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2009年6月 4日 (木)

新入社員の配属に関して

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


新入社員の配属。

 我々も遠い昔の記憶に、部門の配属に胸時めかせた時代があった。
 そして、「死の宣告」のような配属部門の指示を受け、何かを諦めた。

  なんとなく、「楽そうだなぁ~。」と思っていた部門。
  「この部門だったら、比較的スーパーの中でも汚れずにすむかなぁー。」
  そんな淡い期待を持っていたのが、鮮魚の命を受け、奈落の底に。

 そんな、遠い昔の記憶が甦るこの時期である。
 その時代に、新入社員の配属希望を聞く、という文化は無かった。
 入社式と同時に、配属を命じられ、翌日から店赴任だった。
 そして、エンジン全開で企業人としての歯車に噛み合っていった。

  それが、良かったのか、悪かったのか?。
  それは、わからない。

 現在では、新入社員に一定のローテーションで部門研修を経させ、
 ほぼ全部門を研修させた段階で、配属の希望を聞く。

 そして、その研修期間から部門情報を得、部門の雰囲気を感じ、
 将来、自分が身を置く部門を思い描き、配属希望を出す。

  そこには、いい意味での、勤続意欲も生まれるが、
  悪い意味での、“邪念” も生まれる。

 私が、上記に記した、「楽そうだなぁー。」「汚れずにすむなぁ~。」
 要は、どこが一番楽な部門か?、と言う事だ。

  楽して得られる「報酬」など、無い。
  すべては、辛い毎日の連続から、「将来に役立つ報酬」が得られるのだ。

 そしてそれは、部門に関係なく、“踏み込めば踏み込むほど” 辛い道となり、
 “踏み込めば踏み込むほど”、大きな「報酬」となり、評価を高める。

  すべては、辛い道を選択し、自ら踏み込んだ「結果」なのだ。

 そこには、部門は関係無い。
 どの部門だろうが、踏み込んだ結果は報酬となって自らの身に降りかかる。

 結果として、自分の出身部門とは、“仮の姿” なのだ。
 その“場”を借りて、商売とマネジメントを習得し、店舗運営としての経営を学ぶ。
 
  だから、部門はいずれ卒業するものだ。

 卒業するために、部門に配属されるのではない。
 商売という道を追及するために、部門を借りて、踏み込むことを学ぶのだ。
 踏み込んでいった結果が、報酬となり商売の本質を理解し、
 その結果が、自分を商売人として認めてくれるという周囲の「評価」につながる。

  その事を理解できれば、どの部門に進んでも、正解であり、
  その事が理解できなければ、どの部門に進んでも、使い物にならない。

 まして、その仮の姿を、自らに選択させてもらうわけだから、
 心して選択し、心して、その部門を極める「覚悟」を持つ、と言う事だ。

 そんなことを考えていたら、ある新入社員から、問いかけがあった。
 それは、また明日。



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