マイライフ・マイソングから
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
先日、BSプレミアムで「マイライフ・マイソング」という番組に、「坂本冬美」が登場した。
私は、即、予約を入れ録画した。
坂本冬美のデビュー前から現在に至るまでの半生記のような番組だった。
今しか知らない私にとっては、坂本冬美がどんな経緯で現在に至っているのかが見え、更にプロフェッショナルとしての坂本冬美の生き様が見えた番組として、見応えがあった。
番組では、彼女のプロフェッショナルぶりを至る所で紹介している。
サインを書きながら発声練習をしている姿。
いまだに、二葉百合子に浪曲の指南を受けている。
新たに習字を習い、その精神集中を歌に活かしている。
等々である。
しかし、冒頭からデビュー前の高校生時代の映像も映っていたが、デビュー前から歌は上手かった。
作曲家の猪俣公章が唸るほどの、「艶」のある声は素人離れしていた。
その猪俣公章を師として弟子入りするが、なかなか歌のレッスンをさせてもらえなかった逸話が紹介された。
“歌手として弟子入りしたのに、レッスンしてもらえない”
それも、プロとしての教育なのだろう。
「歌は、いつでも出来る。上手い子は教えなくても上手い。」
恩師はそう言っていたらしいが、歌のレッスン以前に、社会人としてのルールやマナーを教育し、歌手以前にひとりの社会人として、正しく生きる生き方を学ばせたかったのだろうと思う。
そして、本来目指した「しっとりした歌を歌う演歌歌手」とは程遠い、「あばれ太鼓」という男歌を与えられる。
「この歌は、流行りませんよ。」と言う坂本に対して、猪俣公章は、「新人歌手がそんな事を言うのは、100年早い!。」と叱られたという話は、以前にも聞いた事がある。
「石川さゆり」に憧れて演歌歌手をめざしたという坂本冬美からすれば、予想外の持ち歌でのデビューだったのだろう。
しかし、いろいろな紆余曲折を経て、彼女は素晴らしい歌に巡り逢えて来た。
恩師の猪俣公章が亡くなり、「夜桜お七」に巡り合い、HISの忌野清志郎が亡くなり、「また君に恋してる」に巡り合う。
恩師の師、父の師、そして声の不調からの一年の休養生活。
その挫折を乗り越えた時、一回りも二回りも幅のある歌唱力を携えて復活してきた坂本冬美。
それが、彼女の歌唱力に「凄味」を与えたのである。
こんな事を言うと、美空ひばりファンには叱られそうだが、そんな領域に近づいているのではないかと思うのだ。
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