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2010年7月18日 (日)

50過ぎの開放感

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


先日、何気なく回した(今は、回したとは表現しないのだろう)テレビのチャンネル
「ミュージックフェア」で、玉置浩二が、“真夜中すぎの恋”を歌っていた。

 良く見ると、そのバックバンドは安全地帯だった。

  “安全地帯が復活したんだ”

 安全地帯。

  私がこの仕事に就いた頃、このグループは活躍していた。
  仕事帰りや、夜のドライブにこのグループの歌を聴くと、なぜか力が湧いてきた。
  そして、まだまだ大人に成りきれない自分が、この歌の力を借りて錯覚できる
  余韻が、たまらなく心地良かったのである。

  私と同世代の彼らが奏でる音楽が、我々の世代の心を揺さぶったのは
  間違い無かった。

  しかし、私の仕事の責任が増すにしたがって、いつしか彼らの音楽も遠のいて
  いった。

  目の前の仕事に打ち込む事が、彼ら以上に私の心の癒しになっていったのか、
  それとも心の余裕が無くなっていったのか?。

  そしていつしか安全地帯は解散し、玉置浩二は独立してソロ活動を始め、その
  後久しぶりに歌を歌う彼は、金髪になっていた。

   “なんじゃぁ~ありゃ”

   “あの年で、金髪は無ぇだろう~”

  と思っていた矢先に、久しぶりに玉置浩二の色気たっぷりの
 
   「真夜中すぎの恋」

  を聴いた。

  安全地帯のヒット曲の中では、「真夜中すぎの恋」が一番好きだ。

   「ワインレッドの心」「恋の予感」「悲しみにさよなら」等いろいろあるが、
   この歌が一番、心に響いた。

  その後に、司会者との会話の中での玉置浩二の存在感は、50を越えて
  肩の力の抜けた生き方をしている姿が表れていた。

   「50過ぎたら、いいやっ、何を思われても、いいやっ、と思った。」

  そんな事を言っていた。

   同感、である。

   50を過ぎて、まだまだ、守るべきものはたくさんあるのに。

  それに縛られること無く、周囲に何を言われようと、もっと大切な事の為に
  自らの存在を発揮することが、今の自分のすべきこと。

   そう思うようになった。いや、そう思えるようになったのか。

  思えば、20代~30代は、若々しく、挑戦という言葉が一番似合う年代なのだ
  が、

   “組織の中で、嫌われたくない”
   “会社の幹部に、逆らいたくない”
   “自分のキャリアに、傷をつけたくない”

  そんな意識が強すぎたのかもしれない。

  傷だらけ?の今は、そんな事よりも、もっと大切な真実を追求しなければ、
  という、肩の力が抜けたのか、怖いものが見えなくなったのか、そんな心境
  が強く自分の意識の中を制覇しているのだ。

  今の私の心境と、安全地帯という戻るべきところに戻った玉置浩二の言葉
  が重なり、「真夜中すぎの恋」を歌う彼の魅力が理解できたのだ。




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