自己紹介から
今回が二回目の投稿となりますので、まずは自己紹介から
生まれは昭和30年台半ば。東北にある大学を出て、東北にある食品スーパー
に就職。当時は不況の折で、銀行に就職したかったのですが叶わず、あえなく
地元の食品スーパーに就職。初めは1年程度腰掛けて、次年度に新たな就職
活動でも、と思っていました。
その会社が一番力をいれている「鮮魚」部門へ配属。当然、就職してからも、
「頑張ろう」と「いつ辞めよう」のハザマで葛藤。いつの間にか4年が経ち、部門
チーフへ昇格。
不思議なもので、ひとつの仕事に3年も集中すると、「もしかしたら、この道でやっ
ていけるかも」という変な自信(正確には、この道しか無いというアキラメ)がつい
てくるもの。
よく、若手の社員から「辞めたい」と相談を持ちかけられます。
2年未満の社員には、状況に応じては「まだまだやり直しは効くから、自分の考
えで進め。但し、次が最後の転職と思え」、とアドバイス。
しかし、3年以上の経験者には、「ここまで来たら、この道を進め」とアドバイス。
なぜか。
皆さんもご存知の通り、スーパーの仕事は多岐に渡り、3年でようやく一人前。
それはどんな職業でも概ね同じ事。だとすれば、本人にとって、この3年間でほ
ぼようやく一人前になりつつあるところで、その職業を捨てることは非常にもった
いない、という事。また、別の職業で一からやり直し3年を要するのであれば、こ
のままこの道を進んだ方がスムーズに次のステージに進めるし、会社にとっても
3年間のコストを考えれば、是が非でも引き留めたいところ。しかし、退職を考え
悩む本人には、その後の自分の人生が見えていない。
当然です。
それは彼にとっては「未知」の世界。しかし、私にとっては進んできた「道」。彼の
進む道を、20年前に私は通った道。だからいえるのです。「君の為にも、このま
ま進みなさい」と。
話が横道にそれましたが、そんな訳で、鮮魚チーフを皮切りにどっぷりと食品
スーパーの道に漬かっていくこととなりました。
そのまま、鮮魚スーパーバイザー、副店長、店長を経験し、家を建てる。
そこで、単身赴任の身となる。
考えたのは、これからの自分の人生。このまま単身赴任を続けながら今の会社
をまっとうするか。そうすれば行き着く先は、定年を迎え何も無い状態で家に戻
る自分の姿。店長とはいえ人事異動が多く、その店の地場で築き上げたネット
ワークを全て捨て去って次のお店に赴任し、新たなネットワーク造りに励まなけ
ればならないことが残念でならなかった。
定年60歳としてもまだまだ現役。であれば、今ならまだ無理も効くし、変化にも
対応できる。家という地場でのネットワークを活かし、定年後もそのネットワーク
がお互いをサポートし合えるのではないか。その結びつきの中で自分を活かそ
う。そして自分の人生をまっとうしたいと考えました。
なんとか、3年前に地場の食品スーパーに就職でき、現在に至る。
現在は、その食品スーパーで店長として、今までの経験も活かしつつ、地場の
お客様や、従業員に助けられながら、若手と共に店舗運営をしています。
皆さんの中にも、転職された方も多いと思います。
転職前の私は、スーパーの表面上の店構えや品揃えが同じであり、同じ食品
スーパーでもあり、以前の経験がほとんど活かせるだろうと軽く考えていました。
それが、大きな間違いでした。
それは、次回お話します。
| 固定リンク
コメント