理想を追う
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
理想を追う。
高いレベルの仕事をしていくには必死事項。
しかし、理想といっても色々なレベルがある。
売上昨対を上げたい。
いい売場を作りたい。
部下から慕われたい。
上記のような理想は単なる憧れである。
そのために為すべき具体的事項。
具体的事項の理想型が自分の頭にしっかり描かれ、具体化されて鮮明に自分の為し得たい現実の姿として描かれているかどうか。
例えば「売場」
例えば「商品」
例えば「陳列」
このような場面での理想とする姿がしっかりと具体的に自分の頭に鮮明なイメージとして掲げられているかどうかで、日々の仕事の仕上がりが格段に違って来るのである。
日々の売場作りの差。
業績は「人」に付いて回り、その業績は日々の「売場」に明確に現れている。
その「売場」を作るのは現場の担当者であり、その背景には担当者の売場に対しての明確な姿が存在していることに由来する。
業績を作る人間には必ず売場の理想形が具体的に存在している。
“こんな売場を作ろう”
その具体形は過去の体験や他店の販売事例。
だから、いい売場を作る担当者はベテランの場合もあれば経験の少ない場合もある。
経験が少なくてもいい売場が作れる。
先ほどから言っている通り、自分が作る売場の具体的なイメージが担当者にあるかどうかが大きなポイントであるから、経験の多い少ないは関係無いのである。
なぜ経験が少なくてもイメージが豊富なのか。
それは、そのような売場に多く接しているか、他店をMRして自社や自店には無い理想形を構築しているからである。
豊富なイメージが担当者の能力を高める。
逆にいうと、そのようなイメージを高める場をどう提供しているかという見方をしなければならない。
その場を提供するという教育。
それが若年層には大いに有効であると思われる。
売り場を指定して数多くMRさせる。
共にいい売場を見て目線を合わせる。
画像を掲示して常にイメージさせる。
等々、目で見えるイメージを共有することが一番の目線合わせである。
例えば「単品量販」。
色々と定義づけはしたものの、個人にとっての受け取り方は千差万別。
しかし画像で目線を合わせれば一発百中。
同じ商品展開でも、
「これが単品量販の画像だ」
そう言って皆に提示した画像と、そうでない画像を比較すると一目瞭然である。
それは単品の陳列量の問題では無い。
陳列量が多くても、ダンボールから外に出た商品の露出度の問題である。
それも商品の顔がお客様を向いているかどうかで雲泥の差。
それは「写真」という誰でもわかる画像で共有するから一発で理解できるのだ。
それが、定義と称して言葉で説得しても、その文字の理解度で決定的に違って来る。
ただし文書の場合はその背景や目的まで網羅される強みがある。
だから、定義と画像の両面で単品量販を一つの定義づけすることにより、より説得力のある説明と今後の波及が可能となるのである。
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コメント
かわらいさん、コメントありがとうございます。
あるべき売場、あるべきバックヤード、あるべきオペレーションを描き、そこからどうそこへ向かうための道筋を描くか、そして一歩一歩の階段を登るための後押しができるか。全てはあるべき姿が企業として明確かどうかというコトだろうと思うのです。
投稿: てっちゃん | 2017年5月 4日 (木) 06時10分
理想の姿はイメージが描けてもそこへたどり着くための道筋がなかなか描けません。基本をないがしろにしてきた報い?でしょうか。(笑)
投稿: かわらい | 2017年5月 3日 (水) 21時33分
dadamaさん、コメントありがとうございます。
やはり基本と応用は相乗的にレベルを上げていくことが必要でしょうか。
なぜなら、業績とはどこまでいっても基本と応用でお客様の来店動機を刺激するものですから。
基本だけでも応用だけでも頭打ちが来てしまうもの。
商売の原理原則は永遠ですね。
投稿: てっちゃん | 2017年4月25日 (火) 18時38分
自らが学び、創意工夫を凝らす過程で得るものや反省すべき事を修得してきたつもりですし、商売の基本であると思いたいのですが安定的成長を遂げている会社の多くは個のブレを最小限にするマニュアルが存在する。
単品量販ひとつにとっても陳列のルールは明文化されてなく高く積んだもんが勝ち(笑)。人員確保が厳しさを増す中、基本の徹底の明文化によるルール決めは必要なのだろうと感じています。基本の徹底在りきの上に個の裁量が実績として反映されていくのでしょう。標準化・集中化が見直され個の裁量が認められると、基本の徹底等、標準化の重要度が理解出来るようになってくるのも不思議ですね(笑)。
投稿: dadama | 2017年4月24日 (月) 22時09分