自分の限界を超える
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
自分の限界。
実は人間に限界など無いのが事実であろう。
しかし、人間はどこかで限界を作ってしまうもの。
“俺の100メートル走の記録はこれが限界”
“私のマラソン走破時間は2時間半が限界”
このようにスポーツ界での限界の話題から、
“私の生梅の販売数量はこれが限界ですよ”
このように、我々の仕事の世界での限界論まで幅広いものがある。
我々業界の世界での限界。
それは、幾つ売る、幾つ売れる、という販売数量の限界を指す場合が多い。
“俺は、この秋刀魚を何ケース売ることできる”
それは異なる条件での比較であれば、その差も必然的に変わってくるだろうが、同じ売り上げ規模のお店での同僚チーフの仕入れ数量でも大きく異なることが多い。
秋刀魚を方や100ケース、方や30ケース。
同じ売り上げ規模のお店のチーフが、方や100ケース、方や30ケースと、歴然として差を持って仕入れているのが実情であろうか。
“俺はこのお店のこの条件であれば、これだけ仕入れて販売することが出来る”
これはある意味、過去のデータから自分のある程度の限界を指しての発言であろう。
“どうせ頑張ってもこれだけしか売れないから今回はこの数量で仕入れよう”
それも過去のこのお店での経験から導き出された仕入れ数量であり、妥当な判断なのかもしれない。
しかしこのような会話から発展しないのが寂しい限りではある。
特に最近は挑戦とかチャレンジとかいう貪欲な発注と売場作りが激減してきたように思うのは私だけでは無いだろう。
逆に言えば、誰も挑戦しなくなった、と言えるのではないだろうか。
私は挑戦に失敗という言葉は無いと思っている。
挑戦には常に失敗が付き物。
しかし、挑戦しなければ自分の限界を超えられないし、まして現代では自分の限界すら知らない担当者がほとんどではないだろうか。
特にこの時期であれば、生梅、アメリカンチェリー、さくらんぼ等果実類。
一年でこの時期のみの収穫であり、一年スパンで見れば販売期間は一年で本当に一瞬の出来事かと思われる。
この一瞬の出来事だから面白いのである。
一瞬の出来事でもあるし、痛みの早い商品でもある。
ということは、誰も手を出したくない商品。
しかしその時期で見ればナンバーワンの売り上げを誇る単品。
そんな商品は企業規模や店舗規模は関係無い。
関係あるのは担当者の限界を越えようとする意志のみ。
この意志さえあれば大型店に勝る限界点を得ることが出来る。
そして、その限界点が52週毎に入れ替わり立ち替わり出回ってきて、その都度限界点を超えて売り切っていく。
この積み重ねが結局は我々の販売技術なのである。
売れるお店だから販売数量が高い、売れないお店だからこの程度の数量で良い。
これでは販売技術は一生同じままであろう。
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コメント
dadamaさん、コメントありがとうございます。
まさに試行錯誤の連続ですね。
そして定年まで70日。
日数が決まっているというのもまたシビアですね。
投稿: てっちゃん | 2019年6月 7日 (金) 00時22分
今日もパソコンに振り回されズタボロ気分で通勤電車に揺られてます。
本部と店舗の発注の仕組みを全く知らない人間がマニュアル無しで打ち込むのでミス連発。習うより慣れろなんでしょうが今日も2時間掛けて打ち込んだデータが初期設定を間違え徒労に終わり(笑)。定年まであと70日、果たして限界を超えられますかねー(笑)。
投稿: dadama | 2019年6月 6日 (木) 19時11分