“死を意識した”経験
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
本日も、昨日同様、ブログ「著者 天外伺朗」の続編。
彼(天外伺朗氏)は、人は、「死に直面」したときに、一番変容すると言っている。
なるほど、と思う。
普段の生活では、人は、死に直面しない。いや、直面しようとしない。
死を延ばそう、延ばそうと工夫し、平均寿命が延びてきた。
しかし、個人的に見ると、死を直視した人間は強い。
人生観が変わる、と言うのだろうか。
死を見るから、生のとらえ方が変わるのだろう。
私も、かって一度だけ、“死んでも、いい” と思えた事があった。
以前のブログ「執念Ⅱ」http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_b240.htmlにも、記した。
ボート競技の中での話しだ。当時最強の「東大」を抜けるか、抜けないか。
その瀬戸際に思った、「死んでもいいから抜いてやる。」の想い。
そこから見えてきた、“死” と “生” の人生観。
自分に対しての、死への恐怖感は薄くなり、
同様に、死を恐れない他者への恐れ。
とは言っても、「執念Ⅱ」でも記したが、それ以来「死んでもいい」という
気持ちには、一度もなっていない。
本当に、そう思い切れない“生”への執着はあるらしい。
しかし、天外伺朗さんの新著「非常識経営の夜明け」には、「死の経営」と
題して、死を直面することにより、人は脱皮し変容できることを説いている。
死といっても、死に相当する「破綻」「離婚」「転職」などを含めている。
そしてその強さは、修羅場をくぐった個人にもいえるが、組織にも言えること。
修羅場をくぐった組織は、個人以上に集団としての結びつきの見えない力を
蓄えるのであろう。
修羅場を乗り越え、燃える集団に変容した組織は、手に負えないほど強い。
人が、人に共感し、同じ想いに共感し、意志を揃える。
そして、その想いは、「喜怒哀楽」の場面で共有される。
“喜怒哀楽”
人の感情。現在は喜怒哀楽を出さないマネジメントが、スマートだという常識。
果たして、本当にそうなのだろうか?、私は、いつもそう想う。
一昨日から、天外伺朗さんの新著「非常識経営の夜明け」に関したブログを
載せているが、昨日の「“人前で泣いた”経験」でもそうだが、喜怒哀楽を
ぶつけ合って修羅場を経験したほうが、人も組織も強くなる。
喜怒哀楽の中でも、一番は「哀」だ、次に「怒」、そして「喜」、最後は「楽」か。
人間同士の「哀しみ」「怒り」を、もっとお互いに表面化し、共有しあい、修羅場
を経験し、そこから乗り越えた部分しか、真の強さは得られないのではないか。
久しぶりに得られた「わくわくドキドキ」しながら読み干した本だった。
だから、3回連続で、それに関連する記事を載せた。
“てっちゃんのおすすめ” の本のガイドにも載せました。どうぞ。
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