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2012年7月26日 (木)

戦前の教育

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、ある本を読んでいたら、感慨深い内容に出会った。

 戦前の陸軍幼年学校での教育。

軍隊の教育というとスパルタ式で、体罰を一つの制裁として一方的な圧力で押さえつける教育のように捉えてしまう。

 私もそのような先入観を持っていた。

しかし、その一方では、山本五十六司令官の
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやねば、人は動かじ。」
の言葉に代表されるように、人間の本質を突いた格言もまた多い。

特に、武士道を重んじる日本の風土に合った格言や教育内容、更に教育者としての姿勢に心打たれる事も多い。

 日本人には、日本人が心打つ教育。

この事が、本質なのだと考える。

 その人の心が変わって、行動が変わる事。

そのことが教育の原点であるならば、戦前の教育の中に多くの原理原則が隠されているのではないかとも思うのだ。

 そして、今回出合った内容。

戦前の陸軍幼年学校。

 陸軍士官学校の予備教育を行う学校だった。

一年生の教育の一環として毎年富士山麓を行進する訓練があった。
その装備は重装備で重く、更に水筒も担いでいた。
生徒達は、いつでもその水筒から水が飲めるものだと思っていたが、教官はなかなか飲水を許してくれない。

生徒達は、もう喉がからからで、呑み込む唾も無い程になってしまった。

そんな状態でようやく目的地に到着。
教官は生徒達に、水筒の蓋に一杯の水を注がせて飲ませた。
水筒の蓋であるから、ほんのわずかの水分である。
それでも、生徒達は喉の乾きを気やすことが出来、背筋がまっすぐに伸びるほどの刺激を得たという。

そして、教官が言った。

「お前達は、この水筒いっぱいの水を飲みたかったろう。しかし、私はこの水を飲む事を禁じた。いずれお前達は多くの部下を持つ事となる。戦闘中は部下達は水筒の水をほとんど飲み干し、空の状態になっている事が多い。そんな時、一撃を食らい末期の水を欲しがれば、指揮官が水を与えてやらねばならない。だから指揮官はいくら飲みたくても、部下の為に必ず水筒の水を残しておかなければならないんだ。今日はその為の訓練をした。」

 これが、戦前の教育だ。

慈愛の心。

いざという時、部下がついてくるか。

 金の問題では無い。

自分の命をささげられる人間についていくのだ。
スパルタ教育が盛んな戦時中に、実はこのような教育が行われていた事は知らなかった。






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コメント

dadamaさん、コメントありがとうございます。
武士道。大和魂。
日本人の中に通っていた一本の筋が失われたのは、上記精神の否定と道徳教育の軽視から始まったのだと思います。
全てが肯定出来るわけではないでしょうが、日本固有の強みが消えてしまった事は事実だと思います。

投稿: てっちゃん | 2012年7月27日 (金) 07時24分

大和魂・武士道・・・日本人特有の人生観。それらは自己犠牲の美徳から来ていると思います。(三島由紀夫の受け売りですが)。三島由紀夫のように極右的発想は如何なものかと思いますが、厳しさの中には相手を思いやり、そして最後には自分が犠牲になっても相手を助けるDNAが日本人には受け継がれているのでしょう。新渡戸稲造の「武士道」も読み応えがありました。
忘れがちな精神も昨年の大震災で大和魂のDNAが目覚めたのではないでしょうか。厳しさを知っててこそ思いやりの大切さが分かるのでしょう。
さて、いよいよ明日は鰻決戦!!てっちゃんは他店応援には行かないのですか?

投稿: dadama | 2012年7月26日 (木) 22時39分

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