パラグアイ戦から
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
仕事の関係上、パラグアイ戦は後半から見る事が出来た。
ハーフタイムを利用したテレビの解説から見始めたが、どちらが勝っているの
かを知りたい私には、もどかしい解説が続いた。
しかし、話を聞いていると、どうもいい勝負らしい。
そして、前半を終えて、0-0で折り返したと言う。
“いけるかも”
日本のサポーターは皆、そう思っていただろう。
前半を折り返して、0-0と言う事は、明らかに日本のペースだ。
そして、後半開始後も、攻め込まれているとは言え、日本ペースで凌いでいる。
このような国際舞台に立つと、国家の差や民族の差が歴然と表れる。
“やはり、日本の民族は、「和」の民族なんだなぁ~”
サッカーという競技自体が、11人で行う「チームプレー」だ。
そこに個人技は入りこむものの、11人がチームプレーに徹すれば、一人一人の
個人技に匹敵する戦いが十分に実現できるということだ。
そして、この戦いでも、日本はチーム一丸となって戦い、個人の力量を越えた
チームプレーを発揮していたと思う。
途中途中では、“簡単に取られ過ぎだな”と思えるボールコントロールも、チーム
プレーでその穴埋めをしてしまう。
更に、後半も終盤に向かうと、どんどん攻撃的な人材を投入し、チャンスの域を
広げていく。
“流れは、日本ペースじゃん!”
しかし私は、延長戦も含めて、11人でチーム戦の状況の中で決着させられなかっ
たところに、敗戦の要因があると思う。
以前にもこのブログで記したが、http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-0048.html
日本人は「農耕民族」である。
チームへの帰属意識はすこぶる高い。
そんな意識を持つと、時として個人の力量を越えた力を発揮する。
それが、今回のワールドカップの戦績に表れている。
しかし、その強さを結果につなげられなかったことで、次のステージの
「PK戦」という、個人戦へもつれ込む事となった。
「PK戦」
キッカーとゴールキーパーの、一対一の戦い。
完全に、個人戦だ。
いくらうしろで、皆が手を取り、肩を組んで応援しようとも、一対一の世界へは
入り込めない。
そして、一対一の世界では、誰に頼ることなく、己との戦いでもある。
残念ながら、日本人には、そこでの強さを発揮する術を知らない。
これは、ハングリーとか個人差とかというものではない。
日本民族が数千年を経て、自らの体に摺りこませてきた「DNA」だ。
誰の体にも有している、「DNA」には勝てない。
テレビ解説者が、「キーパーの川島」に期待する内容のコメントをしていたが、
結果として、試合の流れで「PK」を受ける場面と、チームプレーから完全に隔離
された「PK戦」での、一対一の戦いの場面では、彼の意志の強さも及ばなかっ
たのだろう。
PK戦に持ち込めた満足感、という一人一人の試合感を越えて、
PK戦に引きずり込ませず、何が何でも11人のチーム戦で決着をつける。
それを具現化できた時、ワールドカップの次のステージが見えてくるのだろう。
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