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2009年1月30日 (金)

“死を意識した”経験

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


本日も、昨日同様、ブログ「著者 天外伺朗」の続編。

 彼(天外伺朗氏)は、人は、「死に直面」したときに、一番変容すると言っている。

  なるほど、と思う。

 普段の生活では、人は、死に直面しない。いや、直面しようとしない。
 死を延ばそう、延ばそうと工夫し、平均寿命が延びてきた。

 しかし、個人的に見ると、死を直視した人間は強い。
 人生観が変わる、と言うのだろうか。
 死を見るから、生のとらえ方が変わるのだろう。

 私も、かって一度だけ、“死んでも、いい” と思えた事があった。
 以前のブログ「執念Ⅱ」http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_b240.htmlにも、記した。

 ボート競技の中での話しだ。当時最強の「東大」を抜けるか、抜けないか。
 その瀬戸際に思った、「死んでもいいから抜いてやる。」の想い。

 そこから見えてきた、“死” と “生” の人生観。
 自分に対しての、死への恐怖感は薄くなり、
 同様に、死を恐れない他者への恐れ。

 とは言っても、「執念Ⅱ」でも記したが、それ以来「死んでもいい」という
 気持ちには、一度もなっていない。

  本当に、そう思い切れない“生”への執着はあるらしい。

 しかし、天外伺朗さんの新著「非常識経営の夜明け」には、「死の経営」と
 題して、死を直面することにより、人は脱皮し変容できることを説いている。

  死といっても、死に相当する「破綻」「離婚」「転職」などを含めている。

 そしてその強さは、修羅場をくぐった個人にもいえるが、組織にも言えること。
 修羅場をくぐった組織は、個人以上に集団としての結びつきの見えない力を
 蓄えるのであろう。

 修羅場を乗り越え、燃える集団に変容した組織は、手に負えないほど強い。
 人が、人に共感し、同じ想いに共感し、意志を揃える。
 そして、その想いは、「喜怒哀楽」の場面で共有される。

  “喜怒哀楽”

 人の感情。現在は喜怒哀楽を出さないマネジメントが、スマートだという常識。
 果たして、本当にそうなのだろうか?、私は、いつもそう想う。

 一昨日から、天外伺朗さんの新著「非常識経営の夜明け」に関したブログを
 載せているが、昨日の「“人前で泣いた”経験」でもそうだが、喜怒哀楽を
 ぶつけ合って修羅場を経験したほうが、人も組織も強くなる。

  喜怒哀楽の中でも、一番は「哀」だ、次に「怒」、そして「喜」、最後は「楽」か。

 人間同士の「哀しみ」「怒り」を、もっとお互いに表面化し、共有しあい、修羅場
 を経験し、そこから乗り越えた部分しか、真の強さは得られないのではないか。

 久しぶりに得られた「わくわくドキドキ」しながら読み干した本だった。
 だから、3回連続で、それに関連する記事を載せた。

 “てっちゃんのおすすめ” の本のガイドにも載せました。どうぞ。

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