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2009年9月12日 (土)

「自育」のプロセス

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


以前のブログで「自育の条件」http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-9e47.htmlを記した。

 人間は、教育されたり、教育したりする部分以上に、自ら育つ「自育」により、
 一人一人成長していくものだ、という内容だ。

 今回はその続編。

 人は、自育し、自ら育ち、自ら成長していく。
 何もしなくても、ほっておいても、育つ人間は、育っていく。

  しかし、組織として、それを肯定し、それに期待していいのか?。

 そうしたら、上司の仕事の中に、部下育成という概念は無くなってしまうだろう。
 積極的に、部下を育成し、人材を育て、明日の現場を支える人材の育成という
 意識が働くから、そのような場へ、敢えて未経験な部下を試練に追い込む勇気
 も生まれる、と言うものだ。

  私は、前回記した、「自育の条件」を、どのように部下に提供していくと言う事
  が、上司の部下教育の最大の課題だと思っている。

 その為には、上司は、二つの眼で部下を見ていく必要がある。

  一つは、「見抜く眼」
  二つは、「見守る眼」

「見抜く眼」とは、

  部下が、高い志を持って仕事に取り組んでいるか?、という目線。
  自育の第一条件は、「高い志」。

  これは、本人の姿勢の問題が大きなファクター。
  だからこそ、上司がしっかり、志を見抜かなければならない。

  高い志を持っていなければ、持たせなければならない。
  そうでなければ、次へのステージへ向かえないからだ。
  
   「大きな仕事の場」や「大きな思索の場」を提供すべきか否か。

  高い志を有している部下だけが、次へのステージへ進む事が出来るからだ。
  当然、店長自らが、“誰よりも高い志”を有している事が、絶対条件となる。
  
   高い志を有している者は、同じ志の「同志」は、匂いでわかるもの。

  表面の薄っぺらい目標や結果だけを目指しているのか、
  表面には見えない、奥深い真理を泥まみれになって追求しているのか。

   まずは、その志を見せる事。
   そして、内面のその志を見抜く事。

  その目線が大切だ。

「見守る眼」とは。

 高い志を持った同志を見抜いたら(育てたら)。
 次は、いよいよ次へのステージだ。

  大きな「仕事の場」を提供すること。

 丸投げして、責任まで押し付ける事とは、雲泥の差である。

  結果という責任は、全て引き受けるという覚悟を持つ事が、上司の条件だ。
  その、結果に責任を持つという上司の姿勢が、何よりの教育なのだから。

 その過程では、高い結果を目指したならば、大きな仕事の場では、
 上司は、そう簡単には妥協出来ない。高い結果を目指して、貪欲に追求する。

  その上司の、その瞬間瞬間を判断し、手を打ち、結果を残すという
  臨場感が、最大の教育の場になるし、大きな仕事の場とは、そういうものだ。

 更に、大きな「思索の場」の提供。

  考えさせる、と言う事。
  「仮説」と「検証」の繰り返し。

  それは、小さな思索の繰り返しが、やがて大きな思索へ拡大していくという事。
  更には、大きな経営という判断においても、小さな仮説検証の歯車の積み重
  ねに過ぎない、ということでもある。

 その場を、上司として、部下の失敗を繰り返させ、自分に近づかせるという
 大きな器量を上司に要求することでもある。

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