十三回忌
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
早いもので、親父が亡くなって13回忌。
更に、おふくろがなくなって3回忌。
先日、その供養の為に故郷に帰った。
刻々と変わっていく故郷の姿。
当時とは雲泥の差で変化している故郷である。
更に、おふくろの3回忌から比べても、どんどんその景色は変わり続け、当時の家々は整理され大きな道路と車が行き交う地域となってしまった。
両親が他界するという事は、何にも頼らずに生きていかなければならないという事であるが、その諸々の事情の変化によって、人間は必然的に強くなっていくものだ。
特に、心の強さの秘密がここに隠されていると感じる。
40歳前後で親父を無くしたときは、どうなることかと思った。
今後の事。
家業の事。
遺産の事。
母親の事。
すべては、親父がやってくれるものとばかり思っていたからだ。
しかし、親が亡くなるということは、本当に突然にやってくるものだ。
そして、その瞬間から、家のすべての事が自分の肩に降り掛かってくる。
それは、親父が生前の時は絶対に想像などしていなかったのだが、現実に目の前に現れてからの環境は劇的に変わってしまうものだ。
“ほかの誰でもない、家の長としての自覚”
その自覚は、家長という立場にならなければ自覚出来ない。
その事を、死をもって教えてくれた親父である。
思えば、その時を境として、私の人生観が変わったと言って良い。
控えめ(?)で、何事も自分から行動を起こすタイプでは無かった自分が、誰にも頼らず前を歩く人生観を持つようになったのはこの時からだ。
“本当かよ?、嘘ついてねぇ〜か?”
そう思っていらっしゃる輩(やから)も多いとは思いますが、これは事実です(笑)ので、認識を変えてください(笑)。
おふくろが亡くなった時は、もう完全に「自分一人」を実感した。
そして、肉親となる自分の家族との絆が、更に強まったのもこの時かも知れない。
無くして初めてその存在を知ることになる「両親」の存在。
なぜ、親の生前に、その事に気がつかないのか。
それが、親子の関係なのかもしれない。
しかし、もっと早くその事に気づいていたなら。
自分の人生は、もっと変わっていたかもしれない。
いや、間違いなく、変わっていただろう。
十三回忌と三回忌。
いずれも、生前がつい昨日のことのようだ。
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コメント
dadamaさん、コメントありがとうございます。
dadama流ストレス発散。
この技術?もぜひ後進に伝えてください(笑)。
投稿: てっちゃん | 2012年9月21日 (金) 07時24分
幸いにも、私の両親は大きな病気もなく健在です。しかし、何れは「その時」が来るのは必然的な事・・・両親、特に父は死の捉え方に前向きで、葬儀の形や墓(生前戒名もあります)まで準備しております。
父として子には死んでも迷惑は掛けない信念がそうさせているのでしょう。
自己犠牲=相手を尊重する。先日のブログとも重複しますが、失ってはいけない日本人の美徳であると思います。
PS 昨夜は同僚と夜通しで「鬱憤晴らし」をして参りました(笑)
投稿: dadama | 2012年9月20日 (木) 20時11分