運命を受け入れる
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
不慮の事故や不慮の不幸。
皆さんはどう受け止めていますか(笑)。
当然、事前に防ぐべく対策を講じて普段からの行動をとっていはいるだろう。
しかしそれでも事故や不幸は訪れるもの。
特に、普段から真剣にしっかりと対策を講じてきた場合に起こる事故はやりきれない。
その反動で落ち込む事もあろう。
そこからが個人差の大きく分かれるところである。
それを受け入れられずにいつまでも引きづるタイプ。
起きてしまった事も素直に受け入れてしまうタイプ。
どうせなら、後者になりたいものである。
即、頭を切り替えて前を向きたい。
しかし、事前の対応から気を使い徹底してきたつもりの場合はそう単純にはいかない。
それが自分以外の人間に由来する場合は尚更だ。
“あれほど言ったのに!”
そうなると怒りが頂点に達してしまい、なかなか自分の心の整理がつけられずに引きずってしまうもの。
結局は運命に翻弄される過程を踏むことになる。
しかし、起きてしまったことや運命付けられているような現実に直面した時ほど、その運命を受け入れる心の余裕が必要なのだ。
それを引きづると必ず連鎖反応が生じる。
その心の余裕の無さが引き金になって、新たな失敗や事故が生まれる。
これを、「運命に翻弄される」という。
これは何も一回限りの運命をいうのではない。
運命に振り回されるから一回の失敗で済まなくなるのだ。
頭の切り替え、心の切り替え。
言うは易しだが(笑)。
起きことは取り戻せない。
次にどう行動するかだけが、我々の歴史を作っていく。
それはどんな運命でも受け入れると言う心の持ち様である。
本来、我々は運命に翻弄されているのである。
自分の親を選択できない。
自分の国を選択できない。
自分の祖先を選択できない。
その段階から既に運命に左右されているのである。
そして、唯一残されているのは、その運命を受け入れてそこからスタートすることである。
常にどの段階からでもこのスタートが切られるのである。
しかし、そこまで言ってしまうと、「それでは人生何の努力もしなくていい、と言うことか」となってしまうがそうではない。
心の整理の仕方を言っているのである。
人生、全ては最善の努力によって切り開かれるのは自明の理。
しかし、どんな努力に対しても切り開かれない時もあろう。
もしそれが、努力しても報われない結果であったとしても、それは失敗や後退ではなく成功への過程であると信じるところから次が開けてくるのである。
更には大きな失敗や不幸に遭遇したら。
その時こそ、冷静に自分を見失うことなく運命を受け入れる心の整理。
その整理も、努力を惜しまなかった人間ほど素直に受け入れられるものかもしれない。
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コメント
dadamaさん、コメントありがとうございます。
私のブログにdadamaさんが出会って読み始めたのは宿命。
その挙句に夜行バスに乗り込んだのが運命(笑)。
全ては自らの行動が運命を切り開くものだと思っております。
発注ミスを起こしても運命は切り拓けるもの。ものの大小はあるものの、人間は自らの宿命を運命に切り開く行動力を持てるということだけは、40からの人生で学べたことだと思っております。
投稿: てっちゃん | 2017年6月17日 (土) 23時42分
てっちゃん会のある方が言ってみえた事。
宿命は変えれないが運命は変えられる。
宿命は親子の縁のように普遍のもの。運命は自分の心も持ちようで捉え方が変えられるものでしょうか。私とてっちゃんの出会いも宿命でしょうか運命でしょうか(笑)。お互いにお店をより良くしたいと思う志がブログの発信者・受信者の関係で繋がったのであり、運命の巡りあわせには運命を引き寄せる日々の志が大切なのだと思います。悪い事は反省も大切ですが不慮の事故は宿命と割り切りましょう(笑)。15幕名古屋開催も宿命ですね(笑)。
投稿: dadama | 2017年6月17日 (土) 08時56分