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2008年7月16日 (水)

父の存在

皆さん、こんにちは
 食品スーパーで店長をしている「てっちゃん」です。

昨日は、一足早く、墓参りをしてきた。

 私の家のお墓は、実家のあった東北にある。
 そして、そのご先祖様が、新潟の巻町の出身であるため、
 新潟にも、お墓がある。

 毎年一回、夏に、新潟のお墓参りをしていたが、今年は、新潟と東北の
 二つのお墓を同時に、墓参りをしてきた。かなり、ハードだった。

東北にあるお墓では、いつも、父と会話をしてくる。

 私の父は、8年前に他界した。
 
  体調がすぐれないとは聞いていたが、急にお袋から連絡が入り、父が私に
  会いたいと言う。

  妻と実家のある病院へ駆けつけると、父がベットに横になっていた。
  そんなに、やつれた様子も無く、元気そうだった。

  父は、私に言った。
   「大したことは無い。わざわざ来るほどのことでも無かったのに」。

  しかし、こうも言った。
   「俺は、これから手術を受けるが、少し言っておきたい事がある」。
   
   そして、家のこと、土地のことなど、今後の事について話を聞いた。

  医者からも、話があった。
   「2回目の肺炎であり、見た目以上に厳しい状況であり、手術をしたい。
    万が一のことも有り得ますが、覚悟はしておいてください」。

  そんなに厳しい状況だったのか。

  そして、父は、医者と共に手術室へ向かった。
  向かう途中で、父は医者になにやらいろいろと質問していたようだ。

  それが、意識のある父の、最後の姿だった。

  手術後、父は、意識を失い、周りを認識することは無かった。
  そして、数日後に、この世を去った。

 今から思うと、自分の命の寿命を知っていたのだろう。
 そして、私を呼べと。

 父が、私を、呼びつけることなど、今まで無かったこと。
 そして、そのことが、私に、ある覚悟を決めさせてくれた。

  家を背負っていく、という覚悟。
  
  それを、自分の「死」をもって、私に教えてくれたのだ。

 私の実家には、親戚に貸していた土地があったが、
 父の死後、その土地の処し方について、私は迷っていた。

  私は、仏壇で、父と会話した。
  この土地を、今後、どうしていくか?

  売るべきか、立ち退いてもらうべきか、月ぎめで土地代をもらうべきか。
  
  そして、

   一年後、この土地が道路の拡張整備に引っかかり、県で買上げることに。
  
  私は、この件は、父が、私に苦労させずに、自分で幕引きをしてくれた、
  そう、思っている。

  そして、県の計らいで、親戚にも、立ち退き料等が下りて、別の貸家に
  引っ越していったのだ。
 
   私の手を一切わずらわすことなく。
   親戚にも、後腐れなく。

  転職のときも、仏壇で、父を語らった。

   自分の将来、家の将来、母のこと、家族のこと、自分のこと。
   そして、自分の人生について。

  生前、こんな会話など、まったくしたことが無かった。
  死後、深い深い会話が、できるようになった。

 いつも、父は、私を守ってくれている。

  他力本願でもなく、自己放棄でもなく、
  素直な気持ちで、今、そう思える。

 やはり、父は、私に、自分の「死」をもって、
 人間として、一番大切なものを、教えてくれたのだ。
 私は、いまでも、そう思っている。




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コメント

海老名さん、コメントありがとうございます。

不思議なもので、今まで人前で、父の事など話した事も無かったのですが、ブログの世界で公表してみると、今までの胸の支えがすっと消えました。

どこかで、父への後悔の念が残っていたのだと思います。

海老名さんとご子息の関わりも、むしろ私には羨ましい、そうんな風に感じています。

今後とも、よろしくお願いいたします。

投稿: てっちゃん | 2008年7月17日 (木) 23時25分

良いお話しを伺いました。
有り難う御座いました。
暑さが厳しくなってきましたね。
お身体お大事に。

投稿: 海老名誠 | 2008年7月17日 (木) 21時53分

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