「強い奴」と「タフな奴」
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
以前は、「強い奴」に憧れていた。
幼少から少年時代にかけての、我々のヒーローは、「ウルトラマン」であり、
「仮面ライダー」であり、「長嶋茂雄」であり、「王貞治」であった。
私は、巨人ファンではなく、大洋ホエールズファンだったが、「長嶋茂雄」には
憧れた。
強い肉体と精神力で、個人やチームを率いて勝利に導く奴。
「強い奴」。
そんな存在に憧れ、スポーツで真似、格好で真似、仕草に真似た。
そして、真似れば真似るほど、その存在は遠のき、上には上がいる事を知る。
そして、挫折を味わい、自分の弱さを知る。
学生時代に経験した「野球」も、「ボート」も、どうしても乗り越えられない
体力の限界やら、努力の限界やらを感じながら、全うはしてきた。
しかし、その後の人生の中で、「野球」も「ボート」も、懐かしさこそ感じつつも、
その世界に、もう一度、足を踏み入れようとは思わなかった。
何故か?。
どこかで、諦めたのだろう。
“折れた” のである。
「強さ」とは、強い肉体と精神力で、強い存在になることである。
だから、どうしても「柔軟な存在」には、なれない。
強く有らねば、という強い意識が、どんな状況にも強さを押し通そうとし、柔軟
性を欠く事になるのだろう。
その強さ故、最後は、「折れてしまう」のだろうと思う。
「折れた」ら、元には戻れない。戻ろうという意欲が起きないのだ。
だから、懐かしさこそすれ、もう一度バットを振りたいとは思わないし、
オールを握って、船を漕ぎたいとも思わない。
その後、学生を卒業し、それら「野球」「ボート」も卒業し、仕事に就いた。
強くなりたいとか、勝ちたいとか思って始めた「仕事」では無い。
みんなと同様に、とりあえず仕事に就こう、と思って就職したわけだ。
そこでも、やはり「競争」の世界は現われる。
しかし、不思議なもので、競争心を強く秘めることは無かった。
競争 = 出世
“自分を殺して出世して、そこで何が楽しい?”
上司に媚び、周囲に媚び、建前と本音を使い分け、出世街道を走って
何が、残る?。
そう、想いながら、仕事の楽しさや喜びを感じるようになってきた。
「チームで目標達成し、お客様が喜んでくれた喜び、結果としての数値」
勝ち負けで、他人より優位に立つ事より、内面の満足を求めるようになった。
そこには、叩かれても、打ちのめされても、「折れない」 自分がいた。
挫折しても、突き落とされても、必ず這い上がろうとする、自分だ。
そして、今、「強くなった」 自分がいる。
他人が、どう思おうと、どう捉えようと、関係無い。
自分の内面の強さが、そう思わせているのかもしれない。
“「折れる」 経験をしておいて、良かったなぁ~”
率直な感想だ。
「折れた」から、折れない生き方が見えてきたのかもしれない。
だから、這い上がれるし、元にも戻ることが出来る。
それは、自分の生き方を追求し、追い求めること。
そこには、一歩一歩成長し続ける、人間の強さが潜んでいるのだろう。
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コメント
通りすがりさん、コメントありがとうございます。
時に、仲間を利用して「強く」なる事も必要な事だと思いますよ。
そして、それが人間の根源だとも思います。
人間は、そうやって仲間とのコミュニケーションを通して並みいる動物の中でも組織力を駆使して生き残ってきた存在だから。
仲間を通して自分を知る、仲間を通して自分を成長させる、仲間を通して自分を強くする。それが人間の根源。
そう理解すると、一人でも強くなれると思いませんか?。
投稿: てっちゃん | 2010年6月 2日 (水) 00時30分
強くなれるのは仲間と歩いているから
仲間のために強くなれるから
俺はひとりぼっちでは弱いにんげんです
投稿: 通りすがり | 2010年6月 1日 (火) 13時38分