足下
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
足下。
特に、男の足下には注意しなければならない。
「足下を見る」という諺(ことわざ)がある。
自分の身なりで評価される、という意味であろう。
特に、江戸時代の籠屋は相手の草履を見てどのような素性の人間かを見極め値段を相手にふっかけてそうだ。
そこから生まれた諺。
だから、相手と折衝する場合には自分の身なりに気を払えという意味から始まり、常日頃から自分の行動には注意を払え。でなければ誰が見ているかわからないぞ。という意味に拡大されて現代に受け継がれてきたようにも思われる。
「足」が付く諺は多い。
「足」もとを見られる。
「足」が付く。
「足」を洗う。
「足」を引っ張る。
「足」を棒にする。
「足」が地に着かない。
「足」もとに火がつく。
「足」ることを知る。
「足」で稼ぐ。
等々、いろいろな意味で使われる「足」。
「足」を辞書で調べると、文字どおり人間や動物の「足」であり、更には行動する、歩く、走る、足りる、する価値がある、満たす、加える、度を越す、へつらう様、等々。
自分の足からどんどん広がりを見せる見解。
これは、自分の足が自らの行動でどんどん領域を広げていき、いずれ度を越す行動を起こしてしまうという過去の経験が、足という意味を広げてきたのだろうと思う。
私は「足」という言葉を「基本」と置き換えている。
自分の体を支える部分。
そしてそれを行動に置き換える部分。
自分を支えて行動する。
だから、人間は足を大切にしなければならない。
だから、足を守る「靴」も大切にしている。
見る人は必ず人の「足下」を見る。
それは、靴を見ると置き換えても良い。
昔の籠屋がお客の草履を見たのと同じで、パートさんほど上司の足下を見て評価するものだ。
だから若いリーダーほど足下に注意しなければならない。
最近の若者は母親の影響もあってか自分の靴にも注意を払う人が出てきたが、昔は足下などに注意を払うスーパーの担当者などいなかった。
特に独身の担当者ほど。
だから影で「若造」などと思われていたのだろう。
「足」の付く諺には、どこか戒め(いましめ)的なニュアンスが多い。
それだけ、自分を支える部分ではありながら人間はそこに目がいかないのだろう。
しかし、他人からはしっかり見られているのも「足」。
自分の足はどうなっているのだろうか。
そして、他人からはどのように見られているのだろうか。
もういちど見直してみたいものである。
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コメント
かわらいさん、コメントありがとうございます。
お互い、気をつけましょう(笑)。
投稿: てっちゃん | 2016年9月21日 (水) 08時07分
気をつけます。(笑)
投稿: かわらい | 2016年9月20日 (火) 21時03分
dadamaさん、コメントありがとうございます。
私も独身の頃は気にもとめていませんでしたね(笑)。
しかし女房に言われて初めて気が付きました。それから毎日靴を磨く習慣がつきましたね。
それでも内面の人間性は靴磨きほど簡単ではありませんが(笑)。
投稿: てっちゃん | 2016年9月17日 (土) 23時51分
気には留めてませんでしたが確かにに足元を見て人柄を推測する事はありますね。男以上に女性は感性が強いですからしっかり見られてる=無精男と見られている気がしてきました(笑)。
投稿: dadama | 2016年9月17日 (土) 18時22分