本能寺
皆さん、今日は。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
今日は日曜日。
芸能ネタの日(笑)。
いよいよ昨年の1月19日(日)から始まったMHK大河ドラマ「麒麟がくる」も本日が最終回。
帰蝶役の交代や撮影中断により年越しの最終回。
ドラマの話題性に加え、上記の不慮の事故にも見舞われた今回の大河ドラマ。
とは言え、やはり戦国時代の大河ドラマは人気だ。
特に信長、秀吉、家康、の生きた時代は別格。
その時代には現代に無い時代背景があり、その変化に対して人間として如何に生きたか、如何に処世したか、如何に変化の流れを掴んだか、様々な人生の変化に対しての人間の生き方に多くを学ぶことができるし、なんといっても概ねの人間が知る時代でもあるのであろう。
特に「本能寺の変」は誰もが知る歴史の大転換機。
当時の時代背景を考えれば、下克上はごく当たり前の戦国大名達の常識的な処世術であり、明智光秀の反旗も謎が多いと言われているが、当時としてはそれほど深い意味合いが無かったのかもしれないが、そこは時代と共にドラマ性が加味されながらよってたかって謎を加味されてきたのではないだろうか(笑)。
そんな時代背景であるから、信長とその家臣達との間にもいろいろな関係性が生まれていたのであろうと思う。
特に本能寺の変の時の信長の所在。
これはもうスキだらけの状況であったろうし、そのスキだらけの状況を知る家臣も少なかったのではないだろうか。
その数少ない家臣が光秀でもあった。
要は、光秀は信長の信頼を得ていたと見るべきであろうか。
そして信頼する光秀に謀反を起こされた信長の心境もいかばかりであったろうか。
信頼するが故に光秀も信長に仕え支えてきた。
そして、その都度に多大な功績を上げ、更に信長の信頼を勝ち得てきたと言える存在であったのであろう。
そしてそこにスキが出来た。
今回は信長が天下を掌握し始め、徐々にその横暴さや無謀さがより顕著に表れてきた昨今、そこに理不尽さを抑えきれなくなった光秀がいろいろな経緯を経ながら自らの意思で「敵は本能寺」へと向かえさせたような流れではある。
今回の大河では「本能寺の変」を検索すると必ずそこには「黒幕」が表示される。
よって今回の大河ドラマでは本能寺の変にはその裏側に黒幕が存在するのではないだろうか、という推測を誘うようなストーリーになっていたのであろう。
秀吉、家康、毛利、朝廷、等々。
しかし今回の最終回でもその黒幕の存在はおそらく登場しないであろう。
あくまでも光秀の単独行動。
しかし、光秀の行動を先読みして自らのスピードある行動を引き出した可能性のある秀吉や家康の存在は否定できないであろうか。
そしてそんな推測をしていくと、どうしても歴史学者の方達の思う壺のような気がするのである(笑)。
そこに大河ドラマ周辺の関連番組が制作機会が増加する。
そして歴史学者の方達がこぞって推測する内容が、現実よりもよりドラマチックな表現でまとめられるのである。
そしてそれを我々が見て想像力を掻き立てる。
話が外れてしまったが、戦国時代最大の謀反とされる「本能寺の変」。
そこには人間の感情が露骨にぶつかるドラマがあるのであろう。
そして多くの人がこのドラマの最終回に感動するのであろう。
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コメント
kazuさん、コメントありがとうございます。
このドラマのテーマである「麒麟」。
最後までそこは不透明なまま終了してしまいましたね。そこがなんとなく今ひとつ私としては整理がつかない部分かなぁ〜と思っております。
でも最終回の登場人物達の演技力は迫力満点でしたね。
投稿: てっちゃん | 2021年2月 7日 (日) 23時00分
kazuです
1年間、欠かさず見てきた「麒麟が来る」の最終回がいよいよ今夜やってきます。
本当に楽しみなのですが「真田丸」以来の「大河ロス」に襲われそうな感じがします。
様々な憶測の中に「本能寺の変の黒幕」なる物が錯綜していますが、今回の大河では素直に光秀の「暴走した主君を止めなければ世が乱れる」との考えで自身で動く表現をするのでしょうね。
最終回ではタイトルの「麒麟」を連れてくる人物は「秀光」と明確に表現されるのでしょうか?
そこも楽しみです。
楽しみにしていた最終回を見終わっても「是非に及ばず」と思いたいものです。
投稿: kazu | 2021年2月 7日 (日) 08時24分