惣菜へのこだわりⅡ
皆さん、こんにちは。
北関東の食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
このブログを書き始めた当初から、私は「惣菜」にこだわる、と言う事を書き続けた。
それは、以前のブログ「惣菜へのこだわり」http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_f1ba.htmlや「惣菜チーフの強い意志」http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-f58c.htmlでも記してきた。
惣菜一部門の存在が、それほどまでに大きな数値影響を及ぼすのか?
良く言われる質問である。
誤解を恐れずに言えば、大きな数値影響を及ぼす。
地域のお客様にとって、「惣菜」の品揃えが良い、と言う事は、惣菜の売上が
当然上がっていくことだが、それに伴い、粗利の拡大、お昼と夕方の集客力
が圧倒的に増してくる。
しかし、そんな数値影響は、実は、微々たるものなのである。
もっともっと、これから到来する世界を予測していかなければならない。
数日前のブログ「氏家MR」https://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=54452128&blog_id=600797でも記したが、家族としての成長
が停滞した家族、子供達が巣立ち、老夫婦が以前の二人だけの暮らしに戻る
家族のことである。
これらの老夫婦が、愛むつまじく、惣菜売場で、今晩の食材の品定めをしている
姿を、私は、何度も目にしてきている。
そして、ここ数年、その数は増加する一方。
なぜか?
定年退職後の暮らしが、夫婦フィフティ・フィフティの立場に戻るから。
夫婦の役割。
夫が働き、食い扶持(ぶち)を稼ぎ、妻が子育てと家事全般を受け持つ。
そして、子供達を育て、親を介護し、いずれ去っていく。
それは、夫婦以外の存在があるから、より効率を目指して分かれた役割。
その役目を全うしたその後は、夫婦は、もとのフィフティ・フィフティに戻る。
共に「遊び」、共に「家事」をし、共に「食事」をする。
残りの余生を、共に満喫する為、お互いを共有する時間を惜しむ。
そして、夫婦は本来の姿を取り戻していく。
そこに、歩いていけるスーパーがあって、お惣菜の美味しい評判のお店が
あれば、そこに集中することは、自明の理。
住関連を充実させ、そこに行くことがステイタスのような場所を、老夫婦は
求めない。
物事の本質を知り尽くした、人生経験豊かな二人は、実直なお惣菜売場
の食材を共に食し、人生を語るのである。
私の、この未来予想図は、偏りすぎだろうか?。
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