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2011年3月 4日 (金)

剣豪「宮本武蔵」に学ぶ

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
宮本武蔵。
 戦国末期、江戸初期の剣豪。
 むしろ、読者の方で詳しい人がいるかも知れない。
 ブルーレイを新規購入し、新しい機種の操作方法も習得しなければならず、
 最近、いろいろと予約方法を研究?しながらいじっているのだが、そんな中、
 NHKの「ヒストリア」なる番組に巡り合った。
 先日は、「万葉集」に関してやっていた。
 当時は「文字」が無く、日本人は皇室から庶民に至るまで、言葉を駆使して
 「歌」を読み、その「歌」の心を以って、ひとに自分の複雑な感情を伝えようと
 していたらしい。
 更にその後の「ヒストリア」で取り上げていたのが「宮本武蔵」。
  佐々木小次郎との、巌流島での決闘が超有名だが、その実態はどんな人
  物だったのか、更に、どんな生き方をして「五輪の書」を著したのか。ちょっ
  と興味に駆られて、予約録画をしておいた。
 その録画を見て、意外にも宮本武蔵から学ぶべきことが多い事に気付いた。
  
  佐々木小次郎との決闘で有名な巌流島での決選の折には、約120センチ
  の長尺の刀を使いこなす佐々木小次郎に対し、宮本武蔵は更に5センチ長
  木刀で対抗した。
  この事からも理解される通り、宮本武蔵は自分の得意とする絶対的な「型」
  を持っていなかった。だから、臨機応変に相手に対して対応できたのだろう。
  常に命がけで、相手の実力や型、攻め方を考慮して、変化していく。
  まさに、ダーウィンの進化論の如く、「変化に対応していく」ものだけが生き
  るという定義通りの生き方をしていたのだ。
 更に、この時代に宮本武蔵と戦ったライバルたちからも、大いに学ばさられる
 のだ。
  それは、ライバルたちの、その後の生き方や人生を見ると理解できる。
  徳川幕府の武術の指南役として活躍した「柳生一族」。
  この時代の、一族の二人が宮本武蔵と決闘したらしい。
  しかし、一族の記録にはその事実は無く、柳生家は宮本武蔵の「敵に勝つ」
  生き方では無く、「自分より一つでも勝る相手を『師』として崇め、「自分に勝
  つ」という生き方を奨励した。
  そして、それが太平を築こうとしている徳川家から支持を受け、その後の繁
  栄をもたらす結果となる。
  更に、この時期戦った有名な一族も、宮本武蔵に敗れて以来、染物の世界
  に 転職し見事今日まで、世界に名をはす芸術家として繁栄している。
 果たして、長い人生において、何を以って「勝つ」事なのか?。
  宮本武蔵との対決で敗れたとはいえ、「己」(おのれ)には負けなかった。
  これもまた、宮本武蔵と同様に、変化に対応した結果なのだろう。
 宮本武蔵の「五輪の書」は世界に愛読されているという。
  その中の、最後の書で彼は、こう言っているらしい。
  「今まで書き著してきた事を知識として学んだら、それを繰り返し繰り返し
  実践でやり続ける事。千回で「鍛」となり、万回で「錬」とす。そこまでやり続
  ける事により、その奥儀から解き放たれ、自由に奔放に状況に応じて変化
  していける。繰り返し繰り返し鍛錬することで、自らの知識として万事に対応
  していける知恵となるのだ。」
 いずれ読んでみたい「本」である。



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コメント

けんたさん、コメントありがとうございます。
いずれにしても、私にも言えることですが、千回も繰り返していないだけなのでしょうね。まして万回も繰り返したら、それはもう体の一部として当たり前の事として体が反応するのでしょう。
一つでもいいからその境地に達してみたいものです。

投稿: てっちゃん | 2011年3月 5日 (土) 00時55分

こんばんわ

私も読んでいたいです
『鍛』と『錬』かあ
そこまでやりきれてないなあ
修行し直さないといけませんね

投稿: けんた | 2011年3月 4日 (金) 22時41分

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