年始の思い出
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
年末年始商戦ご苦労様です。
今日は1月2日。
当社の初売りである。
元旦は全店休業。
今時珍しい元旦休業かもしれない(笑)。
しかし、働く従業員の立場から見れば、非常に嬉しい決断である。
31日を精神的に全力で戦える環境。
それは、翌日の元旦が休業であるという前提が如何に大きいか。
それによって、31日を全力で駆け抜けることができるという精神的な開放感が大きい。
これが、他業界の方から見れば、年末年始の営業と正月からの始業。
頭が下がる思いで思ってくださる方もいる。
しかし、我々はこの業界に入った直後から、このような環境で仕事をしそれを当然のこととして生活してきた。
元旦はともかく年末は一年で一番の特別な時間。
それは入社した段階からずっと思ってきたことである。
年末は我々のお祭り。
更に、元旦が休日だという開放感が年末から31日までの期間を駆け抜けられる精神的な拠り所であったということも事実であろう。
だからどんな厳しくてもやり抜くという気持ちが持てる。
そして、その厳しい環境にあっても、最大の売上を誇り、自分の部門がこの期間の花形部門(鮮魚)であるというプライドも一つの拠り所になっていたのかもしれない。
更に、一年で一番長い日(30日)を乗り越え、31日のお祭り騒ぎ。
造っても造っても売場が空いていくお造りコーナーとの戦い。
その後に訪れる過去最高の売上を記録した後の達成感。
色々な意味で、年末商戦とは我々にとっての最高の舞台である。
しかし、それ以前の年末年始の思い出とはどんなものだったのだろうか。
実家が自営業だった私に年末年始の思い出は無い。
実家では常に仕事をしていたように思うのだ。
学生の頃は、大学の先輩が働く東京の魚屋でアルバイトをした思い出が、仕事をする以前の思い出としては強烈に蘇ってくる。
今はあるのかどうかわからないが、東京は錦糸町にあった魚屋「魚寅」でアルバイトをした経験。
大学4年間、欠かさず年末年始にはアルバイトをしていた。
就業しても鮮魚部門に違和感を持たなかったのはそのためだろう。
何せ、年末期間の魚屋は忙しかった。
東京の下町だから当然、年越しの食材の需要は高かった。
マグロ、切り身、えび、かに、おせち、数の子諸々。
28日頃から最大ピークは31日。
早朝から閉店まで仕事をして、賄い食を食べてビルの4階あたりで寝る生活。
そして元旦に天皇杯、2日にラグビー大学選手権を見るのが日課だった。
しかし、年始になると年末の喧騒はどこへやら、こんなに余裕なのかというほどの静けさ。
元旦から4日までの暇な時間を色々と面白おかしく過ごした当時。
当時のディスコにジャージで踊りに行ったりもした(笑)。
1月5日の築地の初セリにはトラックに乗って買い出しに。
そんな思い出がこの業界に入る前の年末年始の記憶に残る思い出か。
その当時から、この業界の年末年始の流れが体に染み付いていたのかもしれない。
それぞれの記憶に残る年末年始の思い出。
もしかすると、その記憶の中に、年末年始に食べた食材の思い出もあろうだろう。
そんな思い出に残る食材を販売したいものである。
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コメント
かわらいさん、コメントありがとうございます。
どの企業も当初は中小の小売業であり、創業者が年末から年始にかけては働く従業員に振る舞っていた名残りが当時は続いていたのでしょうね。
今ではいい思い出ですが(笑)。
投稿: てっちゃん | 2017年1月 5日 (木) 18時01分
安心しました。皆んなやってたんですね。(笑)酒飲んでベロベロになりながらも、売ってましたね!
投稿: かわらい | 2017年1月 4日 (水) 20時51分
dadamaさん、コメントありがとうございます。
思えば、会のメンバーはこぞって入社当時は素直に企業の命、上司の命を愚直に守った結果の現在の姿なのでしょうね(笑)。
年始の初売りは午後からは皆でヘロヘロになりながら働いていたような。
投稿: てっちゃん | 2017年1月 2日 (月) 21時59分
極悪ネタのご披露を(笑)。
入社の頃はお店で振舞酒が許された時代。お客様と酒樽を囲みヘロヘロになり、バックヤードでは店長命令で売場の商品を勝手に持ち出しすき焼きパーティをして飲酒運転で帰宅する正月でしたね。今の姿は真面目に会社勤めをした名残なのです(笑)。
投稿: dadama | 2017年1月 2日 (月) 10時58分