父親の存在
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
自分にとっての父親とは?。
亡くなって初めてわかるその意味。
両親とはごく当たり前に自分の目の前にいる存在。
そうでなかった方もいるのだろう。
しかし、私にとっての親とは、いつも寄り添ってくれた存在である。
特に、母親は側にいて当たり前の存在だった。
それでは、父親はどうであったか。
私にとっては怖い存在であった(笑)。
同じ男として、甘えられない存在であった。
母親は、女性でもあり甘えても許しくれる存在であったから、尚更男と女の性の違いをそのように捉えていたのかもしれない。
同じ男として心の裏まで把握されているという怖さ。
私は、父親に対してそのような認識が強かった。
だから嘘をつけなかった。
一度、嘘をついて騙そうとしたが、その嘘を見破られ往復ビンタを食らったことがあった。
“父親には嘘をつけない”
同じ男として、自分の心の裏側まで見透かされるいるという恐怖感はいつまでたっても拭えなかった。
その恐怖感が私を根底から鍛え直してくれたのかもしれない。
“親父だったらどうするだろうか”
いつも、最終決断をする場合に引き合いに出すのが父親でもあった。
“親父ならどう判断してどう決断するだろうか”
それは、親父が亡くなってから急速にその回数が増えたように思う。
それまでは、いくら老いたとはいえ、親父に頼る自分がいたのだろう。
しかし、親父を亡くしてから、家を背負うという覚悟がようやく自分の中に確立されたようだ。
頼る親父はいない。
親父を亡くしたその時に、その覚悟が芽生え、親父を亡くしてから親父と心の会話を交わす機会が増えていった。
“親父なら、どうする?”
仏壇に手を合わせると、そんな会話が繰り返される。
父親の潔さ。
亡くなって初めてわかる親父の存在。
なぜ、生前にその想いを受け入れられなかったのか。
今でもその後悔は消えない。
しかし、それでも私は幸せなのかもしれない。
親父の御姿を思い浮かべられるのだから。
心の会話を交わすことができるのだから。
そして、その存在感から自分の生き方をブレずに遂行する術を背中から教えてくれた親父がいてくれたのだから。
ブレずに生きていくこと。
それは、ブレずに仕事をすることにつながり、ブレずに一家を率いることにもつながり、ブレない人生を子供達に伝えることができるということである。
決して、手取り足取り教えてくれたわけではない。
むしろ、亡くなってから、親父から教えてもらったことかもしれない。
親父の遺影を見ると自らの生き方を問うのである。
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コメント
かわらいさん、コメントありがとうございます。
失って初めてわかる自分の親の偉大さ。
その後悔が自分をして大きく成長させてくれるのかもしれませんね。
投稿: てっちゃん | 2017年6月15日 (木) 23時57分
社会に出て数年、やっと話が出来るようになってきた父親を私も2年前に亡くしました。まだまだ相談したいことはたくさんありましたね。全てを受け入れてくれる大きな器、父親は偉大です。
投稿: かわらい | 2017年6月15日 (木) 21時01分
神出鬼没さん、コメントありがとうございます。
父親との心の対話。
遺影に向かうと何故か不思議と心が洗われました。
嘘をつけない、嘘を見破られる存在。
だから素直になれる。やはり永遠に越えることのできない存在なのだと思います。
投稿: てっちゃん | 2017年5月26日 (金) 23時54分
父親というのは誰にとっても唯一無二の存在である
ということを改めて感じました。
そして自分も分かっちゃいるけど……(笑)
まずは普段の生活から
わかってはいるけれど、
できていないこと、やっていないことを
省みると山ほどでてきて焦る自分。
子供の頃のように毎日、側にはいないけれど、
ココロの中には永遠に存在し続ける父親。
心の対話を通じて多くのことを覚悟を持って
一つ一つ決断していかねばなりませんね。
投稿: 神出鬼没 | 2017年5月26日 (金) 08時39分
dadamaさん、コメントありがとうございます。
亡くして初めてわかる父親の存在。
そして追い続けた背中に最後まで追いつけなかったその偉大さに気づくのも、その背中を亡くしてから。
色々な方のアップを見ていると、一人一人の父親観が一致しているようですね。
投稿: てっちゃん | 2017年5月26日 (金) 06時42分
ご無沙汰致しております。私が不在でも神出鬼没さんをはじめ皆様のフォローがあって嬉しく思いました。この世に生を受けてから当り前だった親父の存在。当り前過ぎて存在価値すらわからない(笑)。旅立って痛感する存在感。幾つになっても父親は父親。あと暫し、弔い酒で父親と極悪しようと思います。
投稿: dadama | 2017年5月25日 (木) 22時39分