強みを磨くとは
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
「強み」と「弱み」。
以前からこのブログでも再三取り上げてきた言葉。
自らの強みを知り、磨きをかけ、自らの存在価値を高めていく。
その事に共感を覚え、自らに取り入れ、強みを意識して磨き込んでいくと、ある壁にぶつかる。
他者からの批判。
自らの強みを強化していくと言う事は、裏を返せば弱みには目を向けないと言うことでもある。
弱みには目を向けない。
そう言いきると誤解を生むが、そう言いきらないと、結局はどっちつかずの中途半端な結果になってしまう事は明白だ。
そんな意識をしなくても、自らの弱みを目立たせないように隠しながら強みを磨いていく事を得意とする人もいるだろうが、概ねの人は、強みに目を向ければ向けるほど、弱みが露呈してしまうものだ。
そうすると必ず噴出する批判が出てくるもの。
「あいつには、こんな弱みがある。」
その批判に耐えられなければ、集中して「強み」を磨きこむ事は出来ない。
批判を恐れて、自らの行動を抑制し制御していけば、結局はどっちつかずの中途半端な存在から脱する事は出来ないのだ。
批判を恐れないと言う「覚悟」
その覚悟を持たない限り、結局は、自らの強みを本気で磨いてはいけないのだと思う。
そうでなければ、批判に耐えかねて自らの弱みを隠すという選択をし、無難な道を進み、結局は強みが発揮されず中途半端な存在として見過ごされてしまう存在になっていくのではないか。
そのような発想は、全て反応的な行動となる。
反応的とは、受身の行動の事。
受身とは、相手の行動に自らを変えていく事。
これでは、自らの進化は無い。
“変化出来る事が、強みでは無いのか?”
それは違う。
未来を予測し、その手前で未来に沿って変化出来なければ、常に後手後手に回ってしまい、結局は一手の差で負けることになるのである。
この一手が、永遠の差なのだ。
その為には、自らの強みを磨くという意識の集中と覚悟を擁し、結果として自らの存在を強めていけるのではないか。
大局的に見て、小指ほどの違いの批判など気にせず、どちらが重要なのかを選択できる目と意志が無ければ、強みを磨く事は出来ないのだ。
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コメント
KOZOさん、コメントありがとうございます。
どうしても「着眼大局」で見えたと思った事が、身の回りを見渡すと見えなくなってしまう。
その瞬間的な拡大縮小がぶれずに見えるような感度を身に付けたいですね。
投稿: てっちゃん | 2012年1月23日 (月) 22時13分
てつろうさん、コメントありがとうございます。
脇の甘さが人間味になり、親しみやすさになり、絆に通じる。
完璧で強みだらけで近寄りがたい存在を意識的に避けて、自分の弱みを堂々と隠さず生きられたら、理想の生き方ですね。
投稿: てっちゃん | 2012年1月23日 (月) 21時52分
先日この言葉に出会いました
着眼大局、着手小局
投稿: KOZO | 2012年1月23日 (月) 21時50分
完璧な人間よりもすこし脇の甘いほうが人間味があっていいと思うのですが…。欲張らない欲張らない。
投稿: てつろう | 2012年1月23日 (月) 17時26分