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2014年10月31日 (金)

実家

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


実家。

  自分の生まれ育った家。

そこには、自分のルーツが存在し、骨組みとなった文化があり、いつでも帰れる暖かさがある。

  結城先生風に言えば、「本籍地」と「現住所」。

その本籍地が、実家という響きであろう。

先日、嫁いだ娘がうちに遊びに来て、旦那に電話をかけた時の会話を耳にして、「ドキッ」とした。

  「私、実家に来ているの。」

実家?。

  “そうか、彼女にとってここは実家か”

家を建ててたかだか10年とちょっと。

  いつのまにか実家という存在になってしまった。

そう思った途端に、自分の存在にものすごく不安を覚えた。

  “彼女にとって俺は実家にふさわしい存在なのか?”

実家というイメージ。

  自分にとって自身のルーツであり母体である。

その中心になるのが、父であり母の存在。

そんなイメージの実家という存在の中で、自分は子供たちに安心して戻れる存在であるのか?。

  もっと大きな存在にならなければならないのではないか。

そう思うと、急に不安になってしまった。
まだまだ、自分自信が子供の存在であること。
そして、心が狭く、自己中心的な存在であること。
もっと大きな懐を持って、全てを包んでやれるおおらかさを持つこと。
そして、いつでも笑顔で子供達を迎えてやれること。

  実家にふさわしい存在になっているのか?。

そんな不安を、娘の実家という言葉から想った。

いつの間にか、自分にとっての現住所が、子供たちにとっては本籍地としての存在になっている。

  それにしては、自分は本籍地たる資格があるのか(笑)。

そして、逆にそんな意識が人を変えていくのだろう。

  仕事面ではどうなのだろうか?。

店長という存在。

  俺は店長として部下の父親たる存在であるのか?。

厳しくても、最後は守ってくれる。
いつでも、悩んだら帰ってこれる存在。
そして、いつかはこうなりたいという憧れ。

  そんな存在に成り得ているのだろうか。

娘の「実家」という言葉から湧き出てきた自分への叱咤であった。





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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

かわらいさん、コメントありがとうございます。
これはもう自分で経験していくしかない。子供が自分から巣立っていくに従って自分や夫婦の存在が変遷していくのだろうと思います。

投稿: てっちゃん | 2014年11月 2日 (日) 07時00分

今日のブログを見、又皆様のコメントを見て私はまだまだガキンチョ、と確信しました。(笑)『親』の自覚はいつ、何をきっかけに生まれるのでしょうね。

投稿: かわらい | 2014年11月 1日 (土) 21時06分

dadamaさん、コメントありがとうございます。
仕事で何を残せるか?。
同感ですね(笑)。
仕事に関しては、どう思われようが、自分の後輩に伝えていきたい、そんなスピード感が最近とみに出てきましたね。
不思議なものです。

投稿: てっちゃん | 2014年11月 1日 (土) 00時00分

かおるさん、コメントありがとうございます。
人は自立して初めて、「実家」を意識するものだと思います。
自立した存在から見たときの父親としての自分の存在はどう映っているのか、または映っていたのか。そう思うと、反省しきりですね(笑)。

投稿: てっちゃん | 2014年10月31日 (金) 23時58分

私はまだ自分が実家に足を伸ばせる立場ですし、娘もまだ学生なので実感がないですけれど仕事に対しては自分がいつ成仏(笑)しても良い心準備が必要な時期が来たのかも知れませんね。後輩に何が残せるのかを(⌒-⌒; )

投稿: dadama | 2014年10月31日 (金) 21時03分

かおるです。
いゃあ。会のメンバー、ブログの読者の皆さんにとって、てっちゃんさんは頼りになるオヤジでありアニキであると思いますよ。(実年齢は別)
でも、確かに実家という存在を気にする齢にはなりましたね。
私にも建て替えたきりローンだけ払いながら通算で1ヶ月も住んでいない実家があります。今は守ってくれている母に感謝です。

投稿: かおる | 2014年10月31日 (金) 16時44分

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