川内の真骨頂
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
12月1日の日曜日。販売面では月はじめの市で忙しかったが、昼飯を食う余裕はあった。
テレビでは、福岡国際マラソンが放映されていた。
今まで、いろいろな名場面を創出してきた福岡国際マラソン。
1979年の福岡国際マラソン。
翌年のモスクワ五輪代表の選考レースだったこの大会は、瀬古利彦選手(当時・早稲田大学)・宗茂選手(旭化成)・宗猛選手(旭化成)の三人による、最後まで誰が勝つか分からないデッドヒート。
競技場トラック勝負の末、瀬古選手がラストスパートを仕掛けて2時間10分35秒で優勝。今でも語り継がれる名勝負。
更には、1987年の福岡国際マラソン。
翌年のソウルオリンピックの代表選考会でもあったが、何とか瀬古利彦に代表入りしてソウルを勝ってほしいと願う世論から、従来の福岡一発選考を変更し、怪我で欠場の瀬古を擁護させたため、この年の福岡は一発選考ではなくなった。
その年に優勝した中山竹通が発した言葉、「自分なら這ってでも出ますけどね」。
かって、マラソンが日本の男子のお家芸の時代は、福岡国際マラソンは世界の舞台だった。
そんな印象の深い福岡国際マラソン。
テレビには、市民ランナーで有名な川内優輝がトップ争いをしていた。
“このマラソンは何だ?”
福岡国際マラソン?。
“川内がトップ?”
20k後半という。
“福岡でトップ争いは凄いね!”
そんなこんなで飯食いながら見ていたら、後続に追いつかれ先頭集団に混じってしまった。
更に困った事には、その苦しそうな顔。
かっての君原健二のようなもがき苦しむ表情である。
しかし、その表情でも落ちない。
むしろ3番手争いの先頭に立ってる。
そこで休憩時間を経過したため仕事に戻ったが、帰宅後のニュースで日本人トップの3位という結果だったようだ。
“なんだかんだと言っても、あの表情から良く踏ん張ったものだ”
最終的には、フルマラソンは個人競技である。
日本人の得意とするタスキを繋ぐ駅伝ではない。
あくまでも個人の強さを競う競技。
そして、川内は市民ランナーという名目で公務員をフルタイムでこなしながらの代表選考入りを目指す異色の存在。
かっての中山竹通を彷彿とさせる我の強さを感じる。
今回が彼にとっては後の無いレースだったらしい。
そして、未だに諦めていなかったオリンピックへの道。
市民ランナーに徹して、その精神力を代表選考で発揮してほしいものだ。
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コメント
dadamaさん、コメントありがとうございます。
お昼はしっかり店長業を語らせていただきました(笑)。
投稿: てっちゃん | 2013年12月 9日 (月) 07時26分
土曜日に日曜日の話題を振ってきましたね。昨夜はコメントする気力もなくサボらせて頂きました(笑)。しかし・・・芸能ネタ・スポーツネタと幅広いレパートリーに脱帽です。今日のお昼の目出度い席も豊富な話題で和んだのては?
投稿: dadama | 2013年12月 8日 (日) 23時14分
かわらいさん、コメントありがとうございます。
川内選手。
可能性を感じるアスリートですね。
期待したいです。
投稿: てっちゃん | 2013年12月 8日 (日) 22時03分
川内選手、なんとかオリンピックに出場して欲しいですね。今までの日本人選手にはいなかったタイプの精神力の持ち主だと思います。実業団のエリートにコーチもいない市民ランナーが勝ってしまうストーリーは庶民にはたまらないです。(笑)
投稿: かわらい | 2013年12月 8日 (日) 20時56分