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2022年1月14日 (金)

記憶を重ねる

皆さん、こんにちは。
 小売業界でコンサルをしている「てっちゃん」です。


人間の記憶。

  常に曖昧な存在。

過去の記憶もしっかり覚えているものと曖昧なものがある。

  この違いは何なのだろうか。

ある記憶に関しては、鮮烈に記憶に残り、あの時の誰がタイムリーを放ち誰が抑えで優勝したのかをしっかりと記憶に留めているのに、あの時はどこが優勝したのかも曖昧な年もある。

  高校野球やプロ野球の優勝チームの記憶。

おそらくその時の優勝チームの興味であり世間の評価でありが、その後の話題に何度も何度も上ってきたから、必然的に記憶に残っているのであろう。
  
  それは仕事においても同様である。

上司から一回だけ言われたことは、たいして記憶に残らないものである。

  “どうせ今回限りの思い付きの言葉であろう”

そう受け取ってしまう可能性が高い。
しかし、同じことを2回言われたら、その記憶は重く残るものだ。

  “思い付きではなく重く受け止めなければ”

そこから、その事に対しての注意力が増していくものである。
これが例えば、同じことを3度言われたら決定的となるに違いない。

  同じ言葉を繰り返す。

このことが組織運営では非常に重要なのである。
しかし、逆の言い分もあるだろう。

  “前に一度言ったハズだ”

だから、言われた相手も覚えているハズだし、覚えてない相手が悪いのだ。
そのような上から目線の発想である。しかし、上記のように一度しか聞いていない相手は、言われた言葉に対して記憶に留めるほどのことではないと認識している可能性は高い。

  相手にしっかりと記憶の留めさせるには。

それは、同じことは何度も繰り返すことである。
それによって、確実に記憶に残るものである。

  更にその記憶を決定的なものにするには。

同じ内容を、別の人間から言われて時であろう。
その時の記憶は鮮明に残るものである。

  “同じことを違い人から言われた”

この記憶は深いものになる。

  同じ価値観を持つ人間がたくさんいる

そう、捉えるからだ。
よって、その考えと言動に同調しなければ、自分が置いていかれてしまう可能性が高い。

  そういう感情が生まれることになる。

そして、それは組織運営上重要なことになるのである。組織に根付かせるためには、自分の言葉を他人にも言ってもらって、その言葉がその組織に根付かせる仕組みが完成していくのである。

  同じことを3人が言ったら。

もうこれはこの組織では確実に組織員の記憶に残り、この言葉に基づいた行動が必然的に定着していくことになる。

  組織を同じ方向に向かせる。

これからの人事異動により、新たな組織に異動する方も多いであろう。
組織のリーダーとして重要な組織運営能力ではないだろうか。




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52md3 

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定員:30名

対象者:地域に密着した店舗を目指す小売業のご担当者様
    店舗運営部長、バイヤー、SVなど店長を育成指導する方全般

参加料:法人15,000円(30名まで) 個人5,000円(1名まで)

参加方法:オンラインセミナー(Zoomにて開催) ※後日アーカイブ配信あり

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自己啓発」カテゴリの記事

コメント

頭でっかちのもやし野郎(謎の人物)さん、コメントありがとうございます。
あらま、お久しぶりです。
以前のネームから改名されたのですね(笑)。
今回は2016年4月後半のブログをたくさん引用していただきありがとうございます。逆に私は今まで書き綴ってきたブログの内容をどこまで記憶しているかと言えば、せいぜい30ぐらいを記憶に留めてそれ以外は同じテーマを多少の視点と経験の違いから繰り返し書いているのかもしれません。ただ、同じテーマでもこれほどネタがあるということですから、一人一人の違う人間が感じたり見たり思ったりする視点も千差万別ということなのだと思います。
最終的には中小が大手に対して如何に狭い谷に追いやるか。これが大手が入り込めない領域を如何に中小が見つけ出し、そこで来店されるお客様を独り占めして安定経営を図るかという経営手法かと思いました。
いずれにしても、またかってのように遊びに来てほしいと思います。そして新規取り組みは軌道に乗りましたでしょうか。ある程度の余裕が生まれてのコメントかと思います。
今後とも宜しくお願い致します。

投稿: てっちゃん | 2022年1月17日 (月) 13時32分

 なるほど、記憶に残る(腹落ちさせる)コメントを書けるかどうか、久しぶりに挑戦してみましょうかね、笑

 おっと…突然失礼いたしました。ご無沙汰しております。早いもので2022年になってしまいましたね。ご挨拶などは割愛させて頂いて、もはやただのバイトですらない者なんですが、このブログの愛読者として、しばらくぶりに問題提起でもしてみようかと、下手くそな文章でコメントさせて頂きます。

 とは言っても、「過去の記憶もしっかり覚えているものと曖昧なものがある。この違いは何なのだろうか。」という問いに対しては、すでに6年前にご自身で答えを出されているようですよ、笑

http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-4e3a.html

>売場が記憶に留まらないのである。
どういうことか?。
 現場で店長をしていた時との関心度が決定的に違うのである。
>目的が変わっただけで、これほどまでに売場を見る目が変わるのか。
売場を見る目というよりも、売場自体への関心度がなくなってしまったのだろう。

この翌日のブログのタイトルは「記憶に残る仕事」でした。

http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-ea43.html

こちらを読み返してみるだけでよろしいかと、笑

 ちなみになんでもかんでも最初から繰り返し説明すれば記憶に残るかというと、必ずしもそういうわけでもありませんよね! 
 その最たる象徴こそが三谷脚本です。

 三谷脚本? はい、ちょっと脱線させて頂いて、本日の引用は、2022年の大河ドラマの脚本担当、三谷幸喜さんが前回担当した2016年の大河ドラマ、皆さんも毎回欠かさず見ておられた『真田丸』から持ってくることにしましょう、笑
 その第15回、「秀吉」という副題が付けられた、この回にある茶室のシーン。この回は、天真爛漫で明るく、誰にも裏表なく世話を焼く秀吉と、猜疑心の塊で、人の心の裏を知ろうとする秀吉が、同じ人間の中に同居しているということを描く凄い回でした。放送日は確か2016年4月17日。(http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-a1db.html

 その茶室のシーンのメインは秀吉と上杉景勝。その前の段階で、上杉謙信の跡取りとして劣等感しかない彼が、それでも自分を大きく見せたいと、いよいよ秀吉の前に出てくるのですが、秀吉から、真田と徳川が戦になった時に、懇意にしている真田の味方をするなと釘を刺されるシーンがありました。秀吉は真田を滅ぼしたいわけでも、徳川の味方をしたいわけでもなく、ただただ上杉の自分への忠誠心がどれくらいあるのかを、この要求を飲むかどうかで確かめようとしていたわけです。
 そして千利休の茶席に招かれてのこのシーン。主人公の信繁も招かれていました。が、何も知らない信繁は、自分が好きな秀吉や景勝がいる茶会に招かれて、嬉しそうに、お茶の飲み方を知らないからどうしようなどと無邪気に言っているだけ。
 そしていよいよ千利休が茶を立てて景勝に渡すわけですが、その渡された茶を見るときの景勝の目線、それを探るような目で見ている秀吉、そしてその秀吉の探るような目に気づきながら下を向くと凄く苦いものがある、これを一息で飲まなければいけないという景勝。
 つまり、具体的な「お茶を飲む」という行為で、抽象的に暗に「相手の要求を飲む」ということを、それも台詞もなく、下を向く人間とその横顔を見ている人間の2分程度のカットだけで、見事に表現しているのです。
 それはまた、一国一城の主として、誰の命令も聞かないつもりだった景勝にとっての、人生の敗北感を表しているシーンでもありました。 終わった後に呆然としている景勝。千利休のお茶を自分も飲みたかったと言う信繁に一言だけ、「あれは苦い茶だった」と言ってこの一連のシーンは終わるのです。

 …と、文章にするとこんなに長くなるのですが、映像では台詞もナレーションも全く説明なんかしないんですよね。これが三谷脚本の凄さで、観客を信じて、説明しないものをぶつけて、「わかるでしょ?」とやるのです。説明がないことでかえって記憶に残る。このシーンを見た大半の人は、こんな文章化するように論理的な言葉にできなくても、このシーンだけで書き手の主旨がしっかり伝わる。逆に下手な脚本家ほど「いい台詞を言わせよう」、「わかってくれなかったらどうしよう」と、状況説明も心情も背景描写も、何もかも台詞に頼ろうとします。

 しかしこれができるのはなぜか?  
 答えは簡単で、それは三谷幸喜が売れっ子の脚本家だから。「売れている」脚本家は観客を信用して突き放せるのです。売れている時、評判が良い時ほど、お客さんを信用することができる。売れていけばいくほど、自分の伝えたいことが伝えられるだろうという確信に変わってきて、いい意味で舌足らずの表現で伝えることができる。お客さんを信じる力が売れることで備わる。
 逆にずっと売れていないと、お客さんを信じ切ることができない。もちろんそれでもいい作品が誕生することもありますが、それは、たまたま書き手の感性とお客さんの心がシンクロした時か、個の圧倒的な才能によるものだけ。
 お客さんを信じ切ることができない。それを感じる場面はもっと身近にあるかもしれませんね。例えば、「正月も営業しなけなければ売上が落ちる」とか「チラシを入れなければ客が来ない」とか、「粗品を配らなければ…」「クーポンを配らなければ…」みたいな類のもの。お客さんを、あるいは従業員を、信じきれないから、客数が落ちる、売上が落ちるという不安が拭えない。

 …単なる引用で終わらせようと思っていたのですが、なんだか本質的な話になってきたようなので、このままこの話を続けようと思います、笑

 「信は万物の基を成す」

 実は近所に“A”と“I”という大きな大きなスーパーが2つほどありまして、そのどちらもこの年末年始、1日も休まずずっと営業しておりました。それはそれは毎日、蟹だの和牛だの寿司だの、この時期特有の華やかな売り場でした。年末商戦、何が売れただの、来年どうしようだの、中では振り返ってそういう話で持ちきりなのでしょうね。
 しかし…。
 光が大きくなればなるほど、影の部分も大きくなってしまうもの。華やかさに目が行きがちでも、こういう時期ほど残酷なほどに普段の闇の部分を露わにしてしまうもの。
 どちらのお店も年末年始、連日、見切りシールが貼ってある大量のもやしやカット野菜が山積みされていました。僕は心底意地の悪い人間のようなので、綺麗に作られた余所行きの年末年始の売り場よりも、こちらの方に目が行ってしまいました。
 この簡便野菜のコーナーは日付で管理できるので、水煮だとか加工品の次に経験の浅い社員が発注しやすい商品。だいたいもやしは普段から切らしたら上長に怒られるので、「こんなに客数が多いのに万一切らしたらどうしよう」という不安から馬鹿みたいに発注して、それをパートさんが何時に何割引、何時になったら半額と、いつも通りに、決められたルール通りに、値引シールを貼っている。社員が帰った夜、「馬鹿じゃないの」とブツクサ文句を言いながら夜のバイトやパートさんが廃棄処理をする光景までが目に浮かんでくるよう。どうせ、もやしなんて廃棄になっても大した額じゃないんだから、と、去年、今年、来年と毎年同じことを繰り返す。しかし捨てているのは金額だけでは測れない何かでもある。
 この2つのお店の共通点はまだあって、年始含め年中無休、そして販促費が異様にかかってそうだということ。チラシを頻繁に入れるのはもちろん、正月は連日何か粗品を無料で配ったり、後日使えるクーポンもご自由にどうぞ、としていましたね。
 正月も営業しなけなければ、チラシを入れなければ、粗品を配らなければ、客が来ない、売上が落ちる。そこにあるのは不安、不安、不安。その弱気な姿勢はお客さんにも伝わるもの。
 それでも、社員だろうが末端のただのバイトだろうが、自分の属している会社に、お店に、あるいは自分の働いている時間帯に、どんな問題があるのか、どんな課題を抱えているのか、その点はみんな気づいているものなんですね。
 でも…。
 誰一人、誰一人、本当に誰一人、それが自分のせいだとは思っていない。
 「無能な社員が悪い」「使えないパートが悪い」「ちゃんと教えてくれない上司が悪い」「教えてもできない部下が悪い」「ろくに人を入れてくれない人事・総務が悪い」「人を入れてもすぐ辞めさせる売り場の連中が悪い」「勝手に商品を送り込んでくる商品部が悪い」「せっかく仕入れた商品を台無しにする現場が悪い」etc.
 不都合な現実に対して自分ではない何かのせいにしておしまい。だから待っているのは現状維持という名の衰退。
 お客様を、従業員を「信じられない」から徐々に崩壊が始まっていく。
 もちろんこれは想像ですけどね。でも自らの経験からも、なんとなくそんなことが垣間見えてくるのがこの「もやしの大量の見切り」なのです。
 そういえば、片方のお店のトイレに入った時に、「当店はゴミ置き場ではありません」、「警察に連絡します」、「防犯カメラの映像を提供します」なんて物騒な張り紙が。トイレに誰かが粗大ゴミを放置して帰ったようです。
 理不尽なクレームもそうですけれども、こういう明らかに常識を逸脱した行為を「思い止まらせる力」がこのお店にはないようです。例えば、こんなことをしたらいつも親切に接客してくれるあの人が悲しむとか、「思い浮かんでくる顔」があるなら、こういうことはしないですよね。
 そう言えばこんな記事もありましたね。

 http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-b057.html

 では働く場での信用とはどのように得られるのか。
 それは働いている一人ひとりが「他人から感謝され、役に立ち、尊敬されている」という実感を持つということ。この3つの要件が揃うことで、それが自分のやりたいことに変わってきて、仕事に励みが出てくると、どんどん熟練していき、適性が上がってくる。当然結果が伴う。この継続によってこそ二次的に信用が生まれる。
 しかしこの3つのうち、仕事としてお金をもらっている以上、何かの問題を解決させているわけで、「感謝され、役に立ち」の部分は割合簡単に満たせるのですが、問題は「尊敬されている」の部分。これが一番ハードルが高い。「尊敬されている」をもっと具体化した言葉で簡単に言えば、「あの人みたいになりたい」と思われること。
 単純労働の作業だけだと確かに感謝はされ役に立つことはできても、ここを満たせないままなんですね。「食品スーパーの地位向上」なんて話がしばしば出てくるのは、この「尊敬されている」という実感が得られない、という部分と無関係ではないと思っております。
 でも、じゃあどうすればいいの?
 その答えも2016年4月の記事にあるようです。

 http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-bcca.html

 また随分長くなってしまったので、ここら辺でやめておきましょう、笑
 本当は書き始めた時はこんな話をするつもりはなくて、孫子の『兵法』より、「谷に引き込む」という戦法についてお話ししたいと思っておりました、笑
 孫子の『兵法』は、今なお、お笑い芸人から、ベンチャー企業の経営者から、プロ野球の名将と呼ばれる監督に至るまで、古今東西あらゆる人々に読み継がれているバイブルの一つで、「谷に引き込む」とは、巨大戦力に対する弱者の戦い方を説いたもの。
 さらにいうと「谷」とは相手の巨大な軍勢が力を発揮できない場所のこと。実際の戦だと、100万の軍勢が一列(1人ずつ)になった瞬間を叩きます。強者が一番喜ぶ弱者の打ち手は「正面突破」です。「自分が勝てる相手」を歓迎するのが、強者の戦い方です。対して弱者が勝つためには常にこの「谷」はどこかを考えなければならない。例えば織田信長にとっての「谷」とは桶狭間であり、日本でこれほど有名な地名になったのは、そこがまさしく「狭間」であったからです。
 えっ、食品スーパーのブログになんでこんなものを持ってくるのかって? 笑
 それはまた気が向いた時にお話ししたいと思います、笑

 ではでは。

追伸、ところで僕はどうして今、2016年4月の記事をこんなに引っ張り出してきたのでしょうかね? その意図を考えてみると面白いかも、笑
 この時期は受け売りの例えで言うと、アナログ時計の11時台のようなもの。ご存知かもしれませんが、この例えについて説明すると、アナログ時計というのは1時間に1回、必ず長針と短針が重なる時があります。ところが11時台だけは1回も重ならないのです。そして鐘が鳴る正午の12時と、新しい日付が始まる深夜0時、ここでピタリと重なる。つまり、小さな成功はちょくちょくあるのですが、鐘が鳴る=大きな成功と、新しい挑戦の前には報われない時間=人生の11時台があるというのです。報われなかったかどうかはわかりませんがね、笑 

投稿: 頭でっかちのもやし野郎(謎の人物) | 2022年1月17日 (月) 06時57分

dadamaさん、コメントありがとうございます。
教える機会が増える、それは逆に言うとそこからまた学ぶ機会が増えるということと連動しますね。
教えるということは我が身を振り返るということに繋がりますから、教える(伝える)ことによって、改めにその事に対しての自らの振り返りとなり、そこから更に修正が加わって深みになっていくのだろうと思います。
同じ事を繰り返すということは、繰り返しながら自らの振り返りも深まっていくということ。深いですねぇ~(笑)。

投稿: てっちゃん | 2022年1月15日 (土) 12時19分

加齢とともに昨日何を食べたか思い出せない時もあり(笑)。この年になると教えられる事より教ええる、伝える機会が多いでしょうか。
こないだ言ったのにまだ分らんの???と感じる場面も多いこの頃、教え方や切り口を変えながら諦めず繰り返す忍耐も必要でしょうか。忍耐=信念にも繋がりますし自分の信念や考え方を次世代に残す事に働き甲斐を覚える歳となりました。

投稿: dadama | 2022年1月15日 (土) 09時26分

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