生き方

2020年3月23日 (月)

どの階段を登るのか

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


仕事での業績改善。

  我々に課せられる当たり前の日常。

その為に我々は日々売場を作り、お客様が来店し商品を購入し、売上から利益を出す。

  その結果としての部門利益の積み重ねからの店舗利益、企業利益、そしてそこから捻出される我々の給与。

よって、最終的には我々は自分が担当する部門や店舗の利益を創出することが最終的な目的となる。
その為に、店舗内の設定された部門スペースを有効活用して売場を作り販売する。

  その為に部門に人材が投入され教育され共に売場作りに携わる。
  そしてその人材が発注をし納品された素材を商品化して陳列する。
  更に清潔な売場を維持し接客を磨いて買い物環境を整えていく。

それら店舗運営に関わる全てのあるべき姿を理想として、我々は日々このあるべき姿を追い求めて日々の業務に携わる。

  あるべき姿は企業毎にマニュアルとして見える化されるものもある。
  企業トップや本部スタッフが店舗巡回時に現場でアドバイスもする。
  店舗内では店長が日々あるべき売場作りの為に各部をチェックする。

そして最終的な利益創出の為に、各部各人が自分が考えるあらゆる手法を講じて日々の売場を積み重ねていくのである。

  しかしそれと同時に商売の環境も日々変化していくのである。

青果物の相場も変われば、日々の天候や気温も変化していく。
競合店の出店もあれば閉店もあり、競合環境も変化していく。
コロナショックのような激震もあれば企業のM&Aも生まれる。

  それらの環境の変化に合わせて販売手法を変えていく。

このように、最終目的を利益の創出ではあるが、その過程には色々な手段が存在するのである。

  要は利益という目的の為にどの階段を登るのかという問いである。

そして現場からよく聞かれる言葉。

  「いろいろな人がいろいろな事を言う。」

それは店舗チェックする人間が自分の登ってきた階段での成功事例からのアドバイスをしている訳であるから、どの言葉も成功へのステップとしては正しいものではある。

しかしそのアドバイスは、そのチェックした瞬間だけの店舗での問題点であり、日々継続して店舗を見ている店長からすると納得のいかない部分が多分にあろう。

  そして現場で実行する最終決定者はやはり店舗のスタッフである。

特に店長は最終決定者であり指示者でもあるわけだから、どの階段を登って目標にたどり着くのかを判断するべき人間であろうか。

  但し店舗運営のベースはあくまでも基本とマニュアルが原則となる。

そこを外してはどんな施策も継続できないし、変化への対応も出来ない。
そして、世の中の変化や商売環境の変化にどう対応し、どの階段を一歩踏み出すのかを現場が判断しその一歩を歩むのである。










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2020年3月17日 (火)

即答

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


即答。

  意味は即、答える。

意味は単純で簡潔な内容。

  ビジネスシーンでは非常に重要な課題だと思っている。

しかしこれがなかなか出来ないのが現場だろうか。

上司がある質問が突然降りかかってきたとする。

  それも大勢の会社の関係者の前で。

そんな壮大な場面では即答出来る能力があろうとも、あまりの緊張感に襲われてとてもとても的確に即答などできるものではないかもしれない(笑)。
まぁそれはそうそうあるものではない特別な場面だとしても、普段の上司と部下の会話、同僚同士の会話において、質問する方が即答を求めている場面は多々あろう。

  その時に質問者が求めているのは即答。

それは、コンマ数パーセントの正確な数値の回答を求めているのではなく、極端な話数十パーセント単位の大雑把な回答でも良いから会話のキャッチボールを手早く回転させ、会話のステージをどんどん引き上げていきたいという意図がある時である。

  よって瞬間的な即答が会話の次へのステップに重要な役割を果たす。

しかしその期待に対して、回答する方はどうしてもその問いに対してより正確な回答をしようとして考え込んでしまう場面がある。

  雑把でいいから即答を期待する質問者。
  より正確な回答をしようとする回答者。

そのギャップがコミュニケーションギャップとなって、お互いの会話から次へのステップや更に上のステージに乗っていけない要因であると言えるだろう。

  特に上司との会話においては心がけるべきであろう。

上司はその質問に終始するつもりはないのだが、どうしても部下はより正確に間違いのない回答をしようとし、即答を避け、より正確な回答の為に資料を紐解いたり数値計算をし直したり。

しかし上司が求める回答は即答でありそこから問題解決を図りたいと考え、その質問を一つのきっかけとしヒントとしてそこからまた新たな質問や現場を部下から引き出してお互いのコミュニケーションからの次へのステップを思索していくのである。

  部下の気持ちもわかる。

“上司にいい加減な人間だと思われたくない”

  常に品行方正で正直な人間だと思われたい。

どうしてもそのように思われたいという願いもあるだろう。
更には、正確で正しい回答をしておけば、後々に突かれることも無いだろうという安心感もあろう。

  しかしそれが望まれる場面とそうでない場面がある。

そのTPOは身に付けておきたいものである。
上記は上司と部下との会話に終始したが、それ以外にも上司が部下との会話において、更には同僚同士の会話において、仕事上のやりとりの中での「即答」はある意味大切なことではある。

  自分の見解を即答で答える。

その前提には、その事柄に対しての確固たる自分の意見を持っていなければ即答は出来ないであろう。
それだけ、即答するにはそれ相応の経験とそれに裏付けられた確信と、そしてそのことを会話の中で認識し自分の信念として言い切れる自信がなければ、即答という回答は出来ないものである。

  そして「即答」と「適当」は違う(笑)。

即答で信頼を得る人間と、適当で信頼を失う人間がいることも事実。

  即答がいつも適当な人間は即信頼を失うものである。

それも心しながら即答を心がけるべきであろう。






  




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2020年2月21日 (金)

居心地

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


居心地のいい場所。

  いつまでも居たいと思う場所。

それは店舗でも言えるであろう。

  居心地のいいお店。

それがお客様にとってそう思えるのであれば、それは我々従業員にとっても理想の姿ではないだろうか。

  そして従業員にとっての居心地のいいお店とは?。

それは働く従業員にとって、働きやすいハード面を有し、働きやすいソフト面も充実し、そして何より働きやすい人間関係が構築されていることが重要であろうか。

  そんなお店に赴任したらいつまでも居たいと思うであろう。

しかし、いつまでもそこに居続けることによって、いつしか自分がぬるま湯に浸かってしまっていることに気づかないものである。

  先日通勤途中でこのようなアメリカの諺を放送していた。

Get out of your comfort zone

  “居心地の良い場所から出ろ!”

このような意味らしい。

  要は、今のぬるま湯から抜け出せ。

そんな意味らしい。

これは多くのグローバル企業(世界規模で活躍する企業)が、企業内で使用する格言であるという。

  これを我々の仕事に置き換えてみる。

例えば、現在の店舗で新店立ち上げにより異動してきたと仮定して、ゼロからのスタートから始まり、人材採用、人材育成、開店に至る。
そして、競合店のリニューアルや新規開店を受け、対策を打ち、更には人材の流出や新規採用を経て、ようやく4年目の現在に至り、自分の思い描く売場作りとそれを支える人材を得てきたという現在。

  もしかして知らず知らずのうちに「ぬるま湯」に浸かっていないか?。

自分でもそう感じるこの頃を人事はいち早く察して(笑)、新たな赴任先を用意するというストーリー。

  上記の場合は人事異動という外部与件にてのGet out of your comfort zone。

しかし、グローバル企業ではこのことを企業側からの主導ではなく、自らの意志で自ら行動せよという諺があるという。
そして常に上司や同僚からそのことを突きつけられるから、自分でもどんどん新たな環境に身を投じる行動を起こし、チャレンジしていくという空気が企業内にあるのであろうか。

  日本企業でも「チャレンジ」はよく使用される。

しかしそれは現状の環境において、もっと上を目指すために販売数量を自分の限界を超えて仕入れて販売してみる、というような部分であろうか。
それが、グローバル企業においての「Get out of your comfort zone」という意味であれば、自分が身を置いているそのぬるま湯から脱せよ、という意味で捉えるならば、新たな環境に自らの意志で立ち向かえ、ということであるから、また新たな環境の中で自分を鍛えるために転職であり職場変更でありを率先して行え、という意味になるのであろう。

  よって海外では自らのキャリアの為に自ら転職するのである。

そして、いつの間にか浸かっていたぬるま湯から自らの意志で脱出するのであろう。
しかし、日本では将来のリスクもあり、なかなかそう簡単に転職という意思決定は出来ないであろう。

  よって自社内で如何に「Get out of your comfort zone」に踏み切るか。

自社内の許される範囲で、自らの判断でどんどん売場のチャレンジ、商品導入のチャレンジ、そして新たなマネジメントのチャレンジを図って、自分のcomfort zoneを破っていくしかないであろうか。



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2020年2月14日 (金)

育種家という仕事

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日のNHKの仕事の流儀。

  「育種家 鷲澤幸治」。

育種家?。

  初めはそんな仕事があるのかも知らなかった。

辞書で調べてみると、こう書いてあった。

  「家畜や植物の品種改良を職業とする人」

とあった。

果実の世界では品種改良によってどんどん新たな品名のりんごや柑橘が登場しているが、花の品種に関しては花栽培の農家さんの仕事の中にそのような部分も入っているではないかと思っていたのであるが、彼はその世界では有名な存在だという。

  ダリアの神様。

育種家が一生に一つの新品種のヒット商品を開発できるかできないかという世界において、次々と新品種をヒットさせてきたその手腕をして、ダリアの神様という呼称で呼ばれるようになってきたのだという。

  恩年72歳。

しかし日々農場に立ち、雑草をむしり、そして余分な花を抜いては見込みのあるダリアだけを残して農場を整理していく。

  品種の改良には自然交配と人工交配があるという。

ネット検索してみると、その交配に関して以下のように載っていた。

「品種改良の方法のうち、一番使われている方法が「交配育種」つまり、「かけあわせ」です。良い品種を作るには、まず、目的の形質の優れた、母親・父親を選びます。次に、母親として選んだ花の雌しべに、父親の花粉をつけます。これを「交配」と呼びます。」

  これは基本的に「人工交配」であろう。

しかし、鷲澤さんはこの人工交配を嫌い、あくまでも自然交配に拘っている。

  なぜか?。

思いもしない逸品が自然の営みによって生まれるという。

  自然交配とは。

昆虫や動物によって花粉が運ばれて交配する、人間の手を介さない自然の交配のこと。

  そこから生まれる意図しない交配。

鷲澤さんはあくまでも自然交配に拘っているのだ。

  育種家のほとんどは人工交配で新種を開発するらしい。

人工交配の方が圧倒的に自分の意図した姿や形を生み出すメリットはあろう。
しかし鷲澤さんはあくまでも自然の成り行きに任せ、その自然の成り行きという場の環境を整備する下準備に徹する。

  相当時間のかかる仕事の進め方。

よって、10年に一度の奇跡を呼び込むのであろうか。

  だから、常に園を回ってその奇跡の一輪を探し回るのである。

自然に任せる。

  ある意味これが一番美しいのかもしれない。








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2020年1月 9日 (木)

史上最大のクーデター

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


アクシデントにより延期されていたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」。

  ようやく第一話が1月19日(日)午後8時からスタートとなる。

いろいろネットで検索してみると、主人公は明智光秀であるが、彼がもっとも脚光を浴びた「本能寺の変」までの流れを描くのではなく、むしろ彼の青年期に脚光を浴びせてその生い立ちから「麒麟」という架空の野獣の言い伝えを彼が如何に実践していくかというストーリーらしい。

  彼が最初に仕えた武将が「斎藤道三」。

思えば、私が一番初めにNHKの大河ドラマを診始めたのは、1973年に放映された「国盗り物語」であった。
この国盗り物語も、斎藤道三から織田信長の時代、そして本能寺の変で信長に反逆する明智光秀を描いたストーリーであった。

この時の配役は、斎藤道三が平幹二朗、織田信長に高橋英樹、そして明智光秀は近藤正臣であった。ちなみに羽柴秀吉には火野正平。

  私はこの国盗り物語を契機に歴史物にハマっていくのである(笑)。

そしてそんな時代の大河ドラマにもハマっていった。

  武田信玄、上杉謙信、豊臣秀吉、徳川家康、大石内蔵助、伊達政宗、真田信繁等々。

そして大河ドラマはこの時代を描いたものが多い。

  やはり視聴率も上がるのであろう(笑)。

最近では「真田丸」は記憶に新しい。

  この時は平均視聴率が16%を超えたらしい。

1年間約50話の平均が16%であるからかっての大河ドラマはまさに化け物級であった。

そして私の大河ドラマのきっかけとなった国盗り物語と同時代、そして同じ人物像が今回は時代背景を考慮した別視点で描かれるという。

  これは私にとっては見ものである。

とは言っても、アクシデントにより放映スタートは1月の19日(日)からとなった。
それでも、このアクシデントのお陰で、放映が遅れたせいで改めて麒麟がくるをネットチェックできたのだし、その前に明智光秀にスポットを当てた映画や特集が組まれており、それを観ての大河ドラマへの視聴となり、前知識がそれなりに備わった上でのドラマのスタートは私にとっては幸いであった。

先日は、明智光秀の謀反の主要因を探るドキュメントが放映されていた。

  題して「本能寺の変サミット」(笑)。

歴史学者や学芸員等が七人集結し、明智光秀の本能寺の変を起こした光秀の本意は何だったのか?という理由を探ることを議論するという番組。

  NHKでの放映であるから「麒麟がくる」の番宣であることは間違いない(笑)。

その理由にも諸説あるが、一番初めに登場する「怨恨説」は登場した七人が全員反対の意見を出す。

  本能寺の辺は明智光秀の織田信長に対する怨恨。

これが従来からの定説であったと思っていた。
しかし今やそんな薄っぺらい明智光秀の感情という低レベルのクーデターではなく、もっと光秀の奥深い国家であり農民であり地域を救うべくクーデターであるという新説が繰り返されたのである。

  これは明智光秀を改めて捉える中で非常に参考になった。

またこのドラマ放映を前に、「明智光秀〜神に愛されなかった男〜」が放映された。
このドラマは2007年にフジテレビで放映された明智光秀を主人公として捉えたドラマである。

  ここでのクーデターの主要因は織田信長の暴走。

あくまでも平和を望む明智光秀や羽柴秀吉。
しかし、織田信長はあくまでも海外にまでもその領土を広げようと画策していた。

  なんとか戦の無い平和な社会を望みたい。

それが光秀は秀吉の願いであった。
それ故に、光秀は自らがクーデターの首謀者となり信長を討ち、その後は秀吉が信長の跡を受けて天下統一を為し、戦の無い時代を託すというストーリで描かれていた。

  これも私にとっては光秀像を変えてくれたドラマであった。

そんな明智光秀が今年は大きなテーマとなって、いろいろな場面で登場することであろう。








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2019年12月24日 (火)

荒波の中

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、名古屋方面から携帯に電話が入った。

  「てっちゃん会」メンバーの飲み会(笑)。

そこでは、今秋に転職を果たした?方々がこぞって参加されていたのである。

  そこには3名ほどの方が今秋転職したばかり。

なぜ転職したのかと言えば、それはそれぞれの個人の理由に因るものである。
しかし、その背景にはこの会を通じて人脈が広がり、その人脈との交流から、従来の自社内だけの価値観から抜け出し一歩外に出て得ることが出来たこの業界の更に広い価値観と自分の将来を鑑みた時に湧き出てきた感情であったという。

  “もっと自分を試してみたい”

そう、自分が有する販売技術であり仕事観を、現在所属する組織の外で試すのと更に企業の枠を超えて習得していきたいという願望から実現した転職。

  そしてそんな彼等を結び付けるdadamaさん。

今回はdadamaさんの一声によって名古屋の一角で飲み会(慰労会)が催されたようだ。

  そこから私に掛かってきた携帯への電話。

転職組の彼等と話をしてみた。

  それぞれに一時の荒波の中でもがく状況からは脱したようだ(笑)。

転職組が誰でも通る「荒波に放り込まれてもがき苦しむ状況」。

  それは従来との価値観の違いからくるもの。

従来の善し悪しの価値観と新規フィールドでの価値観の違いであり、言葉の違いであり、理解者の違いから来る孤独感。

  これが入社後一ヶ月以内に襲って来るのだ。

“この転職は失敗だったのでは?”
“俺はこの会社に向いてないのでは?”
“この後何を頼りに働けば良いのか?”

  そんな不安に襲われるのが転職後の一ヶ月。

彼等と話をしてみると、やはり上記の時期をいやというほど経験したという(笑)。

  価値観の違いは当初予想通り。

しかし、それ以上に転職組が絶望的になるのは言葉が通じないという現実と仲間が居ないという孤独感。

  まずコミュニケーション手段が無くなるのである。

従来は阿吽の呼吸で使用していた言葉一つ一つが、全く意味の通じない言葉として受け止められてしまうのである。

  自分では非常に価値のある発言をしているのだが理解されていない。

この違和感は経験した者でないと理解出来ないだろう。

  更にその延長線にある孤独感。

言葉が通じないから尚更孤独感をひしひしと感じていく。
人間とは不思議なもので、孤独感を感じ始めると、想いが実行されないからどんどん余計な事を考えるようになってしまう。

  そのために更に孤立していく結果となる。

そのような時に、このような会はまさに渡りに船と言えよう。

  そして大切なのはまず転職先の言葉を覚える事である。

その言葉でしかその企業は通じ合えないのであるから。
そしてその言葉を通じて、自分の価値観や商売の技術を伝えていけば良いのであり。

  そして相手の言葉は必ず身についていくもの。

これは外国にいけば外国の言葉を自然に必然的に覚えていくものである。

  多少の時間は要するだろう。

しかし、それと共に孤独感もいつしか消滅し、人間同士のマネジメントは企業を超えて通ずるものを知る時が来るであろう。





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2019年12月11日 (水)

アンテナを張る

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


ブログのネタ。

  「よくブログネタが豊富にあるね。」

各者からよく言われる言葉。

  毎日更新のこのブログ。

よって、日々の記事のネタに対しての驚きがあるのであろう。
確かに、毎日更新しようとすると、日々のネタが大きな悩みのタネにはなるであろう。

  私の場合はiphoneのリマインダーに記事一覧を設けている。

そこに日々の中で記事にしたい項目をちくいちメモとして書き留めておくのである。

  そうすることによってその項目に対するアンテナを立てるのである。

記事にしたいとは思っていても、その記事をどう具体的に論理的に記載するか。

  どの視点でその項目を捉えるか。

それをアンテナを立てて現場で起こる事象から、今回の視点を決めるのである。
従来からこのブログでも記載してきたが、物事はいろいろな角度からの視点によって捉え方が180度違ってくるものである。

  “今回はどの視点からこの課題を捉えるか”

それを、今現実に目の前で実際に起こっている事象と照らし合わせて、今回はこの視点でこの問題を捉えて記事にしようと決めるのである。
よって、同じ事象でも見る視点に違いによって、いろいろな場面が見えてくるものである。

  その為にもまずその課題を決める必要がある。

それも実際の仕事の現場から、記事になりそうな課題に対して前もってiphoneのリマインダーに記憶させておくのである。
そうすることによって、必然的にその課題に反応するアンテナが自分の意識の中に芽生え、実際の仕事の中でもその意識に反応する事実であり現実に対して敏感に反応し、それらを虫眼鏡のような視点で捉え直すことができるのである。

  普段であれば見過ごすような出来事。

そんな出来事が、張り巡らされたアンテナに引っ掛かり、詳細に注目され、それらが記事として頭の中で整理されていく。

  そんな段取りで日々の記事が決まっていくのである。

普段の何気ない仕事の風景。

  しかし意識して張ったアンテナに引っ掛かると視点が変わるもの。

何気ない店舗での風景。
その何気ない風景を、いろいろな視点で洞察していくと、新たな発見があるのかもしれない。







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2019年11月22日 (金)

競争意識

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


よく人から言われる言葉。

  「てっちゃんは前向きですね。」

もしくは。

  「ポジティブシンキング!。」

しかし、特別に意識してポジティブシンキングを目指しているつもりはない。

  物事の動向を見る視点の違いだけのような気がするのだが。

しかし、その視点を間違えると、楽観主義とも捕らえられてしまうこともある。

  「何の根拠があって?。」

そういう言葉を返されることも多い(笑)。

  しかし物事や状況をどう捉えたらチャンスに切り替わるのか。

そんな視点で常に物事や状況を見るような癖が付いたのは間違いない。

  それでは、何故そのような視点を持つ癖が付いたのだろか?。

それは、競争意識から来ているのではないだろうか。

  我々が就業する小売業。

かっては地域で競合店が無いという立地に出店出来たのだが、現代は競合店の無いエリアなど存在しない。
または、無風状態の地域には必ず測ったように競合店が出店してくるものである。

  食品スーパーの基礎商圏である2k圏内。

この2k圏内に競合店の無い店舗など、現代ではほぼ無いに等しいのではないだろうか。
いや、あるかも知れないが、それはやはり特別な地域であると考えた方が良いだろう。

  基礎商圏には必ず食品スーパーの競合店が存在するという前提。

そんな前提で我々は日々商売をしているのである。
そんな前提において、色々なアクシデントや環境の変化が訪れるのがこの世の習い。

  消費増税、台風や地震、野菜の相場安、相場高、競合店の出店等々。

所謂環境の変化はピンチと捉えられる場合が多い。

  環境が変わるということは変化対応しなければならないということ。

この変化対応自体が全てピンチと捉えてしまうのがこの業界の慣しのような気がする。

  しかし視点を変えるならば逆にチャンスなのである。

それは、その環境は自分だけの襲いかかってくるわけではない。
業界全体に、競合店も含めて皆に平等に襲いかかってくるものである。

  俺も厳しいが相手も厳しい。

それが環境の変化の実態なのである。
俺も厳しいが相手も厳しいのであるならば、何をすればこちらの位置が多少相手よりも上にいけるのか。

  そこにチャンスが潜んでいると思っている。

同じ厳しさが待っているのであれば、手を打って少しでもこちらが優位になる施策を講じて相手よりも多少位置を高めておけば、必ず相手は落ちていく。

  それは学生時代のボート競技の経験から身に付いたものかもしれない。

ボート競技。

  2000メートルを8人、もしくは4人で漕ぎ切るスポーツ。

ロー・アウトという言葉があるように、2000メートル漕ぎ切った後にそのまま意識を失う場合もあるという競技。
見た目は、夕陽に沈む夕暮れにオールをゆっくりと全員で合わせて漕ぐ姿を見ると、ロマンティックな印象があろう。

  しかし実態はローアウト寸前のブラック競技。

そこで身に付いたのは、最後のラストスパートで相手と競い合った時に、「俺も辛いが相手はもっと辛い筈だ」という発想である。

  これが自分一人の苦しみなら、ラストまで持たないだろう。

しかし、競争相手がいるということは、そこに競争意識が芽生えるものである。
そして、同じ厳しさを負う相手がいるのなら、相手が落ちるまでこちらは頑張ろう。

  そんな心理になると強くなれることを学んだ。

これが競争意識なのかもしれない。

  自分一人は弱いもの。

しかし、相手がいれば競争意識によって負けまいとする意識が強くなり、弱い自分を克服してしまうのかもしれない。

  思えばこの世は競争社会。

そして周囲にも競合店が益々増えていく。

  俺も辛いが相手はもっと辛い。

そんな意識で臨みたいものである。





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2019年11月 7日 (木)

八村塁の課題

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、通勤途中のラジオを聞いていた時のこと。

  八村塁の話題となった。

ご存知の方も多いであろう、日本バスケット界の宝である八村塁。
富山県出身で、アメリカのゴンザガ大学から今年NBAドラフトにて1巡目にしてワシントン・ウィザーズから指名を受けてNBA入りを果たしたバスケット選手である。

  早速シーズン開幕さんから出場を果たし活躍中である。

その八村選手が自ら語る課題とは?。

  ここぞの場面でパスが回ってこないこと。

それはどういうことかというと、序盤から中盤にかけては新人の八村に対してもパスを回してシュート、ドリブル、パス回しに参加させるが、最後の第4クゥオーターになると試合の行方を決める大事な時間。

  ここでモノを言うのは仲間との信頼関係。

あいつなら絶対に決めてくれるという仲間との信頼を得られているかどうかが、第4クゥオーターでパスが回ってくる根拠であるという。

  その根拠を得ることが今後の課題。

それが、今年初めてチームメンバーとなった八村にはまだ得られていないということである。

  そしてそれを自らが認識し冷静に分析している点である。

日本では八村の活躍ばかりが報道されてはいるが、それは新人として当初からスタメンとして登場をし、シュートを何本も決めて大活躍の報道であるが、現実に試合にチームメンバーと共に出場しているのは本人である。

  その本人の認識と見解が全てを物語るのである。

そして、最終クゥオーターでボールが回ってこないという事実とそれに対しての冷静な分析から、今自分に足りないのは何か?、との答え。

  そこを冷静に分析して次への糧としようとしているところが凡人ではないのであろう(笑)。

しかしこの話題から、組織内での自分の置かれた状況とそれに応じた自分の組織内での処し方であったり行動の仕方であったりの参考になるのではないだろうか。

  ややもすると「俺が俺が」の世界に陥りやすいのが人間の性。

特にスポーツの世界は実力の世界であるから、余計に自分の実力を過大評価してしまうとそのチーム内で浮いてしまうところもあるだろう。
しかし、スポーツの世界でも個人競技と団体競技では個人の実力とチーム内での評価とは別物であることが多い。

  それは団体競技という特性でもあろうか。

野球、サッカー、ラグビー、そして話題のバスケットボール等のボールゲームの団体スポーツ。

  そして野球以外はボールを回しながら進める競技。

よって野球に関してはほとんどがワンマンなプレーでも実力が遺憾無く発揮できるであろうが、それ以外は自分意外にもボールに携わるプレヤーが多い。

  自分の活躍は他人との連携において発揮されるスポーツである。

よって、チーム内での自分の存在感がモロに現れるスポーツと言えよう。
そこで大切なのは、チーム内での自分の在り方であり行動であり役割である。

  ディフェンスとしての役割。
  ハイボールを奪い取る役割。
  ボールコントロールの役割。
  
そして

  ポイントゲッターとしての役割。

それぞれの役割においてのチーム内での自分の存在価値と信頼度。

  それらが重なった時に本人が活躍できる場となるのであろう。

そしてその役割を獲得するのが、本当の実力と言えるのではないだろうか。

  それは役職とはまた別物であろうか。

名目で与え得られるものではない。
その役割を確実にチーム内で発揮出来てこそ、チーム内で認知されてチームメンバーから与えられるものである。

  その為に自分に足りないものは何か?。

そこが自分の課題となるのである。






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2019年10月19日 (土)

家政婦を極める

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日のNHKプロフェッショナル「仕事の流儀」。

  今回は家政婦の「タサン志麻」さん。

家政婦として家事代行サービス「タスカジ」に登録し、あまりに人気に予約が取れずに「伝説の家政婦」と呼ばれているらしい。

  そして2018年にも取り上げられたタサン志麻さんが再び登場。

志麻さんは家政婦の中でも、料理専門の家政婦である。

  小さい頃から料理が好きでその道の専門学校に通った。

そしてフランス料理に興味を持ち、本場フランスまで修行に行ったというから本格的にフランス料理を習得していったのだろう。

  そこで料理以外のあることに心を動かされる体験をする。

友人のホームパーティに招待された時のこと。
日本で料理を味わうというと、どうしても硬い雰囲気の中で出されてきた料理を一品、また一品と無言で味わい、プロの料理人と対峙した関係として味わうということに専念するようなイメージがある。

  しかし本場フランスの家庭料理とは全く違っていた。

家族同士の会話、友人同士の会話がメインであり、それはそれは賑やかで料理はその会話を盛り上げる一つのツールのようなものであったという。

  料理を中心に食卓で繰り広げられる人間の笑顔。

そこにある意味フランス料理の本筋を見たような気がしたのであるが、そこでの修行の後にはまた日本に戻ってあるフランス料理の名門の下で働き始めるのである。

  ここではやはり日本流の職人気質の文化に染められていく。

この当時の彼女を知る友人は、近寄りがたい存在だったという。
要は、自分と同様に料理に対しての前向きな姿勢を相手にも求め、それを感じられなかった相手には口も利かないという態度。

  全てに対しての自分の価値観の強要。

これが徐々に周囲から孤立していく原因となっていった。

  結局は10年も務めたフランス料理店を退職。

そこから家政婦の道を進むことになる。
その間に結婚、出産を経ての家政婦の仕事。

  自分も同様の経歴を持つため依頼者の主婦の痛みがわかるようになった。

依頼者本人の視点で冷蔵庫の中の食材と調味料、そして家族構成から推察する作り置きメニューの数々。

  それを瞬間的に見抜いて母の想いで料理を作る。

それはひとえに、その家族を料理を通して食卓に集って笑顔になってほしいという願いからくる自分の役割だと思えるようになったという。
そして私は思った。

  その想いは我々食品スーパーにも言えること。

それは、我々も食品の素材を販売しているが、その理念は単に食材を売ることでは無く、その食材から生まれるメニューであり、それを取り囲む食卓であり、そこを舞台にした家族の笑顔であり生活シーンなのである。

  食を通した豊かな暮らし。

これが我々食品小売業の本来の役割。

  それを代行するという家政婦の存在。

同じ想いが彼女には流れていた。
その彼女が、二人目のお子さんを育てながら、忙しい主婦の為のレシピの開発をしているという。

  どこにでもある食材を使用して
  どこにでもある機材を使用して
  どこにでもある調味料を使用して

そして、簡単に美味しくできる料理のバラエティー。

  それは普通の家庭の普通の主婦を対象にしたレシピ本。

そしてそのようなレシピに支えられて、我々はリアルな店舗でリアルな食材を揃えてお客様の目利きで購入される食材を販売するのである。

  そこにあるのは手作りという母の愛なのであろう。










  

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