50過ぎの開放感
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
先日、何気なく回した(今は、回したとは表現しないのだろう)テレビのチャンネル
「ミュージックフェア」で、玉置浩二が、“真夜中すぎの恋”を歌っていた。
良く見ると、そのバックバンドは安全地帯だった。
“安全地帯が復活したんだ”
安全地帯。
私がこの仕事に就いた頃、このグループは活躍していた。
仕事帰りや、夜のドライブにこのグループの歌を聴くと、なぜか力が湧いてきた。
そして、まだまだ大人に成りきれない自分が、この歌の力を借りて錯覚できる
余韻が、たまらなく心地良かったのである。
私と同世代の彼らが奏でる音楽が、我々の世代の心を揺さぶったのは
間違い無かった。
しかし、私の仕事の責任が増すにしたがって、いつしか彼らの音楽も遠のいて
いった。
目の前の仕事に打ち込む事が、彼ら以上に私の心の癒しになっていったのか、
それとも心の余裕が無くなっていったのか?。
そしていつしか安全地帯は解散し、玉置浩二は独立してソロ活動を始め、その
後久しぶりに歌を歌う彼は、金髪になっていた。
“なんじゃぁ~ありゃ”
“あの年で、金髪は無ぇだろう~”
と思っていた矢先に、久しぶりに玉置浩二の色気たっぷりの
「真夜中すぎの恋」
を聴いた。
安全地帯のヒット曲の中では、「真夜中すぎの恋」が一番好きだ。
「ワインレッドの心」「恋の予感」「悲しみにさよなら」等いろいろあるが、
この歌が一番、心に響いた。
その後に、司会者との会話の中での玉置浩二の存在感は、50を越えて
肩の力の抜けた生き方をしている姿が表れていた。
「50過ぎたら、いいやっ、何を思われても、いいやっ、と思った。」
そんな事を言っていた。
同感、である。
50を過ぎて、まだまだ、守るべきものはたくさんあるのに。
それに縛られること無く、周囲に何を言われようと、もっと大切な事の為に
自らの存在を発揮することが、今の自分のすべきこと。
そう思うようになった。いや、そう思えるようになったのか。
思えば、20代~30代は、若々しく、挑戦という言葉が一番似合う年代なのだ
が、
“組織の中で、嫌われたくない”
“会社の幹部に、逆らいたくない”
“自分のキャリアに、傷をつけたくない”
そんな意識が強すぎたのかもしれない。
傷だらけ?の今は、そんな事よりも、もっと大切な真実を追求しなければ、
という、肩の力が抜けたのか、怖いものが見えなくなったのか、そんな心境
が強く自分の意識の中を制覇しているのだ。
今の私の心境と、安全地帯という戻るべきところに戻った玉置浩二の言葉
が重なり、「真夜中すぎの恋」を歌う彼の魅力が理解できたのだ。
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