執念Ⅱ
皆さん、こんにちは
北関東の食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。
土曜日のブログで「執念Ⅰ」を記した。
今日ののタイトルは「執念Ⅱ」。
先日の、女子ソフトボールの記事の続きではない。
私自身の“執念”の思い出。
だから、今、執念が無い、と言うわけでもないが。
私は、学生時代に「ボート」を漕いでいた。
これは、以前のブログ「ボート競技」http://tetu-syoubai.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_e524.htmlでも記した。
ボート競技の世界では、「ロー・アウト」という言葉がある。
長い2000mの距離を競い合い、死力を尽くして漕ぎぬく。
そして、ゴール。その後、自らの意識を失い気絶する。
そんな場面を表現した言葉。
それだけ、想像を絶する競技なのだと言う事は、前回のブログをご覧ください。
そんな世界へ、踏み込みかけた経験が、一度だけある。
私が、大学2年の秋の事。
学生の一番メインの大会は、夏の全日本学生選手権。
その後、秋(10月)に、2年生以下を対象にした、全日本新人選手権がある。
ちなみに、国体は現役を退いた4年生の慰労の大会だった(余計な事?)
私は、同期の5人(漕者4人とコックス1人)で、新人選手権に出場した。
大学OBの前評判では、漕ぎは合っているが、爆発力に欠けるクルーだった。
事実、瞬間的なスピードは無かったが、2000mを通すと、速かった。
予選。 一発通過ならず、あえなく、敗者復活へ。
敗復。 予定通り通過し、準決勝へ。
4人漕ぎのフォアの世界では、強豪として活躍した時期もあったが、
その当時は、入賞を逸して久しかった。
なおさら、OB達の期待も高かった。
ここ当面は、準決勝から決勝へ、なかなか進めないでいた時期である。
この準決勝を突破する事が最大の難関であり、その為に練習してきた。
当時の我々は、一地方大学でありながら、戸田の漕艇場での合宿では、
他大学と500mを比べても、ひけはとらなかった。
そんな中での準決勝である。
なんとしても、という“執念”は、あったと思うが、
クルーの5人とも、そんな切羽詰まった「危機感」はあまり無かったと思う。
どちらかと言うと、相手を呑んでかかっていたような気がする。
それが、準決勝では裏目に出たのだろう。
スタートから一艇身の差をつけたが、最後まで、この差を広げられなかった。
逆に、ラスト500mでは、差を縮められていた。
辛勝である。
それでも、決勝進出である。我々当事者は素直に喜んだ。
しかし、OBからは、甘く見ている、と叱咤が容赦なく飛んだ。
「ふざけるな、そんなに言うなら、手前らで漕いでみろ!。」
我々は、内心、そう叫んでいた。
決勝
相手は、4校。「東大」「日大」「新潟大」「東北大」 だと思った(記憶が薄い)
スタートは、最下位。いつも、スタートは下手くそだった。
ここまできたら、悔いの無いレースをしよう。
ひたすら、ストローク(一番先を漕ぐ漕者)についていこう。
中盤(1000m)あたりから、なんとなく、船が出ているな、の感覚はあった。
いよいよラスト500mである。
ラスト300mを切った頃か、突然コックス(メガホンで叫ぶ男)が言い出した。
「抜けるぞ!、東大抜けるぞ!。」
何を、言っているんだこいつは?。それほど、意表をついた言葉だった。
漕者は、本来、横を向いてはいけない。バランスが崩れるから。
しかし、そのときは、強引にでも、その事実を確かめたかった。
いた!。東大だ!。
当時の東大(今でもと思う)は、最強だった。
頭で、当然かなわず、ボートでもかなわない、最強の人間たちだった。
東大を抜ける!。
そう、思った瞬間。
「死んでも、いい。死んでもいいから、今、抜くぞ!。」
自分の奥底からの言葉に包まれた。瞬間の出来事だった。
その奥底からの言葉が、自ら持つオール(漕ぐ棒)に伝わった。
すでに、1700mを漕いだ体である。
そんな力が残っているわけが無い。
しかし、あの瞬間は、時が止まっていた。
別の何かに、とりつかれたとしか、言い様が無かった。
船がぐんぐん進んでいくのがわかった。
そして、船全体のピッチ(回転)があがっていった。
いままで、体に受けたことのないスピードの「風」が過ぎていく。
もう一度、横を見た。
東大のオールが止まって見えた。そして、ゆっくり落ちていった。
私のレースは、そこで記憶が途絶えている。
ロー・アウトしたわけではない。自ら諦めてしまったのだ。
結果は、2位。
コックスは、レース直後の船の上で、叫んでいた。
「抜けたぞ!。日大も抜けたぞ!。ちくしょう!。」
何を、言っているんだ、こいつは?。
後に、そのビデオを見て、私は、後悔した。
その先に、「日大」がいたのだ。
この時の経験は、その後の私の人生に、大きな影響を与えている。
「死ぬ気でやれば、やれないことなど、何も無い。」
そんな自信がついたが、
本気で、死ぬ気になったのは、後にも先にも、この時だけである。
死ぬ気でやる、と言う事の「怖さ」を知ったのである。
そんなに簡単には、死ねない。死という怖さ。
そして、相手に死ぬ気になられることの怖さ。
如何に、相手に、死ぬ気にさせないか?。
これも、戦いの中での、大切な戦術である。
そして、もう一つ。
後日、クルーの仲間と飲んだときの事。私は、みんなに話した。
この時の、「死んでも漕いでやる。」の事。
そして、船がスピードに乗り、ピッチが上がった事。
なんと、他の全員も、同じことを感じていた、という。
そして、死ぬ気で漕いだと言う。
ボートほど、究極のチームプレーだと思っていたが、
突き詰めれば、個人の意思の強さ、“執念”の強さなのだ、と思った。
最後の最後まで、チームが同じ想いを持ち続けられるか?
“執念”という、言葉に出来ない、意志を捨てずに持ち続けられるか?。
私が、最後まで、日大も抜くぞ!、という意志を捨てなかったら・・・・?。
あの時のクルーのメンバーは、ソフトボールの試合に何を思っただろうか?
| 固定リンク
コメント