アウトロー論
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
先日のdadamaさんとかわらいさんとの飲み会。
いろいろな話題が出た。
その中でどうしても避けて通れないのが「アウトロー論」。
アウトロー論?。
そんな理論などもちろんある筈もないが、どうしてもアウトローという表現に哀愁を感じてしまうのは我々の感度であろうか。
アウトロー。
一般的な意味としては、「ならず者」「無法者」。
しかし、もっと広い意味で業界内で使われている意味としては、
「組織の論理から飛び出した者」
組織には、それぞれにその組織が持つ枠組みが存在する。
組織が持つ「枠組み」。
それは、その組織が持つ使命や存在価値があり、そこから組織内でその使命を遂行するために社内規定を策定し、行動規範を策定し、組織員にこの行動規範を求めるようになる。
それは至極当たり前のことではある。
問題はそこからであろうか(笑)。
その枠組みと行動規範への不満。
要は、個店の店長やチーフとして数値や業績を達成したり売上を上げるための行動をどんどん極めていくと、いずれ組織の枠組みや行動規範から飛び出す結果となっていくという事実。
あえてそこから飛び出そうとすることがアウトローへ。
組織というのは非常に繊細な生き物である。
企業のトップが定めた枠組みと行動規範。
それは、トップがこの枠組みを有効に活用して、どんどん自らの可能性を開花させてほしいとの願いから策定した行動規範である。
しかしその行動規範が策定された段階から縮小均衡へ向かって進むのである。
それはこういうことである。
トップが策定した行動規範は、その下の役員レベルではより一層にこの行動規範を遵守する空気となり、その枠組みの一回り縮小された枠組みとなってその下の部下へ引き継がれるのである。
それは行動規範の遵守が自分の評価となっていくからである。
そして、その思考が徐々に下のマネジメント層に下っていく毎に、どんどん縮小されながら降りていくことになる。
最終的に現場での行動規範はトップの半分程度に縮小されていく。
アウトローとは、この半分に縮小された行動規範に対して、その本来のあるべき枠組みに広げていこうとする行動なのである。
そして、この行為は誰かが敢えて勇気を出して行動しない限りは、この縮小均衡は永遠に続くものであり、その結果が組織の硬直化である。
それは従来からの組織の宿命でもあろう。
組織とはこのようにして、徐々に枠組みや行動規範が縮小均衡に陥り、硬直化していくのである。
ここに進化する組織と硬直化していく組織に別れていくのである。
そして、進化していく組織には必ずアウトローが存在し、組織に揺らぎをもたらし、その揺らぎが組織を再構築させ本来の行動規範を末端まで浸透させるのである。
アウトローが受け入れられる組織。
そこに組織の懐の深さがあり、常に現状に対しての懐疑があり、その懐疑から組織の再活性化が生まれ新陳代謝が為されるのである。
アウトロー論。
そんなのはありはしないのだが、私なりにはそんな風に思うのである。
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コメント
dadamaさん、コメントありがとうございます。
最終的には「アウトロー」とは自意識の問題であり、組織という枠の中でその枠ギリギリまでの許容範囲を有効活用するのか、当たり障りの無い範囲で保身を軸に組織内であぐらをかくのかの違いでしょうか。そして気がつけば後者になっている自分をどう戒めるか。ここがポイントでしょうか。
投稿: てっちゃん | 2019年7月23日 (火) 23時50分
しっかりとした組織やトップの想いがあればアウトローは要らないですよ(笑)。組織の方針を愚直に行動すれば結果もついて来るのですから。アウトローは組織も認める存在でなければならない。鼻摘みや猫またぎでは単なる厄介者ですよね。
正しい情報をスパイの如く積極的に取りに行き相手に迷惑を掛けない工夫を凝らしながら自社にフィードバックする。孤高の存在こそアウトローの価値だと思うのです。
アウトローは社内、社外共に信頼関係が無ければなれませんね。
投稿: dadama | 2019年7月23日 (火) 21時18分