ペット霊園
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
先日のブログで「にゃんにゃん」が息を引き取ったことをアップした。
にゃんにゃんロス。
やはり十数年間を家族と共に過ごしてきた時間は長かった。
それ故の「ロス」。
家族と共に、いやそれ以上に長い時間を過ごしてきたのであろう。
猫が故に、四六時中家の中にいた訳であるから、自分たちが家にいる時間はほぼ全てにゃんにゃんとの時間でもある。
自分たちが家に帰れば、奥の部屋からにゃんにゃん鳴きながら足元に擦り寄ってきて、額と体を摺り寄せてくる。
愛嬌のある額を撫で撫でしてやれば、ゴロゴロと喉を唸らせて気持ち良さげにいつまでも撫でられている。
そんないつもの光景が家の中から消えてしまった。
それが、ロスなのであろう。
いつもの家の中でのルーティーン。
そのルーティーンはいつしか自分でも気付かないうちに極々当たり前の自分の動作として発揮され、そしてそれによって気持ちが癒されてきたのである。
そんなルーティーンが出来ないというロス。
そんなロス感を女房と共に味わっている今日この頃である。
増してや女房は更に四六時中にゃんにゃんと共に暮らしてきた。
そんな存在であったにゃんにゃんを先日、ペット霊園にて見送ってきた。
街の郊外にあるそのペット霊園は、小高い丘の上に整備されて建立されていた。
娘も嫁ぎ先から駆けつけてくれ、三人で火葬から納骨までを執り行った。
火葬からの納骨。
そこでは、猫の骨を部位別に丁寧に小分けしてくれていた。
頭部、背骨、骨盤、尻尾、そして爪までも。
背骨などは、その流れのまま、そして尻尾まで続くように流れるように配置されていたのである。
にゃんにゃんは、その尻尾が母親の胎内にいたときに、おそらくちょっと押された状態であったのか先端が丸まって縮んでしまっていたのだが、火葬されて骨だけの状態になったときにその先端がL字型に折れ曲がったまま白骨となっていたのは、悲しい中にあっての笑の場を提供してくれていた。
そして、子供たちもそれなりに旅立ち、にゃんにゃんの気配の無くなった家内。
女房との新生活が始まろうとしている。
元はと言えば、この関係からスタートした第二の人生。
そして、また再びここに立ち戻って来たのである。
そこに再び新たな人生の予感を感じるのである(笑)。
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コメント
dadamaさん、コメントありがとうございます。
子供達が外で暮らすようになってからは、女房とにゃんにゃんの三人暮らしから二人暮らしになったわけで、より虚脱感は増したのだろと思います。
但しこれも慣れの問題かもしれません。
時と共に慣れがこの虚脱感を癒してくれるのだろうとは思いますが。
投稿: てっちゃん | 2020年1月16日 (木) 22時18分
猫も家族ですからね。命ある者の宿命とは言え寂しい限りです。私の実家にも10年越しの猫がおりますが父が大変可愛がっていて他界した時の寂しそうな顔は印象的でした。
今は母の猫の一人&一匹暮らしですので是非とも長生きしてもらいたいと願っております。
投稿: dadama | 2020年1月16日 (木) 17時59分