« 実力あるものは、「変化」を楽しむ | トップページ | リーダーが一番学んでいるか? »

2010年7月 1日 (木)

パラグアイ戦から

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


仕事の関係上、パラグアイ戦は後半から見る事が出来た。

 ハーフタイムを利用したテレビの解説から見始めたが、どちらが勝っているの
 かを知りたい私には、もどかしい解説が続いた。

 しかし、話を聞いていると、どうもいい勝負らしい。
 そして、前半を終えて、0-0で折り返したと言う。

  “いけるかも”

 日本のサポーターは皆、そう思っていただろう。
 前半を折り返して、0-0と言う事は、明らかに日本のペースだ。

  そして、後半開始後も、攻め込まれているとは言え、日本ペースで凌いでいる。

 このような国際舞台に立つと、国家の差や民族の差が歴然と表れる。

  “やはり、日本の民族は、「和」の民族なんだなぁ~”

 サッカーという競技自体が、11人で行う「チームプレー」だ。
 そこに個人技は入りこむものの、11人がチームプレーに徹すれば、一人一人の
 個人技に匹敵する戦いが十分に実現できるということだ。

  そして、この戦いでも、日本はチーム一丸となって戦い、個人の力量を越えた
  チームプレーを発揮していたと思う。

 途中途中では、“簡単に取られ過ぎだな”と思えるボールコントロールも、チーム
 プレーでその穴埋めをしてしまう。

 更に、後半も終盤に向かうと、どんどん攻撃的な人材を投入し、チャンスの域を
 広げていく。

  “流れは、日本ペースじゃん!”

 しかし私は、延長戦も含めて、11人でチーム戦の状況の中で決着させられなかっ
 たところに、敗戦の要因があると思う。

  以前にもこのブログで記したが、http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-0048.html
  日本人は「農耕民族」である。
  チームへの帰属意識はすこぶる高い。
  そんな意識を持つと、時として個人の力量を越えた力を発揮する。
  それが、今回のワールドカップの戦績に表れている。

 しかし、その強さを結果につなげられなかったことで、次のステージの
 「PK戦」という、個人戦へもつれ込む事となった。

  「PK戦」

 キッカーとゴールキーパーの、一対一の戦い。
 完全に、個人戦だ。

 いくらうしろで、皆が手を取り、肩を組んで応援しようとも、一対一の世界へは
 入り込めない。

 そして、一対一の世界では、誰に頼ることなく、己との戦いでもある。

  残念ながら、日本人には、そこでの強さを発揮する術を知らない。

 これは、ハングリーとか個人差とかというものではない。

  日本民族が数千年を経て、自らの体に摺りこませてきた「DNA」だ。

 誰の体にも有している、「DNA」には勝てない。

 テレビ解説者が、「キーパーの川島」に期待する内容のコメントをしていたが、
 結果として、試合の流れで「PK」を受ける場面と、チームプレーから完全に隔離
 された「PK戦」での、一対一の戦いの場面では、彼の意志の強さも及ばなかっ
 たのだろう。

  PK戦に持ち込めた満足感、という一人一人の試合感を越えて、
  PK戦に引きずり込ませず、何が何でも11人のチーム戦で決着をつける。

 それを具現化できた時、ワールドカップの次のステージが見えてくるのだろう。


|

« 実力あるものは、「変化」を楽しむ | トップページ | リーダーが一番学んでいるか? »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: パラグアイ戦から:

« 実力あるものは、「変化」を楽しむ | トップページ | リーダーが一番学んでいるか? »