ミュンヘンの奇跡
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
かっての、男子バレーボール監督の松平康隆さんが亡くなられた。
松平監督 = ミュンヘンでの金メダル。
当時は、女子バレーは世界一流の称号を得ていたが、男子はメキシコでも銀に甘んじ、いよいよミュンヘンに金を取りに行った大会だった。
どうして、当時小学校の私が、記憶しているのか?。
マンガである。
東京で銅、メキシコで銀、そしていよいよミュンヘンで金、という道筋をアニメにした、「ミュンヘンへの道」というアニメ漫画が放映されていた為だ。
松平監督監修によって手掛けられたマンガであり、当時の主力選手個人個人を取り上げ、毎回その選手の逸話を放映していた為、レギュラーひとりひとりの個性が我々一般人にも鮮やかに伝わってきていたのである。
だから、いやが上にも、ミュンヘンは盛り上がった。
そして、マンガの通りに、金メダルを獲得してしまうのだから、私にとってのミュンヘンオリンピックの男子バレーは、絶対的な存在だったのだ。
そして、ミュンヘンの奇跡。
順調に勝ち進んだ男子バレー。
しかし、オリンピックにも魔物は棲んでいるもの。
それが、準決勝でのブルガリア戦。
今までの勢いが全く無くなり、戦前の予想では楽勝と思われていたブルガリアに、大苦戦を強いられたのである。
なんと、2セットを先取され、後が無くなってしまった。
なぜ、ここで大苦戦に陥ったのかは、記憶に無いのだが、概ね、優勝の文字が見えてきた場面での緊張感からだったのかと思う。
しかし、ここから松平監督の手腕が発揮される。
最年長のベテラン、「南選手」の投入。
メキシコでの主力選手だった。
しかし、この時のキラ星のごとく存在したレギュラー陣に押されてレギュラーの座を追われていたのだが、松平監督は、ここぞとばかりに、南選手を投入した。
あの時の南選手の一挙手一投足は今でも覚えている。
コートに飛びだすなり、派手なアクションでコートを我が物顔のようにして走り回ったのである。
その場の空気を、全て自分に注がせるように。
この会場の空気を、俺が握ってやる!。
そんな、ノリだった。
それは、遠く日本で見ていた私にも、明らかに届いていたのである。
そして、なぜか、その後の試合の空気まで変えてしまった。
たまたま決まった自身のアタックにも、派手喜ぶ姿。
そして、極め付きは、相手選手のアタックに自らブロッグに飛んだ時だった。
アタックされたボールは、コートの外に出てアウトだったのだが、南選手は、自らのワンタッチを認めて、右手を高々と上げて主審に自己申告したのであった。
これに、ミュンヘン市民は大歓声だ。
さすが、ジャパニーズスピリッツ。見直したぞ、南!。
そんな大歓声が、場内を覆ったのだと思う。
益々会場の空気まで味方につけた日本の逆襲はそこから始まった。
そして、フルセットに漕ぎつけ、最後は逆転勝利。
決勝の東ドイツ戦は、その余波で楽勝だった。
私たちの年代以上の方々は、決勝以上に感動を覚えたブルガリア戦を記憶している方が多いと思う。
そして、子供の記憶でも、日本人の潔さと心意気が伝わった一戦であり、私の生き方にも影響を与えたであろうオリンピックの記憶でもある。
その道筋を敷いた、松平監督。
私の心に永遠に残る方である。
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