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2019年9月24日 (火)

敵に塩を送る

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


敵に塩を送る。

  戦国時代の故事である。

これは甲斐の武田信玄が塩不足に陥った時に、その最大のライバルであり何度も武田信玄と死闘を繰り広げてきた越後の上杉謙信は、武田信玄に対して人間が生きるために必須である塩をの供給を止めずに支援したことが所以で故事となった諺である。

  敵対しているとは言え戦争以外の窮地においては支援する。

如何にも義に生きた上杉謙信らしい行為であり、その行為を引き出した武田信玄という戦国武将もそれだけの人格を兼ね備えた人物であったといえよう。

  毎週日曜日の芸能ネタ。

そこで何度か取り上げてきた日曜劇場の「ノーサイド・ゲーム」。

  その最終回は如何にも気持ちの晴れ晴れするエンディングであった。

それはそれで素晴らしい最終回であったが、私がこのドラマで一番感動したのは、最終回ではなく第7話にあった。

  それまで同じ釜の飯を食ってきたエースの里村。

その里村が、自チームであるアストロズから最大のライバルであるサイクロンズへ移籍した場面のことである。

  全日本でも活躍し、代表チームのメンバーでもある里村。

よって、アストロズ内でもエースであり、今が最高にパフォーマンスの高い能力的にもピークの選手が、相手監督の策略もあり移籍話を相手側から受けるのである。

悩みに悩み結果として今の自分のパフォーマンスを最大に活かせるサイクロンズへの移籍を決意する。
しかしそれは今までサイクロンズを倒して今期のリーグ戦優勝を共に目指してきた仲間たちへの裏切り行為でもある。

  更に、里村が今シーズン相手チームでプレーするには移籍承諾書が必要となる。

この移籍承諾書とは、移籍元チームが本人に対して移籍を承諾したという証明であり、これは移籍元チームに出すか出さないかの決定権があるものだ。

  当然GMの大泉洋は当初は出さないと決めていた。

それは、戦略として相手への戦力向上を食い止めるためには当然の行為でもある。
しかし、それによって里村は今シーズンは公式戦に出場が出来ないということにもなる。

  承諾書を出さないという当然の戦略。

しかしそれが本当にすべきことなのかどうなのかを、大泉洋は自チームの選手たちに問うた。

  そこからのくだりに人間の生き様を見た想いであった。

そして最終的には里村に、チームの総意として移籍承諾書を出し、快く里村をサイクロンズへ送り出したのである。

  この移籍承諾書が里村への餞別代りとなったのである。

そして、アストロズはサイクロンズに対して、敵に塩を送る形となったのである。

  決して戦略的には正しい手法とは言えない。

しかし、それがアストロズの戦い方なのだとチーム全員が納得し、そのチームメンバーの総意による敵に塩を送るという決定が、自チーム内の結束力を高める結果となったのである。

  結束力。

これは意外に理にかなわぬ状況においてより強化される人間の吸引力なのかもしれない。






  

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コメント

ただのバイトさん、コメントありがとうございます。
ものの勝ち負け。
それはあるルールの基づいた基準で判断した場合にのみ適用されるのであって、ルールの無い状況での勝ち負けとは必ずその後も永遠に続くもの。
国家の戦争もそうなのだと思います。その遺恨が次世代にまで引き継いで永遠に争いごととなって引き継がれるもの。
そしてそのルールという基準を作れるのはこの世のなかにあっては人間だけかと思うのですが、動物の世界でも基準はなくとも相手を深追いしないとかある一定の状況で負けを認めて退散するとか、猫の喧嘩でも大きな声を張り上げただけで負けを認めた猫はさっと踵を返して退散する姿をよく見かけます。要は喧嘩慣れしているといことでしょうか。
人間はお互いにもたれつつ生活しているもの。そしてそのもたれ合いでこの世を制してきたもの。そのもたれ合いの経験をどれほど積むか、そしてそのもたれ合いを活かせることが人間の強みなのだと思うのです。
そう考えると、動物はもともと争いを経験しながら生きていくものでもあり、そこにはルールと言う基準はありながらもそれ以前の歴代から続くもたれ合いで成り立っている世界なのだろうと思います。

投稿: てっちゃん | 2019年9月24日 (火) 06時58分

前回のコメントの際に、不手際があり大変失礼いたしました。

今回のブログを読んで思い浮かんだのは、敵に塩を送るという話とは少し違いますが、争いごとをきちんとしたことがある人ほど、負けを決定的にしないところで降参する、ということが大事だと心得ている、ということですね。
最後まで徹底抗戦して玉砕するのは信念を突き通して美しいのかもしれませんが、ダメな闘い方です。
体力あるうちに敵に開城して明け渡して生き残ることが大事であり、再起するために負けを決定的にしないということ。
それと勝者の側も最後まで追い込まないということ。逃げ道を残しておくということ。これは度々話題になる、部下が育たないということでも大事なことかと思いました。
例え相手に非があることでも完膚なきまでに叩きのめして追い込まないこと。その時は留飲も下がって気持ちがいいのですが、必ずその後に返って来るものです。

角度を変えてみますと、これは食品を扱うお店やメーカーで、飽きの来ない味を提供してリピーターを増やし、購入頻度を増やすという施策にも通じるところがあります。奇をてらったり、一時的なブームで終わる刺激の強い味より、あくまで万人に受ける味を追求する姿勢で業績を伸ばしている企業はたくさんあります。

「高級料亭の料理も食べ続けると飽きる」「消費者が気づかなくていいレベルで常に材料や製法を変えながらじわじわと売り上げを伸ばすことを追求する」(セブンイレブンジャパン、鈴木敏文氏)

「食品はおいしすぎてはいけない。少し余韻を残すことによって、再購入につなぐことができる」「濃厚な味でおいしすぎると『満足感』がありすぎる。これでは当分リピートはない」(日清食品創業者、安藤百福氏)

「病人でも食べることができる、一人ひとりの健康を考えた『国民の基準食』の創造を目指すのが私たちの第一歩」「毎日食べても飽きない味は『うす味』であり、『濃い味』は飽きてしまう。お客さまが自ら味をプラスできる程度がちょうどいい」(オリジン東秀創業者、安沢秀雄氏)

「飽きない商い」などと言いますが、飽きない味の追及で、一度味わったお客様がまた帰ってくる、そんなことを教えてくれる名言の数々は、モノやヒトに、即効性のある企画や「完成品」「即戦力」ばかりを求められる時代において、時間をかけて育てる「生成品」や可能性を秘めた育成枠の選手をエースにする太っ腹の姿勢が大事だと遠回しに教えてくれているような気がしてなりません。

話を戻しますが、情けは人の為ならず、という諺もあるように、世の中に存在する全ては複雑に絡み合っていて、巡り巡って過去の自らの良い行いも悪い行いも、自分に返って来て、苦しめられたり助けられたり、そんなことばかりではないでしょうか。
敵だ見方だ、善だ悪だと言ったって、どこでどんな繋がりがあるのかなんてわからない。

今度の軽減税率の問題でもつくづく思うのは、どこまでが贅沢品だとか、食品とそうではないものの区分けとか、本当に世の中に存在するものをきっちり区別するのは至難の業だということです。
野菜一つとってみてもそう。食料品ではない種を買い、食料品ではない肥料を買い、食料品ではない耕耘機で畑を耕し、食料品ではない燃料で耕耘機を動かし、収穫後は食料品ではないテープやビニールで包み、食料品ではない運賃を払い…いずれも軽減税率でないものの固まりです、笑
食料品として出来上がったところだけ見て減税したところで、その前の段階できちんと正規の税率でかかっていて、減税効果などわずかであるのに、そのことのために面倒な仕組みを作るのは弊害です。

などと書いていたら、完成品、完成したところしか見ないのは僕たちも一緒かな、などと思ってしまいました。なめこの真空パックでJANコードが読み取れなかったりして、加工業者はレジを通すときのことなど考えていないな、などと思ってしまったりしていますが、多くの人は商品を売ればお終い、売った後のことなんかきちんと考えてないです。

今日も一つのコメントに詰め込み過ぎ、失礼しました。いつも失礼ばかりのただのバイトでした。

投稿: ただのバイト | 2019年9月24日 (火) 04時12分

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