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2008年8月31日 (日)

執念Ⅱ

皆さん、こんにちは
 北関東の食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。


土曜日のブログで「執念Ⅰ」を記した。

 今日ののタイトルは「執念Ⅱ」。
 先日の、女子ソフトボールの記事の続きではない。
 私自身の“執念”の思い出。 
  だから、今、執念が無い、と言うわけでもないが。

私は、学生時代に「ボート」を漕いでいた。

 これは、以前のブログ「ボート競技」http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_e524.htmlでも記した。

 ボート競技の世界では、「ロー・アウト」という言葉がある。

  長い2000mの距離を競い合い、死力を尽くして漕ぎぬく。
  そして、ゴール。その後、自らの意識を失い気絶する。

   そんな場面を表現した言葉。

  それだけ、想像を絶する競技なのだと言う事は、前回のブログをご覧ください。
  そんな世界へ、踏み込みかけた経験が、一度だけある。

 私が、大学2年の秋の事。

  学生の一番メインの大会は、夏の全日本学生選手権。
  その後、秋(10月)に、2年生以下を対象にした、全日本新人選手権がある。
   ちなみに、国体は現役を退いた4年生の慰労の大会だった(余計な事?)

 私は、同期の5人(漕者4人とコックス1人)で、新人選手権に出場した。

  大学OBの前評判では、漕ぎは合っているが、爆発力に欠けるクルーだった。
  事実、瞬間的なスピードは無かったが、2000mを通すと、速かった。

 予選。 一発通過ならず、あえなく、敗者復活へ。
 敗復。 予定通り通過し、準決勝へ。
 
  4人漕ぎのフォアの世界では、強豪として活躍した時期もあったが、
  その当時は、入賞を逸して久しかった。
  なおさら、OB達の期待も高かった。
  
  ここ当面は、準決勝から決勝へ、なかなか進めないでいた時期である。
  この準決勝を突破する事が最大の難関であり、その為に練習してきた。

  当時の我々は、一地方大学でありながら、戸田の漕艇場での合宿では、
  他大学と500mを比べても、ひけはとらなかった。

   そんな中での準決勝である。

  なんとしても、という“執念”は、あったと思うが、
  クルーの5人とも、そんな切羽詰まった「危機感」はあまり無かったと思う。

   どちらかと言うと、相手を呑んでかかっていたような気がする。

  それが、準決勝では裏目に出たのだろう。
  スタートから一艇身の差をつけたが、最後まで、この差を広げられなかった。
  逆に、ラスト500mでは、差を縮められていた。
  
   辛勝である。

  それでも、決勝進出である。我々当事者は素直に喜んだ。
  しかし、OBからは、甘く見ている、と叱咤が容赦なく飛んだ。

   「ふざけるな、そんなに言うなら、手前らで漕いでみろ!。」

  我々は、内心、そう叫んでいた。

 決勝

  相手は、4校。「東大」「日大」「新潟大」「東北大」 だと思った(記憶が薄い)
  スタートは、最下位。いつも、スタートは下手くそだった。

  ここまできたら、悔いの無いレースをしよう。
  ひたすら、ストローク(一番先を漕ぐ漕者)についていこう。

  中盤(1000m)あたりから、なんとなく、船が出ているな、の感覚はあった。
  いよいよラスト500mである。

  ラスト300mを切った頃か、突然コックス(メガホンで叫ぶ男)が言い出した。
   「抜けるぞ!、東大抜けるぞ!。」

   何を、言っているんだこいつは?。それほど、意表をついた言葉だった。

  漕者は、本来、横を向いてはいけない。バランスが崩れるから。
  しかし、そのときは、強引にでも、その事実を確かめたかった。

   いた!。東大だ!。

  当時の東大(今でもと思う)は、最強だった。
  頭で、当然かなわず、ボートでもかなわない、最強の人間たちだった。

   東大を抜ける!。

  そう、思った瞬間。

   「死んでも、いい。死んでもいいから、今、抜くぞ!。」

  自分の奥底からの言葉に包まれた。瞬間の出来事だった。

   その奥底からの言葉が、自ら持つオール(漕ぐ棒)に伝わった。

  すでに、1700mを漕いだ体である。
  そんな力が残っているわけが無い。

   しかし、あの瞬間は、時が止まっていた。
   別の何かに、とりつかれたとしか、言い様が無かった。

  船がぐんぐん進んでいくのがわかった。
  そして、船全体のピッチ(回転)があがっていった。

   いままで、体に受けたことのないスピードの「風」が過ぎていく。

  もう一度、横を見た。

   東大のオールが止まって見えた。そして、ゆっくり落ちていった。

  私のレースは、そこで記憶が途絶えている。

   ロー・アウトしたわけではない。自ら諦めてしまったのだ。

  結果は、2位。   
   
  コックスは、レース直後の船の上で、叫んでいた。

   「抜けたぞ!。日大も抜けたぞ!。ちくしょう!。」

  何を、言っているんだ、こいつは?。

  後に、そのビデオを見て、私は、後悔した。
  その先に、「日大」がいたのだ。

この時の経験は、その後の私の人生に、大きな影響を与えている。

  「死ぬ気でやれば、やれないことなど、何も無い。」

  そんな自信がついたが、
  本気で、死ぬ気になったのは、後にも先にも、この時だけである。

 死ぬ気でやる、と言う事の「怖さ」を知ったのである。

  そんなに簡単には、死ねない。死という怖さ。
  そして、相手に死ぬ気になられることの怖さ。

  如何に、相手に、死ぬ気にさせないか?。
  これも、戦いの中での、大切な戦術である。

 そして、もう一つ。

  後日、クルーの仲間と飲んだときの事。私は、みんなに話した。
   この時の、「死んでも漕いでやる。」の事。
   そして、船がスピードに乗り、ピッチが上がった事。
 
  なんと、他の全員も、同じことを感じていた、という。
  そして、死ぬ気で漕いだと言う。

  ボートほど、究極のチームプレーだと思っていたが、
  突き詰めれば、個人の意思の強さ、“執念”の強さなのだ、と思った。

  最後の最後まで、チームが同じ想いを持ち続けられるか?

   “執念”という、言葉に出来ない、意志を捨てずに持ち続けられるか?。

   私が、最後まで、日大も抜くぞ!、という意志を捨てなかったら・・・・?。

  
   あの時のクルーのメンバーは、ソフトボールの試合に何を思っただろうか?

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