古巣の仲間
皆さん、こんにちは
北関東の食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
先日、古巣の仲間と飲んだ。
私の以前の会社の、店長仲間である。
2ヶ月に一度の割合で飲んでいるが、今回は久しぶりだ。
私が以前の会社を退職して4年になるが、タイムスリップで当時の時代に
戻った感じだった。
まだまだ、彼らの話題にはついていける。
そして、当時の店長仲間の苦労と疲労を、相変わらず背負っていた。
当時の私が背負っていた負担の、数倍の重荷を背負っていた。
それにしても、彼らから出てくる「愚痴」の多いこと。
それも、上司に対する「愚痴」がほとんど。
どうして、こうなってしまったのか?。
店長主導の個店経営と引き換えに、
本部主導のやらせと強制のマネジメントに変換してしまったようだ。
よく、隣の芝生は綺麗に見えると言われるが、
以前の会社の芝生は、ますます荒れ果てていくようだ。
なぜか?
業績である。
業績は全てを癒す、と言われるが、その通りである。
私が在籍していた当時は、業界でも注目の的だったが、
ここ数年の低迷もあり、本部主導のマネジメントに完全に変換してしまった。
こうやって、吐き出せる連中は良いが、溜め込む人間は最悪だ。
店長がストレスを溜め込んだら、必ず部下に伝わる。
それでなくても、店長ほど孤独な存在はないのだが、
そこに、上司からのストレスを溜め込んだら完全に孤立してしまう。
そして、店長室に閉じこもったり、店舗運営を放棄したり、鬱になったり。
だから、店長も、こうやって「抜く」ことが大切。
そして、こういった、仲間を持つことが大切。
そのような「心のゆとり」が、仕事にも活かされ、
部下に対しても、余裕を持って対応できるのである。
部下を、どちら側の人間ととらえるか?
店長と同じ側の存在とみなすか?、
店長の逆サイドの存在とみなすか?
部下も同様に、
店長を、自分達の側の存在と見ているか?
店長を、自分達と逆のサイドの存在と見ているか?
そして、大切なのは、
店長と部下が、同じサイドの存在と認め合うこと。
そこから、部下との、さまざまな共有が生まれるのである。
そこから、部下との、さまざまな共同作業に発展するのである。
そして、心が一つになり、喜怒哀楽を共有する。
そして、感動を生むのである。
そんな関係を結べれば、自分の上司に対しての「愚痴」など出てこない。
自律した存在としての、店長の立場が確立されているのだから。
自分の、立ち居地が、見えている。
そんな、バランス感覚を確認するのに、古巣の仲間達との交流があるのである。
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