スジを通した生き方
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
先日、NHKの「ヒストリア」の録画を見ていたら、面白い人物を取り上げていた。
「中村 三郎助」
ペルーの黒船艦隊が浦賀に来航した際に、藩の代表として交渉に臨んだ役人
らしい。
実は、私は初めて聞く名前だった。
先祖代々、浦賀奉行所の与力として中間管理職を歴任してきた家柄の出身。
ペルー艦隊が来航した際に、たまたま役割として交渉役になっていた彼は、黒
船に乗り込む為に、「副奉行」と偽って乗り込み、交渉にあたったらしい。
更には、後日に再度黒船に乗り込む機会を得た彼は、ここぞとばかりに、黒船
に関する詳細な技術を、アメリカ人相手に根掘り葉掘り聞き出そうと行動する。
この行動に、アメリカ人の彼に対する印象は、「図々しい役人」
奉行所の役人ということは軍人でもあり、軍艦にもある程度詳しかったこともあ
るだろうが、このチャンスをモノにしようという意欲は並々ならぬ度胸の持ち主だ
ったようだ。
同様に、彼の仕事ぶりは、地域の住民達を非常に大切にしていたようで、地域
の人たちには信頼を得ていたようだ。
真面目で誠実、そしてブレ無い仕事ぶり。
そんな彼が、歴史的偶然なペルー来航の最前線に立ち会う事に恵まれる。
そして持ち前の好奇心と行動力が、彼の出世の波に乗せる。
そんな環境の中で、明治維新を推進していく若者達との交流も深めていく。
桂小五郎
後の「木戸孝允」。
更には、榎本武揚などとも交流を得た。
長崎の「海軍伝習所」に学ぶ機会を得た彼は、後の明治維新に関わる大物達
と接する機会も得たようだ。
しかし、勝海舟との確執から軍艦操練所を辞職し、再び浦賀奉行所の与力に
戻る。
その後、役人として勝海舟は西郷隆盛との会談によって、江戸城を無血開城に
導くという政治的手腕を発揮するが、中村三郎助はあくまでも役人としての「スジ」
を通した生き方を貫くのである。
彼は、戊辰戦争では役人として最後まで幕府軍として戦い、最終的には函館ま
で赴き、壮絶な戦死を遂げるのである。
役人ではあるが、その後も明治政府の下で要職に就いた人物も多い中、なぜ
中村三郎助は江戸幕府に忠誠を誓い、息子2人と共に筋を通して殉職したのか。
彼とて能力を買われた男。
なぜ、その後の人生を新しい政府に賭けなかったのか?。
その後の番組の最後には、函館に「中村町」という町名があったり、中村三郎助
の命日には、浦賀や函館で今なお供養が営まれているという。
「スジ」を通すと言う事は、こういう事なのか?。
「スジ」を通すと言う事の、表と裏。
表とは、その事により、より深い関係が築かれること。
裏とは、その事により、以前の関係が崩れてしまうこと。
勝海舟と中村三郎助。
勝海舟は、日本国に「スジ」を通し、
中村三郎助は、あくまでも江戸幕府に「スジ」を通した。
しかし、中村三郎助のスジの通し方は、その事により彼を敬う一般庶民の多くを
味方に付け、いつまでも心に残る人物として、いまだに地域の人々に語り継がれ
ているのだ。
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