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2011年6月24日 (金)

30年前の「NHKスペシャル」

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先週の日曜日だろうか?。

 店の休憩室でテレビを見ていたら、なにやら非常に懐かしい映像が映し出され
 ていた。

  「新日鉄釜石ラグビー部」を取り上げたドキュメント番組だった。

 このドキュメント番組は、記憶にあった。

  当時全盛期を誇っていた社会人ラグビー部、新日鉄釜石。
  プレイングマネージャーとして新監督に就いた「森 重隆」監督を中心に取り上
  げた番組である。

   「ノーサイドの笛は鳴った!」。

 この映像を見ていて、私は学生時代を思い出していた。

 当時、ボート部に身を置いていた私は、ビフォーバブルボーイズの典型として
 ストイックな男のスポーツが大好きで、特にラグビーが大好きだった(見るのが)。

 学生時代の4年間は、年末年始にはなぜか東京の魚屋さんでアルバイトをして
 いて、元旦から4日までの魚屋さんの年始休暇には、必ず天皇杯サッカーの決
 勝と、ラグビーの大学選手権の準決勝の2試合を見に行ったものだ。
 当時の大学選手権は、1月2日に準決勝、1月4日に決勝をやっていたのだ。

  だから、元旦から4日まで、ほとんど国立競技場に入り浸っていた状態だった。

 サッカーも、今のようにJリーグなどもなく、唯一のメジャーな大会が天皇杯であ
 り元旦が最大の檜舞台だったように思う。

 しかし、当時の社会人サッカーもあまり技術的に派手では無く、点の取り合い
 というよりは守りの戦いで、1点取れば勝てるような内容であったため、見ていて
 もあまり面白くは無かった。

  逆に、ラグビーには、華があった。

 フォワードの地味な力と力のぶつかり合いから、スクラムハーフに出たラグビー
 ボールが、スタンドオフのトリッキーな動きから急激に展開が広がり、快速の
 ウィング陣が華麗にバックスをかわし、最後の切り札のフルバックが最後の
 一人を振り切り、タッチラインぎりぎりにトライする。

  一度、我々ボート部の面々と、大学のラグビー部の面々が、ほんのお遊びで
  ラグビーをしたことがあったが、それでもその走り方や相手へのフェイントの
  掛け方などステージの違いを見せつけられた事があった。

 その数倍のレベルの違いの戦いが、目の前で繰り広げられているのだと思うと、
 それを目にしているだけで体が熱くなってきたものだ。

 そして、その最高峰が社会人ラグビーであり、そこで7年連続日本一を達成した
 新日鉄釜石ラグビー部を取り上げたNHKスペシャルだったのだから、どこかで
 この番組を目にしていても不思議では無かったのだ。

 当時の新日鉄ラグビー部の特徴は、無名選手の軍団が鍛えられて日本一の
 チームに成長していく組織力にあった。

  一部のエース(松尾雄治、森重隆等)は存在したものの、それ以外のレギュラ
  陣はほとんど無名選手に近かった。

  練習環境も、当時のVTRを見てもあまり良い環境とは言えなかったのではない
  か。

  そんな中での連覇。
  なぜか?。

 そんな特集だったと思う。
 休憩中に目にした番組だったが、やけに懐かしく、忘れていたものを思い出させ
 てもらった。

 我々の環境も、決してスター選手などいない。
 地道に地道に、コツコツと日々の基本的なルーティンを実施しながら実力を蓄え
 ていくしかない。

  その後に、ようやく思い切った仕掛けが出来るのであり、それは基本の積み重
  ねの延長線だと言う事だ。




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コメント

KOZOさん、コメントありがとうございます。
秩父宮は学生学生ラグビーのメッカですね。
しかし、KOZOさんとは20代では同じ道を歩んでいたんですね。たぶん性格も似ていたのだと思います。

投稿: てっちゃん | 2011年6月25日 (土) 07時05分

つくづくてっちゃんとは趣味がかぶっていますね。わたしも、ラグビーは観るのが好きで、良く秩父宮に足を運んでいました。リーグ戦グループの母校が交流戦で対抗戦グループとの試合となると熱くなっていたのを思い出します。(懐)

投稿: KOZO | 2011年6月24日 (金) 20時56分

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