“人前で泣いた”経験
皆さん、こんにちは。
食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
昨日、「著者 天外伺朗」を記したが、本日は、その続編。
彼の新著「非常識経営の夜明け」の中で、“3000人の前で泣いた”経験の
記事が載っていた。
“人前で泣く”
店長やチーフ、その他マネジメント層として、人前で泣くということは、
その瞬間から、その立場を失う、という認識が常識的な見解だろう。
だから、その立場になる人間は、現状がどんなに厳しかろうと必至に食いしばる。
私も、そう信じていたし、決して人前で “弱音” を吐いたことは無かった。
ある場面までは。
以前のブログ「心のあるべき姿」http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_298f.htmlを記した。
転職する前の企業で、転職を決意してからの仕事への取り組みを通して、
心のあるべき姿に触れることが出来たことを記した。
そして、いよいよ、そのお店の最終日。私にとっては、この企業での最終日。
午後7時を過ぎ、休憩室で雑談をしていた私は、「どれっ」と言って立ち上がった。
私の左腕だった業務担当の女性が、声をかけてきた。
「店長、ちょっと待ってください。最後にプレゼントがあります。」
と言って、かわいらしい袋に入ったものを差し出した。
“ちょっとした御菓子か?。” と思いながら、中を開けてみた。
一冊の手づくりのアルバムだった。
表紙には、お店に飾ってあった私の、店長としての写真。
いつの間にか、引っぺがして入れたあった。
そして、1ページ1ページめくっていくと、
このお店での3ヶ月間の思い出の場面が、写真で綴ってあり、
ひとりひとりの、私へのメッセージが記してあった。
これを見た私は、熱いものが込み上げてきた。
普段ならば、ここで「グッと」こらえられたのだが、
この日ばかりは、どんどん、どんどん、込み上げてきた。
店長としての常識や鎧(よろい)を圧倒的な威力でぶち壊すように、
涙が止めどなく、流れていく。
そして、私の中で、何かが崩れていった。
“ちっぽけなプライド” のようなものが崩れていった。
涙はどんどん流れ落ち、鼻水も流れ出し、声まで出して泣いた。
休憩室の、まわりの従業員も、全員が泣いていた。
私は、なにか叫んだと思うが、何をどんな風に言ったのかは覚えていない。
心の底からの想いが、声となって叫んでいた、と思う。
そのまま、休憩室を出て従業員通用口まで、私を囲んで部下達が続いた。
どんな風に歩いて、何を言いながら歩いてきたのか、記憶に無い。
相変わらず、涙はどんどんあふれ出ている。
そして、最後に出入り口の扉を背にして、皆に最後の挨拶をした。
「みんなのことは、絶対に忘れない。絶対に!。」
それだけ言うのが、精一杯だった。
人前で、泣く。
この場面を境に、私は、人前で泣くことを恥ずかしいと思わなくなった。
もちろん、上司が部下を前に泣くことに対しての、とらえ方も変わった。
しかし、それ以来、人前で泣いたことは無いのだが。
私も、ブログでよく、「上司と部下との共感」を記すが、
喜怒哀楽の中で、“哀しい涙” ほど、人との共感を生むものは無いと思う。
どんなに憎いと思った相手でも、お互いの涙を見ると、全てが許せる。
そこには、丸裸の “心” だけが、見えるからだ。
転職する前の企業で、最後の最後に、部下の手を通して、私に、20年間の
報酬として、最後で最大の報酬としてくれた、一番大事なプレゼント。
私は、この涙のことを、今でも、そう思っている。
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コメント
kentnkさん、コメントありがとうございます。
過去の話ですが、忘れることの出来ない出来事でした。
ありがとうございます。
投稿: てっちゃん | 2009年1月30日 (金) 23時49分
こんにちは
kentnkです。
いつも楽しみに読ませていただいてます。
今日の話は私も心にぐっとくるものを感じました。いい話ですね。
これからも頑張ってください。
投稿: kentnk | 2009年1月30日 (金) 12時43分