« 成功率を高める | トップページ | 秋の新ドラマ »

2020年10月10日 (土)

フェイストゥフェイス

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


この半年でコミュニケーションのスタイルが大きく変化してきた。

  リモートによるコミュニケーションが当たり前の時代。

企業の会議やミーティングもリモート。
学校の授業や講義もリモート。
更には、企業への出社自体もリモートによる在宅ワークが浸透してきた。

  画像で相手を認識できるがリアルに集まらないミーティング。

そんな流れが一気に進行し、我々の業界ですら、店長会議やチーフ会議といったレベルの会議もそれぞれの店舗でパソコンを前に会議をするスタイルに変更されてきた。

そして挙句の果てには、飲み会ですらリモートによるそれぞれの自宅からの参加という従来ではあり得ない飲みにケーションのトライが相次いできたのである。

  当然私も幾度となくリモート飲み会なるものを経験。

しかし8月以降はなぜかその飲み会も姿を消してしまったようだ(笑)。

更には、企業側が所属団体への研修会への参加も今年度はそのほとんどが延期や中止となり、参加している企業でもリモート会議やリモート研修会に切り替えて研修を受けるスタイルにしている企業も多いと聞く。

  教室スタイルの一方的な授業スタイルには合うのかもしれない。

しかし、その売場やその作業場、そしてリアルに店舗にお客様が来店されているリアルな空間において開催される研修会となると、リモートというスタイルは全く用を為さない。

  要は、売場や買場という空間を演出できないからであろう。

リモートで映し出される画面は平たんであり、その奥行きや立体感から伝わる直接的な売場の雰囲気がリモートの画面からは伝わり切れないし、参加する側もどうしてもそこから売場のボリューム感や鮮度感、そして売る気や買う気が伝わて来ないことが要因であろうか。

  やはり売場を中心とした研修会はリアルには絶対に敵わない。

それだけ、我々の売場というのはリアルな存在であり、それを画像だけから学ぼうとしてもそこには相当な限界があるのであろう。

  それでは何故リモートでは伝達力が半減してしまうのか。

それは、伝達する側と伝達される側の信頼関係とでも言うべきであろうか。
伝える側の表情一つとっても、ここは真剣に聞いてほしい場面であったり、ここはウケ狙いを感じてほしいとか、この売場はこのボリューム感と鮮度感、そしてそこから売場の雰囲気を感じてほしいという部分が、リアルな売場からは惜しげもなく伝えることが出来るし、受け取る方もその場の雰囲気からどんな言葉よりもその売場をリアルに見た瞬間に受け入れてしまうところにあろう。

  要はこれがお互いの信頼関係となるのである。

信頼関係はとはどうしてもリアルに相手の表情や動作、そして相手の目力からお互いの信頼を得ていくのである。

  その信頼関係から伝わる情報量が全く異なってくるのではないだろうか。

その信頼関係の構築の過程の中で、会話の楽しさ、情報交換のリアル感、そして相通ずる伝達力にてスピーディな情報交換が可能となり、それがまた会話のやり取りの楽しさを生んでいくのである。

  よって人間同士のリアルな会合はいずれ復活していくことであろう。

但し、どんどん広がるSNSの拡大のスピードにより、リアルなコミュニケーション機会は相対的には減少していくであろうが、しかし人間同士の信頼を得るという行為はリアルな場でからでしか得られないのは間違いない事であろう。






|

« 成功率を高める | トップページ | 秋の新ドラマ »

心のあるべき姿」カテゴリの記事

コメント

ただのバイトさんへ。
ご心配ありがとうございます。
このブログを書き続けてきたこと自体がどこかで余裕があるのでしょうね。
そして世に色々なスーパーの店長を降りますが、本当に食う暇も無い店長もいれば当方にように余裕の店長もいる。その分周囲は余裕なく動いてくれておりますが(笑)。

投稿: てっちゃん | 2020年10月11日 (日) 07時00分

1つ訂正です。店長さんに暇な時などありませんよね。失礼しました。

長々と書きましたが…

「このお店の灯りが嬉しかったわよ」

要するに、こんなことを言ってもらえるお店が最強だということです。他に説明はいりませんでしたね(笑)

投稿: ただのバイト | 2020年10月11日 (日) 04時16分

ただのバイトさん、コメントありがとございます。
いろいろな比喩を使ってのコメントがわかりやすいですね。
特に、「銛」と「網」の使い分け。
本部は網を使い、現場の部門は銛で突く。
そして現場のリーダーはそれを使い分ける。
そして従来からいろいろなマネジメントの本が出版されてきましたが、やはり手法は上記の2点に集約されるでしょうか。要は銛の突き方と網のかけ方。混沌とした人間の内面へ如何に銛を突いて仕留めるか(笑)。そして組織に網をかけて如何に強化していくか。それを現場で実践して二つの武器を突き詰めていく。はやり現場は実践の舞台ですね。

投稿: てっちゃん | 2020年10月10日 (土) 06時26分

久しぶりにアウトプットしましょうかね(笑)
ここ数日のどの内容にも当てはまることを書きます。相変わらず青臭い生意気さはご容赦ください。思ったことを書かせていただきます。あと数ヶ月ぐらい溜めた分、もちろん超長文です(笑)暇つぶしで読んでくださいね。

まずリモートの考察なんですが、信頼関係があろうとなかろうと、ネットの通信回線を通して会話をする以上、伝達力は半減します。と言うよりこの表現が正確ではないと言うか、必要最低限の伝えたいことを伝えて終わりです。どういうことかと言うと、通信回線という伝達手段をコミュニケーションの間にワンクッション挟んでいるために、そこには何かの「目的」や「理由」や「義務感」があって繋がっているという状況になるためです。これは新しいアイデアや創造力を必要とするIT企業こそ認識しているリモートの弱点で、だからIT企業こそリアルな場、リアルな会話を大事にしているんです。理由や目的があって義務で繋がっているという状況ではそうした新しいアイデアなんかは生まれない。偶発的な雑談こそ、抱えている課題を解決するためのヒントやアイデアを産むのです。
ただし確実に、いずれクオリティや機能の差では差別化できない時代が来ます。今はネットの画面が文字と画像でしか商品を判断できないという前提でリアルの強みが語られていますが、VRなんて技術が生まれているように、そう遠くない時代にそれ以上のことができるようになるでしょう。
そうなったとしてもリアルに残されている物は、このコミュニケーションなのです。ところが…

ところで以前、マーケット・インとかプロダクト・アウトなんて話をしましたが、もっとわかりやすくいうと、これは漁業型と農業型ということです。
農業というのは畑を耕して種を植えて水をやってと作物を収穫するためには一から育て上げなければならない。対して漁業というのは、すでに海に魚が存在していて、漁に出て他のライバルたちと奪い合って魚を獲ってこないといけないということです。

前置きはこれぐらいにして、今回はその漁業型の方法について触れて行きたいと思います。
具体的に魚を獲る方法は「銛で突く(あるいは1匹ずつ釣る)」「網をかける」の2通りです。ここは超重要で太字にしたり下線を引きたいぐらいのキーワードです(笑)
「銛で突く」とは「1対1」の関係性、「網をかける」とは「1対多」の関係性になります。「網をかける」の代表例はチラシ。1つのお店が不特定多数の地域の住民に対してチラシを配って集客する。求人広告媒体もそうですね。1つのお店が不特定多数の地域の住民に対してお店で働く人材を募集する。1人の店長が大勢の店員に向けて朝礼で訓示を伸べるとかこういうのも全てそうです。
1人の発信者あるいは1つの発信で大勢にアプローチできるって、本当に効率のいい方法ですよね!?
対して1匹ずつ銛で突いていくって本当に気が遠くなるような作業だし面倒臭い!一回網をかける
だけで多くの魚が獲れる方が遥かに楽ですから、それは誰しも網をかけたくなりますよねぇ(笑)
ちなみにこの網(あみ)という言葉、英訳するとnet(ネット)とか、network(ネットワーク)とか言うそうですよ!


……あれ? あれれ?


何が言いたいか、わかりますね(笑)
この「網をかける」の最強の手段こそがインターネットだと言うことです。そして今は誰でもSNSで網をかけることができる時代、言い換えればブロックやミュート、非表示とか、誰しもが無数の網から逃れる方法(見たくない物は見ないでいい)を知ってしまった時代でもあるということです。いつまでも同じ「網をかける」土俵で闘うって、正気なんですか?という感じです(笑)
網をかける手法というのはだんだん通用しなくなってきているのも事実で、求人広告なんか最たる例です。高い掲載料金を払って出しているのに人が来ないとか、人がきても結局時給だとか休みが取れるとか条件面に釣られて来るので、もっと良い条件の仕事が見つかったらあっさり退職するでしょう?(笑)

対して「銛で突く」。「網をかける」から「情報の個別性を引き上げる」ということでもあります。誰でも網をかけられる時代だからこそ不特性多数の誰かではなくて、自分だけにわざわざ伝えてくれるというシチュエーションが生きてくる。
最初は大変ですよ。同じことをAさんに説明・説得して、Bさんにも説明・説得して、の繰り返し。でもそんなことをしているうちに、AさんとBさんの間にいるCさんとDさんという共通の知り合いがオセロのように寝返ってくれたりする。ドブ板営業とかドブ板選挙が、通信手段が発達した今も最後に物を言う決め手になっているのが、よくわかります。

「銛で突く」が一番生きるのは店舗で働く従業員に対してです。これはどの段階の上司と部下の関係であっても同じです。
売上が低迷するのは働く人間の「売らないマインド」が最も大きいです。「売らないマインド」とは「これ以上お客さんに来られるとキツイ」とか「人がいないからこれ以上捌き切れない」とかこういう類のもの。
このマインドが生まれる一番の要因はズバリ「やらされてる感」です。仕事が「自分ごと」になっていないのです。
「自分ごと」になるためには上司が部下の①存在を「承認」して②「期待」をかけて③「役割」を与える、の3つが必要です。特に「承認」、いつも自分を見ていてくれる人から褒められたり叱られたりするから、本気で嬉しかったり、本気で反省したりするわけで、いつも関心もないのにたまに褒められたって「こんな時だけなんだ」となりますよね。気合と根性が合言葉から愛言葉になるのはこれが前提であって、どんな無茶ぶりにも耐えられるんです。

しかし「やらされてる感」から来る「売らないマインド」が最も発揮されてしまうのはここではありません(笑)
ちょっと脱線すると、製造業の開発現場で働く方々の嘆きとして、自分たちが苦労して試行錯誤を重ねて世の中に産み出した新商品を、全くその商品に思い入れのない広報部門の人間が広告宣伝をするから、全く良さが伝わらない、というものがあります。商品の製造開発部門が商品の「出産」だとしたら、広報は商品の「子育て」、しかし広報部門の人間は他人の子供を育てている感覚だと。
さてさて、「出産」と「子育て」が別々の部署に別れていて、かつ押しつけられた他人の子を育てさせられている感覚、と聞いてすぐに何かそっくりな情景が具体的にイメージとして湧くと思います。(笑)
自分が発注した商品と、勝手に送り込まれてくるゴミみたいな商品(笑)、自分がお腹を痛めて産んだ子と、よくわからない他人の子を、同じように愛情を注いで育てられるかといえばノーです。
顔を合わせることがなくなって、「出産」と「子育て」が担当として切り離されているということは効率がいいようで、実はとっても効率が悪いのではないかという問題提起だけしておきましょう。

流石に長すぎるのでそろそろまとめに(笑)
今まで書いてきたことを全部取り入れているお店が、かつてこのブログで取り上げられて、実は僕もコメントをしたあの都内の一等地のお店です。意図したものかどうかはわかりませんがね。
自社の強みであっても、ネット通販でスーパーでの買い物時間を減らしたいという考え方と親和性が高い即食類は捨て、大きなブロック売りをして、お客さんから切り分けて欲しいと店員との間でのコミュニケーションを生じさせている。(つまり「あえて」かどうかはわかりませんが、不便を演出することでコミュニケーションが生まれ、利便性追求とは真逆の価値観を提供している)そして(今はどうか知りませんが)青果の担当チーフは毎朝自分で市場に出向いている。
最もオーソドックスなレイアウトで奇をてらわない、商売の原点に帰るというコンセプトの、業界関係者の評価は高くないようなお店が、一番オンラインの世界との対抗軸を担っているということです。
でも、ここの会社は常々「スーパーではなくヤ〇〇ー」と呼ばれるようにと言っているように、スーパーというシステムではなくて、固有名詞としての唯一無二の存在を目指すという意味合いでしょうから、あながち僕の仮説も間違っていないのかなと思います。
去年、ノートルダム寺院や首里城が燃えて、全国、全世界から多くの寄付金が集まりましたが、お金を出したのはそれらを日常的に利用している人たちだけではないでしょう。近所のスーパーが燃えても、多くの場合、こうはならないはずです。固有名詞で呼ばれるということはこれらと同じ存在になるということ。システムの利用料ではなくて、人から思われていることの対価というのはとてつもないんですね。

ではこの辺で失礼します。

投稿: ただのバイト | 2020年10月10日 (土) 05時09分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 成功率を高める | トップページ | 秋の新ドラマ »