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2009年1月29日 (木)

“人前で泣いた”経験

皆さん、こんにちは。
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


昨日、「著者 天外伺朗」を記したが、本日は、その続編。

 彼の新著「非常識経営の夜明け」の中で、“3000人の前で泣いた”経験の
 記事が載っていた。

  “人前で泣く”

 店長やチーフ、その他マネジメント層として、人前で泣くということは、
 その瞬間から、その立場を失う、という認識が常識的な見解だろう。

 だから、その立場になる人間は、現状がどんなに厳しかろうと必至に食いしばる。
 私も、そう信じていたし、決して人前で “弱音” を吐いたことは無かった。

  ある場面までは。

 以前のブログ「心のあるべき姿」http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_298f.htmlを記した。
 
 転職する前の企業で、転職を決意してからの仕事への取り組みを通して、
 心のあるべき姿に触れることが出来たことを記した。

 そして、いよいよ、そのお店の最終日。私にとっては、この企業での最終日。
 午後7時を過ぎ、休憩室で雑談をしていた私は、「どれっ」と言って立ち上がった。
 
 私の左腕だった業務担当の女性が、声をかけてきた。
  「店長、ちょっと待ってください。最後にプレゼントがあります。」
 と言って、かわいらしい袋に入ったものを差し出した。

  “ちょっとした御菓子か?。” と思いながら、中を開けてみた。

  一冊の手づくりのアルバムだった。
  表紙には、お店に飾ってあった私の、店長としての写真。
  いつの間にか、引っぺがして入れたあった。
  そして、1ページ1ページめくっていくと、
  このお店での3ヶ月間の思い出の場面が、写真で綴ってあり、
  ひとりひとりの、私へのメッセージが記してあった。

  これを見た私は、熱いものが込み上げてきた。
  普段ならば、ここで「グッと」こらえられたのだが、
  この日ばかりは、どんどん、どんどん、込み上げてきた。
  店長としての常識や鎧(よろい)を圧倒的な威力でぶち壊すように、
  涙が止めどなく、流れていく。

  そして、私の中で、何かが崩れていった。
  “ちっぽけなプライド” のようなものが崩れていった。

  涙はどんどん流れ落ち、鼻水も流れ出し、声まで出して泣いた。

  休憩室の、まわりの従業員も、全員が泣いていた。
  私は、なにか叫んだと思うが、何をどんな風に言ったのかは覚えていない。
  心の底からの想いが、声となって叫んでいた、と思う。

  そのまま、休憩室を出て従業員通用口まで、私を囲んで部下達が続いた。
  どんな風に歩いて、何を言いながら歩いてきたのか、記憶に無い。
  相変わらず、涙はどんどんあふれ出ている。
  そして、最後に出入り口の扉を背にして、皆に最後の挨拶をした。  
  
   「みんなのことは、絶対に忘れない。絶対に!。」

  それだけ言うのが、精一杯だった。

 人前で、泣く。

  この場面を境に、私は、人前で泣くことを恥ずかしいと思わなくなった。
  もちろん、上司が部下を前に泣くことに対しての、とらえ方も変わった。
  しかし、それ以来、人前で泣いたことは無いのだが。

 私も、ブログでよく、「上司と部下との共感」を記すが、
 喜怒哀楽の中で、“哀しい涙” ほど、人との共感を生むものは無いと思う。

 どんなに憎いと思った相手でも、お互いの涙を見ると、全てが許せる。
 そこには、丸裸の “心” だけが、見えるからだ。

 転職する前の企業で、最後の最後に、部下の手を通して、私に、20年間の
 報酬として、最後で最大の報酬としてくれた、一番大事なプレゼント。

  私は、この涙のことを、今でも、そう思っている。

  

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コメント

kentnkさん、コメントありがとうございます。
過去の話ですが、忘れることの出来ない出来事でした。
ありがとうございます。

投稿: てっちゃん | 2009年1月30日 (金) 23時49分

こんにちは
kentnkです。
いつも楽しみに読ませていただいてます。
今日の話は私も心にぐっとくるものを感じました。いい話ですね。
これからも頑張ってください。

投稿: kentnk | 2009年1月30日 (金) 12時43分

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