何かしらの学びの場としての会合と進化して現在に至っているのであるから、ようやく彼が目指した幕というスタンスに近づいてきたのではないだろうか。

  そして程なくしてかわらいさんがFacebookを立ち上げた。

そこから一気にFacebookを通してこの会の輪が広がっていくのである。

  そして友が友を呼び一気に拡大していくのである。

そう考えると、この二人無くして「てっちゃん会」が今の姿にはなっていなかったであろうし、てっちゃん会自体が存在したかどうかも不明であろう。

  とりわけdadamaさんの存在は大きい。

そこから人が人を呼び、そしてまた人が人を取り込んでいく。
かと言って、誰でもいいというわけではなく、メンバーの紹介というスタンスでメンバーがその趣旨を理解しての加入となるため、メンバー自体は増加していくものの、あくまでも純粋に商売を追求したいと願うメンバーが集うという構図は不変である。

  そんなメンバーの要となっているのがdadamaさん。

そして徐々に私の周辺では、定年を迎える仲間達が続々と現れ、そして第二のまたは第三の人生を迎えていく。

  そして私も来年にはその年齢を迎えるのである。

しかし、自身の環境が変われども、これらの方達との関係は益々進化していくのではないだろうか。






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2019年7月20日 (土)

きっかけ

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。



人生は出会いの連続である。

  出会いから自分の人生が変わっていく。

これは紛れもない事実であり、出会いによって新たな環境、新たなステージを見る事が出来、そこからまた新たな出会いの場が訪れるのである。

  全てはきっかけに依るところが大きい。

そしてそのきっかけという出会いの場を自分でどう受け取るかに依るのである。

  要は自分次第。

それがこの世で我々に平等に与えられた機会なのである。

  それを活かすも殺すも自分次第。

平等に与えられた機会を有効にタイムリーに手にして自分に取り込む人もいれば、平等に与えられた機会が目の前を通り過ぎていくのをまたこの次の機会として逃す人もいる。

  しかしそこに平等の落とし穴がある。

平等に与えられたということは、機会は一度きりだということである。

  機会は平等に一度きりのチャンスなのだ。

その一度のチャンスを掴むか逃すか。
そのチャンスは誰の下にも平等に一度きりの機会でしかない。

  そう捉えて行動する事が重要であろう。

機会をそう捉え直すと、機会というものをチャンスとして今活用するか否かが瞬間的に見えてくるものである。
そして、そのチャンスを確実にタイムリーに掴み取り、そこから新たな環境において新たな出会いが生まれ、そこからまた別の機会が平等に訪れてくるものである。

  チャンスを活かすものは全ての平等に訪れる全ての機会を確実にものにしていく。
  逆に、チャンスを活かせないものは訪れる全ての機会を全て手放していくものだ。

そして、これが人生である。

  どうせなら目の前の機会を掴む行動を起こしたいものである。

そのことによって、目の前の機会をチャンスとして掴み取る目を養い、そこからまた新たな機会に遭遇し、また瞬間的に掴み取る人生が訪れる。

  それはより積極的に今の仕事や目の前の業務に取り組むということにつながるもの。

そんな行動により、より積極的な人生に変わり、機会をチャンスに変える事ができ、新たな出会いが増えていくのであろう。

  そんな人生を歩みたいものである。







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2019年6月27日 (木)

成功したいなら

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


成功と失敗。

  一回勝負で捉えればどちらかに評価されるのであろう。

しかし、長い人生、長い商売、長い一年という見方をするならば、失敗は成功の素であるしその場の成功が永遠の成功かといえばそんなことは全く無い。

  成功失敗を繰り返しながら長い人生を歩んでいくのである。

そして、そう考えるのであれば成功も失敗もないし、やった回数が多ければ多いほど成功への道を確立していける可能性が高まるというものであろう。

  だから、成功や失敗で一喜一憂しても対して意味は無いのである。

意味が無いというよりも、失敗は次へのステップであるし、成功も次へのステップでもある。

  そう考えて成功への道筋を色々と経験すべきなのであろう。

そう考える、長い人生において結果的に成功と言えるようになるには、これはもう失敗の数であると断言できるであろう。

  人生の成功は数をこなすということに尽きる。

よって、長い目で見た場合の成功を目指すならば、数をこなして結果的に失敗だろうが成功だろうが関係なく、ひたすら数をこなすという人間として非常に原始的な一歩一歩の地道な歩みこそが成功の根源と言えるのであろう。

  しかしやはり人間どこかで躊躇してしまうもの。

“これをやったらきっと誰かに言われるだろう”
“流石にそれは恥ずかしてくて出来ないだろう”
“ブログにコメント書くなんてとても無理だろ”

  どしても自分の行動をどこかで規制してしまうもの。

その規制が数をこなすという行動から遠ざけ、自分を客観視してしまうようになっていく。

  そしてその選択は自分にとっても楽なのだ(笑)。

勇気を持って壁にぶつかっていくという行為。

  ある意味、その勇気が人間を成長させていくのでもあるが。

そして、数をこなすということは、この勇気を持って行動するということに対しても、違和感なく自分の心の葛藤を制することができるようになっていくのである。

  数をこなすことによる精神の進化。

この心の成長は自分にとって大きな宝になっていくのではないだろうか。

  そんな勇気ある行動が自分に新たな世界をもたらしてくれるもの。

そんな成功体験を繰り返していくと、自分の行動への自信が付き、新たなステージを切り開く目が養われていく。

  ここぞという場面での行動力が付いてくる。

ここで一歩踏み込む。
このチャンスを掴みとる。
ここが押さえどころ。

  そんな人生の肝を掴みとる勘どころ。

そんなものが見えてくるようになるものだ。

  何れにしても数をこなすことで全てを手に入れられるようになる。

数とは、必ずその延長線上に「失敗」が付きまとうもの。
しかし、敢えてその失敗というリスク背中に背負いながらも、行動し失敗し、その失敗から多くを学び次回への成功の道筋を体得し、新たなステージを切り開く行動力を身につけていく。

  人生とは全てがこのような因果応報の上に成り立っているのではないだろうか。








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