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2013年8月13日 (火)

「勝ち負け」と「貸し借り」

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


我々は勝った負けたで、一喜一憂する。

 勝つとは?、負けるとは?。

もちろん、明白な勝ちの定義、負けの定義があるスポーツのようなものであれば、明確に勝ったもの、負けたものの白黒がはっきり出るから分かりやすい。

しかし、この世の中を見てみれば、勝ち負けが白黒はっきり分かるものとは意外に少ない。

 例えば、競合店との戦い。

何を以て、勝ったと言うのか、負けたというのか?。

 例えば、他人との喧嘩。

どんな状態になれば、勝ったのか負けたのか?。

 例えば、同僚との出世競争。

いつの段階で、その結果を測るのか?。

この世の中に存在する勝ち負けとは、非常に曖昧で、その結果を明確に示してくれる指標が客観化されている訳ではないので、個人の捉え方でその結果は千差万別である。

 更に、

どの段階で、「勝ち」とするか「負け」とするか?。
この時間軸しだいでは、「勝ち」が「負け」に変化したり、「負け」が「勝ち」だったりする。

 「負けるが、勝ち」

とは、そう言う事なのだろう。

特に、相手との喧嘩や、競合とのやり取りなどはこの部類に入るのではないか。
そう考えると、「勝ち負け」とは、ある一時の段階での個人的な評価であり、その結果は非常に危うい状況を生み出す要因でもある。

 人は、勝つ事によって、慢心が宿る。
 逆に負ける事によって、必至になる。

 勝った挙げ句に、衰退していく。
 負けた事で、地盤固めができた。

そう考えると、勝ったからといって喜んではいられない。
逆に、負ける事によって卑屈になってもいけない。

 勝ちとは、相手に借りを作る事である。
 負けとは、相手に貸しを作る事である。

そう捉える事ができる。

相手に負けてやって、貸しをどんどん作っておけば、いざという時に貸しておいた「勝ち」を得る事が出来る。

逆に、勝ち続ければ、借りが累積化しいずれ大きな負けを招く結果となる。

 自分の結末をどう捉えて、今をどう勝つか、負けるか。

この事を考える事も、また楽しからずや、である。











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コメント

かわらいさん、コメントありがとうございます。
個人の勝ち負けという捉え方から、組織としての勝ち負けに拘るのが店長の捉え方でしょうか。
個人では負けても、自らがリーダーを務める組織では絶対に負けないという気概。
これが我々には必要なのだと思います。

投稿: てっちゃん | 2013年8月14日 (水) 08時31分

dadamaさん、コメントありがとうございます。
私もかってはあらゆる場で、その瞬間の勝ちに拘るタイプでした。
しかしそのことで、結果的に遠回りをしている事に気づいた時に、世界観が変わりました。
しかし、これはその瞬間瞬間に応じて商売をするというスピードが求められる場面には活かされないと思いますが(笑)。

投稿: てっちゃん | 2013年8月14日 (水) 08時28分

私は個人個人の勝ち負けというものが非常に苦手でした。
今もそうかな?
最近では勝っても負けても気にせずというスタンスがとれているのかな~と思います。
勝ち負けって相手ありきですもんね。

投稿: かわらい | 2013年8月13日 (火) 22時16分

私にはまだまだ精進が足りない部分ですね。尤もこれを悟ったら「暴走」も止まってしまうかも(笑)。まだ「負ける」事に対しては単純に悔しいですし嫌いですね。他人から見れば負け戦も始終やっていると思いますが・・・負けを認めたら終わりという気持ちがどうしても拭い去れなくて。暫くは自らの負けを恐れる暴走が止まりそうもありません。自分の干支が猪であることも災いしているのかな(笑)。

投稿: dadama | 2013年8月13日 (火) 22時00分

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